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機械仕掛けのユマニスム  作者: 樫村蓮
case.1 私たちの息子を探してください
7/13

06 ロボットのお腹はすかない

 事務所からハンス通りで一番大きい交差点、通称「飛び出す交差点」へはそう遠くない。歩いて行ける距離だが、路面市電の駅が近くにあるのでカイエはそちらを使うことにした。どの時間帯でも交通量が常に多く、大型トラックの往来も多い。

 そして路面市電が通過する度に自動車の往来は止められ、車が来ないのをいいことに通行人やら自転車が車道や路面市電のレールの上に飛び出してくる。


 あの交差点で飛び出してこないのはロボットくらいだが、一番事故に遭うのも信号を真面目に守ったロボットだ。ロボットの事故現場なんて、先輩の教育によい風景ではないし、万が一先輩が轢かれでもしたら本当に洒落にならない。

 路面市電を選んだ理由をそう説明すると、ラッキーはカイエを心配性だと笑う。


「車には安全装置がついてるから大丈夫ですよお。飛び出した人を感知して自動でブレーキ! はい。これで安全ですね。轢かれるワケがないのです」

「突然の飛び出しや前の車が急にブレーキを踏んだときなんかは、後続の車がブレーキが間に合わなくてぶつかることがあるんですよ」


 過去に配送業をしていたカイエは、あの付近での事故の多さをよく知っている。今日は車で来ていないものの、あの往来は見ていて良い気分のする場所ではない。


「だいたい世にある安全装置が常に完璧に動作してるなら、トラヴィスさんは車に轢かれてませんよ」

「それもそうですねえ」


 ロボットが飛び出してこない理由は2つある。

 1つは、ロボットは基本的に交通規則を遵守すること。

 もう1つはロボットは反射神経が良くないことだ。それは最新機種のラッキーでさえ例外ではない。身体の動かし方を計算してから動くロボットには、咄嗟の動きはできない。そのため状況を予測しながら動いているのだが、これが突然の出来事となると計算が狂う。


「でもアルレイズの製品の悪口はよくないですよ。この街全体を敵に回すようなものです」

「悪口ってほどの物じゃないですよ。あのグループのスローガンも『昨日よりよい明日を』ですし」


 そうは言いつつも、カイエはそっと周囲を見渡した。本社にしろ下請けにしろ、この街の全てがアルレイズ・グループと何らかの関わりがある。悪口と取られたらただではすまない。自分を白い目で見る人がいないことを確認して、カイエは表情を変えずに視線を正面に戻す。


 市電が交差点の最寄り駅に止まったところで降車すると、カイエは自分のデバイスに入れてあるクレジットから2人分の乗車料が自動で支払われたことを確認した。

 どうしてパソコンやデバイスは乗車料を払わなくてよいのに、ロボットは乗車料を払わなければならないのか。

 そして、どうして乗車料はロボットを連れ込んだ人間が支払うことになるのか。

 カイエは世の中の仕組みに文句を言ってもどうにもならないことをよく知っているので、事務所に経費を請求するために支払い履歴を保存した。


「恐喝相手はどこにいるですかね?」


 日中の交差点は人通りが多く、誰が怪しいと疑い始めたらキリがない。あの切羽詰まった口調で「殺される」と言うからにはロボットではあるまいと、カイエは青い肌以外を目で追う。


「向こうは自分の服装がどうとか言ってなかったですからね。こっちを見つける算段があるんでしょう」

「ロボットに人間の組み合わせは珍しくもないのに。どうやって見つけるですかね?」


 もっともロボットと人間が一緒に行動するのは珍しくないが、NXS-50という最新機種が出歩くのは珍しい。

 その珍しいロボットが突然、カイエのジャケットの裾を思い切り引っ張った。


「後輩! いました! トラヴィスです!」


ラッキーは興奮したように道の向こうを指さしているが、カイエにはどこにいるのか全く判別できない。


「ああ! どっか行っちゃいますよお! 走って! 早く!」


 どこにいるのかも明確に示されないまま、カイエはラッキーの手で青信号に変わった横断歩道に突き出された。長い信号待ちに痺れを切らし、信号無視で突っ込んできた車が通過した後だったのは幸いだった。


 スクランブル式の交差点が、縦横無尽に行き交う人々とロボット達でごった返す中、カイエはなんとかトラヴィスを見つけようと目を凝らす。それと同時に、カイエのデバイスが電話の着信を告げた。右手でデバイスを探す時間すら惜しく、左手でポケットを探って電話に出る。


