第2章:美少女でも歯並びが悪ければ口臭はキツイ(第3話)
「クーリー? クーリー! 来たわよ~…。いないのかな…。あ、荷物は適当に置いちゃっていいと思うからね、シカイ」
「ええ、解りました。とは言え、テーブルの上も床も雑然としすぎていて、どこに置いたものやら…。それに、酷い臭いですね…。ところどころに抜歯した歯が散乱しているし、血液も満足に掃除していないみたいだ。散髪台の周りの髪の毛は掃除されているみたいだけれど…感染症の温床だな、これは」
「そうお? 床屋なんて大体こんなものじゃないかしら。わたしも、時々クーリーに髪の毛を櫛ってもらったり、梳いてもらったりしにくるよ」
「ははあ。それでクーリーさんは、カネマラさんの歯を狙っているんですね」
「うふふ。そうかもね」
「床屋という割には、鏡がないですね。ハサミとクシ、それに手術道具っぽい工具はあるみたいですけど」
「さすがに、鏡は高級品だもの。よほど貴族を相手にしているお店じゃないかぎり、大きな鏡は置けないんじゃないかな」
(高品質な鏡の製造は、13世紀から始まって17世紀くらいには量産体制が築かれているはず。それでも高級品には違いないか…)
「で、シカイ、あなたがクーリーに訊きたいというのは…」
「ええ、2つです。その『痛みを消すスキル』という物についてと、抜歯や手術に使っている道具についてです。スミマセン、カネマラさんは、クーリーさんが苦手だと知っていながら…」
「それが解る事でわたしの歯の治療につながるのなら、どうってことないわ。あ、ほら、帰ってきたみたい」
「おっ! まさかカネマラの方から来てくれるとは思わなかった。ちょっと待ってろよ、すぐに抜歯してやるからさ」
「い…いえ、遠慮しておきますわ」
「…服がだいぶ血まみれですね」
「ん? 気になるかい? 奴隷くん。しくじったよ。爺さんがあんまり動くものだから、想定よりも深く切っちゃってさ。まあ悪い血を多く出せたんだから、大丈夫っしょ」
(爺さん、死んでないだろうな…)
「クーリー、今日はまだ、わたしの抜歯はお預けでお願い。用があるのは、その奴隷くんの方なの」
「なに? 奴隷の立場で? まあいいけどさ」
「お忙しいところスミマセン。僕も人の歯の治療に興味があるものでして…」
「へえ、そうなんだ。ああ、どこの国から連れてこられたんだっけ? 聞いたことがあるよ。虫歯に悩まされている国民がほとんど居ない国の話。そんな天国みたいなところがあるのかねえ? そこから連れられてきたの?」
(虫歯に悩まされていない国…だって? 近代歯科医療が発達しているのか…? それも気になるが、今は深堀りしないでおこう)
「クーリー、シカイは連れてこられた時のショックで、記憶を色々失ってしまっているの」
「ああ、それは不幸だねえ。まあいいや。何を知りたいんだい?」
「ええと…。じゃあ、まず、抜歯に使っている道具を見せて頂きたいんですけれど…」
「道具? ああ、いいよ。ほら、ちょっと血がついちゃってるけれど、この革製の道具入れに入っているのが、だいたいそうだよ。色々あるだろ?」
(確かに色々あるけれど…)
「…抜歯は、このペンチでやるんですか?」
「そうだよ。それ以外にどうやるのさ」
「…ああ、ノミとトンカチもありますね」
「抜くのが難しい奥歯なんかは、それで砕いてとりだしちゃうね」
(水平埋伏歯なんかに使うんだろうか。麻酔なしでやられるのは痛そうだ…。現代医療でも、稀に骨ノミやマレットを使うけれど、明らかにこれは専用道具ではなく、大工道具だ。やり方を間違えれば、顎の骨も砕けるだろう。ああ、それで顔の形も変形してしまう訳か)
「このヤスリは…」
「虫歯の黒いところを削ってやるのさ。抜歯が必要ないところはね。あと、歯をきれいにするために、表面を磨いてやったりもするよ」
「なるほど、ありがとうございました。だいたい解りました」
(ある意味想定通りだったな…。しかし、いずれも工具の精度が悪い。ヤスリなんかデタラメに凸凹をつけただけだし、高さも一定じゃない)
「他には? 訊きたい事がある?」
「スキルというものについて教えて下さい。クーリーさん、あなたには、痛みを一時的に消す力がある、と聞いたのですが、そんな超能力が本当に存在するんでしょうか?」
「チョウノウリョク? ああ、スキルのことか。え? あんた、スキルの事を知らないの?」
「…記憶を一部失ってしまっているもので…」
「そうか…。じゃあ、奴隷くん、あんたも、自分自身に何かスキルがあるか、は解らない訳だ」
「僕に…スキル…? ええと、そのおっしゃい方だと、この世界では、多くの人が何か特殊なスキルを持っているように聞こえるんですが…」
「そうだよ。でも、全員が持っている訳じゃないし、地域によっても偏りがあるみたい」
「そうなんだ…。ちなみに、この街ではどのくらいの人がスキルを持っているんでしょう?」
「さあ…。スキル自体を隠している人も沢山いるからね」
