輪廻の天使と、神の問い
【第一の生】
名:ヴァルド・エンネ。帝国の戦士。二十七歳で処刑される運命
最初に感じたのは、鋼の重みだった。
甲冑の重圧、剣の重さ、そして殺すことの軽さ。
帝国の戦士ヴァルドとして彼は目覚めた。
「帝国に仇なす者どもに、死を!」
その叫びの中で、彼は何百もの命を奪った。
敵兵の首を落とすたび、彼の胸の奥で何かが軋んだ。
けれど、それが何なのかはわからなかった。
「ヴァルド、あんた、本当に誇りを持ってるんだな」
副官のルキアが笑った。
彼女の瞳の奥に、彼は「希望」という名の光を見た。
戦場で交わした手。泥の中の焚火。
彼女は、彼が人であることを思い出させた。
しかし命令は絶対だった。
味方を守るため、彼は敵将を捕虜として逃がした。
――それが、帝国法での裏切りとされ、処刑命令が下った。
最期の夜、ヴァルドは独房で目を閉じ、呟いた。
「誇りとは……一人を救うために、百を敵にすることなのか」
その言葉とともに、刃が彼の首に落ちた。
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再びあの空間。神は、微動だにせず、問いかけた。
「感想を聞こう。戦士としての生は、どうだった?」
天使は答えた。
「誇りというものが、人を殺すための言い訳にもなれば、一人を救うための勇気にもなることを知りました」
神は一拍置き、次を告げた。
「ならば次。名はシエル。名家の娘として生まれ、十六で婚姻、十九で病死せよ」
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【第二の生】
名:シエル・フローレ。貴族の娘。愛を知らぬまま、若くして死す。
絹のシーツ。花の香り。教育された笑顔。
シエルとして生まれた彼女は、すべてを「整えられた世界」の中で受け入れていた。
「あなたはフローレ家の誇り。決して、自分を見せてはなりません」
母の言葉は冷たく、重く、そして正しかった。
十六歳、四十歳の貴族と政略結婚した。
夫は優しかった。だが、心に触れようとはしなかった。
シエルもまた、彼に「何かを求める」術を知らなかった。
彼女が本当の愛を知ったのは、病床に伏した十八の冬。
見舞いに来た侍女のエレンが、手を握りながら泣いた時だった。
「あなたが……何も言わずに、黙って笑ってるのが、いちばんつらいんです」
あたたかかった。心が、少しだけ震えた。
初めて、「寂しさ」という感情を知った。
そして十九の春、眠るように彼女は息を引き取った。
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神はまた問いかける。
「感想を」
「……私は愛を知らずに生きて、愛を知りたくて死にました」
「誰かに触れたいと思ったその時には、もう遅かった」
「ならば次」
神の声が染みこむように響いた。
「次は、名もなき詩人。戦争で家族を失い、詩で世界を変えようとして、牢で死ね」
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【第三の生】
名:なし。通称”風の詩人”。
瓦礫の街。焼けた家。死んだ母。狂った兄。
少年は、名も持たず育った。
学もなく、友もなく、彼は空を見ていた。
「この世界に、少しでも風があることを書きたいんだ」
石に詩を刻み、壁に歌を描いた。
彼の詩は静かに人々の心を打ち、いつしか帝都で噂になった。
しかし、詩は時に「武器」となる。
「権力者は、誰も信じてはいけない」
「貧しき者よ、怒りを胸に立ち上がれ」
ある夜、彼は捕らえられた。
「この男が書いた言葉が、暴動を引き起こした」
牢の中で、彼は指を折られ、舌を切られ、それでも詩を脳内で綴っていた。
最期に壁に爪で刻んだのは、たった一行。
「それでも風は、歌っている」
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死後、再び神が現れる。
「感想を」
「詩は、命の形を変えると知りました。私は、死んでよかった」
「次だ」
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【最後の生】
名:サエ。村の看護師。八十二歳まで生き、子や孫に看取られ死す。
花の咲く村。白い家。暖かい食卓。
サエは、人生で初めて「長く生きる」という祝福を受けた。
彼女は怪我人を手当てし、病人を介抱し、笑顔で子供に薬草の使い方を教えた。
人を傷つけず、戦わず、ただ生きて、そして生を渡す人生だった。
「おばあちゃん、なんでいつも優しいの?」
孫が尋ねると、彼女は静かに微笑んだ。
「昔、たくさん人が死ぬのを見た気がするの。だから、そうしたくないの」
最期の夜、囲炉裏の前で、彼女は孫の手を握り、静かに目を閉じた。
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神は、静かに彼を迎えた。
「感想を」
「私は……ようやく、生きるということが、少しだけ分かった気がします」
「愛することは、残すこと。生きることは、受け継ぐこと」
神はしばらく沈黙し、こう言った。
「次はない。お前は、充分に“生きた”。お前の魂は、もう天使ではない」
天使は驚いた。
「私はもう……人間なのですか?」
「そうだ。お前は、人生を通して“自由”を学んだ。これからは、自ら選び、生きるがよい」
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そして、地上の朝が始まる。
名もなき男が、木漏れ日の中、目を覚ます。
隣には、小さな女の子がいる。彼の娘だ。
彼は、彼女を優しく抱きしめた。
「……おはよう。今日も、生きようか」
彼は知らない。かつて神の命令で生を繰り返したことを。
だが、記憶のどこかにある。
戦場で剣を振るった腕。詩を刻んだ指。誰かを抱きしめた手。
そのすべてが、彼の血に流れていた。
風が吹く――
それは、神の見送りか、天使の羽ばたきか。
あるいはただの、朝の風かもしれない。