不安定な新生活
翌朝、結羅が起きるとスマホに太悟からのメッセージが来ていた。
「太悟兄ちゃん、今日は出かけるのか」
(昨日は結局幻夜は帰って来なかったのかな)
結羅はいつもどおりの身支度をして、朝食をとりながら予定を考える。
春休みの間に生活雑貨を買いに行きたいが、無駄遣いはしたくない。
スマホで口座情報を開く。残高は十万円。続いてプリペイドカードのアプリを開く。現在の入金額は八万三千円。
結羅の生活費はこのプリペイドカードから支払う。自身の銀行口座も持っているが、それはプリペイドカードが使えない不測の事態のためのもので、基本は使わない。
(多めに入れてくれてる)
プリペイドカードへの入金は毎月初めに母親がしてくれる予定だ。家賃やスマホ代は別で、母親の口座から直接落ちるようになっている。
母親のキエの主な収入源は農業だ。村で採れた新鮮な野菜や果物を都会で売るとなかなかの収入になる。
とはいえ冬場は内職のみでほぼ収入がないし、女手一つで東京の学校にまで行かせてくれるキエに、結羅は感謝すると共に申し訳ない気持ちを抱いている。
結羅には元々物欲があまりない。おしゃれにも特に興味がないが、母親にあまりみっともない格好をしないようにと言われているので、一応服装には気を遣っているつもりだ。
結羅は現在15歳。次の一月には16歳になる。
数十年に一度という極寒の年に、雪里村で生まれたとキエに聞いた。出産は自宅で行われ、数日に及ぶ難産だったらしい。
結羅が東京の高校へ進学したのは、キエの強い希望があったからだ。村の近くには高校がなく、一番近い学校へ通うにも毎日車で送迎しなくてはならない。加えて冬場はほとんど休まなくてはならなくなる。
この場所を選んだのは、太悟が住んでいることが決め手だった。
元々勉強することが嫌いではない結羅は、受験勉強に力を入れ見事合格を手にした。
(とりあえず、今日は駅へ行って足りないものを揃えよう)
そうと決まったら早速出かける。
アパートを出て十分ほど歩くと最寄り駅に着く。その途中の昨日詩織と出会った場所に来ると、化け物のことを思い出して身震いする。
(あの化け物の顔……忘れられない。あんなのが人間に化けてそこら中にいるなんて)
結羅は急に不安になり、ゆっくりと歩きながら周りを歩いている人たちをそっと伺い見る。
楽しそうに談笑しながら歩く二人組の女の子たち、携帯に目を落としながら歩くスーツ姿の男性、買い物袋を両手に下げた小綺麗な格好をした中年の女性――。
皆普通の人間に見える。
(必要以上に気にしなくてもいいよね。人が多いところでは表立って襲っては来ないはず)
太悟が言っていた。人間に化けている妖魔は、派手な行動で目立つことを嫌うと。
気を取り直して、駅の周辺にある店でいろいろと雑貨を見てみたが、特に収穫はなかった。
(確か駅の向こう側に有名な雑貨屋さんがあったよね。ちょっと遠いけど、行ってみようかな)
駅を出て徒歩五分ほど進むと、何やら人だかりが出来ているのが見える。集まっているのは女の人ばかりだ。
(何だろう)
人だかりの出来ている店に近づく。そこは美容院だった。そしてそこから出てきた人物を見て、結羅は目を疑う。
(げ、幻夜っ!?)
女の人たちの黄色い声に囲まれて、幻夜が美容院の扉から出てくる。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
頭を下げ、一緒に美容院から出てきた女性に爽やかな笑顔を振りまく。
「また来ます!! すぐに!!」
目がハートになっているその女性は、綺麗にセットされた髪に手を当てて幻夜の近くを陣取って離れようとしない。
その周りを女性たちが囲んでいる。
「私今週予約してるんです! 指名料払ったらゲンヤさんが担当してくれますか!?」
「違う店で予約してるけど、やっぱりこの店にします!」
ゲンヤさん! ゲンヤさん! と女性たちが正気を失ったように騒ぐ異様な光景を唖然と見る結羅。
(ちょっと待って、幻夜は美容師なの!?)
