残酷な夜叉姫②
太悟は車を目的の場所から少し離れたところに停めた。
支狼に聞いた鬼の住処は駅から離れたところにあったため、近くに住む知り合いに急遽車を借り、ここまで全速力で飛ばしてきたのだ。
太悟はその敷地の広さを見て息を飲む。門は大きく、塀は高い。その中にマンションかと思うほどの巨大な豪邸が建っており存在感を放っている。広大な庭には数人のSPとドーベルマンが数匹見える。柵状の門以外からは中は見れないが、さすがに正面から入るわけにはいかないと思い、塀伝いに侵入出来る場所がないか探ることにする。
(本当にここが鬼の住処なんだよな····)
太悟は少し不安になる。全く妖魔の気配がしないからだ。もし普通の人間の家に侵入したとなれば大変なことになる。
しかしここしかアテはない。太悟は覚悟を決める。早くしなければ結羅の命が危ない。
ちょうど裏手に来た時、塀に弦がかかっていた。何故ここだけと思ったが、考えている暇はない。太悟は弦を使って塀を登り、中に侵入する。物音は立てなかったつもりだが、犬に気付かれ吠えられてしまう。全力で建物まで走る。が、あっという間にSPも集まってくる。
(くそっ)
太悟が駄目かと思った時、何かが頭上の遥か上を通って建物の方へ向かっていくのが見えた。それはSPや犬が集まっているところへわざわざ降り立つ。長い銀髪の後ろ姿が見えた。
太悟は分かっていた。幻夜が来ることを。
「適当に暴れろ。向こうから出てくる」
そう言って幻夜は適当に攻撃をかわしながら徐々に建物に近づいていく。犬がやかましく吠えている。
太悟も同じように攻撃を避けながら前に進む。しかし身体能力が追いつかない。人間はともかく、犬の動きは早すぎる。
(何であんな風に避けられるんだ)
幻夜の動きを見てそう思いながら、太悟は懸命に動いた。大半は幻夜が先に行って引きつけているが、太悟は犬に何度か噛み付かれそうになり、服がところどころ破かれた。
裏口のようなところから、人影が出てくるのが見えた。
建物付近にいるSPの一人と何やら話している。すると幻夜や太悟を取り巻いていた者たちがすっと離れていく。犬も攻撃をやめた。
太悟は何だ? と様子を伺う。
幻夜はそのままスタスタと建物に近づく。
建物から出てきた人物は少女だった。年頃は十七、八というところか、と太悟は思う。
少女はニッコリ笑って、幻夜と太悟に手招きした。
「騒がせたわね。持ち場に戻っていいわよ」
「はい、お嬢様」
少女がSPに声をかけると、その一人が他の者に指示をし、バラバラとはけていく。
「さあ、お客様。こちらにいらして。盛大に歓迎するわ」
そして扉の中に入った。建物の中には先程のSPたちとは比べものにならないほどの体格のいいスーツの男たちが二人立っていた。目には黒いサングラスをかけている。
「付いてきて。目当てのものはこっちよ」
幻夜と太悟は少女に付いていく。男たちは太悟たちの後ろから付いてきた。太悟は間違いなく結羅はここにいる! と思った。
少し歩いて、少女はある扉の前で止まる。扉を開けて中に入ったので、太悟たちも続いて入った。男の一人が扉を開けている。
太悟は警戒している。どこから何をされるか分からない。しかし結羅の居場所が分からない以上、他に方法はない。
幻夜は警戒しているのだろうが、迷うことなく付いていっている。
「ここは私の図書室なの」
図書館のように、所狭しと本棚が置いてあり、その中には本がギッチリと詰まっている。死角が多そうだ、と太悟はさらに警戒を強める。
少女は部屋の奥に進んでいく。その最奥の本棚の下部には小さなボタンがあり、それを押すと本棚が横に回転する。その奥には下へ続く階段があった。
「もちろん来るわよね?」
少女はニッコリと笑って言う。太悟は再び覚悟を決めた。
中は寒かった。少しカビ臭い。コンクリートの階段を降りるコツンコツンという複数の足音が響く。明かりは一応あったが、辛うじて階段が見えるかという暗さと、何とも言えない不気味な雰囲気に、太悟は背筋が凍るような薄気味悪さを感じた。
わざわざ招いて結羅の元へ連れて行くとは思えないが、幻夜は臆することなく先へ進んでいる。幻夜が結羅のためにならないことはしないだろうと思い、何も分からない太悟はとにかく進むしかない! と慎重に階段を降りた。
長い階段を降り、やがて地下室のような空間に着く。だだっ広いコンクリートの空間。その奥に通路のようなものが見える。
少女はくすくすと笑って言う。
「さあ、ここなら思う存分暴れてもいいわよ。タイミング的にどうせあなたたちあの子を助けに来たんでしょ? コイツらを倒さないとまっったくお話にならないわよ?」
そして高笑いした。
すると背後の男たちがバリバリと着ているスーツを破く。と同時に人間の体から、一回り大きな図体へと変わっていく。体の色も赤みを帯びていき、筋肉が盛り上がる。みるみるうちに二メートル半はあるだろうという巨体に変化した。爪は太くて長く、髪の間からは突起のようなものが飛び出している。口からは牙のようなものが収まりきらないようにはみ出していて、歯も肉食獣の歯のように先端が尖っている。
太悟は鬼とは分かっていたが、その戦闘に特化したような体格に汗が流れる。そして変化と同時に恐ろしいほどの妖気がビリビリと音を立てるように漂いだし、その場に立っているだけで精一杯だった。
(俺の力ではどうにもならないかもしれない! アイツと神石に賭けるしかない!)
