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妖魔の事情②


 昨日はあれから後片付けもせず、そのまま帰されてシャワーも浴びずに寝てしまった。


(幻夜はあれから姿を見せないけど、どこで何をしてるんだろう)


 結羅は帰りに幻夜のいる美容院に寄ってみようかなと、ふと考える。


 そんなことを太悟が知ったら激怒するだろうと思うが、今何故か幻夜と何でもいいから話をしたい。結羅は不安に思う気持ちを誰かと共有したかった。そう思った時に頭に浮かんだのが何故か幻夜だった。



 シャワーを浴びて、支度をしトーストを食べて家を出る。登校中に詩織から『風邪をひいたので今日は休む』と連絡が来た。


 教室に入ると、沙苗が机の上に足を組んで座り、結羅に向けてヒラヒラ手を振っている姿が目に入る。


「沙苗。おはよう」


 昨日と同じ沙苗の様子を見て、結羅は安心する。


 早速授業があり、部活動紹介や初めて購買でパンを買うなど、結羅は新しい学校生活を楽しんだ。沙苗が弁当を持ってきているのを見て、結羅も(お弁当も作らなきゃな)と思う。

 今週末にはテストがあるらしい。


 帰宅時間になり、沙苗と校門で別れる。


 詩織がいないので、住宅街を通る必要はない。昨日とは違う道で帰ろうと歩いていると、突然背後で声がする。


「転んだな····」


 背筋が凍るような、ぞわりとした感覚が結羅の体を駆け巡る。昨日の恐怖が唐突に蘇る。


「こ、『転んでない』!!」


 結羅は太悟に教えられたとおりに言う。


「····転んだな」


「だ、だから『転んでない』!!」


「····昨日転んだ····」


 声が近づいてきている気がして、結羅は恐ろしいながらも思い切って後ろを振り向く。


「『転んでない』!!」


「········」


 すぐ近くの電柱の裏に潜んでいて姿はハッキリ見えないが、昨日と同じく鋭い爪が数本ギラリと光っているのが見える。


 結羅は息を飲んで電柱の後ろを注視する。


 その時結羅の後ろから自転車のベルの音がする。振り返ると小学校低学年だろうかという男の子が、結羅の方へ自転車を走らせてくるのが見える。結構なスピードが出ている。


「わっ!」


 歩道は狭く、結羅は避けるが男の子はバランスを崩し結羅の手前で転倒した。


「····転んだ! 転んだな!」


 結羅は男の子に駆け寄るが、電柱から黒い影が出て来ようとしているのが見えて青ざめた。


 (駄目だ! やられる!)


 結羅はそう思い咄嗟に男の子を守るようにしてギュッと目を閉じる。


 次の瞬間、前方からドスンという鈍い音と「ぎゃっ」という短い声がする。


 そっと目を開けて、結羅は自分の目を疑う。


(こんなところにいるはずないのに····何で?)


 目の前で長い銀髪が風になびいている。白いシャツと黒いジーンズを身に着けた長身の男が結羅の前に後ろ向きで立っていた。


「ぐうう····ガルルル」


 男の前には、漆黒の髪を逆立てた者の頭部がちらりと見える。結羅の目の前にいる男はその者の首を掴んでいるらしく、ジタバタと暴れる宙に浮いた二本の足が、男の後ろ姿越しに見えた。その足は裸足だった。人間のような足だが、爪が長く鋭くて肌はかなり酷く日焼けしているように黒かった。


「····幻夜?」


 結羅は恐る恐る聞いてみる。すると男は相手の首を掴んだまま振り返り、


「結羅、無事か?」


と爽やかな笑顔で聞いた。


 結羅はこくりと小さく頷く。やはり幻夜だった。幻夜が首を掴んでいる者は、口から泡を出して暴れている。幻夜が横を向いたことで、その者の全貌が結羅にハッキリと見える。

 黒く逆立った髪は剛毛そうだ。上半身はむしろのような物を身に着けていて、そこから伸びている二本の腕は、自身の首を掴んでいる幻夜の右手を必死に掴んでいた。鋭い爪が幻夜の腕を引っ掻いたのであろう傷がついているが、幻夜が気にしている様子はない。