わけが分からず頭が混乱するが、いや自分には関係ないと思い直し通り過ぎようとした時、
「結羅」
という声が。
恐る恐る声の方を見ると、幻夜が片手を上げてこちらに笑いかけている。
結羅にはその周囲にいる女性たちの目が猛獣のそれのようにぎらりと光っているように見えた。
近づいて来ようとする幻夜を見て「ひっ」と結羅は声を上げる。
踵を返して逃げようと思ったが、時すでに遅し。幻夜に腕を掴まれていた。
逃げられないと悟った結羅は、
「お、『お兄ちゃん』!!!! お客さんが待ってるから、お店に戻った方がいいんじゃない!?」
とわざと大きな声で叫ぶように言う。
「え? 妹さん!? 可愛〜い!!」
「美形兄妹ね!」
女性たちが口々に自分を褒めるのを聞いて、結羅は今まで感じたことのないほどの居心地の悪さを飲み込み、笑顔で幻夜の手を払う。
その時、美容院から一人の女性が出てきて幻夜に向かって叫んだ。
「ゲンヤさん! お客様がお待ちです!」
幻夜は残念、という顔で
「結羅。じゃあまた後で」
と言って店に戻っていった。
何とか事なきを得た結羅だが、女性たちに追われないよう足早にその場を去る。女性たちは店に戻った幻夜の姿を見るのに夢中で、その心配は無用だったようだが。
(いろいろと疑問が多いけど、悪いことをしてるわけじゃなさそうだし、あんまり追求しないようにしよう)
ただ太悟が言っていた人に化ける妖魔の条件に、幻夜は当てはまらないようだと結羅は思った。
ようやく目的の雑貨屋に辿り着き、買い物を済ませる。
この店はチェーン店で、おしゃれな雑貨が安く買えることで有名だ。スタンドとゴミ箱とカトラリーセットを買った。
(さっき見た店の半額だった! 全然値段が違うのね)
結羅が満足気に歩いていると、路地裏近くに小さな八百屋があるのが目に入った。路地に並ぶ他の店はみなおしゃれで新しいのに、この店だけが昔ながらの雰囲気を醸し出していた。
(へー、こんなところに村の八百屋さんのようなところがある)
親しみを感じて、結羅は店を覗いてみる。
「いらっしゃい」
店にそぐわない雰囲気の、若く綺麗な女の人が表に出てくる。
その人を見て、結羅はかすかに違和感を覚えた。
(なんかこの人……山のような匂いがする)
「何かお探しですか?」
女の人は親切そうに笑いかけてくる。
「あ、いえ、良い雰囲気のお店だから入ってみただけで」
結羅は愛想笑いをして、両手を横に振る。
「あら、ありがとうございます。この店は曾祖父の代からここにあるんですよ。随分古びているでしょ。でも他のお店はどんどん入れ替わっても、うちだけはずっとここで商売を続けられているんです」
「そうなんですね。そんなに長いこと。繁盛しているんですね」
「それがそうでもないのに、何故か運が良くて。今日もお客さんは貴女が初めて。良かったらゆっくりして行かれません? ちょうど頂いたお菓子でお茶にするところで。お急ぎですか?」
村ではお邪魔した先で長居することがよくあったが、都会もそうなのかと結羅は思う。
今日は暇なのだが、初対面なのにあまりにも図々しいかと断るつもりだった。しかし結局女の人に押し切られてしまった。
奥に通され、品の良い和菓子と熱い緑茶を出される。
女の人は絹という名前らしい。
「古風でしょ? 子供の頃はよく友達に言われたわ。うちの家は古くさいって」
「そんなことないと思います。上品で素敵なお名前」
「ふふふ、ありがとう。うちは他の家とは違うことがたくさんあるの。祖父母も父も母も、昔ながらのしきたりを大切にしていたわ」
絹は部屋の上部にある神棚を見上げる。
「あれもそう。うちの守り神」
結羅は神棚を見上げる。実は部屋に入ってから、ずっと気になっていた。あれは何を祀っているんだろうと。神棚は他の家でも見たことがあるが、あれは他のものとは何か違うと感じていた。
和菓子を食べて、お茶もなくなり結羅は帰ろうとしたが引き止められ、お昼までご馳走になり、結局日が暮れるまで話に付き合うことになった。ほとんど絹が喋り、結羅は聞き役に徹していた。絹は随分強引な性格のようだと気づいた時にはもう遅かった。
「日が暮れてきたので、そろそろ帰ります」
「良かったら夕飯も食べていらっしゃいよ。せっかくだから」
結羅が帰ろうとしても、その度に何かしらの理由をつけて引き留めようとする。
(そろそろ本当に帰らないと、太悟兄ちゃんが心配する)
結羅は焦るが、絹はお構いなしに冷蔵庫から何やら出している。ここは電波が悪いらしく、スマートフォンが全く使えない。
その時
「すみません」
と表から声がする。
