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桜エッセイ

桜の咲いたときにまた会いましょう。

作者: 千羽稲穂

ネットで出会った仲間達に捧げます。

 最近、あの頃の桜について人にしゃべる機会が多くなってきました。


 小学校の頃、私の小学校には桜の並木があったんです、とても綺麗で、その下で給食を食べたり、桜の花びらでベッドをつくったり、といった事柄をよくもいけしゃあしゃあと言ってのけるんです。


 全部一年目のエッセイに書いた事柄だったし、誰かに向けてエッセイを書いたら、そこで期限切れとでも言うように、口からぽろぽろと言葉にしてしゃべることができるんですが、これって創作者としてどうなのでしょうか。


 桜エッセイは、今年で五年目になります。飽き性の私がよくも五年続きました。これってすっごいことですよね、おそらく。


 始まりは、友達の作家さんが春についてエッセイを書いていたことでした。

 春は嫌いだ、とするエッセイでニヒルな笑みを浮かべて、でも真面目な文のまま、面白く書いてみせるものだから、私も書きたいって思って、こうして毎年四月になると書くようになりました。


 あの頃の桜の木を書きたかったし、私の幼い頃見た景色と今とを連動させたかったのもあったんです。今を生きる身の上として、生きてて良かったとは思えないのですが、それでも切々とした四月の痛みを捻出したかった。


 きっかけをくれた作家さんは、今でも連絡をとっていて、日々の何気ない事柄をたくさんおしゃべりしています。彼は面白い作家です。私は、一生彼のエッセイを超えられません。


 彼と出会ったのは、ツイッターでした。

 このエッセイを読んでくださっている方は、私とツイッターで出会った人が大半かもしれません。あるいは、私の作品を読んでくださって続けて読んでくださっていたりして。企画もたくさん立ち上げてきましたから、そこからって人もいますし、企画に参加して知り合った人だっているわけで、文フリなんかのイベントで出会った方もいたりして。


 みなさんは、出会いたい人っていますか。


 私は、これまでいろんな出会いの場にあってきました。私から話しかけたり、参加して出会ったりしたことが多いけれど、中にはほんのたまになんですが、私の作品を読んでつながってくださったりした人もいて。

 

 そういった人たちに出会った後に気づくんです。出会って良かったな、と。

 

 顔が見えないからこそ、大きく振る舞えたり仮面をつけて、自分を綺麗に見せられるからこそ、ネットのつながりは楽しいし、優しいものだと思います。

 ただ、創作は真逆です。創作の世界は優しくもなんともありません。辛辣な言葉もありますし、汚い自分をさらけ出すものでもあります。


 だからこそ、創作、とりわけ物語は嘘がない。人柄が大きくでるもの。誤字がたくさんあるひとは、大雑把なところがるんだな、とか。地の文で匂いの描写がある人は、そう言う感覚に優れていて、逆に少ない人はそう言う感覚に疎い人。こまめに見ていったら、創作ほど嘘のつけないものです。外面だけがその人の全てではないから。


 そういうところで出会った人達は、短い時間を共有しただけなのに親密に思えたりしませんか。


 私の創作の始まりは、あるボカロシリーズ好きで構成されたグループに参加したことでした。その頃は今ほど無断転載にうるさくなかったし、ツイッターも若者で溢れていました。「~が好きな人はつながりましょう」という誘い文句に簡単にのって、そのグループに入って、ありとあらゆるくだらないことをしゃべりました。

 構成されているメンバーはほとんどが高校生で、最年長が大学生という平均年齢低めのグループでした。


 このグループの栄枯盛衰は、またどこかの物語で紡ぐとして。このグループに入ったのが、私の創作の、いえ、今のありとあらゆるネットツールのつながりの始まりでした。たくさんのつながりを見て、いろんな人が消えていき、小グループができて、分散して、グループ内の会話が減り、過疎になりました。今では、一年に一回誰かがつぶやく程度です。


 このグループで、私は始めてオフ会をしました。グループ内でとりわけご近所さんとカラオケをしに行ったのが始まりです。なんだかんだ、近くの人っているんですね。このグループの中でも、「奇遇! なんて近くなんでしょう」と運命的なことを言って、オフ会をすることになりました。


 なんでしたっけ、本当に記憶がおぼろげで、笑えてきます。カラオケに行ったのを覚えています。そこで、ああ、この大学生ピアス開けてるんだとか、煙草吸うんだとか、歌う上手すぎないか、とかきっつい個性をぶちまけて、最後に「今誰か電話つながらないかやってみない?」とかふざけたことをして、薄いオフ会でした。


 グループ内でも派閥や、恋愛や、深刻な相談があったり、軽くクラス一個分のメンバーがいましたから、それぞれの個性を覚えて、名前をしみこませて、たくさんの事柄を話しました。もうこれも八年前くらいの話です。あの頃はそれぞれ学生をしていましたし、それぞれ、やってみたいこともありました。私はその中で、文を選んだのです。


