高校卒業
体育館は静寂に包まれていた。卒業式の進行は滞りなく進み、副校長が厳かに口を開く。
「続きまして、卒業証書授与を行います」
壇上へと校長と生徒指導の教師が歩みを進める。その姿を見届け、副校長は再び声を張った。
「それでは、卒業証書授与式を開始します。時間の都合上、代表者のみの授与となります。卒業生代表、三年一組——寛三羽拓斗!」
「はい!!」
鋭く響く返事とともに、一人の青年が席を立つ。胸を張り、堂々とした足取りで壇上へ向かう後ろ姿には、かつてのあどけなさはすでになく、自信に満ちた未来へと向かう覚悟がにじんでいた。
今日、この場にいる彼らは旅立つのだ。
式辞、PTA代表者の挨拶、在校生からの送辞、卒業生の答辞——すべてが粛々と進行し、最後の儀式が終わると、彼らの三年間の高校生活も幕を閉じた。
そして、校門前。卒業生たちは集まり、最後の記念撮影が始まる。
「今日がジンの制服姿、見納めか〜!ほら、シャキッとして!」
叔母の明るい声に促され、カメラのシャッター音が響く。ジンは照れながらも微笑み、平日にもかかわらず時間を作ってくれた叔母の心遣いに胸が温まった。家では祖父母が祝賀の宴を準備してくれているという。
「ジン!写真撮ろうぜ!」
翔太の明るい声が卒業式の余韻を残した校門前に響いた。続いて、拓斗とレンヤも駆け寄ってくる。
叔母は空気を読んで微笑みながら「行ってらっしゃい」と優しく言い残し、その場を後にした。
ジンは少しばかり呆れたように眉をひそめる。「さっき撮ったろ?」
拓斗は苦笑しつつ説明する。「それは記念碑の前だから、今から撮るのは正門前」
「ああ、そういうことね」ジンは納得した様子で頷いた。
そこへレンヤが話題を変える。「それより彩香見なかったか?探してるんだけど、どこにもいないんだよ」
ジンは少し考えてから答えた。「鷹見さんなら、さっき雨紀と体育館の方へ行ってたよ。友達連れて」
レンヤは目を丸くした。「俺まだ彩香と撮ってないのに!!」
翔太はすかさず茶々を入れる。「嫌われたんじゃね?」
「俺は彩香が嫌がるようなことはしない!むしろ大好きだから!」レンヤは力強く断言した。
翔太は肩をすくめる。「はいはい、そうですか。リア充は……爆ぜろ」
「そんなことより早く撮りに行こうよ!」拓斗が少し強めに言い、場をまとめる。
この四人は、二年生のころから同じクラスでいつも一緒にいる気の置けない仲間だった。何か話が変な方向に行けば、たいてい拓斗がリーダーシップを発揮して場を収める役目だった。
「さっさと撮るか」
翔太が正門の方へ視線を向けたが、そこにはすでに数組の卒業生が写真待ちの列を作っていた。レンヤとの掛け合いの間に、順番待ちの人数が増えてしまったらしい。二人が何か言い合いを続けていたが、またしても拓斗に叱られた。
しばらく待ち、前の組の撮影が終わり、自分たちの番が回ってくる。
「卒業おめでとう」
正門前に掲げられた看板の前に並び、学校名が刻まれた銘板と共に写真を撮ることになった。担任の黒木先生を捕まえて撮影を頼む。
「撮るぞー。はい、チーズ!」
先生の掛け声とともに、四人はそれぞれ軽くポーズを取り、シャッター音が響いた。先生はさらに二、三枚追加で撮ってくれた。
「よし、いい感じに撮れたぞ」
そんな先生の言葉を聞くや否や、レンヤが突然大声を上げる。
「先生も一緒に撮ろうよ!!」
ジンたちもその提案に賛同し、先生を急かすように促した。先生もまんざらでもない様子で「わかったわかった」と苦笑しながら、順番待ちの卒業生に撮影を頼んだ。
カシャ!