 運動部で最大限日焼けした中学生の少年のような外見のその者は、まだ諦めずにもがいて何とか逃れようとしている。腰には黒い動物の毛皮を巻いている。


 この辺りの道路は車通りがわりとあるが、石垣と大きな街路樹に挟まれた狭い歩道は視界が悪い。そのため道路を走る車が結羅たちに気を留める様子は今のところない。


 自転車に乗っていた男の子は、目の前で起こっている様子を見て只事ではないと察したのか、自転車を置いて元来た道を走って逃げていった。


 結羅は座り込んだまま男の子を見送る。その姿が見えなくなると、植え込みに自転車を立てかけ、ゆっくり立ち上がった。


「あなた····“送り狼”?」


 ガゥガゥと呻きながら抵抗している少年の姿をした者は、ギロリと結羅の方を見た。パッチリした目だが目つきは鋭く、野生の獣のようだ。代わりに幻夜が答える。


「知ってるのか、結羅。まさにコイツは送り狼だ。まだこんなスタイルを貫いているのが驚きだが」


 幻夜は釣り上げた魚でも持っているかのように軽々と送り狼を持ち上げ続けている。見た目で言うと成長期を迎えて声変わりをした後の少年くらいなので、体重は相当重いだろう。


「ありがと、幻夜。助けてくれて。ちょっとその人と話してもいい?」


 幻夜はそれを聞いてパッといきなり送り狼の首を離すと、狼はスタッと膝を柔軟に曲げて着地する。そのまま逃げようとしたのを、幻夜が捕まえて今度は両手首を掴み狼の背後に回る。背中に手首を当てられ縛り付けられるような形で、狼はまたもや暴れる。今度は何やらよくわからない言葉を叫んでいる。


 結羅はそれを見て少し気の毒な感じがしたが、敢えて質問する。


「何故私を狙ったの? 昨日転んだから?」


「········」


 狼はパタッと動きを止めて、黙って結羅を睨みつける。


「········お前妙な気配がするから」


 やっと口を開いたかと思ったら、ぞんざいに狼は言い放つ。


「昨日たまたま見かけた時に思った。変なやつだからちょっと脅してやろうとしただけだ」


(····へ、『変なやつ』)


 結羅はその言葉に少しだけショックを受ける。ということは、昨日も詩織ではなく自分を狙っていたということか、と思う。


 幻夜は黙ってそれを聞いている。


 結羅は妙な気配についてはあまり深く聞かないでおこうと思った。大体の察しはつく。


「お前!! いいかげん離せ!!」


 狼は今度は幻夜に向かって吠える。


「言葉に気をつけろ。殺すぞ」


 幻夜が赤い瞳で狼を見据えながら冷たく言い放つ。


 幻夜は愛想の良い時と、素っ気ない時と、冷たい時といろんな顔を持っていると結羅は思う。


 そんな幻夜を見て狼はぐっと大人しくなり、小さな声で言う。


「お前妖狐だな····。なんでこんなヤツとつるんでんだ····」


(『こんなヤツ』····)


 いちいち引っかかる言い方をするな、と結羅は苦笑する。


「俺の許嫁だ。無礼な口の聞き方をすると次は殺す」


 狼はしゅんとして、よく見ると黒くてフサフサした尻尾のようなものが足の間に挟まっている。


 何だか気の毒になって、幻夜に「もういいよ」と言って狼を解放してもらう。隠れている時は恐ろしい存在に思えたが、少年のような姿を現した後は、何となく親近感を覚えて、憎めないような気がしてきた。


