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結羅の正体③


 山の八合目辺りまでは、全く雪がなかった。しかし頂上が近づいてくると、途端に雪景色となる。

 結羅は厳雪山に登るのは初めてだった。村では山菜採りや狩りなどで麓への入山は許可されているが、ある地点にロープが張ってあり、その先への立ち入りは禁止されているのだ。

 

 幻夜の背中につかまり、ぐんぐん夜の山を登っていく。あっという間に里の近くまで来たようだ。

 

 一面の雪景色。この辺りだけ真冬のようだ。厳雪山は夏でも頂上付近だけは雪が積もっている。それは雪女が雪を降らせていたからなのかな、と結羅は思った。

 二人で深い雪の上に立つ。積もった雪は膝の辺りまで来ている。


「覚悟は出来たか?」


 幻夜は結羅を試すような、少し挑戦的な目を向けた。


「そのために来たんだから。もちろん覚悟は出来てるわよ」


 二人は寒さに全く堪えることなく、先に進んでいく。やがて洞窟の近くに小さな村のようなものが見えた。木々で隠れていて見えづらいが、確かに建物のようなものが複数ある。

 その周囲は凍てつくような空気が渦巻いており、そこだけ異世界のような、容易に近づけない雰囲気を醸し出していた。


 結羅は一歩踏み出す。寒いと感じたのは初めてだった。凍てつく空気が結羅を襲う。気温はどのくらいだろうか。人間なら間違いなく凍死しているだろう。


 幻夜は平然としている。寒くないのだろうか、と結羅は幻夜を見ながら思う。


「出迎えだ」


 幻夜が言って、結羅は幻夜が見る方を見た。


 紫色の髪を大雑把に結い上げた、白い着物を着た若い女が木々の間に立っている。女の肌は恐ろしく白い。


 攻撃してくる様子はないが、結羅は警戒していた。女の顔が険しかったからだ。


「去れ。お前を里に入れるつもりはない」


 女は幻夜の方を見て言った。幻夜が答える。


「付き添いだ。麗羅れいらに取り次げ」


「麗羅様からは結羅を連れて来るよう言われただけだ。お前は帰れ」


 女の周囲は冷気が凝縮されているように白くなっていた。女は結羅たちが来ることを知っていたようだ。


 幻夜は臆すことなく前に進む。女はそれを見て、体の前に手をかざし臨戦態勢に入った。その時、女は急にハッとした顔で声を発した。


「····分かりました」


 チッと舌打ちしたように、女は幻夜をひと睨みした後、急に踵を返す。


「付いてこい」


 女はしずしずと足音を全く立てずに木々の間を歩く。相変わらず雪は深いが、そうとは思えないほど進むスピードが早い。結羅は懸命について行った。

 建物のある辺りに来ると、ろう人形のような人影がチラホラ見える。皆全く動かず白い空気をまとっている。白い肌に白い着物。周りには白い雪。全てが白かった。人形のような人影の紫色の瞳が宝石のように光っているのが印象的だった。


 やがて洞窟の前に来る。女は立ち止まり、振り返った。


「麗羅様がお待ちだ。本来なら私以外誰も立ち入ることの出来ぬ場所だ。心して入れ」


 厳しい顔で結羅に言い、幻夜を一瞥した。


「お前も入れとのことだ。麗羅様の要望だ」


 顔を歪めて女は言う。


(そうか。幻夜は前に里を攻めた身だから恨まれてるのね。それでよく一緒に来たわね····。『麗羅』っていうのが私の実母ってことかな)


 結羅は緊張した面持ちで中に入る。ところどころに明かりがあり、薄暗いが不便はなかった。全体的に青白い。まるで鍾乳洞しょうにゅうどうのように、氷柱つららがところどころに垂れ下がっている。かなり奥まで進み、やがて空気が変わった。奥に何がいるのか、得体の知れない異様な雰囲気に結羅の全身の毛が逆立ったような気がした。


(これ以上進んでも大丈夫なの!?)


