第30話 カローナ精兵の末路とティボーの甘やかし
「何が起きた⁉ 状況報告‼」
カローナの精鋭部隊の部隊長は、今にも装備を脱ぎ捨ててこの場を立ち去りたい、強烈な衝動に曝されながら、その使命感と職責から、辛うじて正常な意識を保っていた。
しかし、部下の隊員たちは
「ああああ‼」
「イヤだイヤだイヤだイヤだ‼」
「死にたくない‼ おかあさ~~ん‼」
精強な兵が見るも無残に精神を崩壊させ、その場にうずくまっていたり、隊列から無断で離れてその辺りを走り回る。
「何かの精神感応系統の魔法があのトゲの山から発せられているのか?」
状況を整理すべく、部隊長は独り言ちたが、それに対して反応する部下や副官はいない。
原因はどう考えても、轟音と共に前方から、ほぼ間髪を入れず後方からも音がして出現したトゲトゲの山だ。
そのトゲトゲの方からの凄まじい殺気は、普通の人間ならとうに発狂してしまってもおかしくはない。
部隊の状況を見て、部隊長は決断を下す。
どう見ても、このまま進軍することは不可能だ。
撤退だ。
部隊長も酷い体調不良の中、回らない頭でなんとか結論を出す。
「撤退だ‼ 撤退‼」
この時の部隊長の指令は、至極単純なものであった。
部隊長も精神汚染と体調の劇的な悪化に伴い、まったく余裕が無かったためだが、これが部隊の悲劇をより加速させていく。
「「「 ああああああ‼ 」」」
上官からの撤退という指令に、隊員たちは了解や指令の復唱さえせずに我先にと脱兎のごとく逃げ出した。
それは、軍の撤退という整然としたものではなく、文字通り蜘蛛の子を散らすような、泣きべそや失禁をともなった敗走だ。
しかし、彼らを情けないと非難するのは筋違いだ。
それだけ、トゲトゲの山から発せられるプレッシャーや殺気は恐ろしいもので、この反応は生物として当たり前のものであった。
故に、彼らができるだけトゲトゲの山から距離を取りたいと、本能的にゼネバルの森の奥の方へ踏み入って逃走を図ったことは、攻めることは出来ない。
ゼネバルの森を分け入ってしばらくして、トゲトゲの山から距離が離れたことで、部隊長はようやく平常な精神状態へ復帰した。
進軍時からどんどん悪化していた体調不良もウソのように無くなった。
どうやら、他の部隊員も同じようで、荒い息をしながらも、先ほどの恐慌状態がウソのように落ち着きを取り戻しつつあった。
しかし、恐怖の源から解放されたことに安堵したのも束の間。
「うぎゃっ‼」
と松明を持った部隊員に黒い大きな影が襲い掛かった‼
「どうした⁉」
「うわぁあああ‼」
「魔物が‼ ま……ギッ‼」
そこかしこから、部隊員の悲鳴が上がる。
「明かりを持っている奴が魔物に襲われてるんだ‼ 松明を捨てろ‼」
松明を持っていた部隊員は慌てて、その場に松明を捨てる。
しかし、時刻は夜間。
状況は月明りも届かない森の中。
漆黒の闇の中で、足元の悪い森の中では、前方を歩いている部隊員の姿すらよく見えない。
その結果、隊列から離れてしまう部隊員が出てくる。
そうして群れからはぐれてしまった小羊から……
「うぎゃああ‼‼」
「イギィィィイ‼」
「クピッ‼」
精神崩壊寸前の状態だった先ほどの恐慌状態と比べれば、今は精神状態としては一応は正常な状態の部類と言えるだろう。
しかし、精神が壊れていないが故に、魔物にいつどこから襲われるのか分からない恐怖もまた、人の精神を蝕み削り落としていくものであった。
暗闇の中、最早どれだけの人数が落伍せずついてきているのか、そもそも敗走する方角は合っているのか、部隊長にも最早わからない。
そんなことを悩んでいる間にも、周囲からは、魔物が襲い掛かる際の草木の騒めきや部隊員の悲鳴や苦悶の声が聞こえる。
