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その踊り子は、エナと名のった。
ジャックの売られた見世物小屋は、毎夜、月が中天に差し掛かる頃に開店する。
綺麗な服に身を包み、顔を仮面で隠した貴族達が広間に入ってくると、其々の牢屋で鎖でつながれた者達のパフォーマンスが始まる。
牢屋は囚われ人達の部屋であり、舞台の一つ。
それは、動物を見せる檻であった。
そして、最後にはその日一番人気があった者が中央のステージに上がって技を披露して閉幕となる。
ジャックは連れられてきたその日の夜には、すでに注目の的となっていた。
特に何もしてはいない。ただじっと牢屋の壁に寄りかかって座っているだけだ。なのに、客として来た貴族達が恐いもの見たさに集まってきた。
カボチャ頭を見ては、初めは被っているのだろうと疑う者が大半であった。が、その中身が空だと分かると恐怖に顔を引きつらせて逃げていく。その繰り返しであった。
初めの内は人にじろじろと見られる事に気分を害した。が、それも数日も経てば徐々に慣れてくる。
ジャックは自身も客寄せとなりながらも、人だかりの向こう側で踊るエナの姿をぼおっと見つめていた。
エナは一番人気の踊り子であった。
足に鎖をつけられた状態で踊るエナの姿は美しかった。
まるでバレエのように優雅で、娼婦のように妖艶であり、かつ、清純無垢な少女のような可憐さも持ち合わせている。白いドレスは優雅に広がり、美しい金髪が蝋燭の光を受けてキラキラと輝く様はまるで妖精が踊っているようであった。
踊っているエナはちらりと視線を向けては、ジャックにしか分からないほどに小さく笑った。
そのたびに、なんだか気恥ずかしくなってジャックは慌てて顔を背けた。
エナはジャックがこの見世物小屋にやってきた日から気さくに声をかけてきた。
久しぶりに来た新人に興味を抱いて声をかけてきたらしく、呆然と顔を見つめてくるジャックを見て嬉しそうに笑ったのだ。
一方、エナがあの夜に倒れていた少女であると気がついたジャックは、ただただ混乱するばかりであった。
初めてあった日。エナは、ずっと黙ったままのジャックに向かって自分の身の上話を始めた。
彼女は元々王都の劇場出身の踊り子であった。だが、その劇場が閉鎖し、人買いに連れ攫われてしまったらしい。その後、一時は花街に売られたのだが、売られたその日にまた別のある男(恐らく、ジャックに呪いをかけた男)に身請けされてしまったという。
が、その後の記憶が殆どなく、気がついたらこの見世物小屋にいたとの事であった。
ジャックはその話を聞いて納得した。
恐らく、あの男もジャックがやろうとしていた事をしたのだ。何の理由かは分からないが、用済みとなったエナを人買いに売り飛ばしたのだ。
しかし、偶然とは恐ろしいとジャックは思った。
売られてきた先で、まさか、ここにいたる原因となった少女と再会する。信じた事は一度もなかったが、神のイタズラとしか思えなかった。
その後も、エナはジャックが話さないことを言い事に、いろいろな事を話し続けた。
初めこそ、ジャックはエナをとことん無視していた。どうせ、また恐がっていずれ逃げていくと思っていた。それに、エナを見るとあの日の事が思い出されて気分が悪くなった。
とうとう、余りにもしつこいエナに痺れをきらしたジャックは、3日目にして初めて口を開いた。
「うるせぇぞ!俺が、恐いだろ!」
「どうして?あなたの何処が恐いの?」
エナはキョトンとした顔で空々しいくらいに不思議そうに言った。
その顔と声にさらに苛立ちを感じた。
「俺はカボチャ頭だ。気味が悪いだろう」
少し、声を荒げて言うと、エナは再び不思議そうな顔をした。
「そう?確かに少し個性的かもしれないけど、世界は広いもの。今まで見たこと無いからって恐れてるのは愚かだわ。それに、私にはあなたは悪い人には見えないもの」
そう言って、にっこりと笑った。何の疑いもない恐れてもいない瞳がジャックを見つめている。
ジャックは何も言えなかった。何故か、その瞳を見つめていると心に胸にたまった重たい物がふっと軽くなった気がした。目の前のこの少女の面影を残す笑顔がまぶしく見えて、いつまでも見ていたいと思った。
その日以来、毎夜、見つからないよう鉄格子越しにエナと話すのが日課となっていた。いつしか、ジャックはエナ達と話す事を一日の楽しみにしていた。
最終ステージでエナの踊りを見る観客の歓声が上がった。
これで一日が終わる。
ジャックは牢屋の奥のほうでじっと座り、広場の大部分の灯りが消され薄暗くなるのを待った。
ちょうどその頃に、見張りの男に連れ戻されたエナが牢屋に戻ってくる。
鍵を開ける音が聞こえ、暫くして、再び鍵のしまる音が聞こえた。男達が立ちさるのをジャックは牢屋の奥でじっと見つめた。そして、完全に、男達の気配が消えるのを確かめ、ジャックは鉄格子に近づいた。
だが、そこでジャックは違和感に気がついた。
いつもなら、ジャックが近づけばエナの方から話しかけてくるのに、この日は静かだった。
不思議に思って薄暗いエナの牢屋を覗き込むとエナはじっと膝を抱え、そこに顔を埋めて座っていた。
「エナ。どうした?」
