第3章:錬金術師は消毒薬の夢を見るか?(第2話)
「直接ギルドの建物には入らないんですか?」
「なぜ奴らがギルドを形成していると思う? 技術の向上のため? 公平に仕事を分配するため? それもそうだろう。相互扶助のため? それもギルドの大きな価値だろう。だが、最大の理由は、交渉力の増強だ」
「ははあ…。つまり、何も手土産なしでは情報を得られない、という事ですね」
「こんな焼き菓子くらいで話を聞いてくれればいいが、ないよりはずっとマシだろうな」
「ギルドのイメージでいうと、甘いお菓子よりも酒が好まれると思っていました」
「ふむ。一昔前まではそうだった。だが、今のギルドでは酒よりも甘い物が好まれる。まあ、いずれ解るさ」
「ところで、鍛冶屋のギルド、というのはなんとなく解るのですが、錬金術師がそこに加わってくるのは、違和感がありますね」
「違和感だと? それはなぜだ? お前は、錬金術を疑似科学などの非科学的な類だと思っているのか? だとしたら大きな勘違いだ。確かに、金の精錬にはまだ成功していない、だが副産物は金にはならないが金になっている」
「ええ、それは解ります。かのニュートンだって、どちらかというと錬金術が本業で数学は趣味みたいなものだったと言いますからね。最初の数学者ではなく最後の魔術師だと言われたとかなんとか…」
「ニュートン? 誰だそれは」
「あ、いえ、ごめんなさい。気にしないで下さい」
「では改めて訊くが、お前の、錬金術師がギルドを形成している事に対する違和感の要因は何だ?」
「そうですね…それは、金の価値に関する違和感かもしれません」
「金の価値…か。続けてみろ」
「仮に、錬金術が成功して、かけた費用以上の価値を生むだけの金を生産する事ができたら、金の価値はどうなりますか?」
「シカイよ、お前は奴隷にしては察しが良すぎる。お前がお前の国でどんな立場の人間だったかは知らないが、そこそこ優秀な人間だったのだろう」
「…畏れ入ります」
「お前が言いたいことは解る。物の価格は何で決まるか。主に2つの要素だ。1つは、希少性、つまり供給量。そしてもう1つは、需要量だ。お前が言いたいのは、金が量産できてしまえば、その価値は暴落し、錬金術自体の存在価値が失われる、という事だろう」
「ええ、その通りです。だから、もし僕が錬金術師だったら、ギルドなんかで徒党を組まずに、ひとりでこっそり研究しますし、金の精錬に成功したとしても、それを人に話したりはしないと思います。隠して独占します」
「道理だな。では、優秀なお前に再度問おう。そのリスクがありながら、なぜこの国では、錬金術師がギルドを形成していると思う?」
「この国では…とおっしゃいましたね。という事は、もしや、錬金術は国家事業なのですか?」
「近い。国が直接手を下している訳ではないが、ギルドに研究を委託している。つまり、錬金術には国から予算が出ている。他の国にその技術がなければ、この国で価値を独占できるからな」
(供給量を調整して価格を釣り上げる石油みたいなものか…)
「なのに、手土産が必要なくらい、国はギルドを管理できていないのですね」
「痛いところをつくじゃないか。だが、そのとおりだ。錬金術をやる人間たちが、国に全ての情報を公開しているかは解らない。やつらも自分たちで価値を独占したいのさ。まあ、国内で金の供給量が増えれば、すぐにバレるのだがな」
「なるほど…。ちなみに、錬金術のスキルを持った人はいないんですか…? スキルで簡単に金を生成できてしまうような…」
「いない。と言いたいところだが、解らん。本当にそんなスキルを持った人間であれば、スキル自体を隠すか、またはスキルが他人に知られた段階で反社会組織にでも監禁されてしまうだろうな。お前がさっき言っていた事と同じだ」
「…理解しました」
「さあ、ギルドに乗り込むぞ」
「で、ミドルトン殿は、そこにいる奴隷の依頼で我々のギルドを訪なうた、という訳だ」
「見損なって貰っては困る。確かに多くの奴隷は労働力だ。そして、優秀な奴隷の存在は国にとってリスクとなる。私はまだ、この男に関してはそれを見定めている段階だ。国が安易に奴隷の依頼を引き受けている訳ではない」
「なるほどな…」
「これは手土産だ。ここのギルドの連中は、甘いものに目がないだろう?」
「随分と気安いな。だが、ありがたく頂戴するとしよう」
(ミドルトンさん、驚きました)
(何がだ?)
