04 夫婦ゲンカは最新型ロボットにおまかせ(※効果には個人差があります)
ミリィが息子の部屋へ調停員達を案内した。
部屋の中は家出をした青年の部屋とは思えないほど整っている。ミリィが片付けたのだろうか。ベッドも机の上も綺麗に整えられている。木製のタンスの上だけが、入りきらなかった服でごちゃついている。どれも遊びに行くときの服だろう。派手な色彩をしている。
何か自分にできることはないかと尋ねるミリィに「ここから先は我々の仕事ですので」とシグルズが一蹴する。
カイエが慌てて「困ったときは声を掛けます」と付け加えると、ミリィは少し安堵した様子を見せて部屋を去った。
「所長。いくらなんでも」
カイエの発言は、所長によって遮られた。
「ラッキー。貴様どういう了見で俺の許可なく出歩いた?」
「ラッキーさんは後輩をおむかえにいったのです。迷子になったら大変ですからねえ!」
胸を張って答えたラッキーの頭頂部に、シグルズの拳が振り下ろされた。
「二度とこんな馬鹿な真似をするな。お前は事務所の備品だという自覚を持て」
「うう……。事務所の一員として頑張ったのに……」
ロボットには痛覚も、涙を流す機能もないはずだが、ラッキーは泣きそうな表情をして両手で頭を抑えている。
「所長は先輩が誘拐されないか心配してるんですよ。アルレイズ製の最高機種のロボットなんて、一般人じゃまず買えない高級品なんですから」
「心配してるなら、どうして所長はラッキーさんを殴るですか?」
「言っても聞かないからじゃないですかね」
まだ不服そうなラッキーを置いて、カイエはシグルズへ言い直す。
「所長、いくらなんでも困ってる人に、あの言い方はあまりにも冷たいんじゃないでしょうか」
「レギンと繋がりのある人間に、配慮する必要があるのか?」
部屋の物色をしながらシグルズが答える。彼の両親と婚約者の仇であるレギンに繋がりがあると言われれば、シグルズの態度はカイエにもわからないでもない。
「あの男と依頼人に繋がりについては、あくまで噂程度だと情報屋から聞いてますけど」
「お前はまたアレの言い分を鵜呑みにしているのか」
シグルズは肺の中の空気を全て出し切ったのではないかと思うくらい、深く息を吐いた。
「いいか。アレを過信するな。さっさと他に信頼できる情報屋を見つけろ。お前の嘘を見抜く能力なら簡単に見つけられるだろう」
上司の発言にカイエは素直に「はい」と返事をする。
後輩は上司に撲たれていないのを見て、ラッキーが小声で文句を言う。
「言っても聞かないのは、カイエも同じじゃないですかね」
先輩の小言を流して、カイエは所長に尋ねる。
「レギンの事を夫妻に聞かなくて良いんですか? わたしが嘘かどうか確認できますけど」
「唐突にレギンの話を出すよりは、依頼を解決して信用を得てから色々聞く方が確実だろう。今回は依頼の解決が先決だ」
タンスの引き出しを閉めたシグルズが、カイエとラッキーに向き直る。
「息子の捜索はお前達に任せる。俺は別行動だ」
「別行動って、依頼はどうするですか? 所長だけひとりでおやつを食べに行くのです?」
部屋を出て行こうとする所長に向かって、ラッキーは首を傾げる。
「俺は自分のやり方で依頼を遂行する。お前らは好きにやれ」
言うや否や、シグルズは出て行った。残されたカイエとラッキーは顔を見合わせた。
「行っちゃったのです。いつも自分勝手なのです」
「なにかと忙しいんでしょう。あの人にとっては調停事務所の方が副業みたいなものですし」
シグルズは両親の遺産で調停事務所を設立したが、運営するための費用は投資や不動産で稼いでいると情報屋から聞いたことがある。
カイエとしてはこの街で生活していける給料が毎月貰えれば、給料の財源については特に気にするところではない。むしろ調停事務所を経営しつつ不労所得で生計を立てるシグルズの手腕に、舌を巻くばかりだ。
「所長は不思議な人ですよお。不労所得で生きていけるのに、わざわざ仕事をするなんて」
「お金があれば生きていけますが、それだけでは生きていけないのも人間ですから」
カイエは所長が閉めた引き出しを開ける。中には半年前の交通事故についてまとめたノートがあった。今時珍しい、紙のノートだ。
中には、今朝情報屋に見せてもらった記事と同じ物が印刷して貼られている。どれもこれも『重体』『意識不明』等と、綺麗な書体で気の滅入る言葉がページいっぱいに書かれている。
隣の引き出しには薬が入っていた。医者から処方された何種類もの薬は、どれも飲まれた形跡がない。大量の薬の中から鎮痛剤を見つけたカイエは、使わないなら貰えないものだろうかと考える。しかし、調停員の自分がそんな事を要求してはいけないと、薬の入った引き出しを閉じる。
一方、ラッキーがベッドの布団を引っぺがすと、何かが音を立てて床に落ちた。
ラッキーは床に這いつくばってベッドの下へ腕を伸ばし、触れた物を引っ張り出した
「ありゃ。デバイスが落っこちちゃったのです」