声を潜めてジャックが声をかけると、エナはゆっくりと顔を上げた。
顔は真っ赤。涙でぐちゃぐちゃになっていた。
ジャックは驚いて、思わず声を大きく詰め寄った。
「エナ!?何かあったのか?あの、ブタ野郎に鞭でも打たれたか!」
エナは何も言わず、首を振って否定した。
確かに、見る限り鞭で打たれた形跡はなかった。エナは一番人気の踊り子である為か、あのブタ男もエナにだけは鞭で打つことはなかった。
ちなみに、ジャックは何度か撃たれている。その度に頭のカボチャを守るのが大変だし、痛くは無いのだが打たれるのは毎回しんどい思いをしている。
何はともあれ、ひとまず酷い事をされていないと分かり、ジャックは安堵のため息をついた。
「しかし、なら何で泣いてんだ?なにか、酷い事でも言われたのか?」
再び、ジャックが問い詰める。が、エナはしばらく何も答えなかった。だが、ジャックが何も言わずじっと待っていると、暫くしてから篭った声で小さく呟いた。
「・・・・・・私、売られたの・・・・・・」
「え?」
ジャックは一瞬何を言われたのか分からなかった。呆然とエナを見つめる。
エナは膝から顔を上げて、涙に溢れた瞳で見つめ返してきた。
ジャックは震える声で言われた言葉を繰り返した。
「う、売られたって・・・・・・、どういう事だよ」
「前から・・・・・・、私を買いたいって貴族が沢山いたらしんだけど・・・・・・、ずっと、断ってて。でも、今回はすごい高く買ってくれる人がでたらしくて・・・・・・」
泣きながら、エナは経緯を話し始めた。
この見世物小屋では、貴族達が金さえ払えば人買いも出来た。
エナは一番人気であったため、以前から引き取りたいと申し出る貴族が多くいた。が、あのブタ男が貴族でも大金な額を提示していたらしく、なかなか買い手が現れなかったらしい。
しかし、今回。
この大金を上回る金額を提示した奇特な貴族が現れた。ブタ男は大喜びして、一番人気であるエナをとうとう売る事にしたらしい。
といっても、実は貴族に買われる事はここから生きてでる唯一の方法であった。普通に考えれば、喜んでもいいことである。が、必ずしもそうとは限らなかった。
エナは声を震わせて言った。
「私、どうなるのかな?この前、買い取られた女の子いたでしょう?貴族のお客さんが話してるの聞いたの。あの子、死んじゃったんだって・・・・・・。遊んでたら壊れたって。だから、捨てたって・・・・・・。私、どうなるのかな?恐い、恐いよジャック・・・・・・」
エナは両目からぼろぼろと大粒の涙を零して泣き始めた。
ジャックはその顔を見つめて、ない唇を噛んだ。
売られた者が必ずしも、その後、幸福な始終関係になったり、自由になるとは限らない。
実際はこの見世物小屋よりも酷い扱いを受けることなんてザラである。
貴族達は買い取った者達を同じ人間として扱うことは奇跡に近く、ほぼ物としてあつかった。時々、返品だとばかりに戻ってくる者さえいる。
ジャックがここに来てからも、何人か売られて戻ってきた者がいた。が、いずれも以前いた時よりも酷い姿で戻ってくる。
近くにいた奴等が、何があったのかと聞いているみたいだが、思い出すと恐ろしいのか発狂する者が多かった。その声は広場に響き渡る事がある。そのため、ここの連中は死ぬ事よりも売られる事の方が怖いと感じる。
美しいエナのことだ、体を傷つけられる事はまずないであろうが、生きながら地獄を見るのは確実だ。
エナはとうとう声上げて泣き始めた。
「じゃ、ジャック。私、逃げたい・・・・・・、ここから今すぐ逃げたい・・・・・・」
悲痛な叫びが、広場に響いた。
ジャックはギュッと鉄格子を握り締めた。
何も出来ない自分が憎らしい。今すぐにでも、ここから出て彼女を抱きたい。涙を拭いてやりたい。
でも、それすら今の自分には出来きるすべがない。
助けたい、助けたい。
ジャックは泣きじゃくるエナを見て強くそう思った。
そして、自然と口からその言葉がこぼれていた。
「エナ、俺が助けてやる。必ず、俺がここから出してやるから」
顔を上げたエナは驚いた顔をしたが、すぐに悲しそうに首を横に振った。
「無理よ・・・・・・、ジャック。ここから逃げるなんて、無理よ」
「何とかなる。何とかしてみせる」
「でも・・・・・、牢屋から出る事もできないのに・・・・・・」
「・・・・・・、それは・・・・・・」
エナの言葉にジャックは腕を組んで考えた。
たしかに、牢屋は昼の間、いつもブタ男の部下達が見張りにやってくる。
鍵はその男達が腰にぶら下げていつも持っているのを見たことがあった。
夜になれば貴族達の目が集まって逃げ出すのは不可能であり。
常に、人の目がある中でどうやって逃げるか。
と、その時、ジャックはあることに気がついた。
唯一、人の目が離れる瞬間がある。
危険を伴うが、その時以外に逃げ出すチャンスはない。自分がやるしかない。
ジャックは、涙に濡れたエナを見つめた。
「エナ。俺に良い考えある」
「え?」
「だから、お願いがあるんだ」
「お、お願い?」
涙が零れ落ちるエナの瞳を見つめ、ジャックは大きく頷いた。
「ああ、明日からあまり踊らないでくれないか?」
エナは首を傾げた。
だが、ジャックは至極真面目な顔をして言った。
「俺は、ステージに上がる」