「進捗はどうだ」


電話の相手は所長だった。朝と変わらぬ様子だが声の調子にトゲはない。


「今、先輩がトラヴィスさんを見つけたと言って探しているところです」

「そうか」


 話している間にもカイエは人混みに目を凝らすも、トラヴィスらしき人影はない。所長はやや置いてから、低い声で告げた。


「いいか、よく聞け。トラヴィスを逃がすな。捕まえたらオレに連絡しろ。聞きたいことがあるからな。両親の元に連れて行くのはそれからだ」


 上司に改めて言われカイエの背すじが自然と伸びた。彼女の返事を待たずに、電話は切れた。

 もうじき信号が変わり、人の流れが今以上に読めなくなる。なんとか信号が青のうちにトラヴィスを見つけようとするカイエだが、デバイスが再び着信を告げる。

 こんな忙しい時に、今度は誰だ。


「見つけた。今からそっちへ向かうからそこにいろ」


 通話は短く、早口でそう伝えられて切れた。カイエはポケットにデバイスを仕舞うと、変わり始めた信号に気付いた。


 人通りの多い場所にこれ以上ラッキーをひとりで置いておくのはマズい。

 トラヴィスは一旦諦めるしかないと、カイエは元来た横断歩道を足早に引き返す。往来を急ぐ人々に混じって、デバイスを仕舞おうとしたカイエの右手を、彼女の背後から誰かが強く掴んだ。


「オマエがアリア調停事務所のカイエだな?」

「さっき事務所とわたしのデバイスに電話を掛けた方ですね」


 聞き覚えのある声は何も答えなかった。彼は、赤信号を見ないふりして歩く人々と同じ歩調でカイエを押して歩く。

 トラヴィスを見つけられなかったばかりか不審な人物に後手を取るなど、先輩にどう説明すればいいのか。後悔するカイエだが、何故か先輩は戻ってきた後輩を見て嬉しそうな表情をしている。


「さすがは後輩ですねえ。あの人混みからトラヴィスさんを連れてきたのです!」


 唖然としてカイエが振り返ると、自分の腕を掴んでいたのが依頼主の家で見た写真の人物と同じ姿をしていることにようやく気付く。

 茶色の髪はツーブロックに刈り込まれ、目立った乱れはない。身体よりやや大きめのベージュ色の合皮のジャケットを着ているが、濃紺のジーンズは脚にフィットした物を履いている。

 その男は怪訝な顔でラッキーを見て、ようやくカイエを解放する。


「まだ名前を名乗った覚えはないんだけどな。まあ、依頼するなら名乗るのが筋だよな。ボクがトラヴィス・コートだ。今からオマエらの依頼主になるんだからちゃんと顔も声も覚えとけよ」


 事務所に電話があった時点で、先輩に替わっておけば声紋判定でトラヴィスだとわかっただろう。

 事務所にいた時点で既に後手を取っていたことと、その上で先輩が勘違いして過大な評価をしていることの両方を受けて、カイエは穴があったら入りたくなっていた。その上、昼ともあって自分の腹が鳴るともあれば、赤面する他なかった。




「お腹がすいたですか? 後輩」

 トラヴィスさんもお昼でお腹空いてるでしょうし、と先輩に押し込まれて一同は穴ではなく手近な飲食店へ入った。

 庶民向けのチェーン店ではあるが、大通りの近くとあって見た目には気を遣った小綺麗な店内だ。ちらとカイエがトラヴィスの方を見ると、彼の値踏みした視線が店内を一舐めする。硬化樹脂製の安価なテーブルは気に入らないのだろうか? それでもトラヴィスが出て行こうとする意思が見られないのを良いことに、カイエは速やかにボックス席を確保した。


 ラッキーがいち早く椅子に座り、注文用デバイスをトラヴィスに渡そうとしたが、彼はデバイスを見もしない。

 ラッキーはわざとらしく「はいどうぞ」と大声を上げ、カイエにデバイスを渡す。

 カイエはエビフライもどきを頼むことにした。注文はラッキーに任せたが、なにかがもう一品追加されたのをカイエは見逃さなかった。トラヴィスは能天気な彼女らを見て、荒く吐き捨てる。


