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吟遊詩人の日記  作者: 立川みどり
美しき同室者
14/27

美しき同室者・その6

「美しき同室者」は今回で最後です。「吟遊詩人の日記」はまだつづきますが。

ハウカダル共通暦三二二年種蒔きの月二十一日


 バルドはついに帰って来なかった。彼の失踪は、まだだれにも話していない。ゆうべいなくなったとわかったら、ゆうべの魔族騒ぎと結びつけて考えるやつがいないともかぎらない。そんなことになったら、バルドが戻って来られなくなってしまう。

 もう戻って来ないかもしれないが、戻れる余地は残しておきたい。あすは部屋替えなのだから、あすには寮長先生に話すしかないのだが、まだきょうのところは黙っていたほうがいい。きょうまでバルドは部屋にいたことにするんだ。

 そう思って、寮食堂の係に「同室のやつが風邪気味で、食欲がなくて起きるのもつらいようなので」とうそを言い、朝食のうちミルクだけもらっていって、自分で飲んだ。途中で出会ったやつに声をかけられたときにも、「バルドがまたちょっと具合が悪いんだ」と言っておいた。

 ここふた月ほどの間に何回か、バルドが朝食に出て来ないことがあって、「春先にときどきこうなるらしい」と言ってあったので、べつに疑われなかった。

 そうやって、バルドが朝には部屋にいたって印象づけておいたのは正解だった。学校に行ったら、ゆうべ都に魔族が出たって、話題になってたんだ。しかも、「人間のきれいな若い男が魔族に変身した」って噂になって広まっていた。

 そうか。そういえば、バルドはたしか、魔力が不安定になってるとか言ってたっけ。それで、人が見ているところで、髪の色と耳の形が本来の姿に戻ってしまったんだな。

「酔っぱらいの見まちがいじゃないのか?」

 そう言ってみたら、みんなも「そうかもな」と同意したので、ちょっとほっとした。

「きれいな若い男っていうので、バルドかもと思ったよ。おれの知ってるなかで、あいつがいちばんきれいだから」

 そういうやつがいたのにはぎょっとしたけど、べつに本気でそう思っているわけではなさそうだった。

「バルドなら、ゆうべも朝も部屋にいたよ。その話をしたら、笑うだろうな」

 そう言ったら、そいつもみんなも笑ってたから、べつに不自然な言い方にはなってなかったと思う。



ハウカダル共通暦三二二年種蒔きの月二十二日


 部屋替えの日になってしまったから、やむなく寮長先生にバルドの不在を報告した。もちろん、彼が失踪したなんて言わず、たんにゆうべから帰っていないと言っておいた。

「バルドは体調が悪かったと聞いたが、外出したのか?」

「体調はよくなったんだと思います。そういうことが何度かあったので。気分が悪くなくなったら、授業に出るって言ってましたから」

「なるほど。じゃあ、きみの不在中に学校に出かけたか、どこか別のところに出かけたかして、戻って来なかったんだな」

「はい」

 寮長先生はちょっと考えこんでから言った。

「きのうの午後、役人が来た。おとついの晩、魔族が都に入りこんでいたと言ってな。学生に化けているかもしれないとか言って、うちに問い合わせて来たんだ」

 思わず、ぎくっとした。役人が寮に来ていたなんて知らなかった。それ以上にぎくっとしたのは、寮長先生が、バルドの話をしているときにいきなりこの話を持ち出したことだ。

 ひょっとして寮長先生はバルドのことを疑っているんだろうか?

「いくらなんでも無理でしょう? 学生に化けるなんて」

 さりげなく言ったつもりだけど、不自然じゃなかったかどうか、自信がない。

「わたしも無理だと思う。魔族のなかには人間に化ける能力を持っている者もいるらしいと聞いたことはあるし、寮の全員が互いに見知っているわけではないが、わたしは全員の顔を知っている。助手たちや食堂の係、入寮して長い者たちもたぶんほぼ全員の顔を覚えているだろう。見知らぬ者が寮にまぎれこめば気がつくと思う。役人にもそう言った」

 ああ、その可能性かと、おれはほっとした。

「そういうふうにほっとしたときには、気がゆるんで、内心の感情が顔に出てしまいやすいものだ」

 寮長先生が苦笑してそう言ったので、おれはあせった。温厚な人だけど、年の功っていうのか、油断できない。

「な、なにを、いったい……」

「いや、べつに。きみの表情を見ていて、ふとそう思っただけだ」

「そ、そうですか」

 寮長先生の真意はわからない。やっぱりバルドの秘密に気づいているんだろうか?

