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吟遊詩人の日記  作者: 立川みどり
美しき同室者
13/27

美しき同室者・その5

ハウカダル共通暦三二二年種蒔きの月二十日


 バルドの秘密、彼の正体を、ついに知ることになった。

 そもそものきっかけは、バルドがまたもや日暮れになっても帰ってこなかったことにあった。

 べつにひとりで外出していたってふしぎじゃない時間だったけど、以前のことがあるので心配になったのだ。

 それに……。もしもバルドが女性だったら、暗くなってからひとり歩きをするのは危ない。

 いや、もう一つ気懸かりがある。春からの部屋割りが決まって、おれとバルドは別の部屋になった。そもそもいろんな人間と親しくなるための部屋替えなんだから、同じ者どうしが続いて同室になることはまずないんだ。

 バルドは一人部屋でもなかった。一人部屋になるのは、ウォレスみたいな卒業試験のための勉強に専念したい上級生優先なんだ。バルドやおれみたいな入学して日の浅い人間が一人部屋になることはまずない。

 だからわかってたことなんだけど、バルドはひどく気落ちしていた。それで、女性とばれる前に出奔した……という心配がふとよぎったのだ。

 だけど、よく考えたら、入学してきたときだって、初対面の男と同室になることを承知のうえで寮に入ったんだ。いまさらそれがいやだからといって逃げ出したりはしないだろう。

 それに、バルドは、勉強を途中で投げ出したら、帰るところはないんだ。身寄りはいないって言ってたし。

 だから、何も言わずに出奔した……なんてことはないだろうとは思うが、バルドはここふた月ほど体調を崩しやすくなっているから、帰りが遅いと心配だ。

 そう思って気になっていたら、バルドがおれの名を呼んだような気がした。それに、おれに助けを求めているような気も。

 気のせいだとは思ったが、なんだか胸騒ぎがして、彼女を探しにいくことにした。

 バルドがいる場所はわからなかったが、なんとなく思い浮かんだのは、墓地にいるあいつの姿だった。

 冬になかなか帰ってこなくて熱を出したあの日、バルドは身内の墓を見つけたと言っていた。長いあいだ墓のありかもわからなかったんだ。亡くなった家族に話したいことはたくさんあるだろう。

 たぶん、今夜もその墓地に行ってるんじゃないだろうか。

 シグトゥーナの墓地は身分や社会階層によって何ヶ所に分かれているけれど、どれも町の東のはずれにある。町を囲む城壁の際だ。

 バルドの身内の墓がどの墓地にあるのか、おれは知らない。罪人なら、罪人用の墓地に葬られているかもしれないけれど、バルドに手紙を残したおねえさんの恋人とかがひそかに埋葬したのだとすれば、一般市民用の墓地に葬ったんじゃないだろうか。

 そう思ったので、おれは一般市民用の墓地があるほうに向かった。

 途中で、なにやら都の護衛兵たちが出動していて騒ぎになっており、兵士のひとりにいきなり腕をつかまれ、髪を引っ張られた。

「いてっ。何をするんだ?」

 兵士にはあまり逆らわないほうがいいんだけど、あんまりなふるまいだったので、思わず文句を言った。

「うるさい。魔族が都に侵入して、このへんをうろうろしてるんだ」

「は? 魔族?」

「そうだ! 魔族だ! 信じてないようだが、魔族をここらへんで見たってやつがいるんだ?」

「ほんとに魔族? 黒っぽい髪の人間とかじゃなくて?」

「人間の見まちがいかもしれんが、はっきりするまでは安心できん。わかったら、とっとと街中に戻れ。仕事のじゃまをするな」

「わかったよ」

 やむなく少し戻ってから路地に入り、どういうことかと考えた。

 以前にレイヴが魔族とまちがわれたところを見かけたことがあったから、レイヴかもしれない。

 でも、バルドも黒髪だから、バルドということもありうる。バルドはこっちのほうに来た可能性が高いんだし。

 バルドだった場合のほうが心配だ。レイヴはすばしっこくて逃げ足が速そうだけど、バルドはレイヴのようなわけにはいかないだろう。

 ほんとうに本物の魔族が都に侵入したという可能性もちらっと心をよぎったが、それはありそうにないように思えた。だって、魔族はずいぶん昔に北方に追いやられたのだ。この国に残っているとは思えないし、危険を冒してわざわざ戻ってくる者がいるとも思えない。

 きっと、人間を見まちがえたんだ。それはバルドって可能性が高い。

(どこにいるんだ? バルド!)