「結羅に手を出したら八つ裂きにする。覚えておけ」


 幻夜がそう言ったのが聞こえたのかどうなのか、狼は解放されるやいなや黒い影のように目にも止まらぬ速さで素早く逃げて行った。


 二人になり、結羅は改めて幻夜にお礼を言う。


「助けてくれてありがとう。幻夜が来てくれなかったら無事では済まなかったと思う。····でもよくここにいるって分かったね」


「結羅を探してた。家にいなかったから。今日は休みだから結羅と一緒に過ごそうと思っていた。いろいろな場所で気配を探っていたらここに辿り着いた」


 幻夜の言葉にむずがゆいような気持ちがして、結羅は何となく幻夜が敵とは思えないと思った。結羅に対しては大体いつも優しいからだ。他の者には冷たくても。

 それでも太悟との約束は守ろうと思う。


 一緒に駅へ向かおうとしたら、幻夜がこっちの方が早いと言って結羅を抱き抱える。そのまま街路樹のてっぺんまで一気にジャンプして、次に五本先の街路樹へ移る。街路樹を何本か渡ると、一軒家の屋根に飛び乗り、一気に屋根屋根を駆け抜けていく。あまりのスピードに結羅は驚き、幻夜にしがみつくことしか出来なかった。ものの数分で結羅のアパートの近くまで来た。


「“デート”しよう」


 幻夜は思いついたように、アパートを通り過ぎて勝手にどこかへ連れて行こうとする。


「えっ!? どこに行くの!?」


「良いところだ」


 そう言って結羅を抱えたまま飛び立つ。どのくらい経っただろうか。小さな山の切り立つ崖のようなところへ来ると、幻夜はその上で結羅を降ろした。


「ここなら誰も来ない」


と言ってその場に片膝を立てて座る。


 高さはそこまでないが、それでも断崖絶壁のような場所に降ろされて、結羅は「ひぇっ」となる。しかし帰ることも出来ないので、仕方なく崖から少し離れた場所にちょこんと座る。


 風が強くて、結羅の肩より少し長い下ろした髪も、幻夜の銀髪も乱れるように舞い上がった。『幻夜と話したい』という心を読まれたような気がして、結羅は少し気恥ずかしかった。


「今日は休みなんだ?」


 結羅が聞くと、


「臨時休業だ。サキがコンテストに出るからな」


(サキ····)


 結羅は度々聞くその名前の主はどんな人だろうと気になっていた。


「サキは役に立つ。“トウキョウ”のことをいろいろと教えてくれるからな」


 疑問に思っていたことを何となく聞いてみたいとふと思い、迷ったが結羅は思い切って口に出してみた。


「幻夜は東京に来たばかりなんでしょ? それまではどこにいたの?」


 この質問は純粋に幻夜のことを知りたいだけなので、幻夜に情報を与えることにはならないよね、と結羅は考える。


「····山にいた。ずっと山で眠っていた····らしい」


「眠っていた?」


「ああ。ずっと長い間」


 意外な答えに、結羅はどういうことだろうと思う。幻夜の後ろ姿は姿勢が綺麗で、何となく育ちが良いんだろうなと思った。


 結羅は幻夜のことを少しでも多く知りたいと思う一方で、太悟との約束があるのであまり踏み込めずにいた。



「結羅は何のために生きていると思う?」


 結羅が黙っていると、唐突に幻夜に聞かれ「へっ?」と間抜けな声が出てしまう。


『何のために、生きているか』?


 そんなこと考えたことない、と結羅は思う。哲学の本に書いてありそうな話だ。それでも幻夜がいつになく真面目に聞いているような気がして、少し考えて思ったことを言う。


「生きている理由なんて大げさなもんじゃないけど····ただ私をいつも優しく見守ってくれるお母さん、いつも心配してくれる太悟兄ちゃんを幸せにしたいと思ってる。自分が元気でいることが、自分を想う周囲の人を幸せにするんだと思う」


 答えになっているかな? と結羅はちらりと幻夜の方を見ると、いつの間にか結羅の方に向き直っていた幻夜は、見たことのないような美しく精悍せいかんな顔をしていた。その顔を見て、いつもの幻夜とは別人のようで結羅は思わずドキッとする。