「で、役人が疑っていた可能性はもう一つあった。ここでずっと暮らしている学生のひとりが魔族という可能性だ」

「……無理でしょう?」

「わたしもそう思って、役人にそう言っておいた。同じ屋根の下で何ヵ月もいっしょに暮らしている者の目をいつまでもごまかしきれないだろうとね」

「そうですよねえ」

 これって、やっぱり、寮長先生は気づいてたってことなんだろうか?

 いや、でも、もし気づいてたんだとしたら、気づいたうえで黙ってたんだから、バルドをかばうつもりがあったってことなんじゃ……。

 そう思ったけど、聞くわけにはいかない。

「で、それとバルドの話とどう関係あるんです?」

 そうたずねてみたけど、不自然に聞こえなかっただろうか?

「学生のなかにきれいな顔の若者はいないかと聞かれた。おとつい騒ぎになった魔族は、美しい若者に化けていたという話だからね。きれいな顔の若者はたくさんいるが、魔族かもしれないと思われるような不審な者はうちの生徒にはないと言っておいたがね。学生が行方不明となると届け出ないわけにはいかないし、バルドの容姿はけっこう目立っているから、急にいなくなったとなると、役人が調べにきて、きみにバルドのことを訊ねるかもしれん。いちおう言っておこうと思ってな」

「ありがとうございます」

 おれは素直に礼を言った。寮長先生は警告してくれたんだ。

「で、役人が来たらどう答えるつもりだ」

「もちろん、バルドがその日の晩も翌朝も寮にいたって言います」

「役人が信じてくれればいいが、信じてくれなければ、拷問すると言って脅かすかもしれん」

「拷問されたって、友だちを売るような真似をするもんか」

「そう思いながら、そういう決然とした表情で相手をにらみつけたら、疑われるぞ。きみの言うことが真実であろうが、なかろうがな」

 ああ、そうか。バルドをかばおうと思ったらだめなんだ。バルドはほんとうに部屋にいたって、自分で思いこまなければ。

「だって、バルドはほんとうに部屋にいたんです。ほんとですってば。無実の友だちにぬれぎぬを着せるなんて、おれにはできません」

「それでいい」

 寮長先生は微笑んだ。

「部屋割りどおりにバルドの部屋は取っておくから、すまないが、彼の荷物はきみが運んでやってくれ。三日ほどして戻らなければ役所に届けよう。一晩か二晩の無断外泊ってのは、長年寮をやっていれば、まあ前例が何件もあるからな」

「あの……。やっぱり役所に届けたほうがいいんでしょうか?」

「それはそうだろう。外出して何日も戻って来なければ、事故とか、さらわれたという可能性もある」

 事故はともかく、さらわれたって可能性はないんだけど。事故といえば事故には違いないが、役人に捜索してもらう必要はないし、捜索されても困るんだけど。

 バルドが失踪したって言ったのはまずかった。なにか事情があってしばらく休学するとか、でっち上げればよかった。それならバルド自身が届け出なかったってのも変なんだけど、いまからそういうことにできないだろうか?

 でも、寮長先生は、ほんとうに真相を察してバルドをかばおうとしてくれているんだろうか?

