手のひらの力
淑女とは思えない足音を響かせて、どこぞの貴婦人??が教会の休憩室に乗り込んで来た。
「宅の主人はどこ!」
お茶を飲んでいたシスター達はその剣幕に驚きはしたものの、時々ある光景だったので、ああまたか、と大して動じていなかった。
「何事でしょう」
シスターエルゼが婦人に声をかけると、
「隠しても無駄よ! ここにいるのはわかってるんですからね! 隠し立てすると容赦しないわよ!」
婦人は一緒についてきた侍従や護衛騎士たちに指示をすると、教会中の部屋を家探しし始めた。シスターたちは止めることもなく、気の済むようにさせておいた。
やがて、奥の一室に滞在中のバウアー伯爵が護衛騎士に腕をつかまれ、引きずり出された。
「全く、教会で密会だなんて、恥を知りなさい!」
「ち、違う、誤解だ!」
必死に抵抗するも、ムッキムキの護衛騎士二人に両腕をつかまれ、バウアー伯爵はどうすることもできなかった。
「明日まで、明日まででいいんだ! 頼む!」
「昨晩だけでは物足りず、もう一晩だなんて、冗談じゃないわ! 帰るわよ!」
「お帰りですか?」
騒ぎの間、平然とお茶を飲んでいたシスターエルゼが立ち上がり、伯爵夫人に問いかけると、
「教会だなんて名ばかりで、不謹慎なっ!」
と、夫人が睨みつけてきた。
「それでは、今日、明日のご予約はキャンセルと言うことでよろしいですね?」
「当然よ。何て破廉恥な! 教会庁に訴えてやるわ! 二度とうちの人と関わらないでちょうだい!」
「だ、駄目だ! たのむうううううう!」
必死に抵抗するバウアー伯爵の声もむなしく、伯爵は強引に馬車に乗せられ、帰っていった。
「ずいぶん失礼な人ね」
シスターイーダがゆでたてのソラマメを口に放り込みながら、渋い顔で笑っていた。
「可哀想に…。バウアー伯爵、婿養子だし、夫人の尻に敷かれてるらしいからねー。伯爵に女神のご加護を」
世情に通じたシスターエマは笑いながら胸元で手を組み、嘘っぽい祈りをささげた。
「まだましよ、この前なんて危うく殴られかけたんだから。やっぱり、口コミで泊付きってのが良くないのかなぁ」
エルゼは予約帳を取り出し、今日と明日のバウアー伯爵の予約に線を引いた。
「せっかくだから、次の予約の人、入れちゃおっかな。今日と明日と…。連絡着くかなぁ」
エルゼは予約帳をめくると、キャンセル待ちの予約客を調べ、近所の少年に小遣いを渡し、使いに出した。
一時間後、次の客は目をギラギラさせ、大喜びで駆け込んできた。
三日後、バウアー伯爵とその夫人が教会にやって来た。夫人は先日と違ってずいぶんとおとなしくなり、伯爵は涙目で、室内に入っても帽子をかぶったままだった。
「先日は、大変申し訳ありませんでした」
夫人は貴族とは思えないほど深々と頭を下げた。
「私の早とちりで、大変失礼なことを…」
司祭長は詫びの供物と寄付金を前にして、
「まあ、よくあることですからね」
とにこやかな笑みを見せていた。
「つ、つきましては、大変図々しいのですが、もう一度施術をお願いしたく…」
「エルゼでしたら、旦那様の方がご存じでしょう。向こう二年は予約でいっぱいですよ」
その言葉に、伯爵は絶望的な顔になった。
「そこを何とか! これを見てください!」
夫人が伯爵の帽子を取ると、伯爵のテカテカした頭頂には右側だけにうっすらと髪が生え始めていたが、それはくっきりと手のひらの形をしていた。
「こんな形では社交にも差し障りがあり…」
「ですから三日コースでご予約いただいたんですよ。私の施術は一日一回、右手だけです。伯爵様の範囲でしたら、三回は施術の必要がありましたのに…」
「何とか優先していただくわけには?」
切実に交渉する夫人に、エルゼはにっこりと笑って答えた。
「まずはご予約を。急なキャンセルがありましたら、優先してお呼びすることもできますが、優先枠には特別寄付金をお納めいただくことになってます。すべてはかみの御心のまま」
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