 思わず心のなかで叫んだとき、バルドの声が聞こえた気がした。

 気のせいかもしれなかったが、ほかに手がかりがないのだから、声が聞こえたように思った方角に足を向けた。

 なんの確信も根拠もなく、勘だけで路地を何度か曲がって歩いていると、川岸に出た。

 川といっても、飲用水を得るのが目的の運河だから幅が狭くて、水面のほとんどは石畳で蓋がされている。都の人々は「川」と呼んでいるけど、川というより水路といったほうがよさそうだ。

 この川は、都から歩いて北に半日ぐらいのところにある泉を水源に、都北縁の城壁の下をくぐり抜けて王宮の地下に引き込まれ、そこから何本かに分かれて都のあちこちを流れたあと、このあたりで合流して墓場を横切り、また城壁の下をくぐって、川に流れこむ。

 この合流地点のあたりは水汲み場になっているので、川の水面が露出しており、周囲は人が立って水を汲むのに支障がないだけの石畳の空き地となっている。

 空き地の周囲には民家が並び、家の壁と壁の間には路地ともいえないほどの隙間があるのだが、その一つからバルドの声がした。

(ばか! 来るんじゃない!)

(助けてくれ!)

 矛盾した叫びはどちらもバルドのものだ。

 近づくと、「なぜ来たんだ?」と、弱々しいバルドの声がした。

 それで気がついた。いましがたのバルドの叫びはどちらも肉声ではなかった。おれの心に直接響いてきたんだ。

 あの叫びをいま思い出すと胸が痛む。助けを欲していたのに、おれを危険に巻き込むまいとして、遠ざけようとしていたんだ。

 バルドが家の隙間から出てくると、その姿がおれの持つランプの灯火にぼんやりと浮かび上がった。おぼろげな光でも、バルドの髪が黒髪になっているのがわかった。

「おまえまで巻き込んでしまう」

「だいじょうぶだよ」

「だいじょうぶじゃない。兵隊に追われているんだ。ほんとうの姿を見られてしまった」

「そんなの、その黒い髪を見て魔族だと思ってるだけだろ? それなら、とやかく言われたら、耳を見せて、『魔族じゃない』って言えばいいんだ」

「だめなんだ。いま、精神的に不安定になってしまっていて、魔力がうまく効かないんだ。性別が決まるときにはそうなるって聞いたことがあったから、いまがそういう状態なんだと思う」

「へ?」

 思わず間の抜けた返事をした。バルドの言っている意味がよくわからなかったんだ。

「何が決まるって?」

「性別だよ。魔族には幼いころ性別がないって、習っただろ?わたしはそれがひどく長引いたんだ。たぶん、仲間とずっと接していなくて、ひとりぼっちだったのと関係があると思う」

「魔族? ……おまえが?」

 問いかけると、バルドが目を大きく見開いた。

「気づいてたんじゃなかったのか? わたしが魔族だってことに?」

「いや、考えてもみなかった」

 魔族はとっくにみんな北に逃げたと思ってたんだ。それに、漠然とだが、魔族は人間とはかなり違っていて、見れば区別がつくと思ってた。だから、バルドが魔族だなんて思いもしなかった。

 だが、そう言われてみれば思いあたることがいろいろある。魔族が迫害される話にバルドはひどく過敏だったし、年末に生家らしいあの廃墟となった屋敷で出会った晩、異常なほど夜目が効いていた。どうして魔族という可能性を考えなかったのかふしぎなくらいだ。

 いや、バルドが魔族かもしれないと思いつかなかった理由ははっきりしている。

 おれは、バルドが遅く帰ってきて熱を出したあの晩以来、女性じゃないかと疑い、その疑惑にずっと気をとられていた。というより、心のどこかでずっと、バルドが女性だと期待してた。だから、それ以外の可能性に思い至らなかったんだ。