その瞬間、彼らの高校生活の最後の思い出が写真として刻まれた。
卒業式が終わり、それぞれが帰路についた。
翔太とは今日は別行動。彼は父親と帰り、ジンは叔母の車に乗り込んだ。車内ではどこか穏やかな空気が流れていた。
「終わったね~。どう?今の気持ちは?」 運転しながら、叔母はジンに問いかける。
「ちょっと寂しいけど……今は探索が楽しみかな。それに、なんか大人になった気分。」 ジンの声には期待と決意が滲んでいた。
進学せず、探索者として生きることを決めたジンにとって、今日の卒業式は学生生活の終わりを告げるものだった。12年間続いた学びの日々に終止符を打ち、次に迎えるのは未知なる世界——Anomalyの探索。
友達やクラスメイトに会えなくなるわけではない。だが、教室という特別な空間に身を置くことがなくなるのは、やはり寂しさを感じる。しかし、それ以上に広大な世界を旅する期待が心を躍らせていた。
「いいことね!ジンにはうちの会社のためにも頑張ってもらわないと。」 叔母は笑いながら言った。
「任せて!」 ジンも即座に笑顔で返す。
間もなく車は目的地に到着した。
「着いたわよ、ちょっと私は行くところがあるから、お母さんたちの手伝いでもしてあげてね。」 そう言い残し、叔母はジンを車から降ろし、そのまま走り去っていった。
「行ってらー。」 ジンは車が遠ざかるのを見送ると、ふと家を見上げる。卒業式の後に帰宅するこの時間が、いつもと違う雰囲気を帯びていた。
「ただいま!」 手を洗い、リビングへ向かうと、そこでは祖母が豪華な料理を用意していた。
「何か手伝おうか?」
叔母に言われた通り、何かできることはないか尋ねる。
「おかえり。おじいちゃんが庭で準備してるから、そっちを手伝ってくれるかい?」
ジンは頷き、庭へと向かった。
「ただいま、おじいちゃん。」
庭では、祖父が椅子や机を設置していた。さらに、レンガを積み上げて作られたバーベキューコンロや、大きなクーラーボックスが二つ並べられている。
「帰ったか。すまないが、少し手伝ってくれないか?」
祖父は大きな机を二つ繋げて設置しようとしているところだった。「反対側を持ってくれないか」と頼まれ、ジンはすぐに反対側に回る。
「てか、昼めちゃくちゃ豪華だったよな。」
ジンは満腹になった腹を軽くさすりながら、庭で椅子を並べる祖父に声をかけた。
「そりゃあ今日は卒業祝いだからな。もうすぐ雨紀ちゃんのところも来るんじゃないか?」
祖父は時計を確認しながら呟く。時刻はもうすぐ12時30分になろうとしていた。
「そういえば…叔母さんも早く帰ってこないと。」
ジンはふと思い出しながらつぶやく。
雨紀——本名は灰宮 雨紀。隣に住む幼馴染で、同い年の女の子だ。智兄の妹であり、彼に似てかなりのしっかり者。家族ぐるみの付き合いもあり、今回の卒業祝いも当然のように一緒に過ごすことになっていた。智兄が高校を卒業したときも、同じようにパーティーを開いたのをよく覚えている。
12時30分を少し過ぎたころ、家のインターホンが鳴った。
「お、話をしたらなんとやらだな。」
祖父が笑いながら玄関の方へ目を向ける。灰宮家一行が到着したのだろう。
「まあまあ、いらっしゃい〜。」
玄関からは祖母の朗らかな声が響き、どうやら雨紀の母親である真美子さんと話し込んでいるようだった。そんな中、雨紀と彼女の父親、正司さんが先に庭へとやってくる。
「ダイさん、ジン君、お疲れ様。遅れてしまって申し訳ない。少し時間がかかってしまってね。」
正司さんは軽く謝罪しながら、大きなビニール袋を二つ手に提げていた。
