素晴らしき女主人
私の避難がましい言い方に対して、私と目が合ったミリアは目があった事が嬉しいという風に、歪んでいた顔をいつもの天使のような微笑にと変えた。
屈託のない笑顔に、私もつられて頬が緩んでしまった。
「いつも顎をあげていてよ。エンバーン。」
「母様も同じことを。」
「思い出したの!」
思わず言ってしまった言葉に私はしまったと後悔し、そして私を友人と思ってくれるミリアに対して申し訳ないと感じながらも、私は彼女に嘘をついていた。
「そ、そんな気がしただけで。」
「そう。全部思い出せるといいわね。」
「ありがとうございます。でも、思い出さない方が良いのかもって、最近は思います。」
「どうして?」
「忘れたくなるくらいの出来事を思い出したくないでしょう。」
私は暗い山道を走っていた。
「とにかく走るよ!止まったら僕達はお終いだ!」
私の目の前には青年の背中。
薄墨の世界でボンヤリと浮かび上がる白い人影。
私は彼に手を引かれ、ほとんど引っ張られながら走っていた。
怖いというよりも、その背中だけを見つめていられるのならば、私はこのまま息が止まってもかまわないと考えながら必死で走っていた。
「エンバーン、大丈夫?」
ミリアの呼びかけに意識は現実に戻ったが、ぎゅうと握っていたはずの指先も一緒に開いてしまったようである。
ぼちゃりと魚が撥ねるような水音に見返せば、音を立てたのが大事なミリアのチュニックで、それは無情にも一瞬で手の届かない所へと流れて、ドプリと私をあざ笑うような音まで立てて沈んでしまったのである。
「あぁ、しまった。ミリアさまの着替えが!あぁ、私はなんてことを!」
「ふふ。いいの。すっきりしたわ。私はあの色が大嫌いだから、いいの。」
「大嫌いだったのですか?」
ミリアは子供の様に大きく何度も頷き、そういえばオーