03 依頼の受け方(アリア調停事務所式)
フェイルセーフを後にしたふたりは、高層ビル群の間を歩いて進む。
位置情報とナビ機能を内蔵しているラッキーが、依頼主の自宅への道を先導する。
しかし、道ばたに落ちた空き缶を面白がって蹴飛ばすロボットの後ろをついていくのは、カイエには面白くなかった。止めるように言ったのだが「最後は捨てるから問題ない」と言われてはカイエはそれ以上何も言う気にはなれなかった。
店に入る前よりは人通りは増えているが、それでも道を往くのは人間より機械のほうが多い。それでも蹴られるごとに音を出す空き缶と、最新型のロボットが空き缶を蹴っ飛ばしているの光景は人の注目を集めるには充分だった。
カイエはその中に、家を持たずにビルの合間に住む人からの視線に気づいた。暗がりに溶け込むその姿は、洗濯や風呂とはしばらく疎遠なようだ。年齢はおろか、性別すら分からない。その人は早朝からの騒音の発生源――ハイクラスの最新型ロボットへ、怨嗟を込めた視線を送っている。カイエは身を小さくし、足早に歩き去るしかなかった。
空き缶が転がるのにラッキーが飽きる頃には目的地に到着した。
カイエは蹴られたままラッキーに放置された缶を上着のポケットにしまってから、依頼主の家を見上げて先程の情報屋の話を確信する。誰がどう見たって、高所得者向けのマンションだ。近くに来てから見あげても、最上階が見えないくらい高い。やはりスーツで来た方が良かっただろうか。せめてオフィスカジュアル程度の服は持っておくべきだったかと、カイエは内心後悔した。
ラッキーは四角いボディに明るい黄色の警備ボットを指さして、カイエの上着の裾を引っ張る。
「所長の言ってたボットってアレじゃないです? ほら、昨日言ってたアレです」
アレというのは、昨日の所長から「入り口付近にいる警備ボットにIDカードで身分を提示しろ。話は通してある」と説明されたことだろうとカイエは思い至る。
IDカードを入れたのはどのポケットだったかと、上着のポケットを漁るカイエに、ラッキーが自慢げに話しかける。
「警備ボットのように何かの仕事に特化されて開発された『ボット』より、人間同様に色々できる『ロボット』のラッキーさんの方がすごいと思わないですか?」
「だからって先輩が警備ボットと警備の機能で張り合ったって勝てないでしょう。時速60Km以上での移動、侵入者をテーザー銃で撃つとかできないでしょう? あんまりバカなこと言ってると警備ボットに撃たれますよ」
「ラッキーさんは悪いことしてないから問題ないですねえ。というか、先輩にバカって言うのはどういう態度ですか!?」
憤慨する様子のラッキーを見て、所長が常日頃からこのロボットに事務仕事をさせるばかりで、外に出そうとしない理由がカイエにも改めて理解できた。この態度をするエロボットをそのまま調停業務に当たらせたら、仕事が増えるに違いない。
ようやくIDカードを探し当てたカイエが警備ボットにIDカードを提示すると、警備ボットから「ついてくるよう」に自動音声が流れる。
警備ボットにも音声を認識、記録する機能が備わっている。さっきのラッキーの発言はケンカを売ったと認識されていないのか、カイエは疑問に思う。それとも警備ボットを貶すような発言には、無反応なのだろうか。
ロボットにせよボットにせよ、それらの思考回路の仕組みについて詳しくないカイエはそれ以上考えるのをやめ、警備ボットが1つも文句をいわずに案内してくれるのに感謝することにした。
先輩にもこの態度を見習って欲しいと言いたかったが、先程言葉遣いについて指摘されたばかりなので、やめておいた。
マンションのエントランスは閑散とし、人の住んでいる気配を感じられなかった。受付に2体配置されたロボットにもIDカードを提示すると、1体のロボットが立ち上がって訪問客をエレベーターまで案内した。
上階へ向かうエレベーターへ乗り込むと同時にラッキーはカイエに尋ねた。
「さっきからロボットしかいないですけど、ここってホントに人がいるですかね?」
「住んでるだろうけど、全部の部屋にってワケじゃないんでしょう」
カイエは扉が閉まり、自分達を見送る受付のロボットが見えなくなってから小声で答えた。エレベーターの中にある監視カメラや録音機を思えば、大きな声で話すべき内容ではなかった。
