新たなる世界
ジンは探索協会の華戸支部、その受付窓口の最端で待っていた。目の前の窓口に立つ女性が柔らかな笑みを浮かべ、声をかけてきた。
「お越しいただきありがとうございます。本日はどのようなご要件でしょうか?」
「能力の登録をしたいのですが」とジンが答えると、受付嬢は慣れた手つきで一枚の書類を取り出し、彼の前に滑らせた。
「能力登録ですね。ありがとうございます。こちらの紙に名前、生年月日、住所をご記入ください。書き終わりましたら再度こちらまでお越しください」
ジンは軽く頷きながら、備え付けの机とペンの元へと向かった。
華戸支部。名前こそ「支部」と付いているが、その建物は壮大かつ堂々たる作りをしている。その規模は本部に引けを取らないほどで、広々としたロビーには多くの人々が行き交っている。これだけの施設がここに建てられている理由は、街の隣に存在する"Anomaly"と呼ばれる異常空間の存在だった。人々が多いにもかかわらず、窓口の数が豊富で、さらに受付嬢たちの動きもスムーズなため、混雑感はあまり感じられなかった。
運転免許を持っていないジンは、師匠に送り届けてもらってこの支部にやってきた。ようやく受付書類に個人情報を書き込んで再び窓口に向かう。
「書き終えました」
「はい、ではお預かりいたします」
ジンが書き終えた書類を渡すと同時に、受付嬢がカードを手渡してきた。それには大きく「6」の数字が書かれている。
「輪凪ジン様ですね。それではあちらの待合スペースでお待ちください。他の者がすぐにお迎えに参ります」
「分かりました」と応えつつ、案内された椅子に腰を下ろす。待ちながら師匠の姿を探すが、周囲には見当たらない。不安と静寂が交差する中、ふと隣の椅子に誰かが腰掛けた。
「どうだった、ジン?」
待合スペースの椅子に腰を下ろし、ジンは一息ついた。ふと隣に人影を感じて顔を向けると、そこには師匠が座っていた。手元に数枚の書類を広げている彼の姿に、ジンは思わず驚きの声をあげる。
「師匠か!いつの間に!」
「ふん、驚きすぎだぞジン。受付が終わってるのか確認しに来たんだ」と、師匠は視線を紙から外すことなく応じた。
ジンが書類を整理する師匠を横目で眺めながら尋ねた
「師匠、ここで何してるんですか?受付終わってから別行動だったのに。」
「前に取った指導免許の更新だ。それで少し手続きがあってな」と師匠が答える。しかし、その言葉にジンの頭の中は疑問符でいっぱいになる。
「指導免許…?初めて聞きました。それって何ですか?」
「簡単に言えば、弟子をとって教えるための資格だな。まあ、個人で弟子を取る分には不要だが、正式に新人探索者を教えるにはこの免許が必要だ」
師匠の説明はあくまで淡々としている。
「へえ、そんな制度があるんですね。でもなんでそれが必要なんですか?」
「例えば探索者未満の人間を実戦で鍛える際、この免許がないとAnomalyに入れない。免許があればその制限を補ってくれるんだ」と師匠はあっさり説明を終えると、膝の上で書類を整えた。
「あの時は本当に苦労したもんだ…」師匠の呟きに、ジンは顔を上げる。
「智兄さんを弟子に取った時?」 師匠は懐かしそうに頷きつつ、「そうだ。当時は何をどうすれば良いか全然わからなくて、一から全部調べる羽目になった」と遠い記憶を回想していた。
ジンもその言葉に反応する。「智兄さんはしっかりした人ですよね。最近はどうしてるんですか?」
「相変わらず楽しそうにやってるさ。写真とお土産を送ってくるのが定期だが、それなりに成果を出してるようだ」師匠は少し誇らしげに微笑む。
その時、重々しい声が横から聞こえてきた。「智の奴、頑張ってますよ。彼の成果は我々の誇りです」声の主は支部長の金蔵大晴だった。ジンは思わず顔をあげる。
「おお、大晴か!久しぶりだな!」師匠と金蔵支部長は旧知のようで、気さくに言葉を交わす。その会話の中に漂う落ち着きと信頼の空気がジンには印象的だった。
「さて、ジン。移動だ。荷物を全部持っていけよ」師匠が席を立つと、ジンも慌てて追いかける。「はい!」支部長の優しげな笑顔を背に、ジンたちは次の場所へと向かっていった。
