走りの高橋
僕は屋上のドアに向かって全力で走った。部活では「走りの高橋」と呼ばれていたくらいだ。ほとんどあっという間に屋上のドアに着いた。
ドアをタックルで開け、まさに落下防止の手すりを乗り越えようとしている人を。
「よせ!」抱きかかえるようにして手すりの手前側に戻した。
「やめて!ほっといてよ!」
聞こえてきたのは、女子特有の高い声だった。その子は必死に抵抗していたが、かなり線の細い子だ。部活でまともに体を鍛えている僕に筋力で勝てるわけは無かった。
しばらく暴れた後、疲れてその子はぐったりしてしまった。そこで、僕はその子に質問してみることにした。
「きみ、名前は?」
「・・・。」黙り込んでしまったが、その子は顔を上げてくれた。
顔を見た瞬間、さっきの質問は愚問だったとわかった。
僕の目の前に居たのは、今、学年でもっとも有名な人だった。それも、いい意味ではなく・・・。
いじめられっこなのだ。それがわかり、僕はあっという間に納得してしまった。なぜなら、彼女に対する仕打ちは凄惨を極めるものだったからだ。僕も、自分への仕打ちを恐れて彼女のことは黙認していた。
彼女は、元々はかなり明るく、活発な女子だった。しかし、「ある趣味」が他の女子に露呈してしまい、それをネタに散々いじめられ、挙句の果てには学年全員からまるで細菌のように避けられ、陰湿ないじめを受けていた。さらには、親や教師の目を盗んで殴られたりする始末だ・・・。
わかっていた。いじめられている子を「シカト」することも立派にその子をいじめていることになるのだ・・・。
心の底から、罪悪感が湧きあがってきた。
「ごめん・・・。」反射的に謝ってしまっていた。
「なんで・・・。あなたが謝るのよ・・・。」泣きながら彼女が言った。あざだらけの顔を上げてさらに彼女が続ける。
「あなただって傍観していただけなんでしょ!何で謝るのよ!」
ついに彼女はタガが外れたように泣き出してしまった・・・。
しばらく沈黙が流れた。彼女が、慰めの言葉も、ましてや謝罪の言葉も望んでいないことは分かっていたから・・・。
泣きやんだあと、彼女は僕をまっすぐ見詰めてこういった。
「お願い・・・。死なせて・・・。もう、限界なの・・・。私は一人っ子だし、親も忙しくて出張しているから、死んでもわからないわ。お願い。一人にさせて・・・。」
「意外だな。」僕は勤めて明るく言った。
「えっ?」彼女は面食らったような顔をした。
「僕の両親も、出張していて家に居ないんだ。」
「だから、なんなの?」
「僕たちには共通点があるっていうことさ。」
「だから?それがどうしたっていうのよ?」彼女は苦笑いをしながら言った。
「つまり、僕は君に好感が持てるって言うことさ。」
「それって・・・。」彼女はボーっとした表情をした。
「僕は、君の事が好きになったみたいだ。」
「ウソ・・・でしょ?」
僕は断固とした口調でこう言った。
「ウソなんかじゃない。僕は君が好きなんだ。だから・・・。」僕は彼女の手を握った。
「頼む。死なないでくれ。もちろん、君がどんなに死のうと頑張っても僕は君を止めて見せる。なぜなら、君が大切だからだ。お願いだ、死なないでくれ。僕が君をかばうから。」
今ならわかる。二年経った今なら。僕がどれだけ無茶で呆れるようなことを言ったのか。
だが、彼女を救うにはそう言うしか無かったのだ。
その直後、彼女はせきを斬ったように泣き出して僕に抱きついて来た。僕は震えるその背中を彼女が泣き止むまでさすり続けた・・・。
学校を後にして、彼女を家まで送った。次の日、必ず学校に来るようにと言って・・・。
感慨に耽るのはここまでにしよう。僕は引き出しをしまって元通りにカギを掛けた。
その直後、携帯が鳴った。
「もしもし?」
「あっ、高橋君ね。実は、提案があって。」
「へえ、どんな?」
「明日、学校が健康記念日でお休みでしょ?」
「ああ、そうだね。それで?」
「実は、一緒に犯人が出そうな所に張り込みに行かない?」
「えぅ?なんでそんな急に・・・。」僕は驚きを隠せない。
「だって、このまま調べてても次の犯行を待つだけよ。だったら、犯人を見つけにかかった方がいいでしょ?」
萩原さんらしい考えだと思った。行動力が人並み外れている。屋上の合鍵もそうだ。
「わかった。いいけど、何時にどこ集合?」
「うーん・・・学校から一番近い駅にしようか。それで東京までいこ!」
「えっ!?俺、そんなに金持ってないよ?」
「わたしが出すから安心して。東京に買い物に行くために貯金しておいたんだ。高橋君、運賃なら出せるでしょ?」
「ああ、大丈夫だよ。」
「ならオーケーじゃない!せっかくの休みだし。思いっきり遊びましょ!その後でもちろん、張り込みもするけどね。高橋君、明日はハードな日になるわよ!じゃあね。」
電話が切れた後、僕はしばらく僕の携帯を見つめていた。萩原さんって結構ハジけたひとなんだな、とか、これってデートって言うんじゃないだろうか、とか色々考えてしまっていた。
だけど、僕はすぐに時計を確認して、寝なきゃまずい時間だと認識した。こういう風にすぐに冷静になれるのも、彼女、今ではあいつと呼んでる彼女のおかげだ・・・。
ベッドに入ると、携帯の目覚ましをオンにするとすぐに眠りに落ちて行った・・・。