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第17話 捜索

 「手当て、わたしにさせてください」


 修道女は困った顔をしながら、小さく肩を竦めた。


 「お連れ様がご心配なのは分かりますが、今は一刻も早く治療が必要な状況です」

 「それは、そうですが……」

 「娘さん、傷口を直視できるのか?」


 兵士に咎めるように言われて、言葉に詰まった。

 矢が刺さっていた箇所の手当てなんて、自分にできるだろうか。鎧下の裾が赤く染まるほど、血が出ている。

 それを見るだけでも、指先が強張った。その傷口に触れるとなれば、きっと身が竦んでしまう。


 けれど、彼らに任せきりにするわけにはいかない。


 「……それじゃあ、せめて付き添わせてください」


 アンジェラはベッドの枕元に座り、グレゴワールの頭を抱くように膝の上にのせた。そうしてさりげなく彼の額に手を当てた。


 (こうしておけば、見えないはず)


 前髪を撫でて整える。

 慎重に、しかし自然な動作で、印を隠すように指先を滑らせた。

 手のひらに、ほんのり体温が伝わる。ただ、呼吸が浅い。


 (崖から落ちて、どのくらい経ったかしら……)


 窓の外を見れば、空が徐々に白み始めている。

 少なくとも一時間以上は経っている。それと共に彼が衰弱しているような気がして、どうしようもない焦りが胸中を占めた。だが、今アンジェラにできることは、こうして額を隠すことくらい。


 兵士が手を動かしながら、修道女がそれを補助する。

 その様子を、アンジェラは食い入るように見つめた。右足に刺さったままだった矢を抜いても、グレゴワールは微かに眉を顰めるだけで目を覚ますことはなかった。


 グレゴワールの矢傷の位置を見て「ここまで正確に狙いを定められるなんて、よっぽど腕のいい賊だな」と感心したように呟かれたときは思わず硬直したが、兵士は盗賊に襲われたという嘘を疑っている素振りは見せなかった。

 修道女が彼の正体に感づいた様子もない。

 傷口を消毒して薬草を塗り、包帯を巻いて何事もなく手当てが済むと、兵士は外した鎧をアンジェラに突き出して見せた。


 「この鎧が落下の衝撃をいくらか吸収してくれていたんだろう。これがなければ、もっとひどい傷を負っていたかもしれない」


 胴体の鎧には、無数の擦り傷がついていた。木の枝による小さい擦り傷もあれば、石か何かで深く抉れたような傷もある。

 これが彼の体に刻まれていたかもしれないと思うと、背筋に怖気が走った。


 「……ありがとうございます。こんなに親切にしていただいて」

 「単なる応急処置だよ。まだ治るとは限らない。しばらくはここで様子を見たほうがいい」


 兵士の言葉に、修道女も同意するように頷く。


 「ありがとうございます」


 アンジェラは彼らに深く頭を下げた。

 ここまでしてもらっているのに、身分を隠している上に嘘をついていることに胸が痛む。本当のことを話せたら、どれほど楽か。


 (でも、このまま死なせたくない)


 未だに眠り続けるグレゴワールの頭をそっと撫でる。

 命をかけて自分を守ってくれた彼のことを、自分もまた守りたい。


 アンジェラの様子を眺めていた兵士が、頬を緩めながら冗談めかして言った。


 「ひょっとして、その男は好い人かい?」

 「え……?」


 咄嗟に意味が理解できず、ぽかんとする。

 不意打ちのような問いだった。


 「こんな状況なのは分かっているが、偉く心配しているから、よっぽど大事な人なんだろうと思ってな」


 その言葉が、胸の奥に妙な形で響いた。

 大事な人……確かに、彼を助けたい。

 でも、それは──。

 頬がじんわり熱くなるのを感じる。それを誤魔化すように、勢いよく首を横に振った。


 「違います!」

 「ずっと傍についたまま離れないじゃないか」

 「それは……!」


 額の印に気づかれないように見張るためだ。

 でも、それだけではない。

 アンジェラは視線を落とし、心の中でぽつんと呟いた。


 (だって……わたしのせいで、こうなったんだもの……)


