#11 痛む身体/折れそうな心
Side.Yuki
カブトムシの人が、私の前に歩み寄ってくる。
そんなに早くない。
寧ろゆったりしてる。
だけど、威圧感が凄い…。
筋骨隆々で、2mくらいの身長に加えて、カブトムシみたいな甲冑。
その姿だけでも、この人の強さが伝わってくる。
「戦闘員達を倒せたことは褒めてあげるよ。だけどコイツ、ダイカクは強いよ。同じようにいくかな?」
黒部君はニヤニヤしながら傍観している。
このカブトムシの人、ダイカクっていうんだ…。
「さぁ嬢ちゃん。俺と勝負ダゾ」
ダイカクはそう言って、指をパキパキと鳴らしている。
手も大きい…。
あの大きさだったら、私の頭を握り潰すのも簡単かもしれない。
「由希、もう逃げるル!」
私が立ち尽くしていると、ルルちゃんが耳元に囁いてきた。
「由希はもう充分頑張ったル!初めてなのに凄いル!だけど、由希はもうボロボロだル!これ以上は危ないル!だからもう逃げるル!蜂谷君達も、もう遠くに行った筈だル!」
ルルちゃんは、私のことを心配してくれている。
逃げる…。
確かに今は、それが正しいかも。
蜂谷君達も、もう逃げ切れた頃だろうし…。
それに、負った傷が痛む。
この傷だらけの体で、ダイカクに勝てるとは思えない。
いや、怪我をしてなくても勝てるとは思えないけど…。
とにかくルルちゃんの言う通り、一旦逃げよう。
私は部屋の入り口に向かおうとした。
だけど…。
「逃げるの?姫路さん」
黒部君の声が、私の足を止めた。
馬鹿にするような、挑発するような…。
なんだか腹が立つ声色。
だけど挑発に乗ったところで、痛い目を見るのは私だ。
聞こえないふりをして、走り出す。
「ダイカクが暴れるよ」
ドアノブを掴もうとしたところで、黒部君の言葉が再び私を止めた。
「……どういう、意味?」
私は恐る恐る振り返って訊く。
質問をしてほしかったのかな…。
よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに、黒部君の目が輝いた。
「姫路さん。きみが逃げたら、ダイカクが街に出て行っちゃうよ。見たでしょ?ダイカクのパワー。一般人ならみんな木っ端微塵だ」
黒部君は飄々と、とんでもないことを口にした。
ダイカクは、パンチで壁を壊して、床に穴を空けるくらいの力を持ってる。
そんな人を、街に……。
「そんな…。そんなのダメだよ!」
「いやね。僕も本意じゃないんだよ。でもダイカクがやる気だからさ〜。確かにダイカクは僕の眷属ではあるけど、暴れたいっていう欲望までは制御できないからさ〜」
わざとらしい。
黒部君なら、ダイカクを止められる筈なのに…。
脅しのためだとしても、卑怯過ぎる。
また腹が立ってきた。
だけど、このまま逃げたら街の人が……。
「ッ……!!」
私は黒部君達の方へと、足を進めた。
「由希……」
ルルちゃんが不安そうに見つめてくる。
「由希、これ以上は……」
「解ってるよ。でも、やらなきゃ」
拳を強く握り締める。
街の人達を守るために、戦うしかないんだ。
ダイカクに勝つ。
私に残された道は、それだけなんだ。
「……由希、助けは呼んだル!」
「……助け?」
「由希以外にも、コンパクトで変身する子が居るル!さっき通信できるようになったル!今向かってくれてる筈だル!」
「……そうなんだ。ありがとう、ルルちゃん」
なんだか、希望が見えてきたかも。
助けが来たら、この状況をひっくり返せるかもしれない。
やることがちょっと簡単になった気がした。
ダイカクを倒すことから、助けが来るまでダイカクにやられないようにすることに…。
そう思うと、少しだけ気が楽になった。
「オラ!力比べだゾ!!」
ダイカクが襲い掛かってきた。
思ったより速い。
大きな右拳が、私に向けて振り下ろされた。
「ッ!!」
私はギリギリでそれを躱した。
その途端、ダイカクの拳が床に激突。
激しい音と共に床が崩れて、そこに大きな穴ができた。
だけどダイカクの猛攻は、これで終わらない。
「フン!!!」
今度は思いっ切り左腕を振った。
私は慌てて後ろに跳ぶ。
だけどそれが、お腹を霞めた。
「うぐっ……!」
掠ったところが痛いような、熱いような…。
まともに受けたらと思うと……。
全身に寒気が走った。
「チョロチョロ逃げるなァ!!」
その後もダイカクは、私に向かって攻撃を繰り返した。