 それがはっきりしないと、うかつなことを口に出せないぞ。

 そう思いながら無言でいると、寮長先生が言葉を続けた。

「学生の失踪を届け出ずにおけば、学校が責任を問われるだけでなく、とくに今回のような場合には、その学生自身も不審人物とみなされかねない。役人が聞き込みにきた直後に失踪して、周囲が同調したというのではね」

 言われてみればそうだ。へたなでっち上げをすれば、よけいまずいかもしれない。

 バルドが無事かどうかわからないし、無事でも戻ってくるかどうかわからないけど、戻ろうと思えば戻れるようにしておかなければ。



ハウカダル共通暦三二二年若葉の月五日


 寮長先生が警告してくれていたとおり、きょう夕食を食べ終えてまもないころ、役人がやってきた。兵士をふたり連れていたので、内心ぎくっとした。あの夜出会った兵士たちのだれかだったらまずいと思ったんだけど、別人で助かった。

「魔族をかばいだてすると容赦しないぞ」

 そう言う役人に、「ほんとに魔族だったら、かばったりしませんよ」と言ったときには、内心でちょっといやな気分がした。

 バルドがこの言葉を聞いたら、どう思うだろう? だが、バルドが疑われないようにするためには、たぶん、こういう言い方が正しい。

「ほんとにあいつは人間ですよ。だって、おれ、半年もいっしょの部屋に住んでたんですから、人間じゃなければ気づくと思いますよ。魔族が出たとかいう騒ぎのあった晩だって、ちゃんと部屋にいたし。そんな変な疑いをかけるより、ちゃんと捜してくださいよ。きれいなやつだから、人さらいにさらわれたりしていないか、心配なんですけど」

 おれの嘘はけっこう真実味があったらしい。役人たちは納得して帰っていった。寮長先生が警告しておいてくれて助かった。



ハウカダル共通暦三二二年若葉の月八日


 ゆうべ、ずいぶん奇妙な夢を見た。あれはほんとうに夢だったのだろうか?

 バルドがいなくなってから、何度か彼の夢を見たけど、こんなふうに思ったのは初めてだ。だって、たいていは、なにごともなくバルドと同じ部屋で暮らしてたり、学校でほかの連中も交えてだべってたりするような、とりとめのない夢ばかりだったから。

 一度だけ、バルドが遺体で発見されたという知らせを受けて、駆けつけるとちゅうで目が覚めたってことがあったけど。あれはこの部屋に移って最初の晩だったかな。

 恐ろしい悪夢だったけど、それでも夢は夢だ。その場面の前の場面は思い出せないし、記憶はあいまいで、つじつまは合っていなかった。

 でも、ゆうべの夢は、ただの夢とは思えなかった。妙に生々しかったんだ。それに、はじめから終わりまでちゃんと思い出せる。

 夢は、学校で授業の休み時間に「魔族が捕らえられて、広場で一昼夜さらしものにされたあと処刑されるらしい」という話を耳にはさんだところからはじまった。

 急いで広場に駆けつけてみると、バルドが杭に縛りつけられていた。いつもの見慣れた姿ではなく、黒髪で尖った耳の姿となり、その尖った耳がよく見えるようにか、髪を短く刈り取られていた。上半身の衣類をはぎとられ、腹部に横一直線の筋が見えた。魔族は腹に赤子を育てるための袋があると聞いたことがあったから、その袋の口だとわかった。

 魔族の印ともいえる袋が見えるようにむき出しにされた肌は傷だらけだった。見物の群衆が次々に石を投げつけるからだ。

 おれが都に来てからいちどだけ公開処刑が行なわれたことがあったが、これほど酷くはなかった。広場に引き出され、杭に縛られてすぐに槍で突かれて終わりだった。たしかそれは、どこかの下級貴族の館に押し入って、一家と使用人と合わせて十人ほどを無残に皆殺しにしたとかいう盗賊団だった。

 小さな子供まで殺すような残酷な所業をした者たちでさえ、処刑されたとはいえ、これほど無慈悲な扱いをされていない。それなのに、どうしてバルドがこんな目に遭わされるのか?

