身体測定
筆記試験を終え、受験者たちは緊張の糸を解く間もなく、次なる試練へと足を踏み入れた――身体測定。一般的な健康診断のそれとはまるで異なる、この試験における「身体測定」とはすなわち、探索者としての資質を測る戦場そのものだった。
筋力、持久力、俊敏性、バランス――すべてが試される。 ただ力強いだけでは通用しない。ただ速いだけでも生き残れない。ただ耐えるだけでは目的を果たせない。 Anomalyと呼ばれる未知の領域に足を踏み入れたとき、その過酷な環境を乗り越え、仲間とともに生還するために必要なすべてが、この試験によって評価される。
受験者たちは、己の限界を試すべく競技場へと向かった。そこではすでに、異形の障害物や想定外の難関が待ち構えている。まるで探索の現場を模したかのような試験場に、一歩踏み入れた瞬間、彼らは悟ることになる。 ――ここからが本当の勝負だ。
ルウは静かにモニターを見つめながら、支部長の到着を待っていた。映し出されるのは、探索者候補たちの姿。試練の場へ足を踏み入れ、己の限界と向き合う者たち――。
「支部長、始まりました」
その言葉に、大晴は短く返し、制御室へ向かった。
訓練場制御室には大小さまざまなモニターが並び、カメラやドローンによる映像がリアルタイムで映し出されている。そのすべてに特注の能力感知器が備え付けられ、受験者一人ひとりの身体能力、戦闘適性が克明に記録されていく。
ここでは、まさに環境を“創り出す”ことができた。 人工の雨が降る森、足を取られる沼地、視界が制限された密林――すべてが再現される。実戦に近い状況を作り出し、探索者としての適性を測る場。それが、この訓練場だった。
「お疲れさん」
ガチャリ、とドアが開き、支部長――金蔵大晴が入ってきた。
「おー、お疲れ。何してたんだ?もう始まってるぞ」
そう声をかけるのは、視察班の班長、トーレ・マルク。その手には受験者全員の資料が握られている。 探索者としての経歴から登録用紙に至るまで、すべてだ。
トーレ・マルクと金蔵大晴。かつては世界各地のAnomalyを旅した二人。ギルドには属さず、ただ己の力だけを頼りに探索者としての道を歩んできた。
そして今、かつて世話になった支部長の後を継ぎ、この地に立っている。
「馬鹿どもが協会の酒場で暴れてやがった。酒で熱くなった挙句に言い合いになったらしい……そこから片方が手を出して……さっき、酒場の子が急いで知らせに来たよ」
その報告に、制御室にいた職員たちは同じことを思った。
――あいつら、リンダがいないことに甘えてるな。
ミノは驚いた顔で支部長の方を向き、パソコンを操作していた二人の男性職員は手を止め、研究長は資料をテーブルに置いて頭を抱えた。
「え、酒場で暴れたんですか?確かにここ最近リンダさんはいないですけど……後から…」
大晴はため息混じりに答えた。
「リンダなら明日帰ってくるぞ。酒場の店員の子達や飲んでるやつらも知ってるはずだ」
トーレは苦笑しながら腕を組んだ。
「あー……なら、ご愁傷さまだな。昼から飲むからこうなるんだ」
「なんで暴れたんだ……」と呟く職員A。 「明日は酒場に行けないな……」と遠い目をする職員B。
妙に暴れた探索者たちに同情する空気が漂う。それも当然だ。
リンダが帰ってくる。
それはつまり、暴れた探索者たちの“裁き”が待っているということだった。
リンダ――協会に併設されている酒場の店主。元探索者であり、その腕っぷしの強さは折り紙付き。酒場で揉め事を起こした者は、彼女に首根っこを掴まれ、その場で放り出されるのが常だった。そしてその後には、必ず彼女による“お仕置き”が待っている。
探索者だろうと男だろうと関係ない。彼女の圧倒的な力には誰も逆らえないのだ。
「……さて、どうなることやら」
職員たちは苦笑しつつ、明日の酒場の地獄を想像したのだった。
「まぁまぁ皆さん、今は試験中ですから!その人たちは手遅れです!」
ルウが話を戻し、制御室内の巨大なモニターに試験の映像を映し出した。試験開始から、まだ3分。だがすでに多くの受験者が第一関門の前に立ちはだかっていた。
「これは……」