 修道女がふとアンジェラを見て、穏やかに尋ねた。


 「あなたは、お怪我はないのですか?」

 「はい。たいした傷はありません。……この人が、守ってくれたので」

 「立派な方ですね」

 「……はい」


 修道女は微笑しながら、祈りを捧げるようにそっと両手を合わせる。


 兵士や修道女が出て行ったあとも、アンジェラはしばらくグレゴワールの髪を撫でていた。


 「ごめんね……」


 護衛として彼は自分を守ってくれた。それを当然だと片付けていいはずがない。血を流し、ここまで衰弱してしまったのは、自分がいたせいだ。

 そう思った瞬間、喉の奥が詰まる。

 今の自分には、こうして髪を撫でることしかできないのだろうか。


 額に触れると、ほんのりとした体温が残っている。それが消えてしまうことが、何より恐ろしかった。


 「不甲斐ない主人で、ごめんなさい……」



***



 「──皇太子殿下に取り次ぎ願いたい」


 アンジェラが崖から飛び降りたあと。

 エミリアンは騎士団をその場に留め、真っ先に皇宮へ戻ると、皇太子の侍従に対してぶっきらぼうな態度でそう言った。侍従は、あからさまに不機嫌な第二皇子を前にして縮み上がり、慌てて皇太子に取り次いだ。


 「なんだ、お前が私に会いたがるなんて珍しいじゃないか」


 皇太子の書斎に通されたエミリアンは、机に頬杖をついてにやにや笑っている異母兄を見て、ひそかに眉をひそめた。


 (こんな事態でなければ、この男になんぞ会いたくなかったが……)


 皇太子ジュリアンはエミリアンより五つ年上の三十三で、皇帝と同じ黒髪を持つ、陽気な性格の男だった。

 机には書物が散らばっている。今まで政務を行っていたらしい。


 ジュリアンは皇位継承者として常に多忙だ。

 毎日政務やら領地の管理やら、貴族との付き合いやらで忙しいはずなのにいつも屈託のない笑みを浮かべ、疲れをまったく表に出さないところも、エミリアンは気に喰わなかった。


 「少し頼みたいことがあります」


 エミリアンは異母兄であるジュリアンのことを「皇太子殿下」と呼び、決して兄とは呼ばない。

 ジュリアンは興味深そうに片眉を上げた。


 「ほう? なんだ、言ってみろ」


 頼みごとをするのも癪だったが、無断で領地に入って皇太子派と揉めることは、今の時点では避けたかった。


 「近郊のドーニュ地方に、騎士団を引き入れる許可をいただきたいのです」

 「私の領地に騎士を引き入れて、いったい何を仕出かすつもりかな?」

 「ただの探し物です。見つかり次第引き上げますので、ご心配には及びません」

 「その探し物とはなんだ?」

 「皇太子殿下に申し上げるほど、たいしたものではありません」

 「報告の義務はあるだろう」


 エミリアンはため息をついた。


 「……罪人が逃げ出したのです」

 「ほう……その罪人とは?」

 「じきにお分かりになるでしょう」


 まさか妻を拉致された、とは言えない。

 ジュリアンは顎に手を当ててしばらく考えていたが、破顔一笑した。


 「まあ、いいさ。滅多にない弟の頼みだ。この兄が聞き入れて進ぜよう」

 「……感謝いたします」


 愛想笑いを浮かべながらエミリアンは軽く頭を下げ、「では失礼します」と言ってすぐに部屋から出て行った。

 皇帝の愛人の息子であるエミリアンとは違い、ジュリアンは皇后の実子。長子というだけで生まれたときから皇位継承権が与えられ、正当な世継ぎとして甘やかされて育った皇太子。

 そんな男に兄面をされることが、エミリアンは不快でたまらなかった。


 「──殿下。皇太子は何と?」


 エミリアンが自室に戻るなり、金髪の騎士、マルクが駆け寄ってきた。


 「許可は下りた。ドーニュ地方の付近で待機させていた騎士団をすぐに動かせ。マルク、君が指揮するんだ」

 「はい。ですが、もし妃殿下が存命でなければ……」

 「あの高さであれば、当たり所がよほど悪くない限り、死にはしないだろう。万が一死んでいる可能性が出てきたとしても、遺体を見つけ出すまでは捜索を止めるな」

 「はい」


 マルクは神妙な顔で頷いた。


 「少なくとも男のほうは右足に矢傷を受けている。彼女が護衛を置いてひとりで行動するとも思えない。そう遠くへは行けないだろう。崖下付近を重点的に探せ」

 「はい、直ちに動きます」

 「ああ。私も後で向かう」


 マルクが出て行くのを見送ってから、エミリアンは椅子に腰かけて深くため息をついた。


 (あの女をうまくコントロールできていたと思っていたのに、まさか崖から飛び降りるという暴挙に出るとは……)