 驚いたことに、その石をぶつける群衆のなかには、同じ音楽学校の学生たちもいた。

「何をするんだ!」

 思わず、いまにも石をぶつけようとしている学生のひとりに飛びつき、腕をつかんだ。おれの前にバルドと短い期間同じ部屋だった先輩だった。

「同じ寮で暮らしてきた仲間ですよ?」

「冗談じゃない! あれは魔族だぞ!」と先輩がどなった。

「そんなものと同じ部屋で暮らしたことがあるなんて恐ろしい。へたをすれば寝首を掻かれていたかもしれないんだ。おまえもだぞ」

「寝首なんて掻かれていないじゃないですか」

「おれたちに隙がなかったからさ」

 むちゃくちゃ言っているなと思った。いま思い出しても腹が立つんだけど、これに関して先輩に腹を立てるのはお門違いだ。だって、あれはあくまで夢であって、ほんとうに先輩があんなことを言ったわけじゃないのだから。

 ともあれ、先輩に言い返そうとしたとき、頭の中で、バルドが呼びかけてくる声が聞こえた。

『落ち着いて。わたしが魔族でも、おまえが友だちだと思ってくれるというのはよくわかったから』

 驚いて、おれはバルドのほうを見た。

『ああ、これは遠話で話しかけているんだ。魔力を持っている者ならできる。おまえがわたしに言いたいことも、頭のなかで呼びかけるだけで、こちらに伝わる』

『助けてやる。いま助けてやるからな』

 思わず心のなかで叫んだ。

『無理だ。魔族を助けようとすれば、人間だって殺されてしまう。人間は魔族に対してだけでなく、人間に対してだって残酷になるときがあるんだ。そうやって殺された人間だっていたんだ。……そうだ、なぜ忘れていたんだろう。あの時代、魔族をかばって命を落とした人間だって、たしかにいたのに。どうかしてた。おまえの誠意を疑うなんて』

 あんな場面でなければ、おれはバルドの言葉を喜んだだろう。バルドがいなくなってからずっと、おれは彼の誤解を解きたかったのだから。

『わたしは、わたしがおまえに失望したのは誤解だったと確認したかった。どうしても確かめずにはいられなかった。もしもおまえが魔族のことを誤解しているのなら、その誤解を解きたいとも思った。あのまま別れるのはいやだった。もういちど話して、わかり合いたかった』

『おれもだ』

『そう思っていてくれてよかった。それを知りたかっただけだったんだ。ばかなことをしたと思うよ。おまえを危険にさらすかもしれないとは思いもしなかった。だから落ち着いてくれ。わたしのせいで、おまえに何かあったら、わたしはどうしていいのか……』

 バルドの言葉を、おれは最後まで聞いていなかった。せっかく逃げのびたのに、おれともういちど話をするために都に戻ってきて捕まったのかと思ったのだ。

 それに、目の前に傷だらけになったバルドを見て、もうとてもがまんができなかった。

 おれは、わけのわからない叫び声を上げながら、先輩を突き飛ばして、バルドに向かって突進した。周囲の群衆が怒りの声を上げ、警備についていた兵士二人がこちらに向かってきた。

『待て! 待てというのに! 冷静になってくれ!』

 頭のなかでバルドの声が響いた。

『これは夢なんだっ!』

 だれかの投げた石がおれの頭に当たり、バルドの悲鳴を聞きながら、おれの意識は暗転した。


 はっと気がつくと、おれは寮でベッドに横たわっており、バルドが息を切らしておれをのぞきこんでいた。

「ああ、よかった。間に合った。すまない。魔力が不安定になって、ちょっと暴走してしまった」

 おれは跳ね起きてバルドの肩をつかんだ。

「無事だったんだな! よく戻ってきてくれた」

「すまない。これも夢なんだ」

 バルドの言葉に、おれは目をぱちくりした。そう言えば、ベッドの配置がいまの部屋とは違う。ここはバルドと同室だったときの部屋だ。

「いまは都の外にいるんだ。あのあと、川の流れに乗って、そのまま城壁を越えて外に出たんだ。で、魔力でおまえに夢を見せている」

「そんなことができるのか」

「自分でもできるかどうかよくわからなかった。だけど、寮のある場所はわかっているし、おまえはよく知っているやつだから、できるんじゃないかと思った。あの晩も、わたしの心の声をおまえは聞きつけてやって来たし……」