「隠す? それは、人に知られると、リスクがあるという事ですよね。例えば、どんなスキルが存在するんでしょうか?」
「本当に人それぞれだよ。火を起こせるスキル、風を呼べるスキル、氷の矢を放てるスキル、みたいな危険なものから、人を笑わせるスキル、料理の味をよくするスキル、しおれた花を元気にできるスキル、みたいな平和なものまで」
(それが事実なら、完全に物理の法則を無視している…。魔法みたいなものか。なるほど、そういう世界に、僕は転生してしまったという訳か)
「かなり多種多様なんですね…。カネマラさんにもスキルがあるんですか?」
「わたし? わたしは…残念ながら、これといったスキルはないよ。普通の人」
(歯痛と口臭の悩みを持った…普通の女の子…か)
「軍事目的で使えそうなスキルを持った人は、特に隠したがるね。徴兵されたくないだろうし、そういうスキルがある事で命を狙われたりするだろうから。どのくらいの人がスキルを隠しているのかは、あたしには解らないな~」
「あら、クーリー、南の国では、国家機関で国民のスキルを全て管理している、と聞いた事があるのよ。ええっとねえ、『南のお告げ所』だったかな。そういう国家施設で、役人さんたちが管理しているんですって」
(周辺国家も有象無象だ。ミドルトンから情報を得る必要があるな。周囲にはどんな国があって、この国はどの国を攻略しようとしているのか)
「さて…で、あたしのスキルは、痛みを一時的に消すスキルさ。理にかなってるだろ? このスキルがあるから、あたしは床屋をやってる。あたしの抜歯は痛くないって評判なんだぜ?」
(確かに、道理だ…。彼女のスキルがあれば、麻酔薬は要らないのか…)
「あの…好奇心で申し訳ないんですが、僕にそのスキルを使ってみてくれませんか?」
「あんたに? いいよ? でも、あんた…理想的な歯並びをしているよね。やたらと白いし。あんたの歯を抜く必要はないかな」
「あ、歯は抜かなくていいんです。そのスキルを例えば僕の歯茎にかけたとき、どんな感じになるのかな…って」
「へえ、変な事に興味があるんだね。好奇心旺盛な奴隷くんかあ。いいよ、あたしの方に来て、口を大きくあけな~」
「あ~ん」
「…本当にいい歯してんね~。何これ? 歯の代わりに銀で入れ歯してるの? ん? 違うか…」
「あ、そのあたりの事はいずれ説明しますので、とりあえずかけてみてくれますか?」
「ああ、ごめんごめん。じゃいくよ。ほいっ!」
「……ええと…かかったんですかね?」
「うん、かかったよ。しばらく待つと効いてくるさ」
(魔法みたいなものだと思ったから、なにか光ったりでもするかと思ったけれど、期待と違ったな…)
「シカイ、どう? いつかわたしもそのスキルでクーリーに抜歯してもらうかもしれないから…」
「ええっとですね…。おお…おお~、なるほど。痺れてきましたね。指で触っても…何も感じない。腫れぼったい感じ」
(これはキシロカインで麻酔した時とかなり近いぞ。なんて便利なスキルなんだ)
「シカイ、どう? それ、痛くはないの?」
「おいおいカネマラちゃん、痛くなくするスキルが痛かったら世話ないじゃん」
「そ、そうだけれど…」
「うん、ありがとうございました。素晴らしいスキルですね。ちなみに、これ、どのくらいの間、効果が続くんでしょうか?」
「大体1時間くらいじゃないかな。あたしのスキルのかけ方にもよるけれど、かかる側の体質にもよるみたいなんだよね」
「1時間なら、ちょうどいいくらいですね…。このスキル、もしかして全身にかける事もできますか?」
「全身って、体全部ってこと? さすがにそれは無理じゃないかなあ…。やったことないけれど」
(ハロゲン化エーテル系の吸入麻酔とは仕組みが違うだろうから、いわゆる全身麻酔は無理だろうな。とは言え、使い方によっては脳の一部を麻痺させたり、心臓の一部を麻痺させたり、みたいな事もできそうだ。意外と危険なスキルだな…)
「さあ、満足したかい? 満足したら、カネマラちゃんの歯を抜こう」
「だから、クーリーってば!」
「ごめんごめん。へへ」
「クーリーさん、最後に一つ、教えて下さい。この道具を作っているのは、どなたなんでしょうか」
「基本的には、大工道具だからなあ…。街に鍛冶屋は沢山あるけれど、あたしはスキルがあるから、あまり道具にこだわってないんだ。でも、鍛冶屋のギルドに行けば、腕のいい職人だってきっといるよ」
「ギルド…ですか。なるほど」
(もし腕のいい職人がいれば、僕の指示のもと、もっと近代的な道具を作れる可能性があるな。コントラやシリンジは無理でも、ミラーやピンセット、探針やヘーベルやルートチップくらいは作れるかも。いや…モーターの代わりになるスキルを持った人が入れば、コントラやバキュームもあるいは…)
「ぜひ、ギルドに行ってみたいです。紹介してもらえませんか?」
「残念だけれど、奴隷の立場でギルドに出入りはできないと思うよ。カネマラみたいな女の子が一緒でも無理だろうね」