しかし、どうすることもできない。
見捨てて先に進むことしかできないことに、罪悪感と絶望感と無力感をいだきつつ歩を進めていく内に……
呆気なくその時は訪れた。
体に衝撃を受けたかと思うと、自分の身体が引き裂かれたのを感じたところで、部隊長の意識はゼネバルの森の闇に塗りつぶされた。
◇◇◇◆◇◇◇
(ザワザワッ)
天幕の外の喧騒の音で、目が覚める。
私は天幕の下で、くるまっていた毛布をどかして起き上がると、大きく身体を伸ばした。
昨日はメギアの町への道中、結局往路も復路も寝ていたのに、夜は夜でぐっすり眠れた。
しばらく警戒体制は続くから、私も起きていようかとしたんだけど、ティボーに
『寝ていなさい、何かあったら起こしに行くから』と言われて、現地本部にある天幕の中に押し込まれたのだ。
天幕の外に出ると、多くの人がまだ忙しなく動き回っていた。
そりゃ、戦争になるかもだったんだし、また攻撃が来るかもと警戒するのは当然だよね。
みんな徹夜だったんだよね…… 私だけ寝ててごめんなさい。
「ん……あれ? いい匂い」
朝の晴れやかな風に乗って、いい匂いが鼻に届けられて、グゥとお腹が鳴った。
そう言えば、昨夜はゴタゴタのせいで夕飯を食べそびれてしまったんだった。
私は匂いのする方向へフラフラと誘われていくと、そこには思った通りの人物が炊事場にいた。
「ティボー、おはようございます」
「おはようございますアシュリー」
ティボーは吊るし型の即席の囲炉裏で火の火加減を見つつ、鍋の中身をお玉でかき混ぜていた。
「ここでもティボーが炊事を取り仕切ってるんですか?」
「戦のために、皆には温かいものを食べさせなくてはなりませんからね。御当主様の補佐は一時的にエレナに代わってもらっています」
そう言いながら、手袋をつけた手で、網の上でパンを焼いたり、鉄板で燻製肉を焼いたりとティボーは手際よく、大人数の料理を作っていく。
「戦と言っても、結局あの後は何もなかったのですが」
あの後とは、私が寝させてもらった後のことを指しているのだろう。
「誰か、こちら側に辿り着いた人はいましたか?」
「いいえ、今のところは一人も」
ティボーは首を横に振りながら答えた。
「そうですか……」
あの、街道に閉じ込められたカローナの軍の人たちが生き残るための最も可能性のある最善手は、敵であるドラン側へ向かってゼネバルの森を突っ切ることだった。
ドラン側の方が距離も近いし、トゲトゲを生やしたエリアが狭いからだ。
なお、トゲトゲから少し離れる程度では精神崩壊は免れないから、ゼネバルの森のある程度は中に入らなくてはならないから、その場合でも犠牲は出るだろうけど。
「敵側に逃げるという発想や決断は中々できないですよ。混乱していたのなら尚更無理でしょう」
「そうでしょうね」
ドラン側にまで辿り着いたら捕虜になるとしても、命は拾えたのに。
ドラン側は実質無傷みたいなものなんだから、捕虜にも寛大に対処してくれただろうし。
「アシュリーは昨晩は、よく眠れたのですか?」
「ええ、ぐっすり」
「本当に?」
「そんなウソつきませんよ」
私が力こぶを作って笑ってみせる。
「昨晩、あなたを天幕に入れた後に、御当主様と私は気に病んでいたのですよ。アシュリーを戦争に巻き込んでしまって」
「昨日のは宣戦布告もされてないから、正式には戦争ではなかったのではないですか?」
「人の命のやり取りをしたという意味では同義です。あなたにいらぬ重しを背負わせてしまった」
「う~ん。そこは私も昔は悩みましたけど、そういうのにはとっくに自分の中で折り合いがついています。別に、今までも王城で私の設置したトゲトゲトラップは、多くの人の命を刈り取ってきましたから」
「そう……なのですか?」