 あきれたときに、バルドが魔族と知ったときにも、おれが内心でショックを受けたのは、彼が女性ではなかったことだった。

 それで、ついぽろっと言ってしまった。

「女性じゃないかと思ってたんだ」

 バルドがけげんそうな顔になった。

「なんだって?」

「あの晩、おまえが女性のように見えたんだ。廃絶された家の令嬢じゃないかと思ってた」

 おぼろげな灯火でも、バルドの顔が赤く染まり、けわしくなったのがわかった。ものすごく怒っているのが感じられて、ちょっとひるんだ。

「そうか。人間の女性だと思いこんでいたから、親切にしてくれたんだな。わたしの髪の色が変わったのを黙っててくれたのは、わたしを人間の女性と思っていたからだったんだ」

 そう言われて、おれは思わずムカッとした。なんだか「下心があったから親切にしたんだろう?」と言われたような気がしたのだ。「女性じゃないと知ってたら、わたしを役人に売っただろう?」と言われたような気もした。

 バルドが女性じゃなかったら秘密をばらすなんて、そんなひどいことするもんか。

 だけど……。あの晩からこっち、おれのバルドに対する態度に、「女性かもしれない」という期待が混ざっていなかったと言い切る自信はない。それで、必要以上にかばうような態度をとったかもしれないという気は、ちょっとしている。

 それを不純と言われれば抵抗があるが、不純な気持ちじゃないと言い切る自信はやっぱりない。

 それを見透かされたような気がして、おれは思わず声を荒げた。

「なんだよ! 女じゃないのに、期待させるような態度を取ったのはそっちだろ!」

 いまにして思えば、ずいぶんバカなことを口走ったものだ。バルドは兵士に追われてたっていうのに!

「わたしは……。おまえがわたしを魔族だと知ってなお、かばってくれていると思ってたんだ。おまえだけはほかの人間と違うと思ってた。人間の女だと期待されているなんて、思ってもいなかった」

 バルドが怒っているとも泣きだしかけているともつかない表情で言った。彼がひどく傷ついているのがわかって、おれは自分の口走った言葉を後悔し、恥ずかしく思った。

 もしも、そこで兵士がやってこなければ……。おれはバルドにあやまり、なんとかして兵士たちの目をごまかしながら、寮まで連れ帰ったと思う。ごまかし切れたかどうかわからないけど、なんとかなったかもしれない。バルドを無事に連れ帰れたチャンスはあったんだ。

 でも兵士はやってきた。おれが声を荒げたとき、聞きつけたんじゃないかと思う。

 そう思えば、ばかなことをしたのが悔やまれる。くだらないことにこだわって、非常時に大声を出したなんて。

 おれだって傷ついたんだけど……。そんなこと言いわけになりはしない。バルドの命がかかっているという危機感が足りなさすぎたんだ。

 ともあれ、兵士たちがやってきたとき、おれはとっさにバルドを抱きしめようとした。

 そんなことをして、どうやって兵士をごまかすつもりだったのか、自分でもわからない。たぶん、何も考えてなかったと思う。

 いまになって思えば、好きな女性とこっそり会っている……という風情でもよそおえば、ごまかしきれたかもしれないと思うけど、あのときそこまで考えていたかどうか。

 バルドはそんなおれを突き飛ばして逃げ出した。

 いまになって思う。バルドは、あのとき、おれがあいつを捕まえようとしたと勘違いしたんじゃあるまいかと。

 バルドはおれを信じてくれていた。彼が魔族だと知ったうえで、おれが彼の秘密を守ったり、かばおうとしたと思い込んでいたから、おれを信じてくれた。でも、そうじゃないとわかって、おれを信じてくれなくなった。

 だから、人間の女性じゃないと知ったおれが、かばうのをやめて捕まえようとしたと誤解したんじゃないだろうか。

 そんなはずはないのに。女性じゃなくても、人間じゃなくても、バルドが友だちだということに変わりはない。もともと女性かもしれないなんて考える前から友だちだったんだし。

 いや、いま現在、バルドへの気持ちが友情だけかというと、そう言い切る自信はないな。女性かもしれないと思いこんでいたときの気持ちがまだ尾を引いている。

 だって、あいつは性別がまだ決まってなかったって言ってなかったか。

 それなら、女性疑惑があながちまったくの誤解だったってわけでもない。女性ではなかったけど、男性でもなかったんだから。

 ……って、何書いてんだ、おれ。かなり混乱しているな。それどころじゃないってのに。

 そうだよ、バルドの性別も、人間か魔族かも、おれをひどいやつと思っているかもしれないってことさえ、たいしたことじゃない。バルドが死んじまったかもしれないってのに比べれば。

