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第26話 崩壊への足音

「この大バカ者どもが‼」


 応接室の上にあった、豪華な装飾が施されたシガーボックスが空を飛び、前に座る男達の顔の横を抜けて壁に当たり、バラバラに壊れる。


 応接室の隅に控えていた執事が、慌てて散乱したシガーボックスの欠片や葉巻を片付ける。


「グレッグ。此度の問題はどうケリをつけるというのだ? 事の発端は、貴様の愚息の縁談をドラン側へ申し出たのが今回の事態を招いたのだ‼」


「申し訳ありません。ブレン様」


 シガーボックスを投げつけられた内の初老にさしかかった男とベンは平身低頭に頭を下げる。

謝罪の弁を述べた初老の男性、メンフィス商会の代表であるグレッグ・メンフィスは謝りながらも、内心ほぞを噛む思いだった。


 そもそも、今回の婚姻はブレン・カローナ伯爵からの言外の指示があってのことなのだ。


『カローナとの結びつきを強めるために政略結婚をさせたいが、うちの長男は跡継ぎで、次男は他家との縁談がまとまりそうで駒が足りぬ。何とかならぬものか?グレッグ』


 と言われたため、グレッグ代表はカヴェンディッシュ領の子爵家であるバーンズ家に目をつけて、自身の息子との政略結婚を企てたのだ。


 メンフィス商会としても、貴族との親族関係が出来るのは箔が付いて悪くないことだとグレッグ代表は思っていた。

 当時は、商会の次期代表の長男であれば、カローナとドランの今までの関係性を考えれば釣り合いが取れているとも考えていた。


 しかし、いざ打診をしてみたら……である。


 はた目には、身分不相応な縁談を申し込んだメンフィス商会にドラン側が怒り、そのため通商関係に影響が生じたという風に周りは受け取った。


 周りにもこの件が漏れているのは、メンフィス商会がエレナ・バーンズと次期商会代表との縁談を打診時点から周囲に匂わせていたためなので、これは単純にメンフィス商会側の自業自得ではあるのだが。


「お前の愚息の無礼な態度が、相手の逆鱗に触れたのではないのか? まったく……植民地の扱いも知らぬとは」


 ネチネチとブレン伯爵がグレッグ代表を責め立てる。


「申し訳ありません。ブレン伯のお手を煩わせることになってしまいまして……御用商人失格でございます」


「ふん。お前の報告によれば、ドランは敵対的な態度を取って来たのだろう」


「あ……いえ、そういう訳では。ベン、そうだな?」


「は……はい」


 先ほどから、父親のグレッグの横で青ざめていただけのベンが、ようやく声を発する。


「ドランは、別に交易や商売については、他とは区別せずに申請すれば許可すると……」


「それが敵対的な態度と言っておるのだ‼ この愚か者が‼」


 灰皿が宙を舞い、今度はベンの側頭部に直撃する。


「う…… ぐ……」


 ベンは呻きながら側頭部からの出血を手で抑え、応接室のソファを汚さないように必死である。


「対等な立場をドランが求めてきているということが、すでに反逆の意志ありと捉えずしてどうする‼」


「し、しかし恐れながらブレン伯。今まで前提としてきた地政学上の条件が、あまりに激変してしまったのです。認識を変えねば……」


 腐っても商人であるメンフィス商会は、利害関係者の相関関係から、今までのような条件、態度ではドランが首を縦に振るはずがないことは解っていた。


「もうよい‼ 言い逃れはたくさんだ。後はこちらで始末をつけるから下がれ‼ 忌々しい。ここらは政治の出番だ」


 今日三度目のブレン伯爵の噴火が起きる前に、グレッグとベンは慌ててブレン伯爵の前を辞した。


 この場合の『政治』というものが何を意味するのか、グレッグとベンはその真意を悟り青ざめつつも、事態がまた自分たちの思い描く理想に戻るかもしれないという淡い期待がない交ぜになった、何とも言えぬ気分で伯爵邸を後にした。