「ボクは腹なんて減ってないからな。オマエが食事を取ったらすぐに仕事をしてもらうぞ」

「待ってください。電話で殺されるとおっしゃっていましたが、どういうことですか?」


 トラヴィスはカイエを一睨みしてから店内を見渡す。昼時ともあって店内は客でごった返している。


「こんなに人の多い場所で話す気にはなれないな」

「内密にしたい話なら、かえってこういうところで話した方がいいんですよ。街の中はどこにカメラや録音機があるかよく分からないですから。

 その点、店の中ならそんなにカメラは置いてないし、だいたい周りの人だって自分の食事に夢中で、他のテーブルの話なんか聞いてませんから」


 そう教えてくれたのは、飲食店にいるというのにロクに注文せずに長時間居座る情報屋だというのは、言う必要がないことだろうとカイエは黙った。

 トラヴィスはもう一度周囲を見渡し、周りのテーブルの客が料理に夢中で誰も自分の事など気にしていないことを確認してから低い声で切り出した。


「半年前に事故に遭って、それきり身体がまともに動かないんだ」


 カイエはトラヴィスの発言の続きをしばらく待ったが、トラヴィスからの発言はそれ以上なにもなかった。

 事故に遭ったことなど彼の両親からも情報屋からも聞いた話だ。新たな情報を期待して、カイエはトラヴィスに尋ねる。


「もしかして、また事故に遭うことを心配しているんですか?」


呆れの色を隠さないうめき声をあげて、トラヴィスは髪をかき上げた。


「うるさいなあ。どこから話すか整理してるだけなんだからちょっと黙ってろよ。せっかくバカにもわかるように説明してやろうとしてるってのにさ」


 これだから頭の悪いのは困るよな、と呟いてトラヴィスは左手で自分の肩を揉む。


 ラッキーが変にトラヴィスに噛みつかないかカイエは心配したが、不思議な物を見るような目つきでトラヴィスを見るばかりで特に何か言いそうな雰囲気もなかった。


 考えのまとまったらしいトラヴィスが何か言おうとしたが、料理が運ばれたのを見て口を閉ざした。

 カイエも運ばれてきた料理を見て閉口した。

 注文したエビフライもどきの他に、お子様ランチが1つ運ばれてきたからだ。さっき先輩がこっそり頼んだものらしい。ラッキーは店員が配膳したお子様ランチを前に、目を輝かせている。

 あまりにも人間めいてはしゃいでいるロボットに、店員が「優しいお姉ちゃんがいてよかったねえ」と声をかける。ラッキーの「自分の方が先輩である」という主張は聞いて貰えなかったようだが。


 毒気を抜かれてしばし口を閉ざしていたトラヴィスだったが、汚れてもいない手を紙ナプキンで拭いてカイエに向き直った。


「とにかく、身体がまともに動かなくなったから殺される。そういうことなんだからボクのことを助けろよな。調停事務所ってトラブルに遭ってる人を助けるところなんだろ?」


 それだけ言ってトラヴィスはふんぞり返った。

 そう言われても、カイエには殺される原因について察しがつかないし、なにより多少身体が動かなくなった程度で人間死ぬものではないと知っている。

 それでもトラヴィスは自分が本当に殺されると信じて疑っていないらしい。


「つまり、身体がうまく動かなくて困ってるんですよね? リハビリをすれば今までと同じように生活を送れますよ」

「今までと同じ生活!」

トラヴィスはカイエの言葉を繰り返して吼えた。


 カイエは周囲に素早く視線を走らせる。一瞬だけ人目を引いたが、他の客には若者同士の喧嘩に見えたのか、さして気にも留めていない。カイエはもう自分達に気を取られている人がいないことを確認して、トラヴィスに視線を戻した。


「身体が今までどおり動かなくなることが、どれだけ今後に影響するか分かっているのか? 出世、保険、社会的ステータス! 何もかもこれだけで減点されるんだぞ!」


 怒鳴るトラヴィスの発言を聞き流し、カイエは再度店内に視線を向ける。もう関わり合いになるのを避けるべきと判断されたのだろう。誰も自分たちの方を見るものはいなかった。

 既に関わり合いになっているラッキーは、後輩の制止を振り切って立ち上がった。


「分かってないのはそっちですよお! 好き勝手言ってくれちゃってぇ!」


 カイエは先輩を止める気にもなれず、食べられもしないのに注文されてしまったお子様ランチを食べることにした。 よくもまあプレートの上にこんなに様々な種類の料理を乗せるものだ。1つ1つの量が少ないので普段なら頼まないが、もう一皿何か食べるには向いているかもしれないと、合成肉でできた茶色のハンバーグを一口で頬張る。

