閑話 初めての感情
あの日、俺は運命に会った。
いつもと変わらない日になるはずだった。
俺は他の貴族と違い、下位貴族にそこまで思い入れはない。
確かに保護欲はそそられるが、近づけば父のように泣き叫ばれることはわかっているし、別に姿だけを愛でる趣味だってない。
だからあの、年に一回、下位貴族の子供を合法的に愛でる、俺にとっては悪趣味な会はただの義務でしかなかった。
毎年、本当は傷ついているくせに、その責任感から高位貴族の影響力を知らしめる為、父はあの場に立って挨拶をする。
下位貴族を遠くから愛でるだけで幸せだと皆は言うが、果たしてそれは幸せなのだろうか?
こんな疑問を持つ俺はおかしいのだろうか?
何の答えも出ないまま、その日はやって来た。
いつものように城の庭の真ん中に魔術でこちら側からだけ見える壁が作られる。
そこから今日を楽しみにしていた高位貴族が下位貴族を眺める。
俺も母である王妃、弟、妹と一緒に席について父の挨拶を見守っていた。
ああ、今回も父は怯えられてしまって、また心に傷を作ってしまうんだろうな。
そしてその役目は、このまま順当に行けば俺に引き継がれるんだろう。
まあ、俺は父ほど下位貴族に思い入れはないから大丈夫だ、何なら父の代わりに成人したら俺がその役目をすぐに引き継いでも良い。
そうすれば父はこちらから下位貴族を愛でれば良いのだから。
そんなことを考えながら俺は父の登場を待った。
父が姿を現した。
案の定、下位貴族の子供達は泣く、叫ぶ、丸まるといつも通りの行動をした。
そう、いつも通りのはずだったんだ……………
え? あれは…………何だ?
父を前にしても、変わらない。
キョロキョロ周りを見て困惑するだけで、怯えているわけでもない。
その子はピンクの淡いドレスを纏った、栗色の髪に、手触りの良さそうな尻尾、目がクリクリして、とても………非常に愛らしい少女だった。
何であの子はあんなに普通なんだ?
その様子に気付いたのは俺だけではなかった、周りの高位貴族も興奮していた。
母や弟、普段俺と同じく下位貴族にそこまで興味を示さない妹もキラキラした目であの子を見ている。
…………ダメだ。
アレは、あの子はオレのものだ。
誰にも渡さない!
…………なんだ? この感情は? 俺はどうしたんだ?
話したこともないのにこんな感情を抱くなんて………俺はこの国の第一王子………こんな感情に振り回されるなんてダメだ………だが、なんなんだこの心の底から湧き上がる感情は!
早くあの子に会いたい!
会って抱きしめて、それから、それから…………どうする?
まだ婚約者が決まっていないが、そろそろ候補者を選定すると聞いている。
果たして下位貴族と婚約など許されるのだろうか?
…………一体俺は何を考えているんだ?
今日初めて見た下位貴族、しかも話してもいない相手にこんなことを考えるなんて。
今まで令嬢相手にこんな感情を感じたことは一度もない。
俺は………俺はどうしてしまったんだ?
俺が心の中で戦っている間に父は退場したようだ。
その後すぐに別の魔術の壁が作られた。
どうやら先程のあの子を呼ぶようだ。
父に頭を撫でられている。
しかも笑顔で…………なんで、あんな顔で父に撫でられているんだ?
あの顔は俺だけが見れれば良いのに………。
………ダメだ、俺はどうしてしまったんだ。
そうこうするうちに、侍従が俺を呼びに来た。
父が俺をあの子に会わせてくれようとしているらしい。
だが、母と弟、妹も付いて行くと無理矢理引っ付いて来た。
本当なら断りたいところだが、そんな時間も惜しい。
俺たちは競うようにあの子のいる場所へと急いだ。
天使がいる………。
笑顔で挨拶された。
フローラ………ああ、なんて可愛い名前なんだ。
真正面から、余すことなく見つめる。
なんでこんなに可愛いんだ………それに俺のことをジッと見つめてくれる………ああ、そんなに見つめられると俺は…………。
本当はいつまでも見つめていたいのに、あまりの可愛さの破壊力に視線を下にしてしまう。
自然と顔に熱があつまるし、身体も震える………歓喜のあまり震えが止まらないのだ。
俺が、俺の天使フローラの可愛さにやられている間に、妹が動いた。
なんと天使を抱き上げたのだ!
おい、ミランダ、普段表情あらわさないくせになに幸せそうに天使抱きしめているんだ!
俺は自分でも気づかないうちに身体を動かしていた。
すると、俺の腕の中に天使がいた………。
!!! 天使がいる!?
かわいい!かわいい!かわいい!
天使が俺をさっきのように見つめてくる。
さっきよりも近くで。
ああ、なんて幸せなんだ………心の奥底から愛しさが溢れてくる。
こんなの、もう逆らえるわけない………俺は天使、フローラしかいらない。
弟が突っ込んできたが、俺は天使を落とさないよう避け続けた。
だが、俺たちは気遣いが足りなかった。
なんと、天使を泣かせてしまったのだ。
気付いた時には遅かった、俺にできるのは天使を父親に返すことだけ。
その後宰相が来て激怒された。
俺は天使が泣いたことがショックで意識がどこかに飛んでいた。
あっという間に天使は俺の元から去ってしまった。
一度あんな幸せを味わってしまったらもうあの頃には戻れない。
俺は天使に会いたくて、また抱きしめたくて、父に頭を下げた。
どうか、あの天使に会わせてくれと。
父もまた天使に会いたかったようで、天使の家に謝罪とまた会えないかという手紙を送ってくれた。
ああ、早く会いたい。
今度会ったら何をしよう。
美味しいお菓子をあげたらあの可愛い口で頬張ってくれるかな?
きっと可愛い。
今まで貴族の令嬢にプレゼントなんて贈ったことなどないが、天使には何だって贈りたい。
喜んでくれるだろうか?
今から楽しみでしょうがない。
弟が俺が変わったと騒いでいたが、俺はこれでいい。
もうあの頃へは帰りたくない!