「おー、いらっしゃい!待ってたぞ。」
祖父が手を止め、嬉しそうに迎え入れる。
「今日の肉もいいのが手に入りましたよ。スノーラビットにアレビボア、それに珍しくアイアンスネークまで!」
正司さんは持参した荷物を、祖父が用意した大きなクーラーボックスへと入れる。
「それは楽しみだ!御章も肉を持ってきてくれるぞ。しかも、ジンが狩ったフォレストウルフの肉だ!」
その言葉に、雨紀の目が丸くなった。
「え!?ジン、もうAnomalyに行ったの!?」
驚きと興味が入り混じる雨紀の声に、ジンはにやりと笑みを浮かべた。
雨紀が食いつくように顔を近づけてきた。その瞳は驚きと羨望に満ちている。
彼女もまたAnomaly関係の仕事を志しており、高校卒業後は専門学校へ進学し、Anomaly動植物学者になることを夢見ている。
探索者たちが持ち帰る素材の鑑定や買取を行う両親の影響もあってか、幼い頃から自然とAnomalyの世界に触れる機会が多かった。そのせいか、ジンはいつも雨紀の環境を羨ましく思っていた。
だが——今日は違う。
今日はジンが優位に立てる数少ないチャンス。未来の探索者として、こんな機会を逃すわけにはいかない。
「そうだよ。まぁ、言ってみれば実戦も経験済みってわけだな。」
ジンは誇らしげに胸を張る。
実際に戦ったのはフォレストウルフ一匹だけだが、そこは少しぼかして話を盛ることにした。
「異獣との戦いはな……想像以上だったよ。普段目にするものとは桁違いに力強くて、理屈なんか通用しない。あの瞬間、生きるか死ぬか——まさにそういう世界だったな。」
ジンの語りに、雨紀は息を呑んだ。そして悔しげに唇を噛みしめる。
「いいなぁ……私も早くAnomalyに行きたい……!」
彼女が目指している動植物学者とは、探索協会に探索者として登録するのではなく、探求学会が発行する学者免許を取得することでAnomalyに入る道を選ぶものだった。
異変学資格免許——それが正式名称。Anomalyに生息する植物、異獣、狂獣、そして環境や自然現象を研究する学者たちが持つ資格だ。
叔母の会社に勤めるセラルドは、異変植物鑑定士の免許を持っており、通常なら採取が禁止されている猛毒植物や人体に影響を及ぼす特殊な植物を採取する許可を得ている。雨紀が目指している資格の一つだ。
多くの人は専門学校へ進学してから本格的にAnomalyの勉強を始めるが、雨紀は両親の仕事柄もあって独学で学び続けているため、同じ道を目指す者たちの中でも群を抜いている。
夢へと歩み続ける彼女の背中は、確かに輝いていた。
そんな雨紀へ、ジンはここぞとばかりに自慢話を続けた。しかし——。
「さぁ、料理ができましたよ!」
不意に祖母の声が響き、ジンの武勇伝は中断された。
庭に繋がる窓が開き、祖母と雨紀の母・真美子が、大皿に盛り付けられた料理を持って現れた。
サラダ、ポテト、唐揚げ——いわゆるサイドメニュー。そして、今日の朝に祖父が釣ってきた新鮮な魚料理。
「……めちゃくちゃ美味しそうじゃん。」
自慢話をしていたはずのジンだったが、料理の香りにすっかり気を取られてしまうのだった。
椅子に腰を落ち着け、まずはポテトをひとつ——。
「うまっ!!」
揚げたてのホクホク感が口の中でほどけていく。ほんのり効いた塩気がちょうどいい。ケチャップやソースなんかいらない。ポテトは塩こそ至高だ。
その間にも、祖父は黙々と肉を焼いていた。
まず最初に網の上に乗せられたのは、アレビボアの肉——。
異変によって突如太平洋上に出現した島の一つ、アレビ島に生息する巨大なイノシシ系の異獣。
