00 日常の終焉
『昨日より良い明日を』。そうスローガンを掲げる企業の研究所は、凄惨としか言い様のない光景を示していた。業務時間中のはずが、停電した館内は暗く、何かが焼け焦げたような嫌な臭いがあたりに漂っている。
カイエは廊下の様子をそっと伺う。照明を消された廊下は見通しが悪いものの、人の気配は無い。ひとまずの安心を確認して、彼女は息を殺して研究室を後にする。
廊下には白衣を着た研究員とロボットの警備員が倒れていた。どちらも床に倒れたまま動く気配はない。ロボットの青い手が研究員の首を絞めたままになっているのを、できるだけ見ないようにしてカイエは進む。
怪我をした友人の為に救急箱を探さなければ。
深手を負い、研究室に独り残された人はもっと恐怖を感じていることだろう。自分の感覚よりも、するべき事を優先して彼女は進む。
ようやくたどり着いた事務室のドアを少しだけ開けて中を覗く。誰もいない事を確認して、カイエは音を立てないよう慎重に事務室へと入る。
幸い、救急箱はすぐ見つかった。合成樹脂で出来た半透明の救急箱は、ぞんざいに机の上に置かれていた。
探す手間が省けたことに安心して、右手で救急箱を持ち上げた途端、鋭い音と衝撃がカイエを襲う。
思わず目を閉じたカイエは、一体何が起きたのかと目を開ける。
彼女が火薬と焼けた樹脂の臭いが、中に入っていたのが薬や包帯ではなく、爆弾だったことを理解するのに、時間がかかった。
持ち上げたハズの救急箱は、原型を留めないほど壊れて床の上に散らばっていた。
そして、救急箱を手にしていたカイエの右腕もまた、肘から先が原型を留めていなかった。
「あ――、ああ!!」
カイエは耐えがたい痛みと恐怖の中で絶叫した。自分の血が床に流れるのに怯えて目を閉じ、床に膝をついた。背を丸めて右腕をかばうほか、どうすることもできない。
痛みと恐怖と、友人を助けられない己の無力さに、カイエは泣いた。
不意に、カイエは右腕の痛みが薄れていることに気付く。同時に、誰かが背中を撫でているのを感じた。
いまだ目を開けられないカイエの耳に、落ち着いた声が聞こえる。
「大丈夫だ。キミは助かる」
自分の聴覚と背を撫でる手の優しさ、嘘のないその言葉を信じて、カイエは目を開いた。