最後の戦い①
話が一段落した後、清浄と麒麟は太悟と結羅の住むアパートを出た。
「あーあ、久しぶりに····十〜六年ぶりか? に夢に出てきたと思ったら使いっ走りにされて····ほんとアイツは変わってねぇな。人を将棋の駒としか考えてねぇ。····惚れた弱みってヤツか」
愚痴る清浄に麒麟が無表情で言う。
「父親だと言わなくていいのか?」
清浄はバツの悪そうな顔をする。
「あー····父親らしいことしてねぇし、知ったのもある程度大きくなってからだしな。父親面なんか出来ねぇよ」
「そういうものか。ずっと見守ってきたのではないのか?」
「たまにちらっと様子を見てただけだ。弟子を見るついでに」
「そうか」
麒麟はそれ以上何も言わなかった。
清浄は麗羅との出会いを思い出す。妖魔を追って山に入った時、目の前に現れたこの世のものとは思えないほどの美しい雪女。そのまま氷づけにされてもいいとすら思った。
一夜限りの関係で、小屋は朝にはなくなっていて、麗羅の姿もなかった。清浄の側には神石の数珠と勾玉が置かれていた。
(あれから全く音沙汰なしかと思ったら····突然夢で『麒麟に会え』だと。ほんとムカつく女だな)
その通りにしてしまっている自分が情けなくも、僅かに期待しているのは事実だ。もう一度会えるとは思っていなかったが、会えるのなら会いたい、という願いはいつまでも消えない。
(分かってる。麗羅にとっての将棋の駒だってことくらい。アイツにとっては全てが駒なんだ)
結羅を娘だと知ったのは、元々雪里村の村長の友人だった清浄が、たまたま村を訪れた時、四歳の結羅が歌っていた歌を聞いたからだ。
何故その歌を歌っているのか聞くと、幼い結羅は『ゆらがねてるときに、おねえさんがおしえてくれるの』と答えた。
それは雪女と人間の男の恋の歌だった。
確かに結羅には麗羅の面影があった。年齢を考えるとタイミングも合う。
(幼い子供にそんな歌歌わせるなよ)
と思いながらも泣いたのを覚えている。
清浄は未練を引きずりながら、麒麟と共に自宅へ向かった。
太悟は、神獣に向かってタメ口をきく師匠を大物だと思った。そして同じ神獣の孫である結羅を見る。
二人が帰った後、結羅と二人きりになったが、不思議と気まずさは軽減していた。
太悟の中で、気持ちの整理がつきつつあった。
麒麟の話の後、結羅は厳雪山に行くつもりだと言うと、麒麟は賛成した。
二人でいる時、太悟は結羅に
「厳雪山に行くのか?」
と聞いた。結羅は頷く。
「うん。今から行って来る!」
結羅は決意したような顔で言った。太悟は、自分は幻夜の動向を探ると言い、結羅を見送った。
結羅は再び厳雪山の麓にいた。村に帰る時、母親に連絡したら喜んで駅まで迎えにきてくれた。
「無理はしないでね」
そう言われて、キエは分かってくれている、と感じた。
厳雪山に入る。幻夜のように木々を飛び越える力がない結羅は、ただ登った。途中何体もの妖魔に襲われた。結羅は体力を残すことは考えず、全て全力で撃退した。幻夜のことを想い、ただ里を目指した。ボロボロになっても、何もかも『そんなこと』と思えた。幻夜にもう一度会うためなら、どんなことでもすると決意していた。
やがて雪景色が広がる場所まで来る。妖魔は襲って来なくなった。里が近いからだろうか、と結羅は思った。
服は破け、体や顔は傷だらけになっていた。こんなに長い間変化して力を使ったことはなかったので、体力は限界だった。
今にも倒れそうな体を精神力のみで動かし、何とか里に辿り着く。入り口にまた魅羅が立っていた。
麗羅のいる洞窟に入る。恐れを抱く余裕すらなかった。とにかく幻夜を救う方法を知りたかった。頼れるのは麗羅しかいないと思った。
麗羅のいる洞窟の最奥へ入る。
麗羅は前と同じ姿勢と表情で結羅を迎え、
「来たか」
と言った。麗羅は全てを分かっている、と結羅は思った。
「幻夜を救う方法を教えて!」
結羅は単刀直入に言った。麗羅はそれに答えず、結羅に手招きした。口元には笑みをたたえている。相変わらず表情が読めない、と結羅は思いながら麗羅に近づいた。
「お前に呪文を教えると言ったのを覚えているか?」
結羅は幻夜の胸に刻印が刻まれた時のことを思い出す。
「覚えてるわ」
「お前はこれから幻夜の封印を手伝うことになる。そのために私の力を全て与える。呪文と共に。お前の力が全て覚醒するのを待つ時間はないからだ。呪文を使う時は自ずと分かる」
結羅は思っていた話と違うと思った。麗羅は幻夜を解放する方法を知っていると思っていた。
「そんなことは出来ない!! 幻夜をあくのみから解放する方法を教えて!!」
「封印はしなければならない。あくのみを野放しにしてはこの世が終わる」
「でも····!!」
「躊躇わずにやれ。お前の役目はあくのみに乗っ取られた幻夜と戦い、力を抑えることだ。少しでも躊躇えば命はない。あくのみは容赦なくお前を殺しに来る。力を持ったお前は邪魔だからだ。ただし、お前は神獣たちの封印の儀式に関わってはいけない。封印をする者と、呪文をかける者、発動する者はそれぞれ別の者でなければならないという制約がある」
結羅は崩れるように膝をついた。放心したように空を見る。
(ここまで来たのに····。幻夜を救えると思ったのに····)
「繰り返すがお前の役目は戦うことだ。あくのみの動きを封じ、封印を手助けするのだ。神獣たちは封印の儀式に手を取られ手伝ってはくれない。幻夜だと思うな。甘さが生じると失敗する。そうなれば全て終わりだ」
麗羅の口調は今までと違い厳しかった。口数も多い。それだけ大変なことなのだと理解はしているが、気持ちが追いつかない。
(運命は····変えられないってこと?)