「行政が10年くらい前から人口増加計画に基づいて人間を増やしてるハズだから、住むところは必要ですよね?」
「こういうところに住める人が増えてないってことです」
カイエは先程見かけた、ビルの間で雨風をしのぐ人を思い起こした。彼女自身、今の仕事に就けなければ同じような生活を送ることになっていただろう。
やるせなさと自分の運の強さを感じながら、カイエはラッキーとともにエレベーターから降りた。
到着したフロアでカイエとラッキーは、自分達を見ている人物にすぐに気付いた。
調停事務所の所長のシグルズだ。
彼はロビーのロボットから部下達が来る連絡を受け、部屋のドアの前に立っていた。
長めの黒髪に黒いスーツ、ネクタイから革靴まで黒いとあっては、依頼主へ無駄に威圧感を与えないかとカイエは心密かに案じた。
「おはようございます。所長」
「入れ。依頼主が待っている」
カイエが挨拶しても、シグルズは仏頂面の眉間に皺を寄せたまま応じた。
彼がいつもより不機嫌なのはラッキーの目にも明らかなようで、ロボットはそっとカイエの背後に隠れた。
所長は他に何も言わなかった。ただ、カイエとラッキーは、部屋に上がった所長が土足なのを見て、カイエの自宅と違って土足で入れる家だと推察し、ふたりで黙って上司の後ろをついていった。
依頼人の部屋のリビングはカイエのアパートの2部屋分ほどあり、品のあるグレージュのカーペットが全面に敷かれている。調度品はどれも木製で、窓から差し込む光を反射して静かな光沢を放つ。
カイエはカーペットを踏むのを躊躇い、廊下からリビングに入らずに1度立ち止まった。しかし、所長から鋭い一瞥を受け、そっとカーペットを踏んで部屋へと入った。
依頼主を前にして、所長は僅かに頭を下げた。
「部下の到着が遅くなり、申し訳ない」
ラッキーが「自分達は遅刻していない」と主張するのではないかとカイエは心配したが、ロボットは何も発言しない。所長と場の雰囲気のどちらに気圧されているのかは分からなかったが、とにかく余計なことを言わないことに安堵した。
「いえ、時間どおりですよ。そもそもこのようなお早い時間にお招きしたのはこちらですので、どうか気を楽にしてください。いま来られたお二人に改めて自己紹介を。私がグリッツ・コートです。マナベ・テクノロジーで役員を務めております」
グリッツ・コートと名乗った中年男性は、いくらか顔に皺があるものの、気品を感じる穏やかな笑顔で客人を迎え入れた。茶色の髪は乱れ無く整えられ、髭も綺麗に剃られている。大きな企業の役員と聞いていたので、威圧的なのではないかと身構えていたカイエは、物腰柔らかな対応に内心の警戒を解く。
「カイエです。初めまして」
カイエが名前の他に何を言うべきか悩んだ隙に、ラッキーが一歩前に進み出て自己紹介を始めた。
「ラッキーです。カイエの先輩なのです」
なにやら誇らしげなラッキーをまじまじと見たグリッツは、朗笑とも苦笑とも取れぬ笑みを浮かべた。
「アルレイズの最新型、NXS-50ですね。本当によくできた機種です。触れ込みどおり、実に人間らしい挙動だ」
褒められて嬉しげな様子を見せるラッキーだが、所長の機嫌は良くならなかった。
「美辞は結構。本題に移りましょう。我々はアルレイズの新商品を売り込みに来たわけではないので」
「ええ。そうでした。私から呼びつけたのに本題をずらしてしまい、申し訳ない」
今度は明らかな苦笑を見せて、グリッツは来客者達に掛けるように進めた。ラッキーも座ろうとしたが、所長がそれを制した。勧められたソファは1人ずつ座るタイプの物で、木製の肘掛けがついている。座る場所はあと2つしか空いておらず、ロボットの座る余地はなかった。
「お客様にお茶をお持ちしろ」
グリッツが向こうの部屋へ声をかけると、やつれた女性とロボットが現れた。ロボットは盆を持ち、客と主人それぞれに茶を配った。流れるような動作ではあったが、目測を誤ったのかバランスが取れていなかったのか、ティーカップからは茶が溢れて菓子が濡れた。
その様子を見たグリッツが「ロボットではこの程度のこともできないのか」と呟いたのを、カイエは聞き逃さなかった。