「あの晩?」

「最後に会った晩だ。そんなつもりはなかったんだが、内心でおまえに助けを求めてしまっていたらしい」

 そういえば、あの晩、バルドがいるような気がする方角に向かったら、バルドに会えたんだっけ。あれは偶然じゃなくて、魔力とかが関係していたのか。

「それに、この石もあったからね」

 バルドは、シャツの下から熱を出したときによくにぎりしめていた水晶球のようなものを取り出して見せた。

「魔力を増幅する力を持つ石なんだ。いままで人間のふりをしていられたのは、半分はこの石のおかげだ。わたしの本来の魔力だけではとっくに見つかって殺されていた」

「で、その魔力ってのは、もう戻ったのか? 不安定になっていて人間の姿になれないとか言ってなかったか」

「ああ。いまはだいじょうぶだ。まだ半年ぐらいは強くなったり弱くなったりするだろうが。さっきは、わたしの過去の記憶とおまえの怒りに引きずられて、魔力をちょっとうまく制御できなくなって、場面を切り替えるのが遅くなってしまったけどね。ひどくあせったよ。夢のなかでおまえが殺されてしまうかと思った」

「それはこっちのセリフだ。……痛くはなかったのか? あんなに石をぶつけられて?」

「ああ。わたしは夢だと知っていたからな。おまえは夢だと知らなかったんだから、痛かったんじゃないのか?」

 おれは最後の場面を思い出した。確かに石をぶつけられて痛かった。しかし、いまは痛くはないし、傷も負っていない。それは、むろん、バルドも同様で、どこも怪我をしているようすはなかったし、髪を刈られたりもしていなかった。

「すまない。制御できなかったんだ。現実だとわかっていれば、実際に体が痛んでいるわけじゃなくても、暗示にかかって痛みを感じてしまう。夢のなかで殺されていたらどうなったか……」

「夢のなかで殺されたら、死ぬのか?」

「ふつうはだいじょうぶだと思うけど、暗示にかかりやすい人間なら、あるいは……。軽率だった。すまなかった」

「もういいよ。無事だったんだし。おれのほうこそ、このあいだの晩は、考えなしに叫んだりして、おまえを危うく死なせるところだった。よく無事だったな」

「魔力のおかげだ。あのときうまく魔力が働かなくなっていたんだが、生きるか死ぬかの土壇場になれば働いてくれるものらしい。魔力で体を温めることも、服を乾かすこともできた」

「それはよかった。……戻って来いよ。役人や兵隊たちはあのときの魔族がおまえだとは気づいていない。なんとかごまかせる」

「だめだ。ばれたときにおまえが危ない。さっきの夢でよくわかった」

「後先考えずに駆け寄ろうとしたことか?」

 おれはさきほどの夢を思い出して、少し恥ずかしくなった。もしもおれが吟遊詩人の歌の英雄たちのように強くて、バルドを助けだせるだけの力があったら、あれは英雄的行為ともなっただろうが、あの場合はどう考えてもやけくそとしか言いようがない。

「あれは、そのう……、夢だからあんまり頭がちゃんと働かなかったんだ。現実におまえが捕まったら、もっと冷静にちゃんとうまく助ける方法を考えるよ」

「それなら同じだ。あの状況で、ちゃんとうまく助け出せる手段などない」

 おれはぐっと詰まった。たしかにその通りだったからだ。

「ああいう状況になったら、わたしと知り合いじゃないふりをして見捨てるしかないんだ。わたしだって、あそこまで過激な反応を望んだわけじゃない。ただ、あんなふうになったら、ほかの人間たちのように嗜虐的にならずに、内心で酷いと憤慨したり、悲しんだりしてほしいと思った。それを確かめたかっただけなんだ。でも、おまえは、悲しむだけじゃなくて、ぶち切れるんだな」

「あれは夢だったからだよ」

「うそつけ。いまも、さっきのも、ふつうの夢じゃないんだ。おまえがいま、現実にわたしと話をするときにはこう話すだろうことをしゃべっているのと同じように、ああいう場面になったら、おまえはたぶん同じことをするだろう」