 赤く着色されたチキンライスの上には、緑色の旗が立っている。これは何の旗だっただろうか。カイエの興味はそちらに移った。


「うちの後輩は手が片方ないです。でも仕事には関係ないです。出世だって、うちは所長しかいないから関係ないし、あやしい企業じゃないのです! 社会的ステータスだって……社会的ステータス? なんだかよくわからないけどラッキーさんはアルレイズの最新ロボットだからそういうのは無敵ですね。問題ないです」


緑色の旗が治安局の暴動鎮圧部隊の旗であることを思い出したカイエは、ようやく先輩と新しい依頼主の会話を聞くことに戻った。

 なにやらラッキーは得意げにしているし、トラヴィスはそんなラッキーを見下げ果てた目で見ている。


「身体が不自由な人間を雇えば行政から補助金が貰えるからな。そりゃ経営者ならそうするだろうよ。アンタのところの所長だって、補助金欲しさにアンタを雇ったってワケだ」


 その制度は既に廃止されている。カイエは前の職場で、その制度の終了と共に自分の雇用も終了されたことを未だに忘れていない。

 そんなことなど露知らぬラッキーは「シグルズさんはそんな端金を気にするような、みみっちい金持ちじゃないですけどねえ」と見当違いな事を言っている。


「ボクはそんな人間とは違う。いままで寝る間も惜しんで勉強して、2流とはいえ大企業に、親と同じマナベ・テクノロジーに入ることも決まってた。コネも十分あるし、出世は簡単だろう。なのに、事故に遭った」


 トラヴィスは無言で自分の両手を見た。黙り込んで微動にせず自分の手を見つめるトラヴィスを、ラッキーは無言で見据えながら椅子に座り直した。


 カイエは食べ終えたお子様ランチの皿を先輩の前に置いて、改めてエビフライもどきに手を着けながらトラヴィスに問う。


「トラヴィスさんの腕、義手ですよね」

「なんで分かるんだよ」

眉間に皺を寄せてトラヴィスが問う。


 カイエはフォークを置いて右袖をまくり上げ、肘上までトラヴィスに見せつけるように曝した。肘関節の少し上で保定されたカイエの義手を見てトラヴィスは顔を顰めた。カイエはトラヴィスの表情に一切気を遣わずに、発言を続ける。


「この義手、普通の腕と見た目が変わらないけど、触った感じは普通の腕とは違うんです。シリコンや金属製のフレームで作られてますから。

 でも、あなたがさっきわたしの腕を掴んだとき何のリアクションもしてなかったので。わたしが義手だって知ってても、だいたいの人は触ると驚きますから」


カイエは袖を元に戻し、エビフライもどきに手を戻さずに店の通路に目をやるばかりのトラヴィスに尋ねる。


「義手なのは事故に遭ってからですか?」


 苦々しげにトラヴィスは頷き、テーブルの上に視線をやった。


「事故はかなりヒドくて、死んでもおかしくなかったってあとから聞いた。ボクは助かるために身体のほとんどを機械にされたらしい。食事は、事故に遭ってからとってない。内臓も軒並みやられたからさ」


 それは噂に聞く、脳などの神経系の一部を除いて身体をそっくり機械に替えてしまうという義躰化というものだろうか。以前、情報屋に実在するのか尋ねたことがあるが「都市伝説だよ」と笑い飛ばされたのを、カイエはよく覚えている。

 しかし、身体の維持には不必要とはいえ半年も何も食べていないことにカイエは同情した。

 食事の楽しみを感じられないという点ではラッキーとは話が合うかも知れないと思ったが、ラッキーは食べられずとも食事の時間は楽しいらしいからやはり話は合わないだろう。現にラッキーは、お子様ランチについてきた旗をくるくる回して遊んでいる。


「両親は、ボクの身体が元通り動けるようになるまで家の中で過ごせば良いって。そう言って、リハビリばかりで何ヶ月も経った。腕がどう動いただとか、足がどういう向きで床に着いたかとか、そんなデータばかり取って一向に良くなる気配なんかない。これじゃ来年成人したって家の外に出られそうにない」


