1.破壊屋クラウ 01
ぱち、ぱち、と何かを弾く音が響く。その度に、背中にも心にも冷や汗が吹き出て行くのが分かる。
指で玉をはじき、移動させて計算する旧式の計算機だった。電池式の小型計算機が開発されて以来、旧式計算機を使う人間が少なくなった。目の前の男は、その廃れた計算機を愛用している少数派の人間だった。曰く、「弾くときの音が、聞いている相手に緊張感を与えているこの感じが快感」なのだそうだ。まるで高利貸しのようで嫌な趣味だと思うのだが、確かにこの音は、緊張感を与えるものだなとクラウは実感した。現に今、身に持ってそれを受けているからだ。
プラスになるか、それともゼロになるか。それは、この音にかかっているのだ。ゼロになるのもいやだが、せめてマイナスになるのは勘弁してほしい。
最後の音が弾かれた。
ふう、と目の前の男は息をついて、計算機から顔を上げる。
三十路前の、穏やかな面持ちの青年だった。整ってはいるが、実際の年よりも、少しばかり老成して見えるのは目の錯覚だろうか。肩まで切りそろえられた髪は、男性にしては長い。本人は無精して適当に縛っているだけだというが、妙に艶やかだ。
男の名前はヴァシリー・アトウェル。クラウの仕事の仲介人でもあり、足を向けて眠れない恩人でもあり、腐れ縁の友人でもある。
「中央広間の壁画の破損が三つ。神殿付近の聖ガブリエラの石像は真っ二つ。最奥部の神殿の祭壇――木端微塵。何をどうやったらここまで壊せるんだろうねぇ。気にならないか? クラウ君」
耳がとても痛い。全て身に覚えがあるから、尚更だ。乾いた笑いと共に、クラウは男から気まずく目を逸らした。
「その他こまごまと破損があるけれど、以上、サルマ聖墓跡探索の報奨金は、君が発掘してきた戦利品と合わせて、プラスマイナスゼロ、でどうだ?」
「――って! マジかよヴァシリー!」
ばん、とヴァシリーの机をたたく。
笑っている場合ではない。プラスマイナスゼロということは、ノーギャラだということだ。ノーギャラということは、今回の依頼で金が手に入らないということだ。金が手に入らないということは、金欠状態が続行されるということだ。金欠状態が続くということは、明日の食うものに困るということだ。
食っていけないのは、いくらなんでもまずい。マイナスにならなかっただけマシ、と言えない。今の状態は、限りなくマイナスに近いゼロだからだ。
必死のクラウに対してヴァシリーは、両肘を突いて、顔色を一つ変えずに笑っている。口元はつり上がっているのに、目は全く笑っていなかった。
「聖ガブリエラの石像を壊したことが一番まずかったかな。アントニオ聖教会から結構な額の罰金を命じられた。挙句に坊さん方からこっぴどく怒られたこっちの身にもなってくれ」
言葉が詰まった。何も反論が出来ない。寧ろ、自分の代わりに説教を食らってくれたヴァシリーに感謝しなければならない。聖ガブリエラの石像は、壊した瞬間に一番「やっちまった!」と思ったものだった。
探索したサルマ聖墓跡は、世界四大宗教の一つであるアレイス教の管轄地だ。アレイス教の聖人の一人である、ガブリエラの遺物が隠されていると言われていた。
「ああ、でも、発掘品がよかったよ。一七〇〇年前の無線譜の楽譜と、聖ガブリエラの遺物と言われる聖杯ね。楽譜の方は、無線譜自体そんなに発見されてないから音楽史的にも貴重な資料になるし。聖杯も博物館に入るそうだよ。それから――『聖ガブリエラの涙』を、よく見つけてきたね。今まで誰も見つけられなかったのに。どうやって見つけたんだい?」
一応のフォローを入れてくる。
発掘した一つは、小指の先ほどの透明な石だ。『聖ガブリエラの涙』と言われるその石は、サルマ聖墳墓跡に入った数多くの遺跡探索者が、どうしても見つけられなかった、と口をそろえる一品だった。そしてそれが、今回のクラウと、大元の依頼をしてきたアントニオ聖教会の、最大の目的だった。今年こそ祝祭の日に、遺物を聖堂に置きたい。その願いは、一応かなえられたわけだ。
クラウは生計を立て始めて二年目の遺跡探索者だ。駆け出しと言ってもいいクラウが、発掘してきたのは、快挙と言っていいのかもしれない。
嫌な汗をだらだらと背中に感じながら、
「石の方は……ぶっ壊れた石像から出てきたんだ……」
一応そう言って、僅かな望みをつなげてみる。
事実ではある。綺麗に二つに割れた石像の、心臓部分から出てきたのだ。大昔、ガブリエラの石像を作った彫刻師がそれを入れたのかは、定かではない。だが、文献や資料から読みだした遺物の特徴を見ても、発掘してきたそれとぴったり一致していた。
