最後の戦い②
幻夜は結羅を救出した後、自身が封印されていた場所に戻った。神石の側にいれば少しでも自我が保てるかもしれないと考えたからだ。しかしそうはならなかった。
応竜の作った神石の塊には、一度出てきてしまったあくのみを抑える力はなかった。
戻ってきた尾を吸収する。
「これでいいのか?」
『ああ』
「お前の最後の望みは叶えた。これからは好きにさせてもらう」
『········』
その後大天狗の軍勢が攻めてきたのを、あくのみは全滅させ、それを全て吸収した。
力をみなぎらせたあくのみは、笑いを止めることが出来ない。幻夜は体を乗っ取られどうすることも出来なかった。誰かが再び封印してくれるのを待っていた。
「太悟。お前も一緒に来て、九尾の最後を見届けろ。滅多に見れるもんじゃない。命の保障はできねーけどな」
弟子に言うセリフではない、と太悟は思う。しかし見届けなければならないと思っていた。
清浄は太悟の数珠と自身の数珠を合わせて、腕につけた。
「これは本当は神石とただの石を半々にしてある。元々一つだったものを二つに分けていた。お前は神獣の側から離れるな。俺が結羅と共に戦う。戦力にはならねーだろうが」
太悟は頷くしかなかった。
夜。神獣たちは清浄と太悟を連れて浮遊した。結羅は自身で空へ舞い上がる。髪と目は目覚めた時からずっと青いままだ。
麗羅の力を使いこなせるかは分からなかった。しかしやらなければならない。自身に出来ることは全てやろうと思っている。命をかけて。
幻夜を苦しみから救うために。
あくのみはピクリと表情を動かした。何かが来ることを察知した。
「来た」
幻夜の顔と体で、あくのみは髪を金色に変え、同じく金色に輝く九本の大きな尾を出現させた。
あくのみは自身がいるだけでエサが勝手にやってくることを知っていた。だから待ち構えていた。力を十分に蓄えるまではそれを続けるつもりだ。
臨戦態勢に入ったあくのみの元に、結羅、麒麟、鳳凰、清浄、太悟が姿を現した。
射程距離内に入ってくるのを待って、すぐさまあくのみは全員に襲いかかった。九本の尾がそれぞれを絡め取ろうと素早く動く。
結羅は皆の盾になるように前へ出て、九本の尾それぞれに巨大な氷の槍を突き刺した。幻夜の姿を見ても、それは幻夜ではないと自身に言い聞かせながら。幻夜を救うために戦っているのだと、自分を納得させながら。
麗羅の言葉を思い出す。
『躊躇えば命はない』
自分の命よりも、失敗すれば幻夜が救われない方が嫌だった。結羅が躊躇って失敗すれば、幻夜は永遠に苦しみの中でもがき続けなければならない。そんなことをさせたくはない。
自分が幻夜に会えなくなって苦しんでも、幻夜に穏やかに眠ってほしいと願う。
結羅の攻撃で、一瞬あくのみは尾を引っ込めた。
神獣たちはその隙にあくのみから距離を取り、封印の儀式に入る。
結羅は続けてさらに空高く舞い上がると、素早く厚い雨雲を作り強烈な雨を降らせた。そしてそれを氷に変えてあくのみを攻撃した。
麗羅の力は、自然と結羅の意思に呼応するように反応した。強大な力をうまくコントロール出来ている手応えがあった。
結羅の感情を表すように、空には竜のように大きな稲妻が走り、雷の轟音が鳴り響く。
結羅は目を瞑りたかった。夜叉姫から救ってくれた幻夜の体を本当は攻撃したくない。
あくのみは見抜いたように、結羅に声をかけた。
「結羅。どうして攻撃するんだ? 俺を嫌いになったのか?」
結羅はハッとして幻夜の姿を見る。幻夜の声。焦がれた幻夜の声でそう言われても、心を強く持とうとあくのみを睨みつける。
自分が死ねば、幻夜はもっと苦しむはずだと考える。
あくのみが近づいてくる。結羅はすぐさまそれを回避するように大量の氷で攻撃する。
しかしあくのみの尾が円を描くように放った青い炎が氷を全て溶かした。
笑いを堪えきれないというように、あくのみは笑みをたたえて結羅に近づいた。
あっという間に近くまで来たので、結羅は氷の剣を作り迎え撃とうと構える。あくのみも真似て青い炎の剣を作り、二人は剣を交えた。しばらく攻防していたが、結羅は汗を垂らした。あくのみは本気を出していないように感じたからだ。
笑みをたたえたまま、遊んでいるようにすら見える。
(麗羅の力は強力だけど、全然効いていない!)
結羅がそう思った時、あくのみの尾が結羅を襲った。すぐさま気付いて氷の盾で防いだが、違う方向から別の尾が襲ってくる。それも防いだところで、強烈な一撃を食らった。死角からまた別の尾に攻撃されたようだった。
(向こうの方が戦い慣れてる! 私はまだ動きがぎこちないんだ!)