「あら、お客さん。はいはーい」
絹は手に持ったものを台に置き、表へパタパタと出ていった。
(この隙に出ていこう)
と、結羅は荷物を持って表に出る。
表で絹と話す人物を見て、結羅は驚く。
「結羅。仕事が終わったから一緒に帰ろう」
絹の前には、そう言ってにっこり微笑む幻夜の姿があった。二重人格なのか? と思うほど、初対面の時とは別人のように愛想がいい。
しかし正直困り果てていた結羅は、幻夜の顔を見て少し安心したのは事実だ。
「あら、彼氏さん? 素敵な方ね」
「いえ、許嫁なんですよ。僕たち」
幻夜はいつの間にか近くへ来て、結羅の腕を持って引き寄せ、肩を抱いた。そういうことに慣れていない結羅は、いちいち意識してしまう。なぜこうも気軽に出来るのか、と思う。
「ち、違うって!」
「あら素敵ね。結羅さん、照れちゃって。可愛い」
ふふっと絹は笑い、快く解放してくれた。のは良かったが、絹から離れた後も肩を抱く幻夜。出会ってからあまり経っていないのに、この馴れ馴れしさは何なの!? と結羅は戸惑いが隠せない。
「ちょ、ちょっと! 大声で兄妹宣言したんだから、肩を抱いて歩くのはおかしいでしょ!!」
「俺は『兄妹』と言った覚えはない」
先程とは少し口調が変わる。人前と使い分けているのか、と結羅は思う。
「そうだけど! あなたのファンに私が殺されるじゃない!」
「犬神の生贄にされそうになっていたところを救ったのにつれないな」
二人が通りを並んで歩いていると、道行く人々が振り返る。
「犬神!? あれは犬神を祀ってたんだ。生贄って何のこと?」
「あれは相当な数の怨念が籠もってるな。犬神に贄を与え続ける限り家は栄えるが、途絶えると没落する。つまり今でも贄を与え続けてる」
「確かに商売が長く続いてると言ってたけど、栄えてるとは言い難いような……」
結羅は奥の部屋を思い出す。
(でも確かに調度品は高級そうだったし、食器も……)
「八百屋は表向きで、裏の商売をしてるんだろう。俺が行かなかったら危なかったぞ」
結羅は絹の笑顔と異様な強引さを思い出してぞっとした。
「それは……一応ありがとう」
結羅は口ごもるようにお礼を言う。何となく幻夜にお礼を言うのは抵抗がある。見返りを求められそうだからだろうか。
「きっちり脅しておいたから、もう二度と関わってくることはないだろう」
そう言う幻夜の顔を横目で見ながら、
(脅していたようには見えなかったけど)
と結羅は思う。
しかし救われたのは事実のようだ。
「それにしても、さっきから周りの人の視線が痛いんだけど……。人に化けられるなら、何で目立たない容姿にしなかったのよ?」
結羅は全く人の視線を気にしない幻夜を見て呆れるように言った。その辺の芸能人よりも美しい容姿をしている自覚がないのか。
「これが俺の本来の姿だからな。目だけ色を変えてるが。特に問題があるとは思わない。気配も完全に人間のものにしている」
そういえば、目の色が薄い茶色になっていると結羅は初めて気づく。銀色の髪はそのままだが、これは幻夜の中では問題ないのかと基準を疑う。確かにこの辺りではいろいろな髪色の人がいるが、流石にここまで目立つ長い銀髪はそう見ないだろう。
「既視感があるな」
気づくと隣を歩く幻夜がじっと結羅の顔を見ていた。
「え!? 何!?」
いちいち幻夜の行動に敏感に反応してしまうのは嫌だが、結羅とは性格が違いすぎるようで、行動が読めないので仕方がない。
「初めて会った時から思っていたが……結羅と話していると、外見を含めて懐かしい感じがするが、以前にどこかで会ったことがあるか?」
そう言いながら幻夜は首を傾げる。
(こんな派手な見た目の人、一度会ったら忘れるはずないと思う。女の人を口説く時の常套句みたい)
「私は全く感じない。会ったことはないと思うよ」
結羅は乗ってはいけないと、ハッキリと言い放つ。幻夜は少し思い出すように考えていたが、まあいいかというように「そうか」と言った。
アパートの近くに来ると、太悟が二人の姿を見つけて駆け寄ってくる。
「結羅!! 何で電話に出ない!? 心配したんだぞ!! それと……」
ジロリと幻夜を見て、
「何でお前が結羅と一緒に帰ってくるんだ!!」
と、ブチギレ寸前の太悟を結羅が慌ててなだめる。
「じ、実は電波の届かないところにいて……。危ないところを幻夜が助けてくれたの」
太悟はそれを聞いて驚き心配する。
「危ない!? まさか妖魔に襲われたのか!?」
「うん……それが……」
結羅は事の経緯を太悟に説明した。