ラッキーから差し出されたデバイスをカイエが受け取る。デバイスはバッテリーが切れているようで、電源が入らない。
樹脂製の手にいくらかの埃がついたラッキーは、カイエにウェットティッシュで指先を綺麗にして貰う。
誰も見つけられなかった発見に、ラッキーは胸を張りながら後輩に提案する。
「トラヴィスさんのですかね? 捜索に使えそうですし、持ってっていいか聞いてみましょう」
逆に考えると、置いていったということは今のトラヴィスには重要な物のではないだろうか。一瞬、カイエはそう思ったが、他にめぼしい物もないのでラッキーの案に乗ることにした。
カイエとラッキーがトラヴィスの部屋から出ると、グリッツとミリィが言い争いをするのが聞こえた。
隣の部屋で聞こえなかったのが不思議なくらいの声量に、カイエは高級マンションの防音性の高さに感心した。そして争う夫婦の間に突撃しようとする先輩を、まず他人が割り入れるような話なのか窺うべきだと止める。
夫婦はトラヴィスの家出について話しているようだが、どうも様子がおかしい。グリッツの表情には余裕がなく、ミリィは先程より更に青ざめている。
「こんなことになるならアレに位置情報システムを埋め込んでおくべきだった」
ロボットは盗難被害や遺失防止のために位置情報システムが入っていることが一般的だ。
一方、生身の人間に位置情報システムを埋め込むのは人権侵害であり、よほどの前科がない限り埋め込まれることはない。
グリッツの発言を聞いてミリィが金切り声を上げる。
「なんてことを言うの! あの子は善良な人間でしょう! あの子を、」
耐えきれなくなったラッキーが飛び出したのをカイエは止めきれなかった。ラッキーは両者の間に割って入り、彼らに負けぬほどの大声で叫ぶ。
「二人とも落ち着いてくださいよお! 今そんなことを言ったってどうにもならないじゃないですかあ!」
「ご、ごめんなさい。ウチの先輩がご無礼を」
カイエが慌てて謝罪すると、グリッツが苦笑を見せた。
「いえ。無礼などとんでもない。心配をおかけして申し訳ない。NXS-50は本当に素晴らしいですね。それに比べて……」
グリッツは後ろで控えていた自分のロボットを見た。コート家のロボットは、ラッキー同様に人間そっくりの外見に青い肌をしているが、無表情に事の成り行きを見守るばかりで微動だにしない。
「そうでしょう。なにせアルレイズ社の最新型ですからねえ!」
状況を察しているのかいないのか。先輩が自慢げに振る舞うのをみて、後輩はもう一度謝罪するべきだろうかと頭を抱えた。
ミリィもまたラッキーとコート家のロボットを見比べてから、ラッキーに向けて微笑みかける。
「ラッキーさん、でしたか? 本当に人間のように振る舞われるのですね」
「ラッキーさんは人間そっくりに動くロボットとして開発されたからトーゼンですよお!」
「先輩。そのくらいで止めときましょうね。さっきも自己紹介したんだからもういいでしょう」
ラッキーはふんふん頷いて「確かに2回も自己紹介をするのはお利口さんのすることじゃないのです」と同意した。
グリッツは自身の持つロボットから鞄を受け取ると、リビングにいる全員に呼びかける。
「さて、私はこれから仕事があるので失礼しますが、後のことは調停事務所の皆様にお任せしてもよろしいでしょうか?」
この場にいない所長に代わってカイエが頷く。
力強く頷いた彼女を見て、グリッツは微笑んでリビングを後にした。
玄関のドアが閉まったと同時に、ミリィがソファに崩れるようにして座った。
「大丈夫ですか?」
「少し気が抜けただけ。大丈夫よ」
カイエの声かけにそう答えたミリィは浅い呼吸を続け、冷や汗をかいている。嘘では無いようだが、カイエには大丈夫には思えなかった。
彼女には他人の発言が嘘かどうかを見抜けても「本人が本心から本当だと思っていること」はたとえ本当のことでなくても判断できない。
例えば不治の病にかかった人間が「自分の病気は治る」と本当にそう思って発言していれば、カイエには相手が嘘を言っているとは感じない。
立場は逆になるが、カイエはミリィに茶を勧める。先程ミリィ自身が淹れた茶は、カイエ以外誰も手を付けていなかった。
言われてようやく茶の存在を思い出したとばかりにミリィが微笑み、茶に口を付けた。カイエも同じようにした。すっかり冷め切った茶だったが、それでも優しい香りと甘みを感じる。
茶を飲めないラッキーはつまらなそうな視線を二人に向けてから、コート家のロボットの顔を両手で挟んで押した。
「こら、へなちょこ。ちょっとは仕事をするですよ。持ち主とその奥さんがケンカしてるのをどうして止めないですか」
「先輩! 人の家のロボットになにしてるんですか!」
NXS-50程ではないだろうが、マナベ・テクノロジーのロボットだって相当な高級品だ。まかり間違って壊しでもしたら、カイエの年収ではとても足りない額の弁償が必要になるに違いない。