涙が頬を伝うのを感じた。
(幻夜と戦うことが、私の運命? じゃあ何で出会わせたの? どうして好きにならせたの?)
麗羅の考えが分からないと思った。麗羅は膝をついた結羅の頭に手をかざした。
その瞬間、結羅は抱えきれないほどの何かが体の中に流れ込むのを感じた。重力で抑えつけられているかのように、身動きが取れない。地面が揺れているような気がした。結羅はそのまま気を失った。
太悟は急いでいた。キエから連絡をもらい、村へと向かっている。
キエの話によると、結羅はどこかへ出かけた後、家の前に倒れていたのだそうだ。
太悟は村に到着し、まっすぐ結羅の家へ向かう。もう夜中だった。
キエは寝室で寝ている結羅のところへ案内してくれた。
太悟は綺麗な結羅の寝顔を見る。何となくまた大人びたように思った。
それから少しして、麒麟と清浄が村に到着した。キエに結羅を任せ、三人で太悟の実家へ行く。
それから三日間、結羅は目覚めなかった。
太悟は妖魔の軍勢が幻夜を攻め、全滅させられたと麒麟に聞いた。それによりさらに力を高めたそうだ。
それと鬼の住処であった豪邸のお嬢様が失踪したという事件のニュースもやっていた。太悟はドキリとしたが、不思議なことにお嬢様は結羅を救った日から二日後に行方不明になったと報じられていた。疑問に思っていると、麒麟が
「九尾狐が尾で一時的に身代わりを立てたのだろう。そんなことはあいつには造作もないことだ」
と言い納得した。
そして疑問に思っていたことも聞いた。結羅の体が破魔の札を拒否した理由と、神石に触れた時気絶した理由だ。
麒麟が言うには、神獣と妖魔と人間の血が混ざっている結羅の体は複雑なのだという。
まず雪女の血が先に目覚め、札はそれに反応した。神石での気絶は応竜の血と強く共鳴した結果だろうと言った。応竜も雪女と同じく氷を使う攻撃が得意なのだそうだ。そのため結羅の応竜の力はどの程度目覚めていたのか分からないらしい。
その後、結羅が目を覚ましたとキエから連絡をもらい、太悟は駆けつけた。
結羅は呆然と布団の上に座っていた。太悟の顔を見て、突然泣き出した。
「幻夜のことが好きなのに! 愛してるのに幻夜と戦わないといけない! どうしたらいいの!? ねえ!! 誰か答えてよ!!」
やり場のない怒りと悲しみが結羅の心を支配していると太悟は思った。太悟は麒麟から結羅の役割を聞いた。酷なことをすると思った。
自分が言えることは何もないと思い、ただ結羅の言うことを黙って聞いていた。
結羅の心が整わない限り、作戦は実行出来ない。その間に麒麟は助っ人を呼び出した。
その人物は、赤髪に黒、白、黄、青のメッシュを入れたような派手なたっぷりとした髪をざっくり頭頂部でまとめて後ろに垂らしている。麒麟と同じような装束を着ているが、見た目は女だ。
麒麟は「鳳凰だ」と紹介した。
「ったく、忙しいのに。応竜の頼みだから来てやったけど、さっさと封印して帰るぞ私は」
そして結羅のいる寝室へ向かっていく。
太悟が止めようとしたが、振り切られた。
「おい! さっさと気持ちの整理をつけろ! いつまでもいじけてると取り返しのつかないことになるぞ!」
ガラッと寝室の襖を開けるなり、結羅に向かって言い放った。
その強引な様を見て、太悟は
(本当に神獣か!?)
と目を疑った。
鳳凰は結羅の側に立った。
「九尾狐を救ってやれ! このままではあいつはさらに大量の命を奪うことになる。あくのみが力をつけてお前の力が全く通じなくなれば、もう歯止めがきかない。九尾狐は永遠に苦しむことになる。あいつはそれを望んでいないはずだ!」
結羅はそれを聞いて、苦しそうに表情を動かした。鳳凰は続ける。
「我らは神獣ではあるが、応竜のように封印に特化してはいない! 応竜はその役割を与えられるだけあり、そういう能力に長けていた。同じではないのだ。気を抜けば失敗する! お前の力が鍵だ! 九尾狐を苦しみの連鎖から救い出せ!」
結羅はゆっくりと顔を上げて鳳凰を見た。
「九尾狐は····幻夜は····、それを望んでいる?」
「そうだ!」
鳳凰はキッパリと言い切った。
幻夜は『自分の意思で生きたい』と言っていた。今まで途方もなく長い間、そう出来なかったのだろう。結羅が想像することが出来ないほどの苦しみを味わい続けてきたに違いないと結羅は思う。
それなのに、結羅は『解放』に拘る幻夜に失望した。解放した後、自分が用済みになることが怖かった。
自分のことばかり考えていた。
結羅はゆっくりと立ち上がった。幻夜を苦しみから解放しよう。そう思った。そうできるのは自分しかいない、と決意する。