大きい拳と、太い腕を振り回す。
その激しい攻撃で、部屋は徐々にボロボロになっていった。
私はなんとか直撃は免れてはいるものの、実はちょっとずつ削られている。
掠ったところが赤く腫れて、ビリビリ痛む。
体が重くなってきた…。
これ、いつまで持つかな……。
ダイカクの猛攻は、私の心まで削っていた。
「諦めが悪過ぎるんだゾ。これで終わりにしてやるゾ」
まともに攻撃が当たらないことに嫌気が差したのか、ダイカクは静かにそう言った。
そして何故か背中を仰け反らせて、その反動で床が割れるくらいに足を踏み込んだ。
するとダイカクの背中から、何かが開いた。
それはまるで、カブトムシの翅みたいだった。
「何かマズいル!由希、避けるル!」
ルルちゃんが必死に叫ぶ。
私は言われた通り避けようとした。
だけどその時…。
「うっ……」
私は急な目眩に襲われた。
足がふらついて、その拍子に脇腹に痛みが走った。
背中の切り傷も急に痛みだす。
ダイカクと戦う前に、金属バットで殴られて、剃刀で切られて、縄で絞め上げられて、釘を打たれて…。
そんな風に痛ぶられた上に、無理に動き続けて…。
私の体は、もう限界だったみたい。
「俺の必殺奥義!食らうんだゾ!!」
ダイカクが翅を羽ばたかせて、凄い勢いで突っ込んでくる。
こっちに向けられているのは、大きな角…。
だけど私は、まともに動けなかった。
右腕でお腹を守ることしか……。
“バキッ!!!”
空気を劈くような音と共に、ダイカクの角が私に激突した。
「カハッ_______!!!」
その突進の勢いで、後ろに弾き飛ばされる。
私はそのまま部屋の壁を壊して、廊下の柵を破って……。
「あっ_____」
そして、空中に投げ出された。
視界に入ってきたのは、暗い夜空。
もう、すっかり夜だな…。
星、見えないや…。
今から帰ったら、ママに怒られちゃうかな…。
そんなことを思いながら、私は落ちていく。
そして……。
“ドシャッ!!!”
私の体は、勢いよく地面に叩きつけられた。
「うっ……あがっ……!!!」
3階の高さで背中から落ちたのに、私の意識はまだ繋がっていた。
だけど全身が凄く痛い。
なんとか動こうとした時、お腹の中から何かが込み上げてきて…。
「ゲホッゲホッ…!あっ…おえっ…!!」
私の口から、いっぱい血が出た。
咳と一緒に、血を地面に撒き散らす。
息をする暇が無い。
血と咳をなんとか止めようと、私の体は無意識に転がる。
「由希!!」
空からルルちゃんが追いかけてきた。
「ルッ_____!?」
ルルちゃんの顔が、私を見るなり青ざめる。
そんなに、酷い姿になってるのかな…。
ダメだよね…。
これ以上、心配かけたら……。
「ゼェ……ゼェ………。たっ…立た……なきゃ」
ちょっとずつだけど、落ち着いてきた。
このまま倒れてちゃダメだ。
ダイカクは、絶対に待ってくれない。
私はなんとか立ち上がろうとした。
「いっ___!!」
突然右腕に激痛が走った。
私は顔から地面に倒れる。
いったい何が……。
そう思いながら、私は右腕を見る。
「ッ……!!!」
私の右腕が、おかしな方向に折れていた。
内出血で、折れたところが紫色に染まっている。
あの時、ダイカクはお腹を狙って突進してきた。
だけど私は、その間に右腕を入れていた。
その結果、ダイカクの角が私の右腕にぶつかったんだ。
「うぅ……ケホッ…」
口からまだ血が出てくる。
右腕でガード、そんなに意味なかったみたい…。
「あっ、よかった〜。生きてた」
気の抜けた声が聞こえてきた。
いつの間にか黒部君が、ここまで下りてきていた。
その後ろに、ダイカクも居る。
黒部君はヘラヘラしながら近づいてきた。
「うわ〜エグいなぁw折れてるwこれなら僕でもやれそうだなぁ〜〜〜っと!」
そう言いながら黒部君は、私の折れた右腕を思いっ切り踏んづけた。
「ああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア____!!!」
あまりの激痛に、私は絶叫した。
「うわ〜wめっちゃ叫ぶじゃんw」
凄く痛いのに、黒部君は笑ってる。
右腕を何回も踏んだり、足をグリグリと動かす。
上手く体を動かせない。
叫ぶことしか、できなかった。
「ハハッw凄いやw学校じゃ可愛くて優しくて人気者の姫路さんが、死にかけのセミみたいに叫んでるw」