太悟は怯もうとする精神を奮い立たせて、神石を構えた。
「あ、そうそう、あなたたち。一人は人間のようだから、血は残しておいてね?」
そう言って少女は通路に向かって行った。幻夜が追おうとすると、鬼が立ちはだかる。図体のわりに意外と素早い。
少女が通路の向こうに消えると、鬼は突然喋りだす。
「はー! やっと解放されたぜー! 『お前らは下品だから私の前では喋るな』って言われてるから息が詰まるんだよなぁ!」
ガハハッと大口を開けて鬼は笑った。耳をつんざくようなデカい声がコンクリートの壁に響いてかなりうるさい。
すると幻夜が突然口を開いた。
「お前。付いてきたからには自分の身は自分で守れよ。俺は結羅を助けに来たんだ」
太悟は完全に自分を舐めている言葉にイラッとし、叫ぶ。
「言われなくても分かってる!! 俺も結羅を助けに来たんだ!!」
「いや、お前らは俺たちのエサになりに来たんだ!」
そう言って突然太悟に鬼が襲いかかった。太悟はそれを紙一重で避けながら、神石を振りかざす。
「なんだ? それは」
鬼は馬鹿にするように神石を見ながら言う。太悟の体を掴もうとするように両手で襲いかかって来るのを、太悟は懸命に避ける。
(あれに捕まったら終わりだ!)
防戦一方で、攻撃に転じる隙がなかなかない。鬼は女郎蜘蛛のような特殊な能力は使ってこない。使う必要がないと思っているのか。そんなものを今の状態で使われたらまずいと太悟は思う。それほど余裕のない状態だった。なんせここまでのハイレベルな妖魔と戦ったのは初めてなのだ。
幻夜の方もすでに戦闘が始まっている。幻夜は何度も攻撃を命中させていたが、致命傷は与えられていない。
太悟は鬼の攻撃をかすめただけで足に酷い切り傷を負ってしまった。神石があっても妖力を使った攻撃でなければ軽減するのは無理らしい。鬼は爪についた太悟の血を美味そうに舐めている。
その時、太悟は信じられない光景を目にした。少女が消えた通路から、わらわらと鬼たちが出てきたのだ。その数ざっと十体ほど。
ヘラヘラと話しながらこちらに歩いてくる。
さすがに顔面が蒼白となった。二体だけでも苦戦しているのに、さらに十体の鬼を相手にするのは無理がある。
太悟は戦っている幻夜に声をかけた。
「おい! 勾玉を壊すから、妖力を使え!!」
そして神石の勾玉を出す。幻夜が来るとふんで持って来ていたのだ。すると幻夜は鬼の攻撃を避けながらちらりと太悟を見て言った。
「無駄だ。そんなものは何の役にも立たん」
「じゃあどうするんだ!!」
「! おい!!」
幻夜が太悟に声をかけると同時に、太悟はハッと背後に回った鬼に気付く。避けようとしたが間に合わないと直感した。『死』の一文字が頭に浮かんだ。
次の瞬間、太悟の前に銀色のベールがスローモーションのようにゆっくりと舞うのが目に映る。
太悟はハッとして状況を理解する。幻夜が太悟の代わりに鬼の攻撃を受けたのだ。目の前にある幻夜の背中から鬼の手が突き抜けている。赤い血がみるみるうちに幻夜の服を染める。
「お····前」
「バカが。お前は腹に風穴があいたら死ぬだろうが」
幻夜はチッと舌打ちして言った。
「おいおい。妖狐の血なんかいらねぇよ。人間の血を飲ませろよ」
鬼は幻夜の腹から手を抜こうとする。
「ん? コイツ腹の中に何か入れて····」
そう言った瞬間、ジュワッと蒸発するように、鬼は消えた。
太悟は目の前で起こったことに目を疑った。幻夜と戦っていた鬼も、集まってきた鬼たちも一斉にそちらを見た。
「最初からこうするしかないと思っていた」
幻夜は自ら自身の腹に手を突っ込む。そして何かを取り出して、地面に捨てた。
ゴツンという音がしてそれが床に転がる。
それは血で真っ赤に染まったゴツゴツとした石のようなものだった。握り拳大の結構な大きさだ。
(こんなものを腹に····?)
太悟は眉をひそめてそれを見る。
「お前何をやった?」
鬼たちがこちらへ向かってくる。十数体の鬼が幻夜と太悟を取り囲むように集まる。
(まずい····)
太悟が万事休すと思った時、幻夜が血まみれのままゆっくりと前に出る。
次の瞬間、太悟は信じられないものを見た。風を切るような音がしたと思ったら、十数体の鬼が一瞬のうちに消え去るように目の前からいなくなったのだ。代わりに黒い塵のようなものが部屋中に舞っている。
「行くぞ。『時間がない』」
そう言って幻夜は足早に通路へ向かう。いつの間にか腹の傷は塞がっているようだった。血の足跡だけが地面にくっきりとついている。血の付いた石はなくなっていた。
太悟はわけが分からないながらも、結羅のことを思い片足を引きずりながら走って追いかけた。
結羅は虫の息だった。赤い玉から発せられる熱に溶かされそうな上に、氷の膜を張れないよう夜叉姫に見張られている。
「そろそろ限界のようね。熱風で絶命するまで焼いてあげるわ」
楽しそうな表情をしながら、夜叉姫が椅子から立ち上がる。
結羅の目の前に来た時、ぴくっと夜叉姫の動きが止まる。
苦々しい顔をしながら後ろを振り返る。
扉が乱暴に開き、入ってきた幻夜と太悟の姿を見た時、結羅は信じられない気持ちだった。