先に捜索した同業者も、まさか石像の中に入っていたとは気付かなかったのだろう。当たってみたどの文献にも、石の隠し場所は明記されてはいなかったのだから。クラウが石像を「偶然」壊してこなければ、発見出来なかったのかもしれない。
「あーなるほどね。それじゃあ君しか見つけられないな」
「そうだろ?」
「でも、それとこれとは話が別だ」
ヴァシリーはにっこりと笑って、一閃した。
「石を見つけてきたのは偉いけど、石像を壊してきちゃあ、全部パーだ。三つの遺物と君に出す予定だった報奨金で、遺跡の修復費と罰金払っちゃうから。今回報奨金なしで異存ないね?」
最後の望みも断たれた。ここで食い下がっても意味が無い。これ以上言っても、目の前の人間から「駄目」とにこやかに告げられるだけだ。
「……ありません」
クラウは素直に頷いた。
自業自得だが、正直、つらい。十日前から金欠状態で、今回の依頼を受けたのが一週間前。それから下調べを初め、探索に入って破壊して返ってきたのが二日前。
今の所持金は銅貨五枚と銀貨が一枚。一日過ごしたらすぐに消える金額だ。その他、今月の家賃等を考えると、頭が痛くなる。
「……厳しいな……」
「壊してこなけりゃ、こーなんないんだよ。偶然とはいえ、ねぇ。僕としては毎回毎回破壊工作してくる君を見ているのが面白くって仕方がないけどね」
最後の一言はともかく、正論を言われてしまっては何も出てこない。この際、正論を言った相手が、頭の上がらない人物ではあるが死ぬほど腹の立つ人間であるという個人的な感情は置いておく。壊してこなければ、普通に報奨金を貰うことが出来たのだ。そしてこれが一回や二回だけではなく、数回もやってしまっているのが悩みだった。
あまりの金欠ぶりに、何かを壊してきてしまう自分に、頭を抱える。
「僕だってねぇ、いつもお金が無くてカツカツで困っているクラウ君に、救済措置を取ってやらないこともないよ」
「何だよ救済措置って……」
頭を抱えていたクラウには、腐れ縁の恩人の顔は見えなかった。よって、次の彼の発言を予想する事は出来なかった。
「君に依頼が来ている」
依頼、と聞いて、クラウは頭を上げた。
「マジで!?」
この際内容は何でもいい。皿洗いだろうが靴磨きだろうが、害獣退治でも何でもいい。金になるのだったら。
「本当だ。これが依頼書。受けるか受けないかは、君の自由だ」
そう言ってヴァシリーが提示したのは、一枚の紙。
嬉々として内容を目で追って行き――
「おいヴァシリー」
「うん。何だい? 愛しのクラウ君」
知らずに、言葉が険しくなる。最後の一言は華麗にスルーする。内容は何でもいい、と思った数秒前の自分をぶん殴りたくなった。
「駆け出しの俺に依頼を回してくれるのにも一応感謝している。俺の代わりに坊さんから説教を受けたのにも悪いと思っている」
「それはそれは」
「だけどな、何でこの手の依頼なんだよ!」
ヴァシリーは大仰にため息をついた。
「三日前のことがあったから、君に遺跡探索の依頼を出すわけにはいかなくてね。お偉方さんから僕が怒られる。それに君が僕のところにいるっていうだけで、僕には関係のないこの手の依頼が大量に来るんだ。報奨金も破格だ。君にとっては嬉しい話だろう」
「嬉しくねぇよ! 大体、数が多過ぎる。死んだらどーすんだ!」
「大丈夫大丈夫。君だったら、グールと戦ってもオークと戦っても、デーモンと戦っても生きて帰ってこれるよ。てゆうか、そーいって死んできた試しがないじゃないか」
「あ、お前、今さらっと死ねっつったな! 当たり前だ! それと、基本的に、俺は、遺跡探索者であって」
「腕のいい武術家でもある、だろう? 言ったが、受けるか受けないかは、君の自由だ。これから三食水のみ生活を送りたいのなら、受けなければいい」
続く言葉を、ヴァシリーの手と、声が遮った。
三食水のみ生活、と聞いて途端に冷静になった。金が無くなると真っ先に削減するのは食費だ。食費は、節約する理由を作るのが一番簡単なものだった。「ご飯はいらない」と思いこめばいいのだ。最終手段の三食水のみ生活になれば食費はゼロになる。公共水道を利用すればいいからだ。
しかし、飢餓感、というのは身体の動きを鈍らせるだけではなく、思考も集中力も欠かせてしまうものであることも知っている。なるべくなら無縁のものでありたい。水は金もゼロだがカロリーもゼロだ。
今クラウが一番欲しいものは、金と、早急に降ってくる金になる材料だった。
目の前には、金の材料がちらついている。
舌打ちをしながら、ヴァシリーの机に置いてある万年筆をひったくる。依頼書に乱暴にサインを付けて、ヴァシリーに突きつけた。