 情報屋の話では、トラヴィスは毎日友人と遊び歩いていたと聞いた。先の見えないリハビリに嫌気がさす気持ちは分かる。カイエは別の方面から切り込んでみることにした。

「トラヴィスさんは未成年なんですね。もうに成人しているのかと思いました」


トラヴィスは「今更お世辞を使ったって意味なんてないから」などと言っているが、成人に見られたことにうれしさを隠せていなかった。


「未成年だから『家族』と同居しているだけさ。未成年が一人で生活するのは禁止だからな」

「『家族』の元で育った未成年である以上、成人するまで親からは離れられませんからね」

「コレばっかりは『施設』で育った連中がうらやましいよ」


 トラヴィスは露骨に肩をすくめ、椅子に深く腰掛け直した。突然荷重をかけ直された椅子が、僅かに悲鳴を上げた。トラヴィスはフォークでカイエを指して嗤う。


「どうせアンタも『施設』育ちだろ。そういうのに縁がなさそうだし」

「『家族』と『施設』の間にそんな関係はありませんよ。『施設』育ちの人が大学に進学するのは、未成年のうちに『施設』を出て、親元から通学するケースがほとんどですし」


 発言してから、カイエはまずったことを悟った。勢いでつい言い返してしまったが、トラヴィスは持論にケチを付けられてへそを曲げている。


 旗を回すのに飽きたらしいラッキーがトラヴィスに尋ねる。


「『家族』と同居してるなら、お家に帰った方が良いですよお。そこまでしてトラヴィスさんに気を遣ってるご両親なら、きっと殺そうとしてる何かから守ってくれるですよ」


 これにて一件落着だと言いたげに、ラッキーはひとりでうんうん頷いている。そんなロボットに、トラヴィスは蔑みの目を向けた。


「馬鹿なことを言うな。ボクのことを殺そうとしているのはボクの両親なんだぞ」

「ご両親が? 守ってくれてるじゃないですか?」

不思議そうに聞くロボットをトラヴィスは鼻で笑った。

「ボクの事を何ヶ月も監禁して。これじゃ折角生き残ったって言うのに死んでるのとなんの変わりもない。デバイスも事故で壊れて、友達との連絡手段は全部消えてるってさ。

 実際は違う。デバイスのデータは全部両親に消されたんだ。誰にも助けが呼べないよう、ボクが逃げられないようにしたんだ。だから父親が仕事で外出している間に、母親に薬を盛って、眠ってるスキに家から抜け出したのさ」


トラヴィスは随分得意げに語っているが、それは犯罪なのではないだろうかとカイエは思った。


「疲れてた母親を寝かせてやったんだから親孝行な息子だよな」


 カイエは、トラヴィスの了見が狭くさえなければ「そうでもない」と言うつもりだった。隣に座っている先輩は「そうかもしれない」と納得している。後で色々修正しないとダメそうだと、カイエは内心で頭を抱えた。


「それに、ボクの両親は義躰化技術を使うために違法な手段で情報を手に入れたんだ。だからボクを外に出すわけにはいかないんだろう。自分達の不正がバレるからな。あの両親は今の地位が失われるくらいなら、息子一人監禁するくらい平気でやるさ」


 トラヴィスは腕を組み、眉を寄せてカイエを見る。


「話がそれたな。ボクを助けることについて何か算段はあるか?」

「何と言われましても。トラヴィスさんはご自分がどうなれば『助かった』と思えますか?」

「とにかくボクが両親の元に戻らないことだ。ああ、ボクの友達は当てにならないからな。アイツら、金でも貰えると知れば喜んでボクを両親の元に突き出しかねないからな」


 依頼達成。言い換えれば金を貰うためにトラヴィスを両親の元へ突き出そうとしていたカイエは一瞬動きを止めた。トラヴィスは何も気付かずに話を続ける。


「こんな状況じゃなきゃ、友達でも誘って遊びに行くんだけどさ。連絡手段もないし、酒の飲めるような身体でもないし。どうにもならないよ」


カイエとラッキーの呆気にとられたような視線に気付いて、トラヴィスは慌てて手を振る。


「あ、いや。ボクは未成年だから、そりゃ大手を振って飲むってワケにはいかないさ。でも酒なんか誰だって飲むだろう?」

「いえ、そっちじゃなくて。連絡手段がないと聞いて思い出したんですが、どうやってウチの事務所に連絡を? それに、わたし個人のデバイスの連絡先はお伝えしてなかったと思うんですけれど」