地面に衝突しそうになり、氷を放ってその勢いを軽減させる。
「結羅!!」
太悟の叫び声が聞こえる。
そちらの方は見ず、血が流れる口元を手で拭い、あくのみを睨む。
「美しいな。もっとボロボロになれ。ジャンヌ・ダルクのように、戦い尽くした後に処刑してくれよう」
あくのみは幻夜の顔で冷たく笑う。力はあくのみの方が上だ、と結羅は認めた。コイツが幻夜をずっと苦しめていた元凶。絶対に許せないが、本気で来られたら殺されると思った。
チラリと神獣たちを見る。
封印の儀式を終えるまで、何とか持ち堪えようと結羅は思う。
「準備はどのくらいで整うんですか!?」
太悟は焦っていた。自分には何も出来ないのに偉そうなことは言えないが、結羅が苦戦しているのを見ていられない。
「まだ少しかかる。結羅は苦戦しているな。やはり妖魔の軍勢を吸収したのが大きいか」
麒麟はこんな時なのにやけに冷静に言う。
麒麟と鳳凰は元々応竜が作っていた大きな神石を見つけ、そこに再び封印しようと考えた。その神石にはあくのみを封印出来る力はもう残っていないが、形代にはなる。それを使うことで少し準備の時間は短縮される。
神石を囲み、陣を描く。麒麟と鳳凰は封印に慣れていない。しかし神獣であるためその力はある。力を交わらせるように、陣に込めていく。長い期間あくのみを封印するにはそれ相応の強大な力がいる。力を込めている間、周囲には強力な結界を張っている。
あくのみはチラリと神獣たちを見た。
「何故お前だけが向かってくるのかと思っていたら、封印の準備をしているのか」
と他人事のように言う。
「お前は捨て駒か。ちょうどいい。いずれは他の神獣を吸収しようと思っていた。お前を殺して吸収し、その力で結界を破り神獣たちを殺して吸収しよう。それが出来れば私の目的に大いに近づく。封印などさせるものか」
あくのみは目を右手で隠しながら、可笑しそうにくすくすと笑う。頭の中で楽しい計画を練っているように。
そして手の隙間から結羅を獲物を見るような目でジロリと見る。
結羅はぞくりとした。本物の悪魔とはこういう者のことを言うのかもしれない。
幻夜の目なのに、どこか違う。
その瞬間、先程まで上空にいたのに、いつの間にか目の前にいる。
結羅はしまったと思った。しかし体がそこまで素早く反応出来なかった。
(やられる!!)
と思った時、あくのみの体は痺れるように痙攣した。赤い光の筋のようなものが体の周囲に走っている。
「!!」
その隙に結羅はあくのみから距離を取った。
あくのみはまだ小刻みに体を痙攣させながら膝を付き、ジロリとある者を睨んだ。
神獣たちから一人離れて、清浄が右手をかざしてあくのみを睨んでいた。その手には二本の神石の数珠をつけている。
「陰陽師か」
あくのみは低い声で静かに言う。
神石での攻撃は、瑞獣である幻夜の体にダメージを与えることは出来ないが、あくのみを抑える効果はあるようだ。
清浄は遠距離から幻夜の体を乗っ取っているあくのみの動きを一時的に止めることに成功した。
「ちっ。もう動くのか」
清浄は口の端を持ち上げて苦笑いする。
あくのみは立ち上がり、清浄と結羅を交互に見て言う。
「竜と陰陽師か。過去を思い出すな。あの時は封印されたが、今回はそうはいかん」
そう言って二人に襲いかかる。清浄と結羅は協力しあい、清浄があくのみの動きを一瞬止めた隙に結羅が攻撃するという戦法で戦った。
それは有効で、あくのみはなかなか攻撃に転じることが出来なかった。
しかし結羅の攻撃によるダメージもさほどないように見えた。
「師匠!!!!」
太悟が気付いて叫ぶ。清浄は一瞬ハッとしたが、時すでに遅し。神石の数珠をつけた右腕は、血しぶきと共に空を飛んでいた。
「ぐあああっ!!」
清浄は腕を押さえてうずくまる。
「清浄さん!!」
結羅は青い顔で清浄を見る。しまったと思った。本体に気を取られていたが、いつの間にか尾の一部が切り離されていて、清浄を後ろから襲ったのだった。
「くくくっ。お遊びはここまでだ。本気で殺し合おう。封印の準備が整う前に」
そして九本の尾が一斉に結羅に襲いかかった。
防ぎきれない!! と結羅が死を覚悟した時、目の前に清浄が立ち塞がった。切り離された腕を持って。
九本の尾の餌食となり、清浄の体はズタズタに切り刻まれた。断末魔の叫び声を上げ、崩れ落ちるように膝をつく。
結羅は絶句した。自分を守るために、清浄は自ら攻撃を受けたのだ。