◇◇◇◆◇◇◇




 トゲトゲの無くなったアルバート城は、周囲にあったトゲトゲの威圧感がなくなり、すっきりして、外観だけは穏やかに見える。


 しかし、王城内は今、しっちゃかめっちゃかな様相であった。


「なぜ外貨収入が減っている⁉」


「なぜ必要な資材が手に入らないのだ⁉ これでは軍の運用に差し障るぞ」


「なぜ、治水工事を後回しにしていた箇所に限って氾濫が起きる⁉」


「なぜ、要衝なのに工事困難の山間箇所の橋梁が落ちる⁉ 耐用年数的にはまだ大丈夫なはずだろう!!」


 ここ数か月間で様々な国難がアルバート王都には降りかかって来ていた。


別に災害が発生している訳ではないのに、様々な対応困難な事案が次々に発生しているのだ。


「これが今日中に見て欲しい至急決裁案件だそうだよ」


 フェルナンド王国筆頭魔術師は、至急決裁を求める決裁文書の束を未決の棚に置きながら、執務机で書類の山へ向かって声をかけた。


「あ……ありがとうフェルナンド」


「ポーラ、お疲れだね。一息ついてはどうだい?」


 フェルナンドは婚約者であるポーラ・アルバート第2王女の身を案じる言葉をかけた。


「だ……大丈夫よ。これくらいの難局くらい、乗り越えてみせるわ」


 そう力強い回答を返すポーラであったが、その顔色は悪く、頬がこけている。


「はい、紅茶を淹れたよ。一息つこう」


「ありがとうフェルナンド。ごめんなさいね、王国の筆頭魔術師のあなたに、秘書のような仕事をさせてしまって」


「僕は構わないよ。婚約者と一緒にいれる時間が増えて大歓迎だよ」


「もう……」


 ポーラは愛しの君からの甘い言葉に嬉しそうにして、少し表情が和らぎ、紅茶を口にしてホウッと息を吐いた。


「たまには息抜きも必要だよ。今日の決裁書類は僕が目を通して押印しておくよ」


「そんな……それはダメよ。ルール違反だわ」


「僕は君の身体が心配なんだ。有能な君に、大変な仕事が集中して、もし君が倒れでもしたらそれこそ、この王国はおしまいだ」


 真剣な顔でフェルナンドは誠実そのものという顔で、ポーラの手を握りながら諭す。


「ありがとう。でも、これは王女の務めだから……」


「君は王女である前に、一人のか弱い女性だ。神様じゃない。無理をしたら倒れてしまう」


「フェルナンド……でも私がやらなきゃ」


「く……こんな時に第1王女が頼りになれば君だけがこんな思いをしなくて済むのに……」


 フェルナンドが口惜しそうに言うと、


「あんな姉、最初から頼りにしていないわ。最近はより一層、部屋にこもるようになってしまって」


 ポーラは吐き捨てるように言う。


「けれど、ポーラが八面六臂に大活躍しているから、きっと王も継承順位について正式に変動させるだろうね」


「そうね。そのためにも私がんば……」


「頑張る前に今日は休んで。ほら、目が眠たそうだよ」


「そんなこと……あ……でも、本当。ちょっと眠気が……最近は仕事が忙しくて寝付きも悪かったのに……」


「身体も休めと言ってるんだよ。ほら、仕事は僕がこっそり済ませておくからベッドへ行こう」


「わかった。じゃ……じゃあ、フェルナンド。お姫様だっこで運んでくれる?」


「喜んで、お姫様」


 恥ずかしそうにおねだりしたボーラ第2王女に、フェルナンドは笑顔で答え、ポーラを抱きかかえて、執務室のすぐ横の寝所へ運んだ。


 ポーラ第2王女はフワフワとした幸福感に満たされながら、ベッドに横たわると、そのまま安心したように瞼が落ちて、すぐさま深い眠りに落ちた。


 しばらく、その様子を笑顔で眺めていたフェルナンドは、スースーとポーラが寝息を立て始めると静かに寝所を後にした。


 寝所のドアを静かに閉めると、フェルナンドは未決の棚から文書の山を自分の執務机に置いた。


 何件もある文書を掻き分けていると、お目当ての決裁書類が見つかったのかニヤリとフェルナンドは笑い、最終決裁権者であるポーラ第2王女の決裁印を押した。


 フェルナンドは後の書類を適当に中身も確認せずに決裁印をポンポンと押し、決裁済みの棚へ移した。



(コンコン)



 ドアがノックされ、フェルナンドは書類の棚から離れた。


「入るよポーラ」


「また貴方ですか、マナ第1王女」


 部屋に入って来た人物に、フェルナンドは顔を顰めた。


「あなたに用はない……ポーラは?」


 マナは珍しく、嫌悪の表情を浮かべる。


「ポーラは今お休み中です。伝言でしたら私が承りましょう」


「あなたは信用できないからいい……」


「妹気味の婚約者の私が、随分お気に召さないようですね」


「あなたは何を考えているのか分らないから」


 これには、言葉通りの意味と隠された意味があった。

 心を読めるマナが、このフェルナンドの心だけは読めないのだ。


 それが、マナには不気味で仕方がなかった。


「いずれ分かる時がきますよ」


 微笑みながらフェルナンドが返すと、マナは無言でポーラの執務室を出て行った。


 自分の部屋に戻って、バタンとクローゼットの扉を開けて、中に入りマナは暗闇の中で座り込んだ。


「助けてアルベルト……」


 マナは自分を抱きしめながら、声を押し殺して泣いた。


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