「犬神か。また厄介なやつに。生贄は人間ではないと思うが、特殊な価値観を持つ者たちだからな……無事に帰って来られて良かった」
太悟は再びジロリと幻夜を見たあと、
「今回は助かった。お前を完全に信用したわけじゃないが、結羅に危害を加えないという言葉は信じる。だが必要以上に何も知らない結羅を脅すな」
と言う。
それを聞いて幻夜はふんと笑った。
三人はアパートに入り、先に太悟と幻夜が二階で降りる。
結羅は三階で降り、部屋に向かう。
(なんか今日も大変だったなぁ。今まで妖魔なんて出会ったことなかったのに、ここ最近立て続けに出くわしてるもんね。あ、でも絹さんは人間なのか。ちょっと変だったけど)
絹からかすかに香っていた山のような匂いは、獣の匂いだったのかなと結羅は思う。
(絹さんに犬神が取り憑いてるってことなのかな。家を栄えさせる犬神……。人間にとって良いものなのか悪いものなのか。絹さんにとっては良いものなんだよね)
部屋に入り鍵をかけると、荷物を置いてふうと一息つく。この後、太悟の部屋に用意してくれている夕飯を食べに行くことになっている。
(お腹空いたな。お昼はあんまり食べられなかったから)
キエに釘を刺されているのもあり、後ろめたい気持ちを抱きながらも、家には何もないことから、有り難くお邪魔させてもらうことにする。
(太悟兄ちゃんに甘えっぱなし。このままじゃ駄目だよね……)
行く前に飲み物だけでも持っていこうと、コンビニへ行く。2リットル麦茶と1リットルパックのオレンジジュースを買い、太悟の部屋へ向かう。
部屋の前でインターホンを押すと、すぐにドアが開き幻夜が出てきた。我が家に招くような振る舞いだ。一緒に中へ入ると、良い匂いが漂ってくる。
廊下に面した小さなキッチンで、太悟が黒いエプロンをつけて調理している。
「わぁ、ハンバーグ!?」
結羅は目を輝かせて言う。
「結羅の大好物だろ?」
太悟は左手にフライパン、右手にフライ返しを持ちニッと笑う。
結羅は靴を脱いで、フライパンを覗きに行く。見ると大きなハンバーグが二つ、じゅうじゅう音を立てている。表面はまだピンク色だ。
「あれ? 二つ?」
結羅が言うと、太悟は
「コイツは食わない。人間の食事は基本的に取らないらしい」
と素っ気なく言う。
幻夜は結羅の背後で腕を組み、先程と同じ袖まくりした光沢のあるライトグレーのシャツ、白っぽいジーンズを身につけスラリと立ち、同じくフライパンの中を見ている。
「人間の食べ物は食べないって……じゃあ何を食べるの?」
結羅は幻夜を見上げて恐る恐る聞いてみる。
幻夜はそんな結羅を見てふっと意地悪く笑うと、
「美女を虜にして魂を食べるんだ」
と、結羅の目を見て答える。いつの間にか幻夜の瞳は赤に戻っている。赤い瞳は妖魔らしく、妖しさが滲み出ていてセリフに真実味が増す。結羅が「ひっ」と顔を蒼白にすると、くすっとおかしそうに笑い「冗談だ」と言う。
「本当に冗談なんだろうな」
太悟にジロリとひと睨みされるが、気にする素振りを見せずにスタスタと一人リビングに向かう。
(本当は何を食べるんだろう)
結羅は結局答えを聞けずに疑問が残ったが、それ以上は聞かなかった。
食事の用意が出来たので、食卓を太悟と結羅で囲む。幻夜は少し離れたところで座椅子に座り足を組んで、本棚を物色している。食卓には二人分のハンバーグと焼き野菜のプレート、サラダの大皿が並んでいる。
「わ〜! 美味しそう! 頂きます」
結羅が嬉しそうにハンバーグを頬張るのを見て、太悟はふっと笑う。
「ゆっくり食べろよ」
ハンバーグと野菜を完食し、結羅が持っていった麦茶を二人で飲みながら今日の出来事について話す。幻夜は座椅子に座って本棚にあった単行本を読んでいる。
結羅は幻夜が美容院で働いていたことも話す。すると幻夜は本を開いたまま、目だけを結羅の方へやる。
「何で美容院で働いてたの? 幻夜はいつから東京に住んでるの?」
結羅はあれから幻夜が美容院で働いていた理由について、本当は少し気になっていた。幻夜についてほとんど何も知らない状態なのに、何故か親しげに接してくるのに違和感が拭えない。その理由を知りたい気持ちが、今日の出来事の後結羅の中で芽生え始めていた。
幻夜は再び単行本に目を落としながら淡々と答える。
どうやら昨日東京を見物しようと歩いていたら、美容院の店長に美容師と勘違いされて成り行きで接客をすることになり、見様見真似でカットすると何故か『アメリカ帰りのカリスマ美容師』ということになっていた、らしい。東京へは結羅たちと出会った日に初めて来たそうだ。
(そんな滅茶苦茶な。見様見真似でカットって出来るものなの!?)
