02 頼れる先輩(自称)と情報屋
明朝の街中は人通りが少なく、小声でも響く。
ヒビの入った四階立てのアパートを後にして、歩道のアスファルトをカイエとラッキーが歩く。自動車が彼女らを一度追い越した他に、道をゆくものは何もない。
「先輩が『調停事務所は人助けをするところ』って教えてくれたのに、情報屋に会うくらいで仕事をしたくないなんて、『調停員』らしくない行為じゃないですか?」
先を歩くカイエが、先輩であるラッキーの態度を指摘すると、ラッキーはカイエの意見に口を尖らせて反論する。
「確かに『調停事務所』は治安局とかの役所が対応してくれないようなトラブルを調停するのがお仕事です。だけど、怪しくってトラブルメーカーの情報屋を頼らなくったっていいじゃないですか」
「うちは所長と先輩とわたしの3人しかいないんですから。協力してくれる人の手はありがたく借りましょうよ」
ラッキーが「ラッキーさんは事務所の備品扱いだから、ホントは2人ですけど」と不平を言うのを、カイエは「先輩はちゃんと給料貰ってるじゃないですか。備品扱いなのは所長なりの税金対策でしょう」となだめた。
「情報屋はなにか教えるのにお金とりますよお。ラッキーさんを備品にして浮かせたお金を情報屋につぎ込むのは納得いかないのです」
「情報屋は無償のボランティアじゃないんですから。わたし達がトラブルを調停するのに、報酬を貰うのと同じですよ」
「我らが『アリア調停事務所』は貧乏事務所なのだから、情報料くらい負けてくれてもいいと思うです。あの情報屋も世のため人のために役立つべきなのです」
調停事務所は市民のトラブルを解決するのが主な業務だ。そう表現すると格好がつくが、業務内容は『ケンカしてる人の仲裁』、『落とし物を探す』、『いなくなったペットの捜索』、『恋人の浮気調査』、『部屋に虫が出たから退治しろ』等、どこの調停事務所でもそんな依頼がほとんどだ。
しかし所長は「そんな依頼を受けるために調停事務所を設立した訳ではない」と依頼のほとんどを突っぱねていた。おかげで受注した依頼は無いに等しく、断る時の所長の態度の悪さも相まって、調停事務所の組合からの評判はすこぶる悪い。いつ調停事務所の経営許可を取り上げられてもおかしくない状態だった。
カイエが入所してからは、所長がそういった仕事を受けてはカイエに丸投げする事によって事務所存亡の危機から遠ざかりつつある。
だが、依頼はカイエは独りでどうにかなるような案件ばかりではない。そういうときに街の情報屋達の力を借りる。彼らは街に生きる人やロボット、ネットワーク上で厳重に保管されているはずのデータなど様々な情報を扱う。偽装と工作と風説が蔓延するこの街で、価値のある情報を持つ彼らの存在は重宝されると同時に疎ましがられてもいる。
とはいえ情報屋も色々いる。高値で偽の情報を渡す者も、安価で本当の情報を渡す者もいる。そして、前金を支払ったあと音信不通になる者のも珍しいことではないし、そもそも情報屋ではない人間が情報屋のフリをしていることもある。
幸い、カイエにはそういった取引上の『嘘』を見抜くことができるし、なにより信頼できる情報屋がいる。
カイエが特に親しくする情報屋は、大抵『フェイルセーフ』という飲食店にいる。通りに面した窓がないために店内の様子が見えにくく、そのくせドアノブには電子ロックがついているのが、飲食店というより何かの事務所か家なのではないかと思わせる様相をしている。
飲食店だというのはドアの左側に貼られたメニュー表でわかるが、コーヒーの次に焼鳥、その次はアサイーボウルと、料理名が独特な並び方をしている。
ドアの右側にはネオン管を模した黄色のライトが店名を示している。3文字目が壊れたように点滅しているのは店主いわく仕様なのだそうだ。
朝の営業時間の終わりの間近で閑散とした店内は、情報屋と店の隅で飲み潰れた老年の常連客以外客はいない。
カイエの予想どおり、情報屋は『フェイルセーフ』のカウンターに座って一人で酒を飲んでいた。かなり痩せ気味のその男は、しわだらけの灰色のスーツを着ている。しょっちゅう猫背でいるので、背中の部分だけはしわが伸びている。
昼夜を逆転して生活する彼の眠そうな目がカイエとラッキーを捉え、軽い調子でふたりに声を掛ける。