黒部君は笑いながら、足をどけた。
私は息を切らしながら右腕を庇う。
痛みがずっと続いていた。
「ねぇ姫路さん、いい加減降参しなって」
黒部君が私の結んだ髪を掴んで、無理矢理顔を上げさせる。
「今ここで謝ったら赦してあげるからさぁ。あっ、こう言ってね。『ごめんなさい或斗様。愚かな私をお赦しください』って。そう言ったら赦してあげるよ。これ、僕なりの優しさだからね。あっ、ちゃんと頭を地面に付けてね。礼儀作法はしっかりしなきゃ」
「………」
ここで反発したら、さらに痛い目に遭う。
正直、もう痛いのは嫌だ……。
頭を下げて、謝ったら、もう痛い目に遭わなくて済むのかな……。
心が、折れそうだった。
「ご…ごめ……」
私の口が、自然と黒部君に謝罪しそうになる。
その時だった。
「ルルルゥウウウウウウ____!!!!!」
ルルちゃんが叫びながら、黒部君に飛び掛かった。
頭に張り付いて、髪の毛を四方八方に思いっ切り引っ張る。
「痛っ!お前また!やめろ!引っ張んな!」
「由希を、馬鹿にするなァ!!」
黒部君を翻弄しながら、ルルちゃんが怒鳴る。
「由希はいい子だル!!優しいル!!お前みたいな卑怯者が、馬鹿にするなァああああああああ!!!!」
そう叫んだルルちゃんが、黒部君の額に頭突きした。
「うがっ_____!!」
黒部君が尻餅を付く。
ルルちゃんはその後も、黒部君の周りを勢いよく回り続けた。
「ルル…ちゃん………」
私は、何をしてるんだろう…。
小さいルルちゃんは、あんなに頑張ってるのに…。
立たなきゃ…。
立たなきゃ……。
私が、頑張らなきゃ…。
「鬱陶しい蝿だゾ」
「ルッ!!ルルルル!!」
ルルちゃんはダイカクに捕まってしまっていた。
大きな手の中で、必死に藻掻いている。
「弱い奴は引っ込んでるんだゾ!!!」
ダイカクはルルちゃんを思いっ切り投げつけた。
「ブルッ____!!!」
ルルちゃんは地面に激突して、転がる。
そして、私の足下で止まった。
「ゾ…?」
ダイカクが意外そうな声を出す。
なんとか、立てた。
ルルちゃんが時間をくれたおかげで、私は立ち上がれたんだ。
「ゆっ…由希………」
「はぁ…はぁ……。ルル、ちゃん…。大丈夫……だから………」
ルルちゃんを心配させないように、そう呟く。
「フン!そんなボロボロで勝てるとでも思ってんだゾ?」
「ケホッ…。……私、は……まだ………やれる…!!」
震える体に鞭打って、私は構えた。
まだやれる。
まだ戦える。
そう思い込まないといけなかった。
そうじゃなきゃ、すぐに倒れてしまいそうだったから…。
「はぁ…。馬鹿になっちゃったの?姫路さん」
黒部君がわざとらしく肩をすくめる。
「まぁいいや。一旦気絶させて持ち帰るとしよう。ダイカク、やっちゃって」
「合点だゾ」
黒部君に命令されて、ダイカクが私に急接近した。
「はぁ…はぁ……」
目の前が暗くなってきた…。
うっすらと、ダイカクが拳を振り上げてるのが見える。
動かなきゃいけないのに、手も足も動かない。
私は立ってるだけで精一杯だった。
“ドゴッ_______!!!”
無抵抗のまま、私はダイカクに殴り飛ばされた。
もはや痛みなんて感じられなかった。
軽いボールみたいに、私の体は飛んでいく。
このまま廃ビルの板囲いに激突する。
そう思った。
だけど…。
“ガシッ!”
私の体は、途中で止まった。
「うっ……んっ………?」
何が起こったか解らず、私はゆっくりと目を開けた。
「えっ……?」
私は知らない女の子に抱き留められていた。
その子は赤い髪の毛をポニーテールにしていて、結び目を深紅のリボンで止めている。
大胆にお腹が出た黒いセーラー服に、赤いスカート。
黒いニーソックスに、赤いブーツ。
両手には指ぬきグローブがはめてられていて、両腕の前腕にかけて包帯が巻かれていた。
ふとその子が、こっちに顔を向けた。
整った顔立ちで、左頬に赤い炎のペイントがある。
初めて会う筈の女の子……。
だけど何故か、その子の顔に見覚えがあった。
「穂香!来てくれたルル!!」
その子を見た途端、地面に転がったルルちゃんが目を輝かせた。
「えっ……?」
ちょっと待って…。
今、穂香って……。
霞んだ目で、私はもう一度その子の顔を見た。
「……穂香ちゃん……なの……?」
そう絞り出すように言ったところで、私の意識は途切れた。