トラヴィスは一瞬呆気にとられた後、気を落として答えた。


「ヘンなヤツからデバイスを買ったんだよ。匿名のSNSに『今すぐ使えるデバイスを探してる』って書き込んでさ。そしたら、前払いした通信料分だけ使えるデバイスってのを売ってくれるヤツがいたんだ。その方が足がつきにくいからオススメなんて言われたら、そりゃ買うよな?」

「その人、どんな人でした?」

「直接会ってはないよ。電話での取引だと男の声してたけど、声なんかいくらでも変えられるし、そもそも声だけじゃ人間かどうかだってわからないだろ? で、ソイツが言うには何か困ったことがあったら調停事務所を頼るといいって。購入してくれたお礼だって事務所の電話番号を教えてくれたんだ。

 事務所に電話した後、デバイスにアンタの連絡先が勝手に追加されたんだ」


便利な世の中になったよなあと感嘆してトラヴィスは自分のデバイスを見る。


 元々個人情報の取り扱いの軽い街ではあるが、個人のプライバシーは保護の対象だと法律で布告されている。

 だが、トラヴィスには悪びれる様子は全くない。カイエは最近の未成年のプライバシーの取り扱いの軽さには、今後も気をつけなくてはならないだろうと気を引き締めた。


「でも、勝手にアンタのデバイスの連絡先が追加されたって事は、アンタのデバイスは誰かに追跡されてるって事だよな?」


 突然、トラヴィスはテーブルに身を乗り出してカイエのポケットに手を突っ込んだ。カイエは抵抗したが、機械の身体の力に敵うわけもない。奪われた自分のデバイスが電源を切られるのを見て、デバイスを壊されなくて良かったと思うことしか出来なかった。

 お子様ランチについてきたジュースを遠い目で啜るカイエには、いち早く仕事を終わらせたいという気持ちしかない。しかし、所長との連絡手段であるデバイスを取られてしまってはどうにもならない。依頼の内容よりデバイスを取り返す方法を思案するカイエに、トラヴィスが話しかける。


「いいことを思いついた。ボクをアルレイズ・インダストリに就職させろよ。両親がアルレイズの技術を盗んだって事をこの身を持って証明すると同時に、その不正の証拠としてかくまって貰うんだ」


トラヴィスの提案を、ラッキーは渋い表情で拒絶する。


「無理ですよお。アルレイズ・インダストリはものすごい一流企業なのです。コネと脅しで入れるような会社じゃないです。不可能ですよお」


なにせラッキーさんを作った会社ですからね。と、よく分からないことを言うロボットを、トラヴィスは蔑みの目で見た。


「ああそうかい。それなら依頼は失敗だな。調停事務所の組合に、オマエらの事務所は人を見殺しにするような連中で、調停員としてふさわしくないって言ってやるからな」


 最近になってようやく評判が『解体寸前』から『非常に悪い』にランクアップした事務所が、そんな苦情を言われたとあっては、今度こそ事務所は解体されかねない。

 それでもできないことはできないと小声で口答えする先輩を置いて、カイエが答える。

「わかりました。ひとまず、わたしのデバイスを返してくれませんか? うちの所長は結構いろんなところにツテがあるんです。亡くなった所長のお父さんは、アルレイズグループのどこかの主任研究員だったと聞いてます。だから所長に連絡を取れば」


「ボクを見くびるのもいい加減にしろよ。知ってるんだからな。オマエのところの所長がアルレイズ嫌いだってのは! それなのにそのロボット! アルレイズの商品を使ってるヤツのツテなんて信用出来ないね!」


 カイエはなんと言葉を返すべきか分からなくなっていた。

 この街では生活のあらゆる部分にアルレイズ・グループの製品が使われている。1日でもアルレイズに触れずに生きていくことは不可能だと断言できる。

 言葉を失った後輩の代わりに先輩が喋る。


「NXS-50は魅力的な新製品! アルレイズ嫌いの所長でも思わず買っちゃうくらい優秀で素敵な製品って事ですねえ。うーん、さすがはラッキーさんですよお」


 カイエは店内に留まるためにわざと1つ残していたエビフライもどきに、大量のソースを掛けて頬張った。ろくに噛みもせずに飲み込んで、勢いつけて立ち上がる。


「それじゃ行きましょうか依頼主様」


 すっかり自分の思い通りに事が運びそうだと満足しているトラヴィスが、ゆっくりと立ち上がった。

 食事の会計はカイエしか食べていないことを理由に、彼女ひとりに押しつけられた。


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