 結羅はチラリと幻夜を見る。幻夜も珍しく少し表情を固くしていた。


「この奥に麗羅様がおられる」


 先を歩いている女が言った。女について恐る恐る歩を進める。曲がり角があり、その奥に何かがいると感じた。結羅は恐ろしかった。幻夜が結羅の肩に手を置き、一緒に角を曲がった。


 洞窟の最奥は意外と広々としていた。床一面に氷が張ってあり、その中央に氷の祭壇のようなものがある。その壇の上に座禅を組んだ女が目を瞑って鎮座している。


 女を取り巻く空気が異質だった。結羅はこれまで感じたことのない畏怖の念が芽生えた。立っているのがやっとで、何をすることも出来ない。


魅羅みら、案内ご苦労」


 魅羅と呼ばれた先程の女は一礼して下がる。


「そして、幻夜····だったか、今の名は。お前にも用がある」


 祭壇の女は静かだが威厳のある声で言った。変化した結羅と同じ真っ青の髪を綺麗に結い上げていて、装飾をつけている。


「結羅。私がお前の生みの親の麗羅だ。人間との契りによって生まれたお前はみ子で、雪女の里の掟によりお前を捨てた。そして私はここに幽閉されている」


 結羅は黙って麗羅を見た。その声には逆らえない、という本能的な何かを感じたが、同時に少し疑問にも思った。


(幽閉されているというのかな。それにしては魅羅って人がこの人をたてているような····)


 麗羅はふっと笑って目を開けた。その瞳は真っ青だった。


「魅羅は私の世話係だ。察する通り、私は自ら幽閉の道を選んだ。掟を破った雪女は殺される。しかし私を殺せる者はここにはいない。だから自ら贖罪しょくざいのためにここにいる」


 結羅は心を読まれたと瞬時に分かった。そして支狼の話を思い出す。『まともな妖魔は厳雪山に手出しはしない』。それはそうだろう、という妙な説得力がこの姿と雰囲気から嫌というほど感じられた。


 そしてチラリとそれに当てはまらない『まともではない』妖魔に目をやる。


 幻夜は結羅の視線に気付くと、にっこりと笑った。たまのこの営業スマイルは何なのだと結羅は思う。


「結羅。近くに寄れ」


 麗羅はその場で両手を伸ばし、結羅に言った。結羅は立ちすくむ。行っていいのかどうか激しく迷った。助けを求めるように、再び幻夜の方にちらりと目をやる。

 幻夜はコクリと頷いた。結羅は一歩踏み出す。恐る恐る、少しずつ麗羅に近づく。“母”という感じは全くしない。結羅にとってのこの人物は、“厳雪山の主”でしかない。

 姿もあまり自分とは似ていない、と結羅は思った。青白いほどに透き通った白肌に、真っ青な髪と瞳。天上の者かと思うほどの美しい容姿。よく見ると模様の入った白い上質そうな着物を着て、両手を体の前に伸ばしている。


 結羅は麗羅の目の前に立った時、(来てしまった)と思った。本当のことを言うと逃げたかった。

 実の母親と聞かされても、言葉だけのことで実感が全くない。それよりもこの女が恐ろしかった。全く腹の読めない表情。逆にこちらのことは全て見透かされているような、居心地の悪さを感じる。


 麗羅の両手が、結羅の頬にそっと触れる。その手は恐ろしく冷たかった。


「悪いが、私は子に対する愛情というものを持ち合わせていない。しかしお前が私の産んだ子であることは事実。お前には生まれる前から決められた大いなる役目がある」


 麗羅はそう言うと、幻夜に向かって手招きする。幻夜が麗羅の方へ歩いてくる。結羅の真横に並んだ時、突然麗羅が何の前触れもなく幻夜の胸に手をかざし呪文のようなものを唱えた。幻夜は反射的に後ろへ飛び退く。しかし一歩遅かった。幻夜の着ていた服は燃え尽き、上半身が露わになる。その胸には、焼け焦げたように対の勾玉のような模様がくっきりと刻印されていた。