 おれは反論できなかった。確かに同じ状況で、冷静さを保てる自信はない。だが、それがどうだというのだろう。バルドが言ったように、冷静に考えても助け出す方法がないのなら、ぶち切れたって同じじゃないか。

「魔族を助けようとすれば、人間だって殺されてしまう。魔族と人間の戦争がはじまって以来、人間の目には、魔族を助ける人間は裏切り者と映るみたいなんだ。さっきの夢は、わたしの想像だけど、まったくの想像ってわけでもないんだぞ。昔は、ああいう魔族の処刑が頻繁に行なわれたんだ。はじめは暴徒が勝手に行なった私刑、のちには国王の命による公開処刑で。その公開処刑を再現したんだ。わたしだって、そのう……、まったくの再現はやめて、少し変えようかとも思ったんだけど……」

 バルドの歯切れの悪い言い方と、目をそらせたのとが気になって、おれは思わず口をはさんだ。

「変えるって、どんなふうに?」

 バルドは顔を赤らめた。

「ちゃんと服を着ているふうにだよ」

 おれも顔が赤くなったんじゃないかと思う。いや、よく考えれば、バルドは女性じゃなかったのだから、お互いに恥ずかしがる必要はないんだけど。

「想像が記憶に引きずられて、変えられなかったんだ。こんな形で記憶を再現したり、おまえの反応を見ていると、昔の記憶に少し自信がなくなった。姉の恋人が裏切ったという記憶に」

 おねえさんが恋人に裏切られて死んだというのは以前にも聞いたが、バルドがそれをはじめてくわしく話してくれた。

「姉の恋人のシグステインは人間だった。魔族と人間は種族が違うし、成長の速さや寿命が全然違うから、ふつうは恋愛や結婚の対象にはならないのだが、まれには姉たちのような恋人たちもいた。双方の親はふたりのつきあいにいい顔をしていなかったが、両家は仲が悪いわけではなく、家族ぐるみのつきあいがあった。魔界の魔族たちが進攻してくると、両家の関係はぎくしゃくしはじめたが、シグステインは変わらず姉を愛しているように見えた。だが、暴徒たちがわが家を襲ったとき、そのなかに彼がいたんだ」

「ほんとうに暴徒の仲間だったのか? おまえたちを助けようとして駆けつけたんじゃないのか?」

「助けようとしてくれていたのかもしれない。と、いまになって思う。だけど、ずっとその可能性は思いつかなかった。彼が姉を殺したと思い込んでいたからだ。あの家にはいざというとき脱出するための隠し通路があって、姉はわたしの手を引いて隠し通路に入ったが、少し進んだところで、すぐに追いつくから先に逃げるようにと言って引き返した。わたしは言われたとおりに通路を少し先まで行ったが、姉がなかなか来ないのでようすを見にいった。そうしたら、通路の出入口の隙間から、シグステインが姉の胸から剣を引き抜くところが見えた」

 おれはどう言っていいのかわからなかった。そんな体験をしたのなら、バルドが人間不信になったのも無理はない。おれが無言でいると、バルドは言葉をつづけた。

「姉は逃げる途中も、彼が裏切ったはずはないと言いつづけていた。だから、姉が引き返したのは、それを確認するためだろうと思う。姉が危険を冒しても確かめずにはいられなかった気持ちは、いまのわたしにはよくわかる。そうまでして信じていた恋人に裏切られて殺された……と、いままで思っていたんだが……。違うかもしれないという気がしてきた。シグステインは、姉を逃がしようがなかったので、せめて惨たらしく辱めを受けて殺されることのないよう、自分の手で楽にしたのかもしれない。それに、よく考えれば、わたしは彼が姉を刺すところを見たわけじゃない」

 ああ、そうかと、おれは吟遊詩人の歌で聞いたいくつかの話を思い出した。戦いに敗れて城が落ちるとき、自害する前に王妃を自分の手にかけた王の歌も、瀕死の重傷を負った友に止めを刺した戦士の歌もあった。偶然に見つけた遺骸から剣を引き抜いたために無実の罪に問われた男の歌も。

