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第7話 奴隷の騎士

 帝国より北にある小さな島国──ルロワ王国は、数年前に帝国が侵略して、滅亡してしまった。


 ルロワ王国の王族は処刑されたが、王国民は生かしたまま、奴隷として帝国へ連れてこられていた。

 雑用のために酷使されたり、娼館へ売られたり、アンジェラの目の前にいる男のように訓練を積まされた上で兵士として売り出されたりしている。


 (問題なのは、王国を滅ぼした人が第二皇子殿下だってことよ)


 王国を征服したことは、帝国側からすればこれ以上ない功績だ。

 武人でもない一皇子が、少ない手勢で一国を滅ぼして支配下に置いたのだから。


 しかし、王国側からすればエミリアンは祖国の仇。


 (彼は、帝国に──第二皇子に、恨みを持っているかもしれない)


 エミリアンの脅威となるかもしれない。

 そんな男を皇宮へ連れて行くなんて、できない。


 (じゃあ、お姉さまの言う通り、捨てる……?)


 アンジェラはかぶりを振った。


 (いいえ、そんなこと、できないわ……)


 奴隷にだって、命がある。

 それを物みたいに簡単に捨てるなんて、アンジェラにはできない。


 グリート家に置いておくことも考えたが、その考えはすぐに取り消した。

 父は奴隷をよく思わないだろう。

 「汚らわしい」と軽蔑して道端に放り捨てるかもしれないし、汚れ仕事を押し付けてこき使うかもしれない。


 (彼を実家に置き去りにしたら、お父さまはひどい扱いをするでしょうね……)


 アンジェラはそう思ったが、一般的に見れば父の行いはひどいことではなく、普通のことだった。

 敗戦国の奴隷に人権はない。

 だから重労働を強いて、利用する。


 そのことについて抵抗を覚えるアンジェラのほうが、むしろ稀だった。

 父のような有力貴族やその令嬢たちには、「貴族としてのプライド」がある。貴族である自分は上の立場で、奴隷は下等の存在。だから酷使しても構わないと考える。


 しかし、アンジェラは違った。

 貴族令嬢として自信がなく卑屈なアンジェラは、貴族よりも下の立場──つまり、彼のような奴隷に同情してしまう。


 (捨てることはできないし、実家に置いておくこともできない)


 ──だとすれば、一緒に連れて行くしかない。

 アンジェラは部屋の中を右往左往して立ち止まり、決心した。


 (彼が殿下と敵対しないように、わたしが彼を制御すればいいわ)


 アンジェラは、立ち尽くしたまま微動だにしない男にへっぴり腰で近づいて、彼の両手に巻き付いている鎖を取っ払った。

 鎖が解かれ、両手が自由になっても男は無反応だった。


 大柄の男を御するのは、女のアンジェラには難しい。

 鎖で繋いで制御するのが妥当かもしれないが、人を縛り付けるようなことはしたくなかった。


 奴隷として引きずって歩くのではなく、できることなら彼の意思で、騎士として傍にいてほしい。

 だから、少しずつ心を通わせることができたら──そう思って、恐る恐るではあったが、アンジェラは彼に歩み寄ろうとした。


 「あ、あなたの名前は、なんていうの……?」

 「…………」

 「……あ、わたしから名乗るべきだったわね。わたしはアンジェラ・グリートっていうの。あなたは?」

 「…………」


 答えてくれる気配はない。


 目元が髪で隠れて見えないので、彼がどこを見ているのかは不明だが、アンジェラの目を見ていないことは確かだった。


 「名前、ないの? それとも、答えたくないだけ……?」

 「…………」


 アンジェラはだんだん不安になってくる。


 「帝国を、恨んでる……? わたしのことは、嫌い?」

 「…………」

 「……あ、もしかして、帝国の言葉がわからないの?」

 「…………」

 「ね、ねえ、お願いだから返事くらいはしてよ! 怖いわ……!」


 早速、心が折れそうになった。


 獣を前にしているような気分だ。

 話が通じない、何を考えているのかわからない獣。


 (クマみたいな人だわ。大きな体といい、焦げ茶色の髪の毛といい、立派なクマよ……)


 独り言になってもいいから、アンジェラはとにかく彼にしゃべりかけた。


 「あ、あのね。わたし、あなたに護衛を任せることにしたの。あなたを護衛騎士として、皇宮に連れて行こうと思うのよ」


 すると、男は顔を上げた。

 アンジェラは驚いて「ひっ!」と悲鳴を上げながら後ずさる。


 「だ、だから、騎士らしく身なりを整えなきゃいけないわ……! あなたが奴隷だってこと、周りの人に気づかれたら大変なことになるもの……!」

 「…………」

 「だから、ええと……まずはその長ったらしい髪を、切らせてもらってもいいかしら……?」


 髪が長くて顔が見えないから、不気味に感じるのだろう。

 髪を整えて、グリート家の騎士の制服を着せたら、多少は人間らしくなるかもしれない。


 アンジェラは彼の前に、椅子を持ってきた。


 「ここに座ってくれる……?」


 男はしばらく椅子を見つめたあと、おとなしく座ってくれる。


 (わたしの声は聞こえているみたいね……)


