Ⅷ.着物美人と斧
「おや、ようやりますなぁ。」
この場に、艶めかしい声が響いた。
恐る恐る顔を上げると、雅な着物に身を包んだ若い女性が微笑んでいるのが見えた。
口元には、大きな蝶が描かれた扇子をあてている。
黒い髪が映える、とても綺麗な女性。
この女性が、俺たちに向かって斧を投げてきたのだろうか。
てっきり、もっとごつい男かと思っていた。
全体的に線の細いその人は、とても斧を投げられるようには見えない。
「ようやってくださいましたなぁ…だよね、シロ。」
「……リョウタ、指示して。」
俺たちが床に手をついている間に、2人は立ち上がり、戦闘態勢に入っていた。
「…ボクたち、仕掛けられた側だもんね。
あ、そうそう…お姉さんの能力借りるね。」
リョウタはそう言って、アイリの頭に手を置いた。
うつ伏せになっている今現在、アイリの頭はリョウタよりも低い位置にある。
「さてと…シロ。」
リョウタが合図をすると、シロの身体が淡い光りに包まれ、みるみるうちに縮んでいく。
やがて光りが収まると、そこには見覚えのあるたぬきのぬいぐるみがあった。
変形の能力者なのだろうか。
なんにせよ、今考えることではない。
「おやまあ、愛らしいぬいぐるみやねぇ。
切り刻み甲斐がありそうやわぁ。」
おっとりとした口調で、恍惚とした笑みを貼り付けた女性。
扇子を閉じ、たぬきのぬいぐるみを指した。
「確かに愛らしいぬいぐるみなのは認める。
でもね、そこにボクが干渉すれば、ただの可愛いぬいぐるみじゃなくなるんだよ?
あ、斧振り回してるようなおばさんにはわからないよね~。」
「よう言ってくれはりますわ。」
二人とも、とてもいい笑顔で対峙している。
先手を打ったのは、向こうだった。
何も無い空間に光が集まり、斧となってリョウタに振り下ろされる。
リョウタはそれを軽々躱すと、たぬきと顔を見合わせた。
たぬきが跳んだかと思うと、また光りに包まれて人になり、刀を振り下ろす。
さっきまで、刀なんて持っていただろうか。
女性はそれを軽々と躱した。
目の前で戦闘を繰り広げるこの2人は、少年漫画に出てきそうなほど強い。
俺たちがリョウタとシロに戦いを挑んでも、鑑定と人形使いでは歯が立たない。
恐らく、俺の能力も…。
シロが斬り込むと、女性が避けてシロに斬り込む。
女性が斬り込むと、シロが避けてまた斬り込む。
先程からずっとそんな調子だ。
だが、女性は俺たちのことも眼中に入れているらしい。
時々、頭上を狙った攻撃が飛んでくる。
下手に動けず、立ち上がれずが現状だ。
食糧たちに関しても、無事を祈ることしか出来ない。
それにしても、さっきシロは凉太に指示するよう頼んでいた。
リョウタは現在、無言で立ち尽くし、攻撃が来たらそれを避けている。
二人は脳内で意思疎通が出来るのだろうか。
それとも、さっき言っていたアイリの能力を借りている…?
「はぁ…はぁ…。」
女性の方から、荒い息づかいが聞こえた。
いくら少年漫画のようだと言っても、やはり現実。
疲労はあるのだろう。
「あれれ、もうギブアップ?」
それに比べ、リョウタとシロは一切息が上がる様子はない。
この二人は、二次元から来たのだろうか。
「……。」
シロに至っては、息が上がらないどころか表情を変える様子もない。
俺にもそんな体力があったら、持久走で良い成績を残せていたかもしれないのに。
「うん、もうキツいよね。
いくら鍛えてたって、おばさんがボクたちに敵うはずないもん。」
「…くそったれ。」
女性はリョウタを睨みつける。
と共に、能力を発動したのだろう。
リョウタの背後に、空中から切っ先の尖った剣が浮き出てきた。
本人がそれに気が付く様子はない。
それどころか、皆女性の方を向いていて、剣に気が付いているのは俺だけのようだ。
気が付けば、俺の身体はリョウタに向かって突進していた。
先程とは逆で、俺がリョウタを押し倒すと、本来リョウタに刺さるはずだった剣はそのまま、女性の腹を貫通した。
「おっと、危なかった…。
助かったよ、ありがとう。」
そう言う凉太の表情から、危機感は読み取れない。
するりと俺の腕から逃れると、女性の頭に手を乗せた。
かろうじて息があった女性は、少しすると瞼を閉じ、ピクリとも動かなくなった。
相当綺麗に刺さったのだろう。
出血をしていない。
そのお陰か、俺は冷静さを保つことが出来ていた。
シロは人間の姿に戻り、リョウタに歩み寄る。
リョウタはアイリに近寄ると、また頭に手を乗せた。
「お姉さんの能力いいね。
人形使いだっけ?
ありがとう。」
リョウタはにっこりと、アイリに笑いかけた。
残り20名