「師匠――――――!!!!」
太悟の悲痛な叫び声が聞こえる。
その時、清浄は数珠のついた腕をあくのみの尾に全体重をかけるように強く当てた。
「!!」
あくのみの体は跳ね上がるように痙攣した。バチバチッと赤い電気のようなものが激しく飛び散る。清浄の体も共に包み込むように赤い筋がほとばしった。
結羅はこの機会を逃してはいけないと思った。渾身の力を込めて、大きな氷の槍をあくのみの心臓をめがけて打った。
それは見事に命中し、苦しさであくのみは後ろに下がり、上空に飛び上がった。結羅は追いかける。
上空で相まみえた時、結羅は違和感を感じた。あくのみの様子がおかしい。独り言を言いながら頭を抱えている。
幻夜がかつて断崖絶壁で苦しんでいた様子を思い出した。
そしてゆっくりと顔を上げた時、結羅はハッとした。
夜叉姫から救ってくれた時の別れ際の幻夜の顔。
それと同じ顔が、結羅の目の前にあった。
「結羅。凍らせてくれ。全て忘れて眠れるように。お前の顔を最後に見られて良かった」
そう言って目を閉じた。
幻夜だ、と思った。
結羅は目を閉じる幻夜にそっと近づいた。
そして三度目の口づけをした。
幻夜の体は、黄金の九本の尾と共に凍りついた。
幻夜を取り巻く全ての事情が分かった今考えると、幻夜は自分を想ってくれていた、と唐突に気付いた。
ゆっくりと落ちていく幻夜の体を支えながら、結羅は涙を流した。
「準備が整った!」
麒麟と鳳凰が結界を解除すると、陣は大きくなりながら上空に上がった。陣から強い光がほとばしって、幻夜の体全体が黄金に光る。
結羅の目の前で眠るように凍った幻夜の体は、サラサラと消えるように黄金の粉になって陣に吸収されていく。
結羅は追いかけるように両手を伸ばした。出来るならば、自分も一緒に封印されたかった。そうすれば、永遠に一緒にいられるのに。
結羅を置いて上空に昇る黄金の粉を見ながら、結羅は幻夜と出会ってから今までの出来事を思い出す。
様々な表情を見せていても、それは全て幻夜だった。何を考えているのか分からなくて戸惑ったけど、結羅は思えば最初から幻夜に惹かれていたと気付いた。
幻夜を苦しみから救うためならば、自分が幻夜に会えなくなって苦しんでもいい、など強がりだった。
本当はずっと一緒に生きていきたかった。幻夜がいない世界など耐えられない。
結羅の想いなど関係ないというように、陣は容赦なく幻夜を全て吸収し、小さくなりながら麒麟と鳳凰の元へ戻っていく。
神獣たちは陣を受け止め、応竜の作った神石に封じ込める。
表面の一部が欠けた大きな神石の塊は、陣を受け入れるように吸収した。そして、ただの白く光る岩となった。
太悟は清浄の元にいた。
ボロ布のようにズタズタに引き裂かれていても、清浄はまだわずかに息があった。
「師匠!!」
太悟は目に涙を溢れさせ、寝そべる清浄に寄り添っていた。
そんな太悟に、清浄は笑って言った。
「詩織は····お前が見てやれ。立派な陰陽師に····しろ。そしてお前も····」
「········師匠」
そして目を閉じる。
(麗羅に会いてーなぁ)
と思いながら。
夢と分かる夢を見た。ありえないことだったからだ。
寝そべる清浄の側には麗羅が立っていた。
「ありがとう」
と、麗羅は極上に美しい笑みを浮かべて言った。
清浄はチッと舌打ちする。
「どこまでも駒として使いやがる」
そう言って笑って、再び目を閉じた。
鳳凰は幻夜を封印した後、すぐに天界へ帰って行った。麒麟は残り、太悟に共に清浄を弔うと言った。
太悟は座り込んで動かない結羅を見る。
声をかけるか迷ったが、今は一人になりたいかと思い、かけないことにした。
清浄の体を抱き上げ、麒麟と共に静かにその場を去った。
結羅は丸一日、幻夜が封印された神石の側にいた。神石の上に両腕を置き、その中に顔を埋めた姿勢のまま、ずっと立ち直れずにいた。もう涙は出尽くして、それでも悲しみは尽きなかった。
幻夜を救う方法は他になかったのか。
ふと、幻夜の胸に刻まれた刻印を思い出す。まさかとは思ったが、結羅はまだ使っていない呪文があることに唐突に気付いた。
心臓がドクンドクンと脈打つ。
顔を上げて、小さく麗羅に教えられた呪文を唱えてみた。
何も起こらなかった。
やはり····と思いもう一度顔を埋めようとした時。
「結羅?」
と、聞こえるはずのない声が背後から聞こえた。
結羅はゆっくりと、後ろを振り返った。
そこには、幻夜が立っていた。




