第4章:足踏み式ドリルを開発した少女も前歯は噛み合っていない(第2話)
「なるほどな…。これが、自分に作って欲しい道具のリストか。随分と多いな…それに、この大型の機械。これは自分ひとりでは手に負えないそ」
「き、きか、機械については、わ、わたしも、お、おて、お手伝いしますから」
「奴隷氏とターコネルが、ここ数日、部屋にこもって道具の設計図を引いていた事は知っている。この機械は奴隷氏の発案か?」
「いえ、ギルド長さん、それはターコネルさんが設計した物です」
「ターコネルが…。そうか。で、この機械はどんな機能を持っていて、どんな用途があるんだ? 相当金が掛かりそうだ。作るからには、それを超えるだけの儲けを出したい。汎用性があるなら、いずれ量産して街の鍛冶屋に卸したい、という事だ」
「これは、電気の力も空気圧の力も不要な、機械式の足踏みドリルです」
「どり…なんだと?」
「硬い物に穴を開けたり、削ったりする事が比較的簡単にできるようになります」
「ふむ…。で、奴隷氏は何に穴を開けるつもりなんだ?」
「2つの用途があります。1つは、このドリルを使って虫歯を削り取ります」
「歯を…削り取る…だと? 抜歯ではなく?」
「はい。まだ進行していない齲蝕であれば、削り取る事で抜歯する必要がなくなります。できれば歯は残したいですよね」
「想像するだけで痛いが…。なるほど理解した。で、もう一つの用途は?」
「歯ブラシを作るのに使います」
「歯…ブラシだと? ブラシを作るのに、わざわざ大掛かりな機械を?」
「ギルドに登録のあるブラシ職人に話を聞きましたが、歯ブラシのような、口の中に入る小さなサイズのブラシ加工は手作業では困難だそうです。穴あけも植毛も難しいとか」
「口に入るサイズのブラシ…。そもそも、何のために、歯にブラシをあてる必要があるんだ?」
(そうか、この世界では、虫歯予防に歯を磨く、という概念そのものがないのか)
「ギルド長さん、この世界や時代…というか国では、虫歯の原因は何だと捉えられているのでしょうか?」
「虫歯の原因? 巷では、悪魔だか亡霊の呪いみたいな言われ方としているし、実際に祈祷で痛みを除けると吹聴して商売している占い師を何人か知っているが…。詳しくは解っていないが、糖分の摂取量と虫歯の有無には相関がある、と聞いた事がある。だから、甘い物が要因だろうか…。それでも止められないのが甘い菓子だ。ふふっ」
「いいですね。じゃあ、甘いものを食べると、どうして虫歯ができるんでしょうか?」
「…まさか、砂糖の中に歯を悪くする成分が含まれているのか?」
「…ちょっと違いますね。砂糖そのものではなく、口の中にいる菌が、口に残った糖を餌として食べる時に、酸を出すんです。その酸が虫歯を作ります」
「菌…だと? それは虫の事か?」
「まあ…目に見えないくらい小さな虫だと思って貰えればいいですよ」
「なるほど理解した。つまり、ブラシで、その虫を取り除いてしまえば、虫歯にならないという事だな」
「ほぼ正解ですね。正確には、エタノールなどの洗口液で虫を殺し、研磨材とブラシで口の中に残った食べかすやプラークを物理的に掻き出します。口の中に、虫も、虫の餌もない状態にすれば、虫歯にはなりにくい、という理屈です」
「まさか、歯をブラシで磨こうとはな…。発想もしなかった。承知した。ギルドに登録している腕利きの鍛冶職人も何人か動員しよう。これも甘い物のためだ」
「よ、よか、よかったですね、ぎる、ギルド長さんが快諾してくれて」
「うん、ターコネルさんのおかげですね。でも、まだまだ考えたり、作らないといけない物があるんです」
「ま、まだあるんですね。そ、それ、それは例えば、何ですか?」
「現時点で揃いそうなのは、洗口剤&消毒液、麻酔、各種歯科道具、ドリル。これでできるのはまだ、虫歯予防と齲蝕部を削る事と抜歯と感染予防くらいなんです。少なくとも、削った後の詰め物をどうするか、と、歯科矯正をどうするか、を考えなければならない」
「つ、つめ、詰め物…」
「歯は、削りっぱなし、って訳にはいかないですからね。削った後に詰め物をして、噛み合わせを整えるんです。歯型は石膏でなんとかなるとして…何を詰めるのがいいのか…。パラ(パラジウム合金。銀歯の事)は難しいし、セラミックやCRもない。鉄だと口内の水分ですぐに錆びるだろうし…。そもそも日本ぐらいでしか使われていない銀歯をこの国で主流にしてしまってよいのか…。とはいえやはり、本物の銀を詰めるしかないか…」
「きょ、きょう、矯正というのは?」
「歯並びを良くするための治療です。審美的な観点と、咬合の観点の目的があります。今回、カネマラさんの治療には、齲蝕を削る事も、抜歯も、矯正も必要になるんですよね。矯正にはもっと精密な部品が必要です。マルチブラケットという小さな部品に、ワイヤーが少なくとも2種類。ああ、ブラケット取り付けにもCRが要るのか…あるいは脱着ができる強力な接着剤…。それと、双眼ルーペと無影灯があれば…。バキュームは仕方ないとして…」
「は、歯並び…。わ、わた、わたしも歯並びを良くすれば、はな、話すのが、す、少しはよくなるでしょうか?」
「歯並びを治すことが、直接的に吃音を治す事はないと思いますけど、発音はしやすくなると思います。それが自信になれば、あるいは吃音が良くなるかもしれないですね」
「も、もしよかったら、わ、わた、わたしを、じ、実験台にして貰えませんか?」
「矯正の、という事ですか?」
「…は、はい…」
「それは勿論いいですけど、矯正が終わるまでには1年以上かかりますよ」
「か、かま、かまいません」
「…解りました。そうですね、この世界で手に入る資材だけでの矯正施術になるので、カネマラさんに実施する前に、ターコネルさんで練習させてもらえるなら、ありがたい話です」
「あ、あり、ありがとう…」
「さて…残りの課題をどうやってクリアするか、を考えましょうか」