「や、こんな時間に会うのは珍しいな。おたくら揃って兄弟におつかいでも頼まれたのかい?」
「おつかいじゃありません! 所長から頼まれた、れっきとしたお仕事です! あとウチの所長のこと兄弟って呼ぶのやめるのです! 所長、めっちゃ機嫌悪くなるです!」
カイエが口を開く前にラッキーが情報屋に噛みつく。それでも情報屋は、ヒトがいいんだかヒトをバカにしているんだか分からない笑みを浮かべたままだ。
「へえ、こんな朝早くから。仕事熱心だね」
そうでしょうとも。見習うべきですと威張るラッキーを無視して、情報屋は半笑いのまま「まあ、過労死しない程度にね。それか頭痛死」と、カイエの方を見て言った。その発言に嘘はなく、わりと本気で言っている事に気付いたカイエは苦笑いを返す。
「……嘘偽りのないお気遣いどうも」
「なんの。お得意様に嘘をついたってしょうがないからね。特におたくには、さ」
カイエは情報屋の左隣に座り、店員にサンドイッチとコーヒーを頼む。景気づけにアルコールも注文したらどうかという情報屋の提案は、却下した。
そして情報屋の近くに座ることを嫌がるラッキーを自分の隣に座らせたが、ロボットが自分を挟んで情報屋を威嚇するのに何か言うのは諦めた。
「カイエにウソついたって無駄なのですからね。カイエには全部わかっちゃうのですから」
「はは。それをおたくに教えてやったのは私だろう」
発言、というより情報屋の存在がもう気に食わないと言わんばかりのラッキーを左手で制して、カイエが情報屋に尋ねる。
「昨日の夜に頼んだばかりで悪いんだけど、「グリッツ・コウトについて分かったことはある?」
カイエの問いかけに、情報屋より先にラッキーが答える。
「当然なのです! マナベ・インダストリーの役員! 営業戦略課の課長で、ファラウェル大学の経済学部卒業生。これくらいわかりますよお。なんたってラッキーさんは、総合企業、アルレイズの誇るロボット部門、アルレイズ・インダストリの最新型! 最新機種NXS-50ですからね!」
唐突に自画自賛で締めた先輩に対し、どう返せばいいのか絶句するカイエをよそに、情報屋は拍手と半笑いでラッキーの仕事っぷりを称える。
「わあすごい。社会人4年目にして学生時代からの付き合ってた彼女と別れて今の奥さんと付き合ったことと、グリッツが昇進する際に同期でライバルだった男が一人未成年とのスキャンダルが発覚して消息不明になってることと、いまのマンションは奥さんと折半してローン無しで一括購入したことと、グリッツの息子が来年成人することも当然知ってるわけだ」
ひとつ、またひとつと情報が出てくる毎に、ラッキーの表情が徐々に苦々しげ(ロボットに味覚はないが)になっていく。
「……そんなこと知らないですよぉ」
ラッキーはそうこぼして、怪訝な表情で情報屋を睨む。
カイエが見るかぎり、今のところ情報屋の話す内容に嘘はない。
「はは。このくらいは誰でも調べられるとも。調査能力が足りないんじゃないか?」
だが、カイエにはこの発言はすぐに嘘だとわかった。
「いや、それは嘘でしょ。何かアクセスが制限されてるところにでも侵入しないかぎり、そこまでプライベートなことは分かりようがないはず」
「……余計な事を喋りすぎたかな?」
「それも嘘。単に話したかっただけでしょ」
カイエの指摘に、情報屋は肩をすくめて鼻で息を吐く。
「やれやれ。友達無くすぞ」
「今のは!?」
ラッキーが勢いよく情報屋に指を指すのを、カイエが手を取って降ろさせる。
「アレは本気で言ってますね」
自分だって友達いなそうなのに。とラッキーに言われたのを、「そろそろ話を戻していいかな?」と情報屋は流す。
「さて。マナベ・インダストリといえば、ロボット企業の最大手の一つだ。そこの役員とあれば、それなりに情報はあるが、ちょっと探して見つかるのは、お行儀の良さそうなものばかりだね。グリッツの社内の評判とかは詳しくは知らないけど、最近有名なのはやっぱりコレかな」
そう言って情報屋は自身のデバイスをカイエに見せる。交通事故の記事が表示されている。それも半年前に起きたもので、轢いた犯人は逃げて捕まっていないとある。
記事にひとしきり目を通してから、カイエはグラスに残る酒を飲み干した情報屋に尋ねる。
「重傷で病院に運ばれたってあるけど、この車に轢かれた人が依頼主?」
