金色の男
葦毛の愛馬は年々黒味が消えて、いまや銀色に輝くようになっている。
金色の騎士が銀色の馬に乗っていると馬上試合の度に宮廷の貴婦人達に持て囃されてもいるが、イーオインは馬の毛並みの美しさで愛馬を選んだわけでは無い。
最初はみすぼらしい毛並みに体格の、投げ売り状態の安い馬だった。
だが、どの馬よりも体力があり、どんな戦場でも引かないという意地を持つ。
通算して十年近く乗っているこの馬は、イーオインにとっては親友であり彼が自分で手に入れたいと望んで、初めて叶ったという本物の財産なのである。
大陸で傭兵生活をして溜めた金で最初に買った最初の財産でもあるが、一度は大陸から故郷に戻る金のために手放し、しかし、全てを失った彼が一年かけて取り戻したという愛馬であるのだ。
つまり、愛馬が売られた先を見つけ出して買い戻したのである。
愛馬の持ち主となっていた男は、それがきっかけでイーオインの親友となったが、イーオインを陰険で粘着質な男だと事あるごとに罵り揶揄うのだ。
実際にイーオインは馬を取り戻すためだけにルーカスの隊に入り、事あるごとにルーカスの馬の扱い方に小言を言い、ルーカスをうんざりさせて馬を手放させたのだから、ルーカスの罵りも仕方が無いとイーオインは受け入れている。
ルーカスから実の弟のように揶揄われて罵られるのは、家族のいない彼には喜びでしか無い。
彼を罵るルーカスには内緒であるが。
さて、領主の身の上の彼が傭兵生活をしていたのは、彼が冒険家だからではなく、純粋に三男坊だったという事に由来する。
イングスフェールの習慣として、長男として生まれなかった男は、身の回りの世話が自分で出来る年齢に達すると騎士見習いとして他家へ送り出され、そこで騎士として身を立てるべく精進するだけの日々が待っているのである。
彼が自分が幸運だったと思う点は、父親が選んだ見習い先の領主ジョン・シュエットが良心的な人物であり、ジョンの息子と親友になれたという点であろう。
だがしかし、彼が騎士見習いをしている間に両親と兄達が疫病で全員死亡したというのは、外に出された身の上だろうと、彼にとって幸運でもなんでもない。
実家で過ごした幼い頃は両親には言うに及ばず、年の離れた兄達にも彼は可愛がられていたのであり、両親も彼が憎いからと騎士見習いに出したわけでは無い。
領地を持てない貴族の次男以下が身を立てるには騎士になるしかなく、子供の行く末を考えたからこそ彼の両親は断腸の思いで幼い息子を送り出したのである。
彼が実家に男爵として戻った時、彼はまだ十五でしかなく、戦場の一つも経験したことのない子供でしか無かった。
対して兄一家の死に喜び勇んで帰って来た叔父は、部下も従えた、騎士としてそれなりに名を上げていた男である。
領主としての威厳を持ちえないどころか社会経験も浅い幼い彼が、海千山千の親族にいいように扱われるのは当たり前の事であり、彼が名前だけ男爵様に成り下がるのは当然の結果であっただろうと言える。
しかし、領民が彼の言葉よりも父親の弟である叔父の采配を望んでいるのであればと彼は境遇を甘んじて受け入れてもいたのだが、それも自分が叔父にとっては領主になれない障害でしかないという事実を突きつけられるまでのことだ。
彼に供された食事が叔父の七つになったばかりの息子に盗み食いされ、目の前で血反吐を吐いてのたうち回られればどんな阿呆でも理解できるだろう。
彼は脅え、何も食べられなくなり、そしてそんな矢先に、彼は親友から手紙を受け取ることになる。
「イーオイン。僕は大陸に行く。母と妹を守れる力を僕は手に入れるしかない。」
親友の父でありイーオインの恩人ともいえるジョンは、イーオインが実家に戻って半年もしないうちに、王家へ反発する諸侯の見せしめとして名指しされて処刑されていた。
父親の死で領主となった親友から領地の取り上げは無かったが、彼の美しい母親は強制的に王侯派の取り巻きの一人と再婚させられ、親友はその時のイーオインと同じ領主と言う名の居候と成り果てていたのである。
否、彼と同じ死刑囚と言った方が正しいかもしれない。
イーオインは返事を返すどころか、親友と一緒に海峡を渡っていた。
彼が今更に昔を思い出しているのは、ここが親友の領地であったからだろう。
親友は大陸で命を落とし、その時に親友は遺言でイーオインに妹と母親を託したが、戦場からイングスフェール迄遠く、さらに、まだ駆け出しで金の無いイーオインがすぐに故郷に戻れるわけもなく、大陸と故郷を隔てる海峡をようやく渡れた頃には全てが遅すぎたのである。
彼が戻って来た時には、既に親友の母親は亡くなっており、妹は母親が再婚した領主代理の甥との結婚式を挙げる寸前という危機的状況であった。
彼は結婚式を中止させ、自分が彼女の婚約者であると認めさせはしたが、数年領主と振舞っていた男に従うものは多く、新領主としてイーオインがシュミット家に納まれるどころか彼女を連れて自分の領地へと逃げ出すしかない事態に追いやられたのである。
そして、彼の領地では彼の叔父が彼の帰還を拒み、彼は後ろも前も敵だらけの中で剣を振るうしかなく、結果、そこで守るべき少女を守るどころか死なせてしまったのだ。
「何も守れないどころか壊すだけの男が、尊敬する男の娘を今度こそ守れるのかね。」
彼が馬を取り戻す事に必死だったのは、何も無くなった自分を取り戻すと同じ行為でしかなく、彼が逃げた小鳥に嘆くのは、鳥に失った少女を重ねて育てていたからでもある。
彼がウィステリアに婚約の同意を出来ないのは、守り切れなかった親友の妹の記憶が彼の中で残っているからであろう。
朗らかに笑う少女は灰色のふわふわで砂糖菓子の様に可愛らしく、何よりも、騎士見習い中の彼に本当の妹の様に慕ってくれた彼女の存在は、天涯孤独になった彼には唯一残った大事なよすがでもあったのだ。
それなのに、彼は自分が戦えないからと彼女を森に置き去りにしたのである。
その結果、彼が撃ち漏らした理性のない男達に彼女は壊され、見るも無残な姿となって短い生を終えたのだ。
「頼まれた事だけしよう。俺は自分で考えると失敗ばかりじゃないか。思い悩むばかり。過去を思い出して泣き言ばかり。それでアルジャンに逃げられただけじゃなく、ル―カスにさえ逃げられたんだ。しっかりせねば。なぁ、スフェール。」
彼の相棒はヒヒンと嬉しそうに嘶き、イーオインは馬をウィステリアの娘が逗留する宿へと向けて再び歩き出させた。