 アンジェラはハサミを片手に、彼の前に立った。


 「髪の毛を少し切るだけだから、どうか怒らないでね……」


 男は礼儀正しく両足を揃えて、じっとしている。

 抵抗する気配はない。


 アンジェラは「不意打ちで攻撃されるんじゃないかしら」とビクビク怯えながら、前髪をそっと手ですくった。


 髪を上げると、長い睫毛に縁取られた目が見える。

 目の色は、茶色に緑色を一滴垂らして、それが混じり合ったかのようなヘーゼル色だった。


 (この人、肌が白いわ)


 アンジェラも肌は白いが、彼は肌質から違うような気がした。

 彼の母国であるルロワ王国は、年中雪が降っていると聞いたことがある。寒い国だから、生まれつき肌も白いのかもしれない。


 (顔立ちも、帝国の人とは少し違う)


 エレガントで華のある顔立ちが多い帝国民に比べて、彼は彫りが深くスマートな顔立ちをしていた。


 (彼、本当に異国の人なんだわ……)


 初めて目にするルロワ王国の民を、アンジェラはまじまじと観察する。

 すると、彼は気まずそうに目を逸らした。


 「……あっ、ごめんなさい、見つめすぎてしまったわ」


 居心地悪そうにしている彼に、慌てて謝罪する。


 「王国の人を見るのは初めてだったから、思わず見入ってしまったの」


 彼はそっぽを向いたまま、何も言わなかった。

 申し訳なく思いながらも「この人にも人間らしい一面があったんだ」とひそかに安心して微笑する。


 そうして髪を切ろうとしたとき、彼の額に何かが見えた。

 何かしら、と思って髪をよけてみる。


 「あ……」


 額には、十字の傷があった。

 くっきり刻まれた傷は痛々しく、見てはいけないものを見てしまったかのような気分にさせられた。


 (もしかして、これを隠すために髪を伸ばしていたのかしら……)


 十字の傷は、奴隷の証だ。

 刃物で深く刻まれたそれは、一生消えないという。


 (この傷を見たら、帝国の人はきっと彼のことを『奴隷だ』って軽蔑する……この人は、罪を犯したわけでもないのに)


 アンジェラは胸が苦しくなった。

 祖国を滅ぼされた上に、こんな傷まで付けられて、一生奴隷として生きていくしかないなんて、理不尽な人生だ。


 彼に同情すると同時に、複雑な気持ちになる。


 (彼の祖国を滅ぼしたのは、殿下なのよね……)


 エミリアンがルロワ王国を征服しなければ、彼は奴隷にならずに済んだはず。

 帝国民がエミリアンを「文武に優れた皇子だ」と称賛するその裏側で、王国民はエミリアンによって奴隷に身を落とされたのだということを、アンジェラは思い知った。


 「……あなたの家族は、生きているの?」


 返事はない。


 (……いいえ。生きていたって関係ないわ。彼が今ここに奴隷として存在している事実は、変わらないもの)


 家族が無事であるなら、少しは罪悪感が減ると思った。

 けれど、それは浅ましい期待だった。


 「……ごめんなさい」


 呟くように謝ると、彼は少し不思議そうな顔をしてアンジェラを見た。

 アンジェラは顔を合わせることができず、俯く。


 (彼には申し訳ないけれど、殿下を非難することはできない……わたしは、殿下の妻になるんだもの)


 そんなアンジェラの護衛騎士にされた彼は、今、どんな心境だろう。

 奴隷になったのも、アンジェラの騎士になったのも、彼にとっては全て不本意のはず。


 それでも、彼には断る権利がない。


 (……せめて彼には、不自由のない生活をさせてあげなきゃ)


 エミリアンの妻になる身として、少なからず責任を感じた。

 奴隷を解放するなんて大そうなことはできないが、彼を人間として大事にすることはできる。


 必要最低限の生活と、尊厳は保証したい。


 (この人も、人間なんだから……)



***



 そうして、エミリアンとの結婚式が執り行われる当日。

 真っ白なドレスに着替え、化粧を施したアンジェラは、式が始まるのを大聖堂の小部屋で待っていた。


 「グレゴワール」


 アンジェラが呼ぶと、鎧の上にグリート家の紋章が入ったマントを羽織った彼は、恭しくアンジェラの前で膝をついた。


 「グレゴワール──わたしがあなたに新しく与える名です。これからあなたは、奴隷ではなく騎士としてわたしに仕えなさい」


 アンジェラは鏡のように磨かれた長剣を、彼の右肩に当てる。

 彼は目を伏せたまま、その剣を肩に受けた。


 これは、ふたりだけのささやかな叙任式だった。


 壁一面を占める窓から、白い陽光が差している。


 「──あなたの剣となり、あなたの盾となることを、ここに誓います」


 眩い光の中で、グレゴワールはアンジェラの手を取り、手の甲にそっと口づけた。


 その流れるような一連の動作は、騎士というよりも──まるで王子さまのようだ、とアンジェラは思った。

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