「いいや。プライバシーの関係とやらで年齢や性別は伏せてあるが、轢かれたのは依頼主の息子だ」
情報屋は空になったグラスを軽く振る。カイエは何か頼むか聞いてみたが、情報屋は笑って首を横に振った。
「それじゃ、息子を轢いた犯人を捜して欲しいってこと?」
「さあ? 依頼内容までは分からないな。ただ私としては息子の方に特別に興味があってね」
情報屋が誰かに特別に興味を持つということは、その人物がろくでもない状況にあるということだ。カイエは身を持ってそれを知っている。
「彼はここ半年ほど家から出ず、誰にも会っていないそうだ」
SNSにもよく書き込みをしてたんだけど、事故後は一切その痕跡もないねと、情報屋は楽しげに言う。
「息子はね、夜な夜な友人たちと遊び歩いてた不良少年だよ。未成年の夜間外出禁止時刻とかも全然気にしてなかったみたいだね。何度も補導されたみたいだけど、金でも払ったんだろうね。公には記録が残ってないよ。ああ、事故に遭ったのも夜だ。友人と遊んだ帰り道だったみたい」
発言の全てに嘘がない。なんの違和感も無いことに、逆にカイエは違和感を覚えた。
「随分と詳しいけど、もしかしてグリッツ・コウトにはあんまり興味がなくて息子の方ばかり調べてない?」
カイエの指摘に情報屋は悪びれもせず笑う。ひとしきり情報は集めているだけに、カイエは文句を言う気も失せた。
「まあね。グリッツの方は最初から成功者って感じで面白くもなんともなくてさ。悪い噂も多少はあるみたいだけど、いまのところ致命的って程ではないし」
「その悪い噂っていうのは?」
「アルレイズの技術を不当に使用してるって噂。使用料を払わないで勝手に自社製品に技術を引き込んでるとか。この技術の引き込みに、レギンも関係してるって噂もあるね」
レギン。その名を聞いてカイエは身を固くする。カイエが右腕を失った、あの研究所での事故。あれはレギンの研究が遠因と所長から聞いている。事故ではなく事件と称されるべきと、所長は常日頃から言っている。
カイエは注文したサンドイッチを右手で掴むも、義手への力の入れ方を誤って少し潰してしまった。情報屋がその様子を見て軽く笑う。
「あくまで噂だよ。今からそんな険しい顔しなくてもいいだろうに」
カイエはアドバイスにならって右手の力を抜くも、サンドイッチから味を感じなくなっていた。ここのサンドイッチは、それなりに新鮮な野菜と培養肉から作られたハムが挟まれたお気に入りの一皿だというのに。
「カイエが険しい顔になるのはお前がウソつきだからです。カイエはたくさんウソをつかれると、頭が痛くなっちゃうのですよ」
ラッキーが情報屋を睨むと、情報屋は鼻で笑った。
ラッキーの発言は、本当だ。カイエは昔から何故か、他人の発言を嘘か本当か見抜くことができる。他人の嘘は違和感として感知されるだけで、なにか根拠があるわけではない。だが、確かに他人の嘘を嘘と判断ができるし、大量に嘘をつかれると、頭痛に苦しむことになるのもカイエにとって事実だ。
サンドイッチを一度皿に戻し、コーヒーに手を着けたカイエの方を見て情報屋が応える。
「知ってるよ。だから私はお得意様を丁寧に気遣って嘘をついてない。そうだろう?」
「いや……今のは嘘でしょ。別に丁寧に気遣って嘘をついてないって訳じゃない……」
情報屋は見抜かれることを分かっていて、こういうしょうもない嘘をつく。彼との会話は、常に自分が試されているようで、カイエは神経を使う。
自分の嘘を指摘されたことに気を良くも悪くもすることなく、情報屋は軽く笑って話題を変える。
「まあ、どんな依頼内容かは知らないけど、兄弟のことを頼むよ」
そうして金を払わずに店を出て行った情報屋が見えなくなってから、ラッキーが呟く。
「所長は兄弟じゃないって言ってるのに。なにが兄弟ですか、ねえカイエ」
後輩からの同意を求めたその呟きは、サンドイッチを食べるの集中している後輩には聞こえていなかったようだ。ラッキーは後輩が食事を終えるまで、黙って鎮痛剤の包装を指先でいじり続けた。
カイエはラッキーがちっとも面白くなさそうな表情をしているのに気づいている。だが、気づかないふりをして食事を続けてる。起きた時よりひどくはないが、未だに頭が痛いし、なにより早く薬を飲んで依頼主の元に向かうのが、一番いいと思えた。