第11話 引きこもりの第1王女
「一体なにがどうなっているのだミスターα?」
「ああ。ミズ∑。俺も大変戸惑っている」
暗闇の廊下を月明かりがわずかに二人の姿を晒す。
姿をわずかとはいえ白日に晒す行為は某国のスパイエージェントらしからぬ行為だが、それも無理からぬことであった。
「王城の警備がザルもいいところではないか‼」
「恐るべきアルバート城というのは、我々が抱いていた幻想だったのか?」
「城の外縁部にトゲの代わりに設置されていた魔法トラップは、ひどく稚拙で無効化も容易だったし」
「無効化時のアラーム術式すら組み込まれていなかったのには驚かされた」
「あれでは簡単に城内に入れてしまうし、侵入者があったことすら分からない。最初は、あえて外縁部の護りを薄くして、城内に誘い込むのが目的なのかと思ったが……」
「城内も結局、外縁部と同じ魔法トラップがあっただけだったな」
二人の背負った背嚢には、いくつもの機密情報の書類を転写した紙束や、宝物庫や隠し通路の場所すら記載された城の詳細な設計図の写しといった、重要情報が詰まっていた。
「暗殺部隊と思われる者たちの根城もあったがもぬけの殻だったな」
「今日はきっと暗部全員参加の慰労会でも開かれていたんだろうな。おかげで認識阻害の魔道具まで設置できた」
ミスターαは思わずジョークを口にしながら頭を抱えていた。
決して困っているからではなく、予想と現実との大きなギャップに脳が混乱をきたしているためだ。
「本国へ帰投して報告だミスターα。アルバート城は砂上の楼閣であったとな」
「じゃあ、今までのエージェントの失踪は何だったんだ? 失踪した中には手練の…… 俺の同期でトップだった奴もいたのに」
「それについて頭を悩ませるのは本国の参謀本部の連中だ。今は、この情報の山を無事に持って帰るのが最優先だ」
「……了解」
闇夜へ音もなく消える二人の侵入者の姿や気配を察知した者は、結局、アルバート城内にはいなかった。
たった一人を除いて。
◇◇◇◆◇◇◇
「さっきの人達は無事に城の外へ抜け出したみたいね。こんなこと初めてだわ」
深夜、天蓋の付いたベッドの上で、一人の儚げな少女が独り呟いた。
「城への侵入者自体が久しぶりだけれど、まさか途中で消滅させられないなんて」
少女は寝返りを打ちながら、更に呟く。
大きなベッドがあって尚も十分なスペースのある寝室で、少女の独り言が響く。
「ど、どうしよう……いつも侵入者はすぐに消滅してるから問題なかったけれど、今回はそのまま逃げられちゃったから、報告しないと…… ですよね」
ベッドの上だが、すっかり眠気が飛んでしまった少女は、ベッドの上に腰掛けて、ウンウンと難しい顔で思案する。
「側仕えの人に…… いや、どうせ私が話したところで、いつもみたいに適当にあしらわれてしまうのがオチでしょうね」
少女は苦渋の決断を下す際特有の、まるで酸っぱい発酵食品を口にしたような表情を浮かべる。
「となると私が直接ポーラに言わないといけませんよね…… 引きこもりの私には荷が重いですが…… ハァ」
やりたくないが自分がやらなくてはならない仕事を抱え込んでしまったことで、胃の奥が重たくなるのを感じて、アルバート王国第1王女であるマナ・アルバートは再び気怠げにベッドに身体を傾けた。
◇◇◇◆◇◇◇
日が昇ってきて朝日が窓から差してきた。
マナは思い身体を引きずるようにベッドから抜け出して、簡単に身繕いをする。
本来、第1王女という立場上、身なりを整えたりする使用人がいるが、マナは他人にパーソナルスペースに入られるのが好きではなかった。
「ふぅ~~」
自室のドアの前で気合を入れてから、廊下を出る。
廊下を歩いていると、すれ違う臣下の者たちが一様にギョッとした顔をした後に、慌てて廊下の端に退いて、頭を垂れる。
(珍しいこともあるものだ)
(引きこもり王女が朝から城内を出歩くとは)
(引きこもり王女も、妹君のポーラ様を見習えば良いものを)
「聞こえてますよ…… っと」
人が離れた所で、マナはボソっと呟いた。
マナは他人の隠された心の内を読み取ることを得意としていた。
しかし、この能力は決して、マナを幸せにするものではなかった。
人が内心で考えている悪意、嫉妬、嘲笑、敵意、殺意、害意
そういったものに過剰に触れすぎたマナは、心を閉ざし、部屋に引きこもるようになった。
しかし、マナとて王族としての責任感を感じていないわけではなかった。
この恵まれた環境が、王族としての重責を背負ってこその対価であるということをマナは解っていた。
今回のことだけで、その負債を全て返せるなんて思ってはいないが……
「あら、こんな時間に珍しい。ようやく堕落した己を省みでもしたのですか? お姉さま」
王族が食事をする専用のダイニングルームに入ると、すでに妹のポーラが書類を片手に朝食を食べながら笑顔を見せる。
が、朝一番に浴びせる言葉が示す通りに、この妹は私の事が大嫌いなのだ。
その点は、妹のポーラも隠そうともしていないので、周囲にはポーラがマナを嫌っているのは解りきったことだった。
「昨晩、城に侵入者がいた」
手早く話を済ませてしまおうと、マナはすぐに用件を話し始めた。
「そのホラ話、子供の頃から聞きあきたのですけど。どうせいつもみたいに、城に侵入者がいたけど消えたと言いたいのでしょう?」
ポーラはため息を吐きながら、オーバーリアクション気味に両腕を広げてあきれの表情を浮かべる。
「ちがう……今回は侵入した人間はちゃんと逃げおおせた」
「は? 消えたってのと何が違うっていうのよ」
途端に険しい顔をしてマナを睨めつけながら、乱暴に言葉を叩きつける。
マナはポーラの鋭い視線に射すくめられてビクッと体を震わせるが、自らを奮い立たせて言葉を続ける。
「今回は賊が侵入して、数十分間ほど城内にいてから、城を後にした。何かが持ち出されたかもしれない。至急、各所に確認を……」
「あり得ないわ。城の内外には私の婚約者のフェルナンドが最新の魔法トラップを設置しているの。賊の侵入なんて絶対に許すはずがないし、いたとしてもすぐに撃退されているわ」
強く言い切る言葉を並び立てて、反論なんて許さないという険しい目で睨むポーラの前で、マナはまるで捕食される前の小動物のように小刻みに震えてしまう。
「まぁまぁポーラよ。魔法トラップはまだ新規に設置運用が始まったばかりだ。問題がなかったかの確認は必要であろう」
同じダイニングルームにいながら空気のように静かであったアルバート7世が、ここで口を挟んだ。
「……わかりましたわ。フェルナンドに確認します」
憮然としながらもポーラは父の言葉に従ったが、依然として眉間には険しい皺が寄せられていた。




