第1章:歯並びがいいから殺される(第1話)
「…おい…おい…! 起きろ…」
(…なんだ…。やけに揺れるな…。やたらと暑いし、湿度も高い…。ここは…どこだ…? 何より我慢ならないのは、悪臭だ…。何の臭いなんだ?)
「おい…目を開けろ…。もうすぐ到着しちまうぞ…」
(到着だと…? どこに…。僕は…どうしてこんなところにいるんだっけか…)
「駄目だ、熟睡してやがる…。放っておくか…。他人の世話を焼いている余裕なんかねえんだ…」
(なんだ…? 何が起こっているんだ…? 目を…開けないと)
「おっ、起きたか」
(…さっきから僕に呼びかけていたのは、隣にいるこの男か…。布一枚のみすぼらしい服装、ボサボサの伸びた頭髪とひげ…しらみがたかってるじゃないか…。それに…ひどい口臭だ。悪臭の要因はこの男か? 随分と歯抜けだし、歯茎が腫れ上がってる。深刻な歯周病だな…。ここまでくると、治療する気すら失せる)
「…もうすぐ到着する。だが、聞いた話だと、その前の道すがらで一度降ろされるらしい」
「到着するって…どこに到着するんだい?」
「なっ…。なにを言ってるんだ? ふざけている場合じゃない。いいか、とにかく、俺たち全員が一度馬車から降ろされる筈だ。そこで、身体検査を受け、売り物になるかどうかを見定められる」
「売り物…。売り物って何を…。何か商売でも始めるんだっけか…?」
「お前…夢の続きでも見ているつもりなのか? まあいい。とにかく、身体検査の結果、健康状態の悪いやつは街に連れて行って貰えない。つまり…その場で殺される…多分…。対策は2つだ。1つ目は、自分の体をとにかく摩擦して、皮膚を赤くするんだ。血色がよく見えるからな。なあに、俺もお前も元気だし丈夫だ。まず大丈夫さ。そして2つ目は、もし健康状態でパスできなかった場合、奴らを説得するための貢物をするんだ。お前、何か持ってるか?」
「何かって…」
(なんだ? 僕も、この男と同じような風体じゃないか…。何も持っていない。布切れの服だけだ)
「そうか…何も持っていないか。まあ、大丈夫さ。お前は健康だ」
「君は何か持っているのか?」
「俺か? まあ…いざという時のためにな。ケツの穴の中に金貨を1枚隠している」
(うええ…人糞にまみれた金貨か…)
「申し訳ないけれど、僕は寝ている間にどうも頭を強くぶつけてしまったらしい。本当によく覚えていないんだ。もしかして…僕たちが…売り物なのか?」
「…本気で言っているのか…? ふん…。嘘ではなさそうだな…」
「嘘じゃないよ。教えて欲しいんだ」
「ちぇっ…。まあいいだろう。一言で言えば、奴隷として売られて行くのさ、俺もお前もな」
「奴隷…だって? この幌馬車の中にいる…全員が? 20人くらいひしめき合ってるぞ…」
「全員だ。仕方あるまい。戦に負けてしまったのだからな…」
(戦だって…? いったいここはどこなんだ? かろうじて幌の隙間から見える道は一切舗装されている感じじゃない…。現代日本…ではないのか? どうしてこんな事に…)
「おっ、いよいよだぞ。馬車が止まった」
「外から足音が…」
「しっ! 黙ってろ。下手に目立つと殺されるぞ…うおっ! 眩しい!」
「よおし、お前ら全員外にでろ! 今から我々の曇りなき眼でお前達を選別してやる。ヒヨコのオスとメスを選り分けるよりも惨めにやってやるから覚悟しとくんだな」
(なんだ…? 甲冑の男たちだ…。兵隊か…。見た感じ、16世紀~18世紀くらいのヨーロッパって出で立ちだが…日本語を喋ってるよな?)
「おい、急いで出るぞ。勢い良くな。奴らに、健康体であることを示すんだ」
「…解った…」
「よおし…全員外に出ただろうな? 出たら崖を背にして膝立ちで並べ。並んだら両手を空に突き出して、顎を上げてバカみたいに口を大きく開けてマヌケ面で待機しろ」
「隊長、まだ1名、中に残ってます」
「構わん、殺せ。そんなヤツは高くは売れんし、並べておけば他の商材の価値を毀損する」
(殺せ…って…中に残っている人、殺されるのか…?)
(…言ったろ…。商品価値がなければ殺される。無駄に生かしておけば飯代がかかるからな…)
(殺さずとも、野放しでもいいじゃないか…)
(そうやって野放しにした奴隷が、数年後に大部隊を編成して復讐に立ち上がった前例を俺は知っている)
(…なるほど…)
(おっ…引きずり出されてきた。あまり見るんじゃないぞ。次は俺たちの番かもしれんからな)
「た、助けてくれ! あ、足を怪我してすぐに出てこられなかったんだ」
「ほう、そうか。なら、殺す前にその足を切り落としてやろう。おい、誰か斧持ってこい」
(ほ、本当にやるつもりか…? まるで遊びじゃないか)
(遊びかもしれんが、俺たちに対する警告でもある。目をつぶって大きく息を吐き続けろ。悲鳴を聞くのは気持ちのいいもんじゃないからな)
「ぎゃああああああ!」
「なんだよ畜生。一撃で切り落とせなかったじゃないか。だが、オレの腕が悪いんじゃない。錆びた斧が悪いんだ。もう一発だな」
「や、やめてくれ…! ぐぁああああああああぁぁぁ」
「うるせえなあ~足一本くらいで騒ぐんじゃねえよ。あまり痛めつけるのも趣味じゃないから、オレの剣で、すぐに楽にしてやるよ」
「ま、待ってくれ! 私を殺すのはやめてくれ。あんたに貢物があるんだ。それでゆるしてくれ」
「ほう…。さあ、何が出てくるかな。見た感じ、指輪も耳飾りもなさそうだ。そういえば以前、胃の中から金貨を1枚出したヤツがいた。喉の奥に指を突っ込んでな。あれは酷い臭いだった」
「いや…今、ここには、ない…。街に住んでいる私の友人が、私のために螺鈿細工の櫛を仕立ててくれているんだ。それを、あんたにやる…」
「螺鈿の櫛…だと? ははあ…。そうか」
(どういう事だ? 僕にはよく状況が飲み込めない…。櫛に、説得できるほどの価値があるのかい?)
(あいつ…。もうすぐ結婚する予定だったんだ…)
「…そうだ…。まもなく妻になる予定の人に、渡すつもりだった…」
「なるほど泣かせるじゃねえか。そいつは残念だ。そして、この場に櫛がないのはもっと残念だ」
「ま、待ってくれ! ぐあああああああぁ!」
(お、おい…何の躊躇もなく刺したぞあいつ…。まじか…。剣の血糊を、死んだ男の服で拭いてる…)
(…ああならないように、とにかく俺たちに商品価値があることを示すんだ…)
「あー。服が血で汚れちまったよ…。たっくよぉ…。さて…。待たせたな。順番に健康状態のチェックと行こうじゃないか」