(まさか、鍛冶屋や錬金術師をまとめるギルド長が、こんなに若い女性だなんて…)
(酒よりも焼き菓子が効く理由が理解できただろう。菓子の差し入れが多いから、虫歯も多いだろうな。このギルド長だって例外ではあるまい)
「おい、聞こえているぞ」
(おまけに地獄耳と来ている)
「地獄耳で失敬だったな。ミドルトン殿のお立場だ。我々に何を言おうと、失言にはあたりますまい。でもこれだけは言わせてもらおう。ギルド長が女だったり、ギルドの構成員に女性が多いからと言って、甘い物の方が喜ばれるというのは先入観だ。女を見くびるな」
「…そうか。いや、悪かった」
「…いや、こちらこそ言い過ぎた。自分は実際、甘党だ…ふふっ」
(なんだそりゃ? 今後も手土産は甘い物をもってこい、というメッセージか?)
「ギルド長さん、失礼ついでに訊いてもいいでしょうか?」
「奴隷風情が質問か。いいだろう。言ってみろ」
「ギルドの構成員に女性が多い、とおっしゃいましたね。なぜ、このギルドではそんなに女性が活躍しているのでしょうか? 僕の国は男性社会だったので、そこに驚いているんです」
「…それは自分ではなく、ミドルトン殿が回答されるべきではないか?」
「そうだな。私が答えよう。一言で言えば、長引く戦争で優秀な男が少なくなっているからだ。正直、この国では現在、女性比率が高まっている」
「それはつまり、男は戦場に出向いて戦死してしまうから、という事ですか?」
「その理解で間違いない。だから、彼女のように、優秀な女性が多く登用されるようになってきている。仕方なくな」
「ミドルトン殿、口を謹んでもらおう。仕方なく、はないだろう。優秀な人材に、女も男もあるまい」
「…いや、悪かった」
「それに、男手の供給は奴隷でもって賄われているだろう? 男が少ないというのは言い訳ではないのか?」
「それは、奴隷を主に労働力として使っているからだ。奴隷がいくら優秀であっても、要職への登用はしていない」
「なるほど。では今後は考えられる事だな。自分のような女管理職の存在が目障りであるのならな」
「…そうは言っていない。それに他国から連れてきた奴隷を要職に就けるのは、自国民の理解を得られないだろう…いや、この議論はもう止しにしよう…」
(なるほどね。ミドルトンが鍛冶屋のギルドを嫌がったのがよく解った…。確か、日本でも戦後は男性が不足して、女人禁制だった神社の神主なんかに女性が就くケースがあった、なんて話を聞いたことがある。存外に、男女比率の最適化の摂理というものは、戦争を前提にしているのかもしれないな…)
「ギルド長さん、もう一つお伺いしてよいですか?」
「なんだ? 言ってみろ」
「虫歯の事です。ギルド長さんは甘党だとおっしゃいましたが、実際に虫歯の悩みはお持ちですか?」
「まるで、虫歯で悩んでいない人間がこの世の中に存在するかのような物言いだな。それを奴隷であるお前に言う必要があるのか? もしそれが自分の弱点だとしたら、他人に教えるのはリスクでしかない」
「ギルド長、教えてやってくれ。この男、もしかすると歯の悩みを解決できるかもしれん」
「なんだって? それは…お前は、虫歯を治すスキルを持っているのか? そんなスキルが存在するのか?」
「い、いえ、スキルは持っていませんが…歯の治療について、他の人よりは詳しい、というだけです」
「…それはつまり、自分に虫歯の悩みがあったとしたら、それをお前は解決できるかもしれない、という事か?」
「ええ、そういう事です。その言い方だと、痛む虫歯があるんですね?」
「見くびるなよ! 自分がどれだけ甘いもの好きだと思っている」
(それは自慢にならないような…)
「失礼しました。よく解りましたよ」
「いや、こちらこそ失敬。もし虫歯の根本的治療ができるのであれば、それは偉大なる救済だ。多くの甘党を救う事ができるのだぞ」
「ギルド長よ、今回私たちが訪れたのは、まさに、その虫歯治療について協力を仰ぎたいからなのだ。力を貸してくれるか?」
「甘いお菓子のためであれば、このギルドの名誉にかけて、全力を捧げる事を約束しよう!」