「ああ、ありがとうクラウ君。文句たれながら受けてくれるのが君だっていうの、僕は知っていたよ。いい子だねぇ。お兄さん嬉しいよ。つい飴をあげたくなってしまうね」
「誰が兄さんだ! おっさんって年だろうが! 飴なんかいらん。それよりも契約書通り、前金くれ!」
「一応、僕はまだ二〇代なんだけどね」
ヴァシリーは机の引出を開けた。嘘こけその外見は明らかに三〇超えているだろうがと内心思いながらも、クラウはそれを口には出さなかった。
渡された布袋の中身を確認する。依頼書通り、ずっしりと重い金貨が二十枚入っていた。久しく見ていない金色の輝きに目が眩んだ。これだけでも、宿代含めて一週間は食っていける。二週間ぶりに肉が食える。
「よだれが垂れそうなところ悪いんだけど、今日中にお願いね。」
そんなクラウに、ヴァシリーはとどめの一言を言い放った。
*
ヴァシリー・アトウェルは、史跡探索保護協会の管理職を務めている。勤務地は聖ルーファス大公国の首都ダラス支部だ。
先住民の生活跡。数千年前の古代文明の跡地。聖人や偉人の伝説地。神話の伝承地。名前の通り、それらを発見し発掘し、「遺跡」として保護し、大学や博物館などの一般にも開放できるように目指すのが「史跡探索保護協会」の役割だ。
大体の遺跡は一般人の出入りは禁じられている。保護協会からの安全が認められないと、一般公開は出来ないとの規則が出来ている。そして一般公開出来る遺跡の数は、数少ない。
遺跡に入れる人間は、「史跡探索保護協会」の理事、宗教色のある遺跡であれば上位の聖職者、そして、遺跡探索者だけだ。
遺跡探索者はその名の通り、「遺跡」を「探索」することを生業にする人間のことである。探索は、大体が協会から、もしくは教育機関や宗教法人からの依頼によって行われる。後者の場合は必ず、協会が仲介に入る。
遺跡探索者は、主に四つの要素が求められている。
一つが、その場を見極められる判断力。
二つ目が遺物や文明、歴史や考古学に対する深い知識。
三つ目が、遺物や宝を発見するための探索能力。
最後の一つが、戦闘能力だ。
世界四大宗教の一つ、ヴェルトナ教の主張によると、この世界は陰と陽のバランスで成り立っているらしい。陰は悪でもあり闇とイコールで結びつけられ、陽は善でもあり光となる。光に対して闇があるように、善の生き物に対して悪に価する生物も存在する。グールやオークといった生物がそれに当たる。
光と影の拮抗。
天秤ではかって、どちらに傾いても世界は成立しない。
ヴァシリーはどの宗教も信奉していない。この世の中には、宗教、というものが多過ぎるのだ。どれも同じように見えて、入信する気にもなれない。だが、この世に害獣が跋扈しているのを見ると、ヴェルトナ教の主張も一理あるのかも知れない、と感じることもある。
害獣は、人が多くいる場所にはあまり現れない。人気がなく、暗い場所を好むと言う。例えば森。例えば人の出入りが少ない、先住民の遺跡。
遺跡探索にそれなりの戦闘能力が求められる所以はこれだ。害獣と戦って、命を落とした遺跡探索者も数多くいる。
で。
ヴァシリーが考えるに、クラウは四つの要素を欠けることなく揃えている。特に戦闘能力は、十七歳とまだ若いが、遺跡探索者の中でもトップの実力だと言えるのではないか。武術の腕だけで十分食っていける。そう思わせてしまう、素晴らしいものを持っていた。
それよりも大切、というか、基本中の基本すぎて要素に入らないものがある。
遺跡内のものは、トラップや仕掛けを解く以外、そのままで壊さずに帰ってくるのが鉄則だ。高名な遺跡探索者でも、遺跡内の一部を破損させて修復費を請求された、ということも起こる事柄だ。そして、それほど珍しくない。
問題はクラウの場合、壊して帰ってくる確率の高さだ。
「全くあの子は、壊しさえしなければ一流の仲間に入れるのになぁ」
つくづく勿体ない、とヴァシリーは思うのだ。それが原因で、不名誉なあだ名まで付いているというのに。
「……まぁ、見ていて楽しいから別にいいんだけどね。僕的には」
そこまで言ってヴァシリーは、クラウのことを頭の外に追い出し、受話器に手を伸ばす。指で目的の番号を回して、相手が出るのを待つ。
「ああ、アニス。僕だよ僕。最近世間じゃ僕僕詐欺が流行っているみたいだけど。……ちゃんと分かってるって? ありがとうアニス。今度一緒にディナーでもどう? それから……」
仕事は他にも山積みされている。机の上に置いた書類の内容を、もう一度確認する。同じように、他の探索者への依頼。坊さんへの謝罪。次に……。
――最近問題になった遺跡への、発掘依頼。
「例の少女を見つけたら、丁重に保護するようにね」