 あのグループで、短編を書いてノートに上げようというノリの時があり、集まった理由であるボカロシリーズの二次創作や、異世界物、ローファンタジーを書き上げて、載せていきました。私が書いたのはヒューマンドラマでした。二次創作もちょろっと書いたのですが、いまいちな出来で、今でもあのときの話を思い出して、記憶から消し去っています。


 みんなこれまた上手いんですよね。それぞれネットで小説を読んでいたから、それを活用して書いていたり、好きなゲームをオマージュして書いていたり。


 ノリでやって、ノリで見せ合って。たくさんの創作を生み出しました。


 そこから、見せていいんだって、私に思わせてくれました。


 上手いってのは、ちょっと違います。ノリでやっているからこそ、下手でもキラキラしていたんです。一時の感情で歌って、録音してあげたり。絵を描いて、ほいっとあげたり。深夜にずっと話していたり。


 とりとめなく、唐突に。


 ちょっとピリっとしたこともあれど、そこはそうしようとか、話し合ったり。なんであんなに真剣に話し合ったのかも今では笑ってしまうんですが。本当に若かったんです。みんな必死になって、明日試験だからグループからちょっと抜けるねとか、宣言したり。勢いで押し切り、ああ今日でこのグループができて一年目だねって、話し合って、絵をあげたりしました。


 始まりはたった一個のボカロシリーズだったのに、つながった仲間は、何一つそのボカロシリーズの考察については話合わず、近況、好きなもの、ハマっていることを、チャットで会話して一日が過ぎていく。

 本当に、本当に、楽しかった。

 嫌なことも、楽しい会話も、含めて。


 そういえば、今年でこのボカロシリーズも十年目だ。私は五年目で、向こうは十年目。何か縁がありそうですね。


 そんなつながりから、ここまで創作に発展するなんて、私自身思ってもみませんでした。怖いくらい月日が経つのは早くて、私はめまぐるしく企画、締め切り、企画を繰り返しているだけなのに、人の広がりは、輪をかけて大きくなっていきました。


 一方で、徐々に消えていく人も増えました。知らないうちにアカウントを消し、姿をくらまし、一瞬消えたら現れる神隠しする人もいましたが、消えたら最後と言う人が大半です。去る者追わずとも言いますが、それでも寂しくなるのも常です。

 それこそ、これまで話してきた、グループのメンバーだってそうです。話してつながることはまだできますし、年齢もあがって、分別もつくようになりましたから、以前よりもいがみあいや争いも少なく会話できるようになっていると思いますが、話さなくなりました。


 ネットのつながりは風化しやすい。簡単に薄くなります。私のスタンスは変わらないし、話し方もあまり変わらないのに、どうしても数年経つと、関係は変化します。あの頃の傷もなくなっているのに。だからこそかもしれませんが。


 だから、出会いが大切で、それを続けていくような、つながりを保てる企画の効果は大きいんです。


 彼らは今、どうしているのでしょうか。話せば答えてくれるとは思いますが、高校生のあの頃と社会人になった今とでは大違いですし。会いたい、と言ってしまえば嘘になりそうです。彼らは彼らなりに今を生きてほしいし、私やグループの存在が黒歴史になっていることもあるわけなので。会って、何になるとは思いません。

 私ほど、あのグループに大きな意味をもたらした人は、グループ内にいないですし。


 たとえば、居酒屋でふらっと出会って「久しぶり、元気にしてた」ぐらいのノリで、また話したいです。お花見をして、横で見知った声を聞いて「あの人だ」くらいの、小さなものでいい。若い私をグループの人たちは見ていて、私はその彼らの幼さを知っているからこそ、濃くて深い話にもぐれそうです。


 ほとんど幼なじみで、笑っちゃいます。本当の姿も、顔も知らないのに。


 とても、とても大好きなグループでした。今も、気持ちは変わりません。


 あの日々は戻ってこなくて、年もとっちゃいましたし、あの頃みたいにキラキラしたものを書けはしませんが、これだけは言えます。


「桜の咲いたときにまた会いましょう。」


 ふらっと、気ままに、唐突に。これから出会う人も、今、出会った人も、今後別れるだろう人も、ずっと関係を続けて行くだろう人も、全員。


 私が桜の花のことを思い出すように。ひらひらとした花弁が散るのを思い出す頃に、私の記憶の中でもいい。私本体でもいい。いつか、いつか。


 エッセイを書いているというのは、良いことなのかもしれません。五年も続けてきたからこそ、まだまだエッセイの中で、ありとあらゆる人と出会えそうですし、このエッセイを読んでいる人と出会っていける。


 これって、とんでもなく素敵なことですよね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 暖かくて、どこか切なくて悲しい、でも懐かしい、ステキなお話でした。 [気になる点] 何年も、何十年もすぎて、遠い過去になった時に、誰かどこかで思い出してくれる、っていいですね。 [一言] …
2021/04/14 21:00 退会済み
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