「おねえさんは別のだれかに瀕死の重傷を負わされて、その恋人は止めを刺しただけかもしれない。でなければ、別のだれかに刺殺されたところを彼が見つけただけかもしれない……っていうんだな」

「そうだな。そういう可能性もあるな。わたしが考えたのは、姉は自害したのかもしれないということなんだが」

 バルドは真剣な目でまっすぐにおれを見た。

「シグステインは命懸けで姉を助けようとしたのかもしれない。それで、姉は彼を巻き添えにしないために自害したのかもしれない。理性のたががはずれた人間どもにかかったら、人間だって無事じゃすまないからな。魔族の友だちをかばったばかりに人間に殺された人間は確かにいたんだ」

「起こってもいないことを恐れるのはよせよ。それは何十年も前のことだろう? 昔といまとでは時代が違うだろう?」

 そう言ったけど、自信はなかった。バルドを捜しにいったときに出会ったあの兵士たちは、たしかに魔族というだけでバルドを捕らえようとしたのだ。

「違わないよ。わかっているだろう? 魔族と人間の戦争はつづいていて、王国の軍隊はほとんど毎年のように出征している。魔族狩りが長年にわたって行なわれていないのは、ただ、人間の諸王国に住んでいる魔族たちのほとんどが、殺されるか、北に逃げたからにすぎない。わたしがシグトゥーナに留まるのは、わたしにとっても、おまえにとっても危険だと思う。もともと危険だったんだが、このあいだの一件で危険度が増してしまった」

「しかし……。どこに行くつもりなんだ? 安全な場所なんてないだろう?」

「北に行くさ。人間の領域の外に。魔界から来た魔族も、人間の領域から逃げ出した魔族たちも、北部のどこかにいるはずだからな」

「どこにいるかもわからないのに」

「探せば、そのうち見つかるだろう。向こうが見つけてくれるかもしれないし。ほんとうはためらいがあったんだが。両親は魔界から来た魔族たちを非難していたからね。人間の十二の王国には魔族だって住んでいるのに、そこに侵攻してきたといって。だから、吟遊詩人になって、人間の王国に残っている同胞がいないか探してみようと思っていたんだ。探して見つからなければ、それから北に向かっても遅くはないとね」

「そうか。それで音楽学校に入学したのだな」

「ああ。吟遊詩人になれば、どの国でも自由に旅できるようになるからな。北に向かうにしても、吟遊詩人の通行証を持っていたほうがずっと安全だと思った。だが、状況が変わった。やはりすぐにでも北にいくしかわたしの生きる場所はないと思う」

「ほんとうにそうなのか? 通行証なしで旅するのは、この音楽学校にいるより危険じゃないのか?」

 おれにはわからなかった。ただ、どちらの道を選んでも、バルドの身はひどく危険なのだということはわかった。

「もう決めたんだ」

 バルドはきっぱりと言った。

「行く前におまえと話せてよかった。それから……。わたしは性別が決まる時期になってしまったと言っただろう? わたしはたぶん女性になると思う。だから、こんなことをしても気持ち悪いと思ってくれるなよ」

 そう言うと、バルドはふいに顔を近づけ、軽く唇を触れ合わせてまた顔を離した。

「わたしのほんとうの名前を言い忘れていたな。ホルム王国の宰相だったジランの子のバドウェンだ。……じゃあ、達者でな」

 バルドが微笑んだところで、今度こそほんとうに目が覚めた。


 これで、夢のすべてだ。

 おれの願望が見せた夢かもしれない。バルドに生きていてほしい、もういちど話して誤解を解きたいと、切実に思っていたから。

 だけど……。夢にしては真実味があった。バルドが語った姉とその恋人の話といい、吟遊詩人をめざした動機といい、つじつまが合っている。

 バルドは生きていて、おれともういちど話をしたいと思ってくれて、あの夢を見せたんだ。そんな気がする。そう信じたい。ほんとうはただの夢だったのかもしれないのだけど。


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