結羅はツッコミどころ満載の信じ難い話に、さらに疑問が深まったような気がした。
「昨夜はどこにいたんだ?」
太悟が幻夜を見ずに続いて質問し、幻夜はまたもやしれっと答える。目は単行本に落としたままだ。
「店長のサキの部屋に泊まった。美容師の仕事は『トウキョウ』のことをよく知れるし気に入っている」
「泊まったって……店長は無事だよね……」
結羅は先程の美女の魂の話を思い出し、心配になる。幻夜を取り巻いていた女性たちのあの様子を見た後では、店長を虜にしていても全くおかしくないと思ってしまう。
幻夜は単行本から目を離し、結羅を見てフッといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「何があったか気になるか?」
幻夜が結羅の反応を見たがっていることを察してか、太悟が不機嫌そうに割って入る。
「人間に危害を加えなければ好きにすればいい。ただし何かあった時は許さない。結羅にも絶対に近づけない」
ガチャンと食器を重ねて、太悟はキッチンに片付けにいく。
(太悟兄ちゃん、幻夜と話す時はすごく機嫌が悪いな……)
無理もないと思いながら、結羅は少し居心地が悪い感じがする。
話題を変えようと、太悟に明日の予定を聞く。
「明日は仕事の予定が入ってるんだ。師匠の元に寄せられた相談の中で緊急性の高いものを俺が代わりに対処することになった」
「それって、妖魔の?」
「ああ。川で河童の目撃情報が相次いでるんだ。被害も出てる」
結羅はそれを聞いて、迷ったがダメ元で聞いてみる。
「それって……私も付いていっちゃ駄目かな。妖魔について、よく知っておいた方がいいような気がするから。詩織ちゃんのこともあるし」
すると太悟は困ったような顔をして、結羅を見て言う。
「気持ちは分かるけど危険だから駄目だ。俺も修行中の身だからな。結羅に何かあったらと考えると、集中出来ないと思う」
結羅は太悟の意見を聞いて「そうだよね」と納得する。
「なら明日俺の職場に遊びに来い。サービスするぞ」
幻夜が割り込むように、にっこりと笑顔で結羅に言う。それを聞いた太悟は我慢の限界だとばかりに噛みつく。
「行くわけ無いだろ! お前の遊びに結羅を巻き込むな! 大体結羅に馴れ馴れしくし過ぎだ!」
その様子を見た幻夜はふんと微笑し、太悟を挑発するように見据える。
「当たり前だ。俺たちは許嫁だからな。お前はただの幼なじみだろ?」
「――!!」
太悟の頭が今にも噴火しそうだったので、結羅は「まあまあ!」と二人の間に割って入り、太悟と向かい合う。
「行かないから! 明日は一人で入学準備をするよ」
すると太悟は、
「やっぱり明日は一緒に行こう! 絶対に怪我はさせない!」
と結羅の両肩に手を乗せ、息巻く。
食器を洗い、結羅は太悟の部屋を出る。太悟と幻夜が見送りを申し出たが、ケンカになりそうなのでどちらも断った。
二階の通路を歩きながら結羅はふぅと溜め息をつく。
(仲悪いなぁ。同じ部屋に住んで大丈夫なのかな……幻夜も太悟兄ちゃんには挑発的なんだよね)
自室に着いて、鍵とドアチェーンをかける。
(明日は太悟兄ちゃんの邪魔にならないようにしなきゃ。妖魔について、自分でもいろいろと調べてみよう)
結羅は明日のために早めに寝る支度をし、床についた。