支部長に案内された場所は、目を見張るような特別な装置が設置された部屋ではなく、意外にもシンプルな訓練場だった。広々とした空間の中央にはスタンディングテーブルが設置され、その横で二人の女性職員が待機しているのが見えた。
「お待ちしておりました」 職員の一人、ミノが柔らかな笑顔で挨拶をする。支部長は軽く頷きながら指示を出した。
「ああ、さっそく始めよう。ミノ、ルウ、準備を頼む」 ところが、ミノは支部長を一瞥し、口角を少し上げた。「副長が何やら探してましたよ。しかも、かなり怒って……何をやらかしたんですか?」
その一言で、支部長の顔が見る間に青ざめた。「す、すまん、ジン!少し待っていてくれ!」 そう言い残すと、支部長は訓練場を慌ただしく後にした。
その場に取り残されたジンをフォローするように、もう一人の女性職員、ルウが近づいてきた。「申し訳ありません、バタバタしていて……」 「いえ、大丈夫です!全然気にしてませんから!」とジンは即座に応じ、二人に感謝の気持ちを示す。
「ありがとうございます。それでは簡単に説明をさせていただきますね」とルウが話を始めた。 「まず、私はルウ、こちらがミノです。今から行うのは能力確認です。輪凪さんの能力を確認し、その系統や分類を協会に登録します。最後には専用の探索者カードをお渡ししますので、大切に保管してくださいね。」
そうして一通りの説明が終わった頃、訓練場のドアが勢いよく開いた。戻ってきた支部長のほっぺたには、くっきりとした赤い手形が残っている。
「すまん、戻った!」 ジンは思わず声を上げる。「えっ、支部長!? どうしたんですか!その顔……」
「気にするな!」 ミノは平然と「支部長、必要な説明は終わっていますよ」と伝え、その様子が日常茶飯事であることを暗に示していた。支部長はどこか弱々しい声で応えたが、深呼吸して気を取り直す。
「ジン、今からこれを渡す。アダストーンだ」 支部長が手袋越しに差し出したのは白く透明な結晶だった。その石をテーブルの上に置くと、支部長は再び話し始めた。
「アダストーンは異獣アダから得られる結晶で、触れた者の能力を強制的に発動させる厄介な代物だ。特に醒者にとっては注意が必要だ……」
異獣アダの特異性や、この石の性質を丁寧に説明する支部長の姿を見つめながら、ジンはその場の緊張感を少しずつ実感していく。
「さぁ、いつでもいいぞ」 支部長の言葉に、ジンは透明な石――アダストーンの前に立った。緊張感を押し隠しながら、一歩ずつその石へと近づく。そして、他の三人は少し距離をとり見守っている。
「はぁ……行くか」 覚悟を決めたジンは、ゆっくりと右手を石へと伸ばした。
その瞬間だった。ジンの手が石に触れた途端、ブワッ! と勢いよく炎が石から吹き出した。しかし、その炎は通常の鮮やかなオレンジではなく、赤黒い不気味な色をしていた。初めは勢いよく広がったその炎は、次第にドロリとした粘性を帯び、ゆっくりと周囲に広がっていく。
「なんだ、あの火は……!」 ミノが訓練場の隅から驚愕の声を漏らす。支部長に視線を向けると、ルウも不安げに頷いている。支部長――大晴の表情は険しくなりつつも、どこか納得しているようだった。
「やっぱり見に来て良かった」 そう呟いた彼は、ただ炎を見つめる。その視線は鋭く、まるで何かを見定めているかのようだった。
一方、アダストーンは徐々にその色を変化させていく。かつての透明な結晶は赤く輝き始め、まるで宝石のルビーのようだ。同時に赤黒かった炎も次第にオレンジ色に変わり、柔らかく暖かな光を宿し始めた。
やがて炎が完全に消えたとき、ジンは息を切らして膝をつく。
「はぁ、はぁ……しんど!何これ、めっちゃ疲れる!」 100メートル全力疾走した後のような疲労感に襲われ、ジンは肩で息をしながら呟く。支部長が近づき、水を差し出すと、ジンはそれを受け取り一気に飲み干した。
「オッケーだ。石もちゃんと色が変わったし、問題ない。ゆっくり休め」 大晴が促すと、ジンは地面に座り込む。体の疲れを感じながらも、心の中には微かな達成感があった。
「ありがとうございます……マジで疲れましたけど……」 「だろうな。アダストーンは触れた者の能力を強制的に引き出す代物だからな。普段なら自然にセーブされるが、これはそれを無視する」