 出会ったときから、エミリアンはアンジェラを、気弱で従順な女だと思って目をつけていた。

 ──服従させるには、うってつけの対象だ。

 恐怖で彼女の意思を抑えることを繰り返せえば、完全に支配できると思っていた。強情で我が強いグリート家の長女よりも、よっぽど扱いやすいだろう。


 それなのに、あの臆病なグリート家の次女に身投げするほどの度胸があるとは予想外だった。


 (何が彼女を突き動かしたのだろう……)


 この半年間、部屋の中でおとなしく過ごすだけだった彼女が、なぜ急にエミリアンに対して反抗的になったのか。

 エミリアンは顎に手を当てて考え込む。

 そして、思い出した。

 崖の上で護衛騎士と剣を交えたとき、男を庇うように割り込んできたアンジェラの姿を。


 (まさか、あの護衛騎士が原因か?)


 離宮の警備兵からも「妃殿下は、護衛騎士と親しい」という話もよく聞いている。

 エミリアンを善人だと信じている騎士団の前では、「彼を殺さないで」というアンジェラの願いを無視するわけにはいかなかった。マルクはエミリアンの本性を知っている。


 彼は従順な配下で、エミリアンが直接命令を下さなくても主人の考えを察して行動する、よくできた青年だった。

 そのマルクがグレゴワールを殺そうとしたとき、アンジェラはそれに気づいてグレゴワールの手を引き、一瞬の躊躇いもなく崖から飛び降りた。


 ──たかが護衛騎士ひとりを守るために。


 エミリアンは顔を歪めてはっ、と笑った。

 おとなしく離宮に戻るほうが、アンジェラは痛い目に遭わなくて済む。彼女も、それくらいは分っていたはずだ。

 それでも護衛騎士と共に死ぬことを選んだということは、それほどあの男がアンジェラにとって大事な存在だということ。──生きていく上で、なくてはならない存在。


 (──だとしたら、あの男を奪えばいい)


 彼女を突き動かした要因があの男だというのなら、アンジェラから完全に男を取り上げればいい。そうすれば彼女はまた自分を見失って、エミリアンに服従せざるを得なくなるだろう。


 (あの男が、彼女に悪影響を及ぼしたのだ)


 グレゴワールを消し去れば、アンジェラは元に戻る──エミリアンはそう考えた。



***



 アンジェラは一日中、グレゴワールの傍にいた。


 眠っている彼に無理やり水を飲ませて水分補給させたり、血が滲んだ包帯を取り替えたり、慣れないながらも介抱する。その間、常にエミリアンのことが頭の片隅を占めていた。


 (いつか、居場所を突き止められるんじゃないかしら……)


 そう考えると、窓の外から物音がするだけでビクッと飛び上がってしまう。

 木製の雨戸を閉じて、外から中が見えないようにした。

 グレゴワールが目を覚まさない以上、それしかアンジェラにできることはなかった。


 崖から落ちて、初めて迎えた夜。

 眠るときも、グレゴワールが寝ている部屋の隅で(うずくま)り、抱き枕代わりに彼の鎧を抱きながら、眠ろうとして目を閉じた。


 (これから、どうすればいいんだろう……)


 今後に対する不安と、どうしようもないこの状況に対する恐怖で、心がもやもやする。

 おまけに走ったり馬で爆走したりしたおかげで、全身が筋肉痛に襲われていた。そんなふうに心身が激しく疲労していたので、アンジェラは一度眠りに落ちてしまうと、泥のように眠り続けた。


 次に目を開けたときは、まだ夜中だった。

 ずっと床に座って寝ていたので、体が痛くてふと目が覚めた。アンジェラは目をこすりながら、グレゴワールの様子を確かめようと、燭台に火をつけてベッドに近寄る。


 そうして、目を見開いた。


 「え……」


 ベッドが空になっていた。


 「グレゴ……?」


 燭台で部屋中を照らしてみたが、どこにも見当たらない。廊下に出ても、彼の気配はどこにもなかった。


 (まさか──)


 嫌な予感がしたアンジェラは、咄嗟に教会から飛び出した。

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