表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/14

第05話「森で倒れていたのは、美しいエルフの少女でした」

 味噌と醤油という強力な武器を手に入れた僕は、食生活の向上にますます熱中していた。小麦粉を水でこね、天然の酵母菌をスキルで培養して生地を発酵させれば、ふっくらとしたパンが焼けるようになった。外はカリッと、中は驚くほどもちもちのパンに、自家製の醤油を少し垂らして食べるのが最近のお気に入りだ。

 畑もさらに広げ、トマトやキュウリといった夏野菜の栽培も始めた。発酵土壌のおかげで、これらもまた驚異的なスピードで育っている。僕の足元には、もはや食べきれないほどの収穫物が転がっていた。

「少し、作りすぎたかな……」

 食べきれない分は、干したり、塩漬けにしたりして保存食に加工する。それでも追いつかないほどの豊作だ。この有り余る食料を、誰かと分かち合えたらいいのに。そんなことを、ふと思うようになった。

 そんなある日のこと。僕は食料の備蓄と、新たな食材の探索を兼ねて、荒野の先に広がる森へと足を踏み入れた。この森には薬草やキノコ類が豊富で、僕にとっては宝の山だ。

 森の中は、ひんやりとした空気に満ちていた。木漏れ日が地面にまだらな模様を描いている。鳥のさえずりを聞きながら、僕は食べられそうなキノコや山菜を探して歩き回った。

 しばらく進んだところで、ふと、茂みの奥で何かが動いたような気がした。

『獣か?』

 僕は警戒しながら、そっと茂みに近づく。ガサガサという音と共に、見えたのは……倒れている人影だった。

「だ、誰かいるのか!」

 慌てて駆け寄ると、そこにいたのは一人の少女だった。

 歳の頃は僕と同じくらいだろうか。長く、透き通るような銀色の髪。陽の光を浴びてキラキラと輝いている。そして、何より目を引いたのは、その尖った耳。

「エルフ……?」

 物語でしか聞いたことのない種族だ。彼女は美しい顔を苦痛に歪め、荒い息を繰り返している。身にまとっている緑色の衣服はところどころが破れ、泥に汚れていた。

「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」

 僕は彼女の肩を揺するが、反応は薄い。額に手をやると、火のように熱かった。ひどい高熱だ。よく見ると、彼女の腕には赤黒く腫れ上がった傷がある。何かに噛まれたのか、あるいは毒のある植物に触れたのかもしれない。

 このままでは危険だ。僕は彼女を抱え上げた。驚くほど軽い。ろくに食事も摂れていないのだろう。

 僕は急いで拠点へと戻り、岩壁のくぼみに用意していた寝床に彼女を寝かせた。毛布をかけ、水筒の水を布に含ませて額を冷やしてやる。

「う……」

 彼女が苦しげなうめき声を漏らした。腕の傷が、じくじくと紫がかっている。何らかの毒素が体内を巡っているのは明らかだった。

『教会の回復魔法があれば……いや、僕には僕のやり方がある』

 僕は森で採取してきた薬草の中から、解毒作用と鎮静作用のあるものを数種類選び出した。それを石臼ですり潰し、ペースト状にする。

 そして、そこに【万能発酵】を発動。

『薬効成分を最大化し、吸収しやすい形に分解しろ!』

 僕の命令で、薬草のペーストが淡い光を放ち始める。菌の力によって、薬草の細胞壁が破壊され、有効成分が抽出されていく。さらに、発酵の過程で生まれる新たな物質が、元の薬草にはなかった治癒効果を付与していく。

 わずか数分で、元の薬草とは比べ物にならないほど強力な、発酵薬草ポーションが完成した。

 僕はそのペーストを彼女の傷口に塗り、残りを水に溶かして、少しずつ彼女の口へと流し込んでやった。

「頼む、効いてくれ……!」

 祈るような気持ちで見守っていると、しばらくして、彼女の荒かった呼吸が少しずつ穏やかになっていくのが分かった。顔色も、心なしか良くなっているようだ。

 どうやら、峠は越えたらしい。僕は安堵のため息をついた。

 日が暮れるまで、僕は彼女のそばを離れずに看病を続けた。

 夜になり、空に月が昇る頃。

「……ん……」

 彼女がかすかな声を漏らし、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、夜の湖を思わせる、澄んだ翠色をしていた。

「気がついたか。良かった……」

 僕が声をかけると、彼女は驚いたように目を見開き、勢いよく身を起こそうとした。

「きゃっ……!」

 しかし、まだ体に力が入らないのか、再び寝床に倒れ込んでしまう。

「無理はするな。まだ熱がある」

「……あ、あなたは……? ここは……?」

 彼女は戸惑ったように、あたりを見回している。

「僕はカイ。カイ・マクガバンだ。君は森で倒れていたんだよ。ここは僕の家みたいなものだ」

「カイ……様。……助けて、くださったのですか?」

「様なんていらないよ。カイでいい。とりあえず、何かお腹に入れた方がいい。少し待ってて」

 僕はそう言うと、焚き火にかけていた鍋から、温かいスープをよそった。ジャガイモとニンジンを煮込んで、味噌を溶いただけのシンプルなものだ。だが、今の彼女には何よりのごちそうになるはずだ。

「熱いから気をつけて」

 僕はスープの入ったお椀を彼女に手渡した。彼女はこくりとうなずくと、おそるおそるスープを一口すすった。

 その瞬間、彼女の翠色の瞳が、驚きに見開かれる。

「……おいしい……」

 か細い声で、そうつぶやいた。

 そして、まるで宝物でも味わうかのように、ゆっくりと、しかし夢中でスープを飲み干していく。その姿を見て、僕の胸は温かいもので満たされた。

 誰かに、自分の作ったものを「おいしい」と言ってもらえる。

 こんなに嬉しいことだとは、思わなかった。

 スープを飲み干した彼女は、少しだけ顔色を取り戻していた。

「ありがとうございます、カイ様。……私、お腹が空いていたのですね」

 そう言って、彼女ははにかむように微笑んだ。その笑顔は、夜に咲く月下美人のように、儚くも神秘的な美しさを湛えていた。

「私は、リシア、と申します」

 リシア。その名前は、彼女の雰囲気にとてもよく合っているように思えた。

 こうして、僕の嘆きの荒野での一人きりのスローライフは、思いがけない形で終わりを告げた。美しいエルフの少女との、突然の出会い。

 この出会いが、僕の人生を、そしてこの土地の運命を大きく変えていくことになるのを、この時の僕はまだ知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