ジンは快調だった。これまでの障害を難なく突破し、順調に進んできた。だが、彼は目の前の壁に足を止める。見上げる先にそびえ立つ、圧倒的な高さ――。
高さ6メートルの崖。
修行の成果が確かに発揮されている。これまでは順調だった。だが、この壁は勢いだけで突破できるほど甘くはない。
「まずは、この第一関門を突破してもらおうか」
制御室では、大晴がじっとモニターを見つめた。受験者たちは、この壁をどう攻略するのか。力か、技か、知恵か――その選択が、探索者としての素質を決める。
彼らは試される。 自らの限界と、その先へ行く覚悟を――。
{身体能力測定特別コース}
第一関門 高さ6メートルの崖
試験場には三つの関門が用意されていた。 その最初の試練――高さ約6メートルの崖が、受験者たちの前に立ちはだかる。
進むための道はただ一つ、登ること。崖には手がかりとなる凹凸がいくつかあるものの、力加減を誤れば容赦なく地面へと引き戻される。
飛行能力を持つ者は三人。だが、それ以外の受験者――ジンを含む21名は、己の肉体のみを頼りに突破しなければならない。
そして、その中で最初に壁を越えたのは――試験前の待機室で、ジンよりも先に来ていた男だった。
「彼の名前はフリーガ・トロス。元々は個人で活動していた傭兵だね」
トーレがモニターを見ながら呟く。
「傭兵上がりか。経験がある分、動きに無駄がないな」
大晴は腕を組みながら映像を見つめる。
「おっ、来たじゃん!御章さんの二人目の弟子だ」
フリーガは躊躇なく崖を登っていく。その後に続くのはジン、そして他の二人――試験はまだ始まったばかりだが、すでに明確な差が生まれ始めていた。
この壁を越えられない者に、探索者としての未来はない。 さあ、選ばれるのは誰だ――。
「うわっと…っ!」
ジンの指先が触れた突起が、突然崩れ落ちた。瞬間、体が僅かに傾ぐ――落ちる。そう思った刹那、全身の筋力を総動員し、ギリギリのところで踏みとどまった。
(あぶねぇ……もう少しで落ちるところだった)
息を整えながら視線を走らせる。幸いにも、すぐ近くに手掛かりとなる窪みがあった。 迷うことなくそこへ腕を伸ばし、再び崖を上り始める。
(こっちならいけるな)
思えば、まさかこんな形で崖を上ることになるとは思わなかった。しかし、師匠との修行で幾度となく体験した感覚が、確かに今の自分を支えている。
視線を前へと向ける。 一足先に進んでいく受験者の一人。彼は迷いなく、着実に、圧倒的な速度で崖を登っていく。
(……早いな。体格がいいし、鍛えられてるんだろうな)
試験開始からまだ4分20秒。だが崖の残りはもう半分もない。
ジンは慎重に、しかし素早く動き続けた。 そして――ついに崖を越え、第一関門を突破した。
その視線の先には、木々が生い茂る森。
試練は終わらない。次なる関門が、静かに待ち構えていた。
第二ステージ――探索の森へ、踏み込む。
「……進みづらいな」
ジンは足元の土を踏みしめながら呟いた。森の中は視界が悪く、気を抜けば進行方向が僅かにずれてしまう。それだけならまだしも、この試験ではさらなる試練が待っていた。
森の中には、仮想召喚されたモンスターが潜んでいる。
受験者の進行を阻むかのように徘徊する影。突発的な戦闘が避けられないこの環境は、探索者としての適性を見極める最適な試練でもあった。
「……なんか、ここ見たことあるんだよな……どこだっ…!?」
そう思った瞬間――
「ガウッ!ガウガウッ!!」
鋭い咆哮が木々の間に響き渡る。
視界の先に現れたのは、一頭の異獣。
その姿を目にした瞬間、ジンの記憶が鮮明に蘇った。
「……そうだ、思い出した。あのときは師匠が前にいてくれたから、こんなに進みづらくなかったけど」
かつて師匠とともに戦った場所――"双幻森林"。 その時、ジンの前に立ちはだかった獣――フォレストウルフ(仮想)。
だが、今のジンはかつての自分とは違う。
「あのときは手こずったけど……あれから修行を積んで変わったぞ!ちなみに、武器もな!」
ジンが構えた剣は、かつて使っていたショートソードとは異なるものだった。
油断はしない。今こそ――力を証明する時だ。
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