「失礼しました」
聞こえていた事には気付いていないのか、グリッツはにこやかに謝罪した。
グリッツの隣へ座ろうとしていた女性が慌てて腰を上げ、すぐさま茶と菓子の換えを持ってきた。茶と菓子を配膳する彼女の髪は乱れており、薄く化粧をしているが顔の疲れを隠し切れていない。向かいに座った彼女の目の下には、隈が見て取れた。今にも倒れそうな様相に、カイエは心配になった。
「妻のミリィです。同じくマナベ・テクノロジーの役員ですが、今はその話はいいでしょう。シグルズさんの言われたとおり、本題に移らせていただきます。皆様には、私達の息子を探して欲しいのです」
グリッツが目配せすると、コート家のロボットが大きめのフォトスタンドを持ってきた。画面には、3人の人間が映っている。グリッツとミリィの間に、青年が立っている。髪色は父親、顔立ちは母親似だ。家族写真の撮影で気恥ずかしげではあるが幸せそうにしている家族の姿を、カイエは見た。
「息子のトラヴィス・コートです。一昨日から行方が分からなくなってしまいまして。シグルズさんが調停事務所を運営していたことを思い出し、依頼させていただいた次第です」
今のところグリッツの発言に嘘はないと、カイエには確信できた。
「そうですか。ですが、なぜウチに依頼を? 貴方にはもっと良いツテがあるのでは?」
そして今の所長の発言にも嘘が無いことにカイエはめまいを覚えた。所長は仕事をしにきたのだろうか、仕事を断りに来たのだろうか。それともケンカを売りに来たのだろうか。
グリッツは気を悪くした様子もなく、穏やかな口調で答える。
「それでも何も言わずに受けていただきましたこと、まずは感謝申しあげます。所長さんの指摘のとおり、会社の方で契約している腕利きと言われる調停員や弁護士は確かにおります。
ですが、会社には私の友人ばかりというわけではなく、私をよく思わない者もおります。息子の管理不行き届きを広く知られれば、私の評価の失墜に繋がるでしょう」
自分の息子の心配より自分達の地位を危ぶむのかと、カイエはグリッツに少し失望する。グリッツはそんなカイエの視線に気付いたのか、彼女に向けて微笑んだ。
「ええ。貴女の考えているとおり、私は自分の地位を気にする器の小さい男です。ですが、息子もいずれ私のと同じようにマナベ・テクノロジーでキャリアを積むことになるでしょう。そのときに、親の印象が悪いと、息子の印象まで悪くなってしまう。息子に我々の悪評まで背負わせたくはないのです。
そちらの所長さんは調停事務所を経営されている中では一番若い方です。ウチの息子の友人と言っても、不自然のない年齢なほどに。それで、友人の家出を探すのを手伝ったと、世間的には言い訳しやすいと思いまして」
グリッツの発言には1つも嘘が無い。自分の考えを読まれたことと、グリッツの考えを全く理解していなかったことを思い知らされて、カイエは赤面した。
「すみません」
カイエの謝罪をグリッツは笑って受け入れる。
「お気になさらないでください。それよりトラヴィスのことです。あの子は半年前に交通事故に遭って、身体を悪くしてしまった。上手く走るとか、以前のように身体を動かすことができないのです。元通り動けるようにここ半年ずっと家でリハビリをさせていたのですが、つきっきりで面倒を見ていたミリィが休んだ隙に家を抜け出したようで……」
突如、ミリィが顔を覆って泣き崩れた。
「私がちゃんとあの子を見ていればこんな事にはならなかったのに! ああ、トラヴィス! どこにいったの!」
グリッツは悲痛な面持ちでミリィの背を撫でる。
「私達は、息子が帰ってきたときのために家にいようと思うのです。もし息子が本当に私達のことを嫌っていてそれで家出をしたなら、我々の姿を見れば隠れてしまうでしょうし」
「その方がいいでしょう。我々に一任ください」
人目もはばからず泣きつづけているミリィが、シグルズの手を取った。
「どうか、息子を。トラヴィスのことをよろしくお願いします」
依頼人達から深々と頭を下げて頼み込まれる。
どの言葉にも嘘は無く、本当に息子を案じているのがカイエにはよく分かった。
にもかかわらず、ミリィに手を取られても冷たい視線のままの自分の上司に、カイエは強い不安を覚えた。