「俺は長く生きているが、未だにその域に達しない。全てがつまらないと思っていたんだ。だから真理を知りたいと思った。単純な好奇心から許されない罪を犯した」


「罪?」


「この世に起こり得る最上の罪だ」


 唐突に一体何の話をしてるんだろう、と結羅は思う。誰かに話したかったのか、それにしては他人事のように淡々と話している。


「人を····殺したり?」


 結羅の思いつく限りの最上の罪は殺人だ。 

 幻夜の妖しい雰囲気の部分に敢えて触れないように、と思っていたが言葉が勝手に口から出た。


「数え切れない数の人間を殺した」


 その言葉を聞いて、これ以上聞いては駄目だと結羅は自分の中で警鐘を鳴らした。手が小刻みに震えている。何故こんなことを聞いてしまったのか、と後悔した。


 結羅の体が震えているのに幻夜は気づいていた。


「何でこんなことを話したんだろうな。結羅が離れていってしまうかもしれないのに」


 幻夜は少し寂しそうに、眉を傾けてふっと笑った。しばらく結羅は何も話せず沈黙していた。


「寒くないか?」


 幻夜に聞かれ、結羅は反射的に答える。


「全然。寒さには強いの」


「ああ、そうだったな」


 幻夜の言葉がひっかかる。『そうだったな』? 寒さに強いことを幻夜に言った覚えはない。


 幻夜は何か知っている、と思った。それでもそのことに関して尋ねる勇気はまだ出なかった。


「そろそろ帰らない?」


 先程の話を聞いてから、結羅は落ち着かない。今日の幻夜は何かいつもと違う。そう思った。


 アパートまで連れて帰ってもらう。部屋には入れないつもりだったので一緒に行こうとしたら断ろう、と思っていたら、意外にも幻夜は結羅をアパートの前に降ろすと、すぐにどこかへ飛び立って行った。


(幻夜····何か元気なかった?)


 いつもの調子が出ていなかったような気がして、結羅は少し気になった。それに過去の話も。


『数え切れない数の人間を殺した』というのは本当だろうか。本当ならどういう状況で? 長い間眠っていたというのも気になる。幻夜は一体何者なのか。確信に至る情報がなく歯がゆい、と結羅は思う。


(でもあの時はあれ以上聞けなかった)


 太悟に話すかどうかも考えものだ。話さない方がいいだろうと結羅は思った。ただでさえ太悟は幻夜を嫌っている。過去の話が嘘であれ本当であれ、良いようにはならない。


 結羅は、幻夜は全て本当のことを言っているのではないかと思っている。太悟の言うように、嘘で混乱させようとしているとはとても思えない。


 部屋に帰り、シャワーを浴びる。気づくとずっと幻夜のことを考えていた。それを自覚してちょっと幻夜のことから頭を離そう、と思い詩織のことを思い浮かべる。

 

(詩織ちゃん、風邪って言ってたけど大丈夫かな)


 部屋着姿でリビングに戻り、スマートフォンを手に取ると、詩織に体調はどうかというメッセージを送った。


 数分後、結羅が麦茶を飲んでいる時に詩織から返事が来る。


『うん。大丈夫。明日は行けそう!』


 それを見て結羅は良かった、と安心する。詩織と距離を取れと太悟に言われたが、結羅は明日からも一緒に帰るつもりだ。頭が痛くなるのは辛いが、それでも我慢出来ないことはない。せっかく出来た友達に嫌な思いをさせることはしたくない、と強く思っている。


 そしてふと、送り狼のことを思い出す。


(あの狼の男の子、妖魔だよね。妖魔同士の縄張り争いについて何か知らないかな)


 結羅は送り狼から何か情報を得られないか、と考え出す。


 幻夜には言えない。一人で狼から話を聞き出せるのか。結羅は太悟に相談してみようと考えた。


 早速太悟に明日の予定を聞く。


 すぐにメッセージが帰ってきた。どうやら明日は河童に再び話を聞くため川崎市へ行くらしい。石田にも会うそうだ。


 河童からも有力な情報が得られるかもしれない。そちらを蹴ってまで、こちらに付き合ってもらうことは出来ないと結羅は思う。


 明後日以降にしてもいいが、太悟も忙しい。まずは明日ダメ元で一人で狼に接触してみよう、と思う。


(詩織ちゃんと別れた後に、あの子の出そうなところへ行ってみよう)


 結羅はそう決めると、作り置きのおかずを冷蔵庫から取り出し一人で夕飯を食べた。その後テスト勉強をし、早めに床についた。


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