「私が、王城で働き始めて自分のトゲトゲトラップで初めて間者を亡き者にした時は、人を殺めてしまった恐れと同時に、『役に立った』という充実感を確かに得てしまっていた自分への驚愕に吐きそうになりましたけどね。ちなみに私が15歳の時です」
「…………」
ティボーは何も言えず、私の目を見つめていた。
「トゲトゲトラップは幸い、人の命を刈り取る瞬間の手応えは感じませんし、その瞬間の映像を間近で私がこの目で見ることもほとんどありません」
王城に勤めていた時はスパイと思われる人がトラップで殺められたら報告をしていたので、通知だけはオンにしていた。
まぁ、報告しても「何だそれは妄想か?」と一蹴されていたけど。
今は、スライムだけは魔石回収のために例外として、通知が来るようにしている。
「けど、他の人は違います。剣で人を斬った人は、一生その時の手応えを憶えているでしょう。相手を斬り殺す時のシーンを何度も夢に見るでしょう」
「だから、自分が……と」
「はい。負担感が少ない者が汚れ仕事を引き受ければ、それが最大幸福じゃないですか。そう思ったら、何だか自分が誇らしく思えて、自分を嫌いにならずに済みました」
「そんな貴方に王城側は報いてくれたんですか……?」
ティボーは何だか苦しそうに私に尋ねてきた。
「その点は、別に私の自己満足だからいいんです」
「良くないです‼」
珍しくティボーは冷静さを欠いている。
それを証拠に……
「ティボー、パンが焦げてますよ」
「そんな事はどうでもいいです!」
しょうがないのでパンは私がひっくり返したが、パンはギリギリ焦げたとまでは言わないけれど、焼き色がかなりキツ目でカッリカリあった。
「どうしたんですかティボー? 料理にはいつでも真摯に向き合うあなたが……」
「今、真摯に向き合うべきは貴方だからです」
え……それ、口説き文句ですか?
朝から心臓に良くないです。
「いいですかアシュリー、私は貴方にとても感謝しているんです。御当主様は、貴方が来てくれてから、目に見えて明るくなられました」
あ、やっぱり御当主様への愛ゆえですね。
さっき、私口説かれてる? って勘違いしかけた私はとんだピエロです。
「ドランの民は皆があなたに感謝しています。その事を忘れないでください」
「は…… はぁ」
飲み屋さんでは、領民の人たちからよく声を掛けられるから、知ってますけど。
皆が私に一杯奢ろうとしてくるから、毎回断るのが大変なんです。
あ、けど、夜中に屋敷を抜け出しているのはティボーには一応内緒にしてるんですよね。
ほぼほぼ、バレていそうなんですが。
「まだピンと来てないようですね。それだけ無自覚なら解りました、私にも考えがあります」
私が夜な夜な、飲み屋に繰り出して和んでいることをティボーに知られていないか、ヤキモキして中途半端な返答をしてしまったのを、ティボーは私が解っていないと解釈したようだ。
「やはりアシュリーはもっと甘やかす必要があるようですね」
「……え?」
あ、甘やかす⁉
な、なんでしょう?
できれば、ちょっとドキドキさせてくれるようなものを所望しますよ。
「手始めに、あの件を正式に御当主様に進言するとしましょう。昨日の功績もありますからちょうど良いです」
「あの件? 私を甘やかすのにアルベルト閣下の許可が必要なんですか?」
どうやら私の期待した不健全な路線ではない模様です。
「アシュリー。貴方を正式に、ドランの聖女に任命することとします!」
「……は?」
なんで聖女となるのが私への甘やかしになるのです⁉
私、聖女って言われるの嫌いだって言ってたでしょ‼
あ、いや言ってなかったかも……
やっぱり、自分の心の内を相手に伝えるって大事だなと私は思った。




