片山沙織の場合 ①
まずは片山沙織の物語。
完璧なキャリアウーマンの彼女が見せる一面をお楽しみください☆
ずっと仕事一本でやっていると、愛だの恋だのという類とは疎遠になってしまうものだ。
『あんた、仕事ばっかりで人生楽しい?』
結婚した友人にそう言われて、チクリと胸が痛む。もうすぐ三十路。その事実を突きつけられた気がした。
『彼氏とか……結婚とか考えたりしない?』
考えないわけじゃない。ただそれよりもいつも仕事を優先してきただけ。
でも、やっぱり三十路になると多少の焦りも出てくる。
「とはいえ、相手がいないしね」
「いるじゃん」
ため息混じりに玄関に入った瞬間聞こえてきたそんな声。驚いて顔を上げれば、お隣に住む大学生、門倉風吹が壁に寄りかかって私を見ていた。
「風吹くん……また勝手に……」
「スペアキーくれたの沙織さんじゃん」
「あげたんじゃなくて、風吹くんが勝手に持って行ったんでしょ」
つい先日、テーブルに置きっぱなしにしていたスペアキーをたまたま来ていた風吹くんは持って行ってしまったのだ。
「コレ、母さんが沙織さんにって」
そう言って差し出されたのはパックに入った肉じゃが。風吹くんのお母さんはこうして時々お裾分けしてくれる。
「ありがとう。風吹くんコーヒー飲むでしょ?」
「え? いいの!」
驚く風吹くんを置いてキッチンに入る。ジャケットを脱いで腕捲りをしていると、追いかけてきた風吹くん。
「ねぇ、沙織さんは彼氏いないの?」
「残念ながらいないわ」
コーヒー豆を探しながら答える私は、その時の風吹くんの表情なんて見ていなかった。
「じゃあ俺はどう?」
「へ?」
風吹くんの言葉に驚いて、せっかく見つけたコーヒー豆の袋を落としてしまう。
「なに、冗談……」
「冗談なんていわねぇよ」
一瞬ドキッとしたのを笑って誤魔化し、袋に伸ばそうとした手を掴まれる。グイッと手を引かれ、視界に飛び込んできた風吹くんの真剣な顔に不覚にもドキドキした。
「……だって、私三十路だし」
「そんなん関係ない。俺は沙織さんがずっと好きだったんだ」
いつも無邪気な弟みたいにしか思ったことがない相手にそう言われて、混乱してしまう。
なんとか冷静を保とうと、掴まれた手を離そうとしてみたけど、更に力を込められてしまった。その力強さに、彼が男なんだと思い知る。
「離すかよ……やっと捕まえたってのに」
「でも……っ」
離れようとする私を抱きすくめる風吹くん。私より頭一つは背の高い風吹くんの腕の中で、弟のように思っていた彼に初めて感じる男の部分。
「沙織さん……俺のこと、男として見て欲しい……」
そう言った風吹くんの声は、苦しげに掠れていた。