ジンが呼吸を整えている間に、支部長は色の変わったアダストーンを手に取った。素手で触れたにもかかわらず、彼には何も起こらない。静かに目を閉じ、集中すると――石が光を帯び、同じようにオレンジ色の炎が再び灯る。
「なるほど……」 小さく呟いた彼は、アダストーンを台に戻し、ミノとルウに指示を出した。二人は迅速に手袋や保管用の箱を準備し、石を丁寧に収納して訓練場を後にする。
「これでジンの能力は記録された。この石には一時的にお前の能力が記憶され、協会のデータベースに登録される。その証明書ができたら、お前は正式な醒者だ」 「ありがとうございます……」 ジンが改めて礼を述べると、大晴は軽く微笑みながら手を差し伸べる。
「立てるか?」 ジンはその手を取り、立ち上がった。そして、支部長と共に訓練場を後にし、師匠が待つスペースへと戻る。
「おっ、師匠!今終わったよ!師匠の方も終わった?」 「免許更新はとっくに終わってるさ。ジンの登録もこれでおしまいか?」 職員が数枚の書類を持って支部長へと渡す。確認した彼がジンに問いかけた。
「お前、本当に探索者になるんだな?」 ジンはしっかりと支部長の目を見て答える。「はい!なります!」 その真剣な答えを聞いて、大晴は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうか……お前が探索者になるその日を、楽しみに待っているぞ」 その言葉に込められた期待を感じながら、ジンは師匠と共に協会を後にした。
職員が書類を手に支部長のそばへとやってきた。その職員はどこか不思議そうな表情で、先ほど支部長がジンに向けていた言葉について切り出す。
「珍しいですね、支部長がそんな事をおっしゃるなんて。ジンさんのこと、気に入ったんですか?」 その問いに、支部長――金蔵大晴は一瞬眉を動かし、書類の上から職員を見上げる。
「ん? そう見えたか?」 「ええ、とても気にかけているように見えました」職員は素直に答えた。その答えに支部長は数秒の沈黙を挟みながら、ぽつりと漏らした。
「おう……そういうことだ。ただ、何もあいつだけじゃない。新しい若い世代の奴らには、みんなそれなりに気をかけてる」 少し照れくさそうに視線をそらしながら、支部長は書類を渡す職員に声をかけた。「さっさと仕事に戻れ。まだ他にやることがあるだろう」
職員は肩をすくめながら苦笑いで応じる。「はいはい、分かりましたよ」 そう言いつつ、職員はその場を後にし、支部長も軽く咳払いをして歩き去った。その背中には、どこか温かい誠実さが漂っていた。
翌日、華戸市の隣に広がるAnomaly【双幻森林】。探索協会での登録を終えたジンは、師匠である御章と共にその地へ足を踏み入れていた。
師匠が持つ指導免許のおかげで、未登録者であるジンも特別にAnomalyに入る許可を得ていたのだ。それにしても、師匠の存在感の大きさには驚かされるばかりだ。行き交う探索者たちは彼に挨拶を交わし、感謝の言葉を伝えては去っていく。彼らの尊敬を集める理由を改めて実感するジンだった。
「いいか、今日は浅い場所だけだが、気を抜くなよ。何が起こるか分からんのがAnomalyだ」 そう言いながら、師匠は磨き抜かれた剣の刀身を最終チェックしていた。
「はい、分かりました!……でもやっぱり緊張します」 「はっはっはっ!緊張するのはいいことだ。探索者になれば慣れてしまうが、この感覚は忘れるなよ。さあ、行くぞ!」 笑いながらもその言葉にはどこか真剣さが漂っていた。
森に足を踏み入れてしばらく歩いたとき、師匠が急に足を止める。
「構えろ!」 瞬時に剣を抜き構える師匠。その言葉にジンも慌てて剣を抜いたが、動きはどこかぎこちない。その直後、木々の向こうから重い足音が響いてくる。
「ガウッ!ガウガウ!」 現れたのはフォレストウルフ。一匹だけだが、その鋭い目と殺気立った吠え声が周囲の空気を一変させる。師匠は目の前の異獣を冷静に観察し、特徴を見極めていく。
「若いな……傷も浅いし、まだ未熟か。よし、ジン、一人でやってみろ。危なくなったら助けてやる」
「えっ!?……分かりました!」 ジンは一瞬戸惑うが、すぐに深呼吸して覚悟を決めた。