 おれをふり切って駆けだしたバルドは、川に飛び込んで逃げたんだ。

 いや、ほんとうに逃げたのか? 追い詰められて、逃げ場がないと思って、身を投げたんじゃ……。

 だって、春になったとはいえ、川の水はまだけっこう冷たいし、夜は冷え込むぞ。

 川から上がってずぶぬれで夜を過ごしたりしたら、風邪をひいてしまう。それどころか、凍死する危険だってあるぞ。

 バルドは魔族だっていうけど、魔族なら寒くても平気なんだろうか?

 それならいいんだけど……。でも、冬には寒いところにいて熱を出してたんだから、魔族なら寒くても平気ってことはないような気がする。

 だいいち、どこで川から上がるんだ?

 住宅地を抜けて墓場にさしかかる少し手前からは、もう飲み水に使う人もいないっていうので、川に蓋はされていなくて水から上がることはできるけれど、川に飛び込むところを兵士に見られてしまったから、兵士たちが下流のほうに向かった。

「ちょっと待てよ。いまの、人間だったぞ!」

 そう言って兵士たちを引き止めようとしてみたけど、だめだった。兵士たちのおおかたはおれを無視して行ってしまい、残ったふたりがおれの言うことを無視して耳やら髪やらを思いっきり引っ張った。

「どうやら、こいつは人間のようだな」

「人間に決まってるだろ? いまさき、あんたらに怯えて川に逃げたやつも、どう見ても人間だったよ」

「魔族が人間に化けてたんだ。魔族のなかには、そういう魔力を使えるやつがいるんだ。おまえは知らないかも知れないけどな」

 知っているとも。だけど、バルドがいいやつだってことも知ってるんだ。そんなことを兵士たちに言ってもむだだとわかっているけど。

「確かなのか? 魔族とまちがえて人間を殺したらどうするんだ?」

「魔族でなければ、川に飛び込んでまで逃げはせんだろ?」

「槍を持った兵隊に追いかけられれば怯えるだろ?」

「待て、おまえ」と、兵士のひとりがおれの胸ぐらをつかんだ。

「どうしておれたちが追いかけているのが魔族だとわかったんだ?」

「さっき会ったあんたらの仲間がそう言ったんじゃないか」

 兵士はおれを離した。

「もういいからあっちへ行け。このあたりをうろうろするな。じゃま立てすると、おまえもしょっぴくぞ」

 それで、おれはやむなく寮に帰ってきた。バルドを探そうかとも思ったけど、バルドを見つけるより、また兵士に見つかってしょっぴかれるのがおちだと思ったんだ。

 おれが捕まって身元がわかったら、彼らが追っているのがバルドだと気づかれるかもしれない。そんなことになったら、バルドが戻って来られなくなってしまう。

 もしかしたら……。バルドは夜目が効くのだから、兵士たちの目を逃れて、なんとか寮まで戻ってくるかもしれないじゃないか。そのときのために、おれが門限までに寮に帰って、あいつが戻ってきたときに入れるように待機してなくちゃ。

 そんな一縷の望みを抱いて帰ってきたんだけど……。門限ぎりぎりに寮にすべりこんで、ずっと待ってるんだけど……。

 もう夜が白みかけてきたのに、バルドは戻ってこない。あいつがおれを信じられない以上、もう戻って来ないんじゃないだろうか。

 いや、それ以前に、兵士たちに見つかって、捕らえられるか、殺されるかしてるんじゃ……。でなければ、川で溺れたりとか、水から出たあと凍えたりとか……。

 不吉な想像ばかりが浮かんでくる。

 無事でいて、ここに帰ってこないってのなら、どこかに隠れているか、または、川から出ずに、そのまま城壁の下をくぐってシグトゥーナの外に出たかのどちらかなんだけど。

 無事でいてくれるのなら、せめてバルドに、ここにある乾いた毛布と乾いた服を届けられればいいんだけど。

 それにしても悔やまれる。おれがあんなところにのこのこ出かけていかなければ。でなければ、非常時にあんなばかな口論をしなければ。そうすれば、バルドは兵士たちの目を逃れて、ここに戻ってこれたかもしれないのに。

 頼むから、無事でいてくれ、バルド。


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