その食材等級はDランク。スノーラビットと同等の分類に属するが、アイアンスネークは一つ上のCランクに位置する。
アレビ島は北海道ほどの広大な面積を持ち、未だ全容が解明されていないほどに多様な生態系が広がっている。
異獣や狂獣はその狂暴性ゆえに、醒者でなければ狩ることが難しい。そのため一般のスーパーには滅多に並ばず、専門店や探索協会の直営店でしか手に入らない。
しかし、意外にも価格は高騰しすぎることなく、一般家庭でもたびたび食卓に上るほどには普及している。
ジュウウウウ……
網の上でアレビボアの肉が踊る。香ばしい匂いが立ち込め、食欲をさらに刺激してくる。
「よし、焼けたぞ!」
祖父の手際の良さにより、肉はちょうどいい焼き加減で仕上がる。ジンはすぐさま一切れを手に取り——。
「うまっ!!」
口に入れた瞬間、弾力のある歯ごたえが心地よく伝わってくる。豚肉よりもやや硬いが、それが逆に肉の旨味を際立たせていた。
臭みは一切なく、脂もしつこくない。まさしく、洗練された野生の味——イノシシのような肉質だ。
「久しぶりに食べたけど、やっぱり美味いな!」
思わず声が漏れた。
未知の世界を旅する探索者として、こうして異獣の肉を堪能できるのもまた醍醐味の一つだ。昼食を楽しんでいたその時、玄関の方から軽快な声が響いた。
「ただいま〜!あっ、雨紀ちゃんたちもいらっしゃい!」
叔母が戻ってきたようだ。ジンが顔を向けると、彼女は大きな袋を手にしていた。
「二人とも卒業おめでとう!これは私からのプレゼントよ。」
そう言って、ジンと雨紀にそれぞれ箱を差し出した。
「マジ!!?やった!」
ジンは期待に胸を膨らませ、勢いよく箱を開ける。
雨紀も目を輝かせながら箱を手に取り、「いいんですか!?ありがとうございます!!」と感謝の声を上げた。
二人がそれぞれ箱の蓋を開けると、中にはカメラが入っていた。しかし、雨紀の箱に収められていたものは少し違うようだった。
「凜さん、これは……タブレット、であってますか?」
雨紀が慎重に問いかけると、叔母は微笑みながら頷いた。
「そう!このタブレットには数多くのAnomalyのデータが入ってるわ。あなたが知りたいと願う情報もきっと含まれているはずよ。」
タブレットの画面を軽く操作しながら、叔母は続ける。
「とはいえ、まだまだ未完成。解明されていない謎が多すぎるのよ。それを埋めていくのもまた楽しみの一つになると思うわ。」
「ありがとうございます!本当にうれしいです!」
雨紀の声には、未来へ向かう熱意が満ちていた。
「Anomalyに行けるのは早くても二年後なので、それまで勉強を頑張ります!」
そんな雨紀の決意を聞きながら、叔母は穏やかに微笑む。
「大丈夫よ。すでに発見された植物や解明された謎なら、雨紀ちゃんならすぐに知識として身に着けることができるわ。だから焦ることはないのよ。」
そして、叔母の視線がジンへと向けられる。
ジンはカメラを手にしながら気づいた。
「もしかして、俺が撮った写真を雨紀に送ることができる?」
叔母は満足そうに頷く。
「正解。」
彼女はゆっくりと、二人へ語りかけた。
「雨紀ちゃんが目指すのはAnomalyの動植物学者。そして、ジンはこれから世界中のAnomalyで未知の旅を始める。どちらにとっても、お互いの力は頼りになるわ。」
その言葉に、ジンと雨紀は顔を見合わせる。
「だから互いが支え合えるようにっていうプレゼントよ。」
そう言って、叔母は優しく微笑むのだった。
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