フォレストウルフとジンの間には緊張の糸が張り詰めている。一定の距離を保ちながら互いの隙を探るように動き、静かな睨み合いが続く。しかし、その静寂を破るのは、常に野生を持つ側だ。
「グルル……ガウッ!」 フォレストウルフが素早く間合いに飛び込み、鋭い牙で三度噛みつく。それをジンは何とかかわし、ショートソードで反撃するも、相手の敏捷さに攻撃はかわされてしまう。
音を立てるほど激しくぶつかり合う剣と牙。そのたびにジンの手から力が込められ、感覚が研ぎ澄まされていく。
「(かたい……丈夫な牙だ)」 相手の強さを感じながらも、ジンの目は冷静にフォレストウルフの動きを観察していた。
やがて、ジンは剣にエネルギーを流し込み始める。その斬撃は光を纏い、一撃の破壊力を増していく。そして、アドレナリンが最高潮に達した瞬間、フォレストウルフが再び間合いに飛び込んだ。
「ガウッ!」 それに反応するようにジンも飛び出す。
「はぁぁぁ!」 剣と牙が交錯し、激しい音が鳴り響く。その瞬間、ジンの剣が縦一閃に振り抜かれ、フォレストウルフの体を深く切り裂いた。異獣はその場に倒れ込み、ジンは勝利を収めたのだった。
「よくやった!」 師匠が手を叩き、誇らしげな笑みを見せる。
初めての実戦を終えたジンは、剣を鞘に収めると深い息をつき、水に手を伸ばした。その瞬間、師匠の言葉が飛んでくる。
「だが、気を抜くのが早いな」 その言葉とともに、茂みから突然もう一匹のフォレストウルフが飛び出してきた。ジンは反応する間もなく、ただ立ち尽くしてしまう。しかし、師匠――御章がすぐさまジンの前に立ち、剣を抜くことなく体術のみで異獣を仕留めた。
気づけば、倒されたフォレストウルフの姿は跡形もなく消えていた。
「い、いつから……助かりました……」 「戦闘中の集中は合格だが、安心するのが早すぎる。これを覚えておけ」
「うっ……すみません!」
師匠は淡々と話し続ける。「今のは若いフォレストウルフだ。鋭い牙と爪を持ち、身軽で素早い異獣だが、通常は一匹でいることが多い。」 ジンはそこで強く否定する。
「いやいや!二匹いたじゃないですか!」
師匠は両手を広げてジンを落ち着ける。
「ここは双幻森林だ。名の通り、本体のほかに分体が現れる。つまり、一対一と思っていても、気がつけば二対一になっていることがある。それは森そのものの特性なんだ。」
双幻森林――探索者たちを苦しめるその特異な現象は、異獣に瓜二つの分体を現出させる。これが双幻の名の由来だった。
「まだまだ行くぞ。実戦に勝る経験はないからな。」 そうして師匠の指導のもと、双幻森林での訓練はさらに続く。気づけば二時間が過ぎ、ジンは新たな経験を身に刻んでいた。
月日は流れ、季節は秋から冬へ。冷たい風が街を包み、景色がその色彩を失っていくころ、ジンの生活はさらに忙しくなっていた。
セラルドとの関わりも深まっていた。初めて話をしたあの日から定期的に会うようになり、彼が研究する「Anomalyの生態系」の話はジンにとって驚きと刺激を与えるものだった。
「ジン君、専門学校に行かず探索者になるって聞いたけど、Anomalyについてどれくらい知ってる?」 セラルドの問いに、ジンは正直に答える。「詳しいことはあまり……地球に突然現れた異変の総称ってことぐらいですよね。」
「その通り。Anomalyとは異変の総称だ。でも、それだけじゃない。」
セラルドは熱心に語り始める。
「Anomalyの生態系には、異獣や狂獣だけでなく、防衛軍や探索協会、醒者の組織までも含まれる。そして君もその世界に飛び込む日が近い。」
ジンはその言葉に興味を深め、さらにセラルドの話を聞き入った。そんな日々が続く中で、ジンの生活は忙しさを増していく。平日は学校、放課後は師匠との修行や友人たちとの交流、休みの日にはセラルドとの時間を楽しむ。ジンの目の前には新たな未来が広がり続けていた。
そして今日――華戸市青称高校で卒業式が行われた。ジンはその大きな節目を迎え、新たな一歩を踏み出す準備を整えていた。
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