カイエは大慌てでティーカップを机に戻し、人の家のロボットからラッキーを引き剥がしたが、ラッキーは腕を振り回して抵抗する。
「なにするですか後輩! ラッキーさんはこれから先輩として、コイツにロボットのなんたるかを教えてやらねばならないのです!」
「ヘンなこと言わないでください! 先輩の方が新機種なんだから、このロボットから見たら先輩の方が後輩でしょう!」
ラッキーは上げていた腕をスッとおろし、顎に手を当ててカイエの発言について考え込みはじめた。おとなしくなった先輩を放って、カイエはソファに戻った。
「すいません。お恥ずかしいところを何度もお見せして」
カイエはミリィに深く頭を下げたが、ミリィの表情は優しいままだ。呆れられているのではないだろうかと思うとカイエからは何も言えなかった。
ややあってからミリィの口が開いた。
「私がお手伝いできることはありますか?」
「トラヴィスさんの部屋でデバイスを見つけたのですが、お借りしてもよろしいですか? それから、捜索のためにトラヴィスさんの写真をできるだけ多く欲しいんです」
ミリィが頷いたのを見て、カイエは借りたデバイスをポケットにしまった。
ミリィの目線を受け、コート家のロボットはパソコンを立ち上げると、唐突にラッキーの左耳を引っ張った。そうして露わになった接続端子とコート家のパソコンとラッキーを繋いで、トラヴィスの映像データを渡し始めた。
ラッキーは事前了承無しに他人の家のパソコンに繋がれたことに憤慨し「そういうことをするなら、事前に一声言って欲しいですよ。変なウイルスに感染したり、ランサムウェアでも仕込まれたらどうしてくれるですか」とぶつくさ言いながら、眉根を寄せたまま喋らなくなってしまった。
カイエはラッキーの眉間に、持ち主である所長のような皺がつかないか心配になってきた。
誰も喋らなくなったリビングの空気はカイエに重く感じられた。調度品の高級感は圧迫感に変化し、喉首を締めてくるような気さえする。気分転換と情報収集を兼ねて、カイエは再度口を開くことにした。
「トラヴィスさんは、どうやって事故に遭ったんですか?」
「あの子、夜に街中を歩いて事故にあったんです。車通りが少ないところを見計らって車道を渡ろうとしたところを轢かれたのだと治安局の方は話してました」
「運転していた人は捕まったんですか?」
尋ねられたミリィは一瞬表情をこわばらせたが、やがて落ち着いた口調で答える。
「ええ。治安局や会社にいる友人達のおかげで早々に捕まりました」
これは嘘だ。犯人は捕まっていないと、カイエは直感で悟った。
「トラヴィスさんはリハビリを嫌がっていたとか、そういったことはありましたか?」
ミリィの表情と声色がさっと暗くなる。
「お察しのとおり、リハビリには熱心ではありませんでした。リハビリが上手く行けば元の通りに身体が動かせると何度も説明しました。
ですが、どうしてリハビリが必要ないくらい健康な身体に戻してくれなかったんだと言われては、返す言葉がなかったんです」
嘘偽りの無い言葉に、カイエは左手で自分の右腕を掴む。血や肉でなく、シリコンや金属で出来た義腕だが、リハビリを通して思いどおりに動かせる感覚と触覚を得た腕だ。元通りに動けるようになりたくはないのだろうか? 働いている両親がいることで医療費には何の心配も無く、しかも両親ともリハビリを手伝ってくれるという恵まれた環境の中で、何故抵抗するのだろうか。
カイエには全く理解できない。
「あの、大丈夫ですか?」
ミリィに声をかけられてようやく、カイエは自分の顔に力が入っていたことを知った。茶を飲んで笑ってみせたが、取り繕えてはいないだろう。
カイエは話題を変えるために、自分の右腕から意識を逸らした。
「なかなか難しい息子さんなんですね」
「『家庭』で育てたのだから、いつか親心が分かる日が来ると期待していたんですが、難しいものです」
「『家庭』ですか」
カイエが目を丸くしたのを見て、ミリィが微笑んだ。
「ええ。私も夫も『施設』育ちですが、二人で相談して『家庭』で育てることにしたんです」
恐らく人生で初めて『家庭』育ちの人間に会うことになると知ったカイエは、『家庭』育ちの人間がどんな存在なのかもっと聞きたかった。
しかしとっさに質問が出てくるものでもなく、悩んでるうちにラッキーが「データの受け取りが終わりましたよ」と、未だ機嫌悪そうに言った。すっかり気を悪くした先輩の機嫌を直すべく、カイエは明るく声をかける。
「お疲れ様です先輩。それじゃ、事務所でトラヴィスさんを探す作戦会議をしましょうか」
「作戦会議!」
ラッキーは途端に表情を明るくして、気に入った単語を繰り返した。
「いいですねえ。作戦会議! すごく調停事務所っぽくていいですねえ」
カイエは噛みしめるように頷く先輩を後ろからやんわり押して進み、いなくなった息子を案じるミリィへ一礼する。
そうして、コート家に充満する重苦しさから逃れるように、ふたりはアリア調停事務所へと足早に向かった。