「貴様!」


 幻夜が胸に手を当てながら、獣が敵を威嚇する時のような表情で麗羅を睨む。

 麗羅は表情を変えることなく幻夜を見据えている。


「これは“予感”だ。お前にとって悪いことではない」


 麗羅はそう言うと、今度は結羅を見た。結羅はドキッとして身構える。麗羅はふっと笑って言う。


「お前に呪文はかけない。お前には時期が来たら別の呪文を教える」


 結羅は自分の意思でここへ来たはずなのに、全て麗羅の思惑で誘い出されたかのように感じていた。


「私の用は済んだ。いずれお前はまたここへ来るだろう。その時にまた会おう」


 麗羅がそう言うと、控えていた魅羅が現れた。


「里を出るまでついて行く」


 洞窟から出ろと促される。幻夜は黙ってその場に立っていた。


「幻夜。大丈夫?」


 結羅は思わず声をかける。焼印のような胸の模様は、幻夜の白い肌から浮き出るように存在感を放っていた。丸い形の刻印。真ん中にS字のような割れ目があり、二つの勾玉が互いに追いかけあっているように見える。一方は黒で塗りつぶしたように、一方は枠のみだった。


 結羅は動かない幻夜を心配そうに見ている。麗羅は何も話さない。


 やがて幻夜は踵を返し穴の出口に向かって歩く。一言も発さずに。結羅は慌ててその後をついて行く。


 幻夜が先頭で、その後ろに結羅、魅羅が続く。


 沈黙に耐えかねて、結羅は魅羅に質問してみた。


「魅羅····さんはここで生まれたんですか?」


 雰囲気のわりに軽いノリで話してしまった、と結羅は少し後悔する。魅羅の表情は見えない。足音もあまり聞こえず、雰囲気だけで後ろにいると辛うじて分かる。魅羅は麗羅とは違い畏怖の念は感じないが、ピリピリとしていて、研ぎ澄まされた針を軽く全身に刺されているような、そんな雰囲気を持っている。


「····くだらない質問をするな。雪女は皆ここで生まれる。お前は例外だ」


 何となく物言いに聞き覚えがある。見た目とは裏腹に、魅羅の性格は少し支狼に似ているような気がした。麗羅の前では違ったが。


 へこたれずに、結羅は少しでも情報を持って帰ろうと続けて質問する。


「魅羅さんのお母さんも雪女なんですか?」


 ピリッと苛立ったような、より鋭くなった針を深く突き立てられるような感じがして、結羅は思わず声が出そうになる。


「雪女は山から生まれる。母などいない。人間と一緒にするな」


 あくまでも冷静さを保とうとしているのは感じられる。おそらく結羅が麗羅の娘だからこれでも気を遣っているのだろう。娘でなければ里に入る前に一瞬のうちに殺されているだろうと想像し、結羅の顔は蒼白となる。少なくとも自分は歓迎される立場ではないようだ、と実感する。


 これ以上は何も言うまいと口を閉ざし、結羅は黙々と出口に向かって歩いた。


 洞窟の外に出ると、先程はあった人影がなくなっていた。しーんと静まり返った里に、雪がしんしんと降り注いでいる。


 結羅はそういえば、とあることに気づく。夜目が利いていることだった。明かりがあるとはいえ、全く不便ではないほどに周囲が見える。それは覚醒したことと関係があるとしか思えなかった。

 雪女たちも、明かりの少ない中で生活出来ているということはそういった能力があることは想像出来る。


 里を出ると、いつの間にか魅羅の姿はなかった。見送り、というより見張りだったのだろう。結羅はここに来たばかりの時、寒いと思ったが今は寒くない。体が慣れたのだろうか。


 幻夜は相変わらず黙ったままだ。


 どうしようかと結羅が思っていると、幻夜が振り向いた。先程までは緊張していたし、刻印に目がいってさほど意識していなかったが、幻夜の裸の上半身を改めて見て結羅はひぇっとなる。


「····警戒していたのにやられた」


 幻夜はチッと舌打ちして機嫌悪そうに言った。結羅は幻夜から目を背けるように横を向いて言う。


「で、でも、『お前にとって悪いことではない』って言ってたよ」


「それは麗羅自身も結果が分からない“予感”だ。これはかなり強力な“呪い”だ。こんなものを瞬時にかけることが出来るとは、俺も予想していなかった」


 幻夜は悔しそうな表情で言う。幻夜のこんな顔を見るのは初めてだ。それだけ麗羅は強力な相手だったということだろう。


 夜が明ける前に家に戻らなければならない。結羅は幻夜を横目で見る。服をどうにか出来ないかと思うが、自分の服を与えるわけにはいかずどうしようもない。


 幻夜が何も言わずに結羅を抱き抱えた。お姫様抱っこというやつだ。


(ええっ!? よりによってこれはやめて!)


