第2章:美少女でも歯並びが悪ければ口臭はキツイ(第2話)
「1階の部屋が余っているから、お前にひとつくれてやる。クローゼットに、使い古しだがそれよりはマシな服があるから、着替えるんだな。二の腕の焼印は絶対に隠すなよ。厳冬でも奴隷が焼印を隠す事は厳罰になっている。運が悪ければその場で刺殺、運が良くてもその場で刺殺だ」
「ねえ、着替え終わったら、わたしの買い物の荷物持ちを手伝ってくださる?」
「いいぞカネマラ。どんどん雑用で使ってやってくれ。少なくとも、お前の歯を治療できる事が解るまでは遠慮はいらん」
「うふふ。それじゃ…ええと…何とお呼びすればいいのかな?」
(それは、僕も訊きたい…)
「カネマラ、奴隷は奴隷だ。奴隷と呼べばいい」
「それではあんまりではなくって? ねえ、あなたのお名前は?」
「……」
「…言いたくないのなら、ごめんなさい…。そうね、自分の里を奪われたんですものね…」
(いや、その記憶はないんだ…)
「カネマラ、それが戦争だ。私たちも同じリスクを背負っている。特に、お前は女だ。それも美しい。私は、それが心配だ」
(歯並びと口臭以外は…か)
「でも、呼び名がないと、何かと不便じゃない? …ええと…」
「こいつは『シカイ』だ。そう言っていた。そうだよな?」
「シカイ…ええ、そうですね」
(『歯科医』だろ…。解って言ってるな…)
「シカイさん…ね。ちょっと変わったお名前なのね。よろしくね」
「ええと…ミドルトンさんはついてこなくてよかったんでしょうか? 今日会ったばかりの、奴隷である僕と、自分の大切な娘の二人だけで買い物に出させるなんて…」
「そうね。でも、パパはあなたの事を信用しているんだと思うのよね」
「信用? そうでしょうか」
「あなたが、自分の命を危険に晒すリスクを負ってまで、わたしに何か危害を加える理由はない、と判断したんじゃないかな?」
(ああ…そうか。そうだよな。少なくとも僕の歯科医療技術が本物であれば、僕がカネマラをどうこうする必然性はない、と考えた訳か)
「…今日は、何を買いに行くんですか?」
「食材よ。小麦粉とか野菜とか。小麦は特に重いから、持っていただけると助かるの。それにね…ほら、これ…」
「あ、扇子…。いい香りがしますね」
「ふふ。いいでしょ? パパが買ってくれたんだよ。布地に香水が染み込ませてあるの。外に出る時や、人と話す時は、これで口を覆って、歯並びが悪いのや、お口の臭いを防いでいるの」
「ああ…そういう事…。確かに、それがあると、両手は使いづらいでしょうね」
(となると、この世界、あるいは時代にはマスクは存在しないんだな。逆にマスクを作って売り出せば、そこそこいい稼ぎになるかも…)
「僕…どうも、奴隷として連れられて来る時に、頭を酷くぶつけてしまったみたいで…」
「あら…。大丈夫? かわいそうに」
「それで、記憶がなんだかおかしな事になってるんです。だから、色々訊いてもいいでしょうか?」
「ええ、いいよ。道すがらは暇だもの」
「ありがとうございます。それじゃあ…まず、この世界には『電気』がありますか?」
「でん…なんですって?」
「電気です」
「…ええっと…知らない言葉だわ…ごめんなさい」
(やはり電気はないか。街中なのに、電線らしきものは一切見当たらないからな…。となると、コントラがあったとしてもバーを回せない。空気圧式のやつでも、電気がなければ空気圧を送れないだろう。カネマラの歯を削るのは絶望的だ。あるいは、ヤスリを使って…。いやいや、麻酔がないとすると、考えるだけでも痛い…。レントゲンを望むのは、もっと酷だろう)
「じゃあ、薬についてはどうでしょう? エタノールとか、フッ素とか、ヨウ素とか、キシロカインとか…」
「うふふ、シカイは難しい言葉を色々と知っているのね。でも、ごめんなさい、どれもわたしには解らない言葉ね…。それは、歯の治療に必要な薬品なの?」
「ええ、そうです。でも、ありがとう。期待した僕が悪いんです」
「そう…。でもね、ええと…もしかすると、クーリーなら何か解るかも」
「クーリー? それは…職業の名前?」
「ううん。この街で一番評判のいい、床屋の主人の名前よ。この大通り沿いにあるの」
「あ~…なるほど」
「抜歯や瀉血は勿論、学府の人体解剖の時なんかには、いつも呼び出されているみたい。腕がいいのね」
「この街には、抜歯を行っている床屋は何軒くらいあるんですか?」
「さあ…解らないけれど…10軒以上はあるんじゃないかしら」
(そんなにあるんだ…。この街の人口規模は解らないけれど、5万人住んでいるとすると5,000人に1人以上か…)
「そんなに腕のいい床屋でも、カネマラさんは信用していない、ってことなんでしょう? 抜歯をしないって事は…」
「え、ええと…そうね。その、なんというか…」
「あ~! カネマラちゃんじゃん!」
「あ、ほらね、だから…」
「奴隷なんか連れて、どうしちゃったの? ついにあたしの腕に世話になる気になった? そのボロボロの歯と酷い口臭を治したくて、うずうずしてるんだからさ~」
(カネマラさん、こちらの威勢のいい女性は? 随分お若いようですが)
(今話していた、クーリーです。わたしが避けたくなる気持ち…解るでしょう?)
(ああ…。てっきり、白髪の中年男性だと思っていました)
「こんにちは、クーリー。今日は外出なのね」
「出張だよ。横丁の爺さんに瀉血を頼まれてさ。歩けないっていうから。悪い血を出しに行くのさ」
(…大丈夫なのか? それって爺さんに死亡フラグ立ってないか?)
「あたしに抜歯される覚悟を決めたんなら、夕方ころにあたしの店に来てくれよな。大丈夫、心配すんなってさぁ…。知ってるだろう? どうして、あたしの腕が評判がいいのか…さ?」
「え、ええ…。それはそうなんだけれどね…」
(抜歯の腕のいい床屋か…。となると、色々な専用道具を見ることができるかもしれないぞ。行ってみる価値はあるな)
「じゃ、あたし急ぐからさ、あとでね。きっと来るんだよ! 待ってるから! じゃあね~…」
「……行ってしまいましたね」
「…はあ…。困ったものね…」
「毎回、この調子なんですか?」
「街で会った時はね。学生時代の先輩にあたるんですけれど…床屋になってからは、わたしの歯を治すんだって、ちょっとしつこいの」
「その感じだと、クーリーさんの抜歯が要因で亡くなった方もいるんでしょうね」
「ええ、その通りよ。でも、彼女は、一生歯が痛いまま生きるよりも、死ぬリスクを背負ってでも抜歯してしまったほうがいい、という考えの持ち主なの」
(この世界の死生観という物だろうか…。命が軽いのか、輪廻転生みたいな考えが根付いているのか…)
「ちなみに、彼女の腕が評判…というのは? 他の床屋とは、何が違うんでしょうか?」
「彼女の抜歯は、痛くないんだそうです。瀉血もね。それ以外の手術も」
「痛く…ない? それは…麻酔薬がある、ってことでしょうか。例えば、麻薬とか…。または強いお酒…?」
「ううん。そんなんじゃないよ。彼女は、スキルの持ち主だから…」
「スキル…? それは一体?」
「彼女は『痛みを一時的に消す』という特殊スキルの持ち主なの」