理想の恋人
恋愛とホラーは、紙一重だよな。「愛」が、度を越せば、それは「恐怖」に変わる。
僕は、恋愛に疲れ果てていた。
すれ違う心、些細な喧嘩、埋まらない価値観の溝。そんなものに、もう、うんざりだった。
だから、あのアプリを見つけた時、僕は、これが最後のチャンスだと思った。
完全招待制のマッチングアプリ、「AQUA SOUL」。
そのシステムは、画期的だった。自分の血液を一滴だけ、特殊なキットで採取し、郵送する。すると、運営会社のAIが、その血液を溶かした「聖水」の中で、遺伝子レベル、魂レベルで、完璧に適合する相手を、世界中から探し出してくれるのだという。
僕は、なけなしの金をはたいて、そのキットを手に入れた。
チクリ、と指先を刺し、一滴の血を、小瓶の中の、きらきらと輝く液体へと落とす。僕の血は、淡い軌跡を描きながら、水の中に、溶けていった。
「適合者、検索中……」
スマホの画面に、そう表示された。
一週間後。アプリから、通知が来た。
『99.998%の適合者を発見しました。お相手:ミサキ』
表示された彼女のプロフィール写真は、僕が、ずっと、夢に見ていた理想の女性、そのものだった。
僕たちは、すぐにメッセージを交換し始めた。驚くほど、話が合った。好きな映画も、音楽も、食べ物も、全てが同じ。まるで、失われていた、僕の半身を見つけ出したかのようだった。
僕たちは、会う約束をした。
初めて会った日、僕は、運命を確信した。ミサキは、写真で見るより、ずっと綺麗で、そして、僕を見るなり、はにかんで、こう言ったのだ。
「……やっと、会えた。ずっと、あなたを探していた気がする」
僕たちの恋は、完璧だった。喧嘩一つせず、互いを、心の底から、理解し合えた。
ただ、彼女には、少しだけ、奇妙なところがあった。
一つは、異常なほど、水を飲むこと。彼女は、いつも、美しいガラス瓶に入った水を、持ち歩いていた。
そして、もう一つ。彼女の肌は、いつも、ひんやりと、湿り気を帯びていた。
ある日、僕が、彼女の部屋で、うっかり、指をカッターで切ってしまった時だった。
床に、ぽつり、と、僕の血が、一滴、落ちた。
その瞬間、ミサキは、見たこともないような、俊敏な動きで、僕に駆け寄った。そして、僕が拭うよりも早く、床に膝をつくと、その血の染みを、自分の指先で、そっと、撫でた。
彼女の指が、僕の血を、まるで、吸い込むように、取り込んでいく。
「ミサキ……?」
彼女は、顔を上げ、恍惚とした表情で、僕に微笑んだ。
「ダメよ、タツヤ。あなたの血は、貴重なんだから。一滴だって、無駄にしちゃ」
僕は、その時、彼女の瞳の奥に、人間ではない、何か、得体の知れないものの光を、見た気がした。
僕は、怖くなった。
その夜、僕は、ハッキングまがいの方法で、「AQUA SOUL」の、内部データに侵入した。このアプリの、本当の仕組みを、知りたかったのだ。
そして、僕は、真実が書かれたファイルを見つけてしまった。
「生体ジェネシス・プロトコル」。
そこには、こう書かれていた。
『本アプリは、適合者を「検索」するものではない。ユーザーの血液サンプルから、遺伝情報、および、深層心理の指向性を抽出。そのデータを元に、水ベースの有機合成素体を用い、ユーザーにとって、最も理想的なパートナーを「創り出す」ものである』
ミサキは、人間ではなかった。
僕の血から、僕のためだけに、創られた、水でできた、完璧な恋人。
彼女が、僕を完璧に理解しているのは、当たり前だ。彼女は、僕の理想そのものなのだから。
彼女が、いつも水を飲んでいたのも。彼女の肌が、いつも湿っていたのも。
彼女が、僕の血を、欲したのも。
全て、彼女が、その「水」の体を、維持するために、必要なことだったのだ。
僕は、呆然と、リビングに立つミサキを見た。
彼女は、僕に気づくと、いつものように、天使のような、完璧な笑顔を浮かべた。
「どうしたの、タツヤ? 顔色が悪いわ。さあ、お水を飲んで」
差し出された、水の入ったグラス。
僕は、そのグラスを受け取ることも、拒絶することもできず、ただ、震えることしかできなかった。
完璧な愛ってのも、考えもんだよな。自分にとって、あまりに都合のいい相手ってのは、何か裏がある。人間関係の真理かもしれねえな。