機械仕掛けのアイラブユー
「おかえりなさい!」
一軒家の玄関の奥から聞こえてくる声。仕事でクタクタになった55のおっさんの精神を安心させてくれる、人間味のある明るい声。何か普通と違うところがあるとすれば、その発声元が古びたボイスレコーダーであることだろうか。
私の妻は23で死んだ。病気がちだった彼女は体も弱く、病院の外で過ごしたのは、私たちが付き合い始めた大学二年の夏から数えて半年、一緒に暮らしたのは4か月だけだった。それでも私は彼女が家にいた時の生活が忘れられなくて、毎日決まった時間の電話に加えて、ボイスレコーダーに声を入れてもらっていつでも聞けるようにした。それを初めて提案した時、彼女は苦笑していた。思えば、彼女の死を腹の底で感じていたからこその行為だったのだと思う。
彼女が死んだとき、私は気を紛らわそうと工学部の知見を活かして、夜に玄関を開けたら録音を自動的に流すような仕掛けを作った。電気もテレビも自動で点き、家に誰かがいるように演出してくれる。彼女の会話パターンを機械にひたすら打ち込んで、ある程度の会話が可能なチャットアプリも開発した。私は機械の奥にいる彼女に愛情を抱くようになった。
「大好きだよ。おやすみ。」
録音の最後の音声だ。日を跨げばボイスレコーダーは自動で最初に戻り、7時ぴったりにおはようを言ってくれる。これが私の目覚ましだ。彼女は夕飯は何が食べたいか、毎朝聞いてくる。私は毎回返答し、自分で材料を買って自分で作っている。彼女はいただきますを言うくせに、一口も食べない。私は毎日同じツッコミをし、毎日同じように笑っている。機械は私の生活に浸透しきっていた。
ある日、仕事から帰ってくると声がしない。電気も真っ暗だ。心がざわめく。いつもは綺麗なはずの散らかった床を歩き、リビングのスイッチを点ける。窓ガラスは砕け散り、テレビがなぎ倒され、箪笥も見渡す限り開けられていた。泥棒にあったようだった。私の機械仕掛けの妻は泥棒に踏み壊され、録音のテープは泥まみれになって無残に破れていた。30年前のフィルムだ。もう修復は不可能だろう。そう悟った瞬間、私は悲鳴を上げた。それは、もはや還暦前の男性のそれではなく、赤ん坊が愛を求め泣き叫ぶ声そのものだった。30年近い機械との日々は私の生活そのものだった。私はボロボロのテープを胸に抱き咽び泣いた。もう私の愛情は妻へのものではなかった。私の日常に平穏と安心をもたらすその機械を、私は心から愛していた。
今日も私は破れたテープを胸にベッドに潜る。寂寥とした我が家とともに。