 結羅が言おうとするが、その前に幻夜は勢いよく飛び立ってしまった。


 幻夜の顔が近い。首筋から髪の生え際までハッキリ見える。髪や瞳などその人間離れした容姿と身体能力に、改めて幻夜は妖魔であると実感する。半分は自分と同じ。自分が妖魔であると実感してから、幻夜を近く感じていたのは事実だ。


 ふとサキのことを唐突に思い出す。あの短く綺麗な金髪。サキも幻夜のことを近くで見ていたのだろうか、という考えが頭をよぎり、ハンマーで殴られた後のように急に頭が重くなる。


(彼女や奥さんのことを考えると、いつもこうなるのよね)


 結羅は冷静に自分の思考を分析する。幻夜と接するのは本当は嫌ではない。しかし何故か拒否しようとする自分がいる。


(私は幻夜をどう思ってるの? お母さんとも太悟兄ちゃんとも、友達とも誰とも違う。好きなのか嫌いなのかも分からない。得体が知れないから?)


 結羅は麗羅と会ったことよりも、幻夜のことばかり考えていることに気づきハッとした。


(そうだ。私は自分を知るために、麗羅に会いに行ったんだった。私は自分を知れたのかな)


 結羅は雪女の里でのことを思い出す。短い時間だったがインパクトは大きかった。

 しかし麗羅の言葉からはあまり情報が得られなかったと結羅は思う。『大いなる役目』と言っていたが、それが何なのか皆目見当がつかない。

 麗羅の目的は、幻夜に呪文をかけることだったのだろう。自分たちはまんまとそれをさせてしまったというわけだ。


 結羅は完全に麗羅の手のひらで踊らされていたと実感する。


(あれが厳雪山の主····)


 『時期が来たら別の呪文を教える』とも言っていたことを思い出す。また自分はあそこへ行くのか? と思い顔を振る。


(もう二度と行かない! 絶対に!)


 幻夜は急に顔を振る結羅を見てくすっと笑う。


「何を考えてる? 収穫はあったか?」


 幻夜に聞かれ、結羅は我にかえる。


「····あった、のかな。目での収穫は十分あったと思う。雪女の里を見られたし。もっと他の雪女にも会いたかったけど、皆近づいて来なかったね」


「俺がいたからな。警戒していたんだろう」


 結羅はそうだと思い出すように言った。


「幻夜、よく一緒に行くって言ったよね。妖狐族と一緒に里を攻めたんでしょ? 雪女たちが受け入れないのは当然だよ」


「結羅一人で里に行けたのか?」


 結羅はぐっと押し黙る。


(というか、存在すら知らなかったし。幻夜が何も言わなかったら、呪文をかけられることもなかったよね)


 幻夜の胸の刻印をチラリと見る。


「私のために一緒に行ったの? それとも他に目的があったから?」


「結羅のために決まってるだろ?」


 幻夜がニコリと笑って言うのを、結羅は疑いの眼差しで見る。こういう笑い方をする時には裏がある、と結羅は思っている。


「嘘。私のことなんて考えてない。自分の目的のために私を利用しようとしてる幻夜なんて信用しない」


「別に利用しようとしていない」


「してるよ! 『解放』して欲しいんでしょ? 私に。そのために近づいたんでしょ?」


「········そうだ」


 あっさりと認めた幻夜に、再び無性に腹が立ってくる。


「私に『解放』して欲しいなら、見返りがないと割に合わない。何もなしに『解放』だけさせられるなんておかしいよ! もしそうなら関係は解消し····」


 幻夜が急に大木の上で立ち止まったかと思うと、突然結羅の口は塞がれた。

 月明かりのみに照らされた木々が、その光景を息を飲んで見守るように、静かに佇んでいる。

 幻夜の柔らかな銀髪が結羅の頬を撫でる。

 結羅は目を見開いて少し抵抗するが、首の後ろを押さえられていて逃れることが出来ない。


 結羅は息が出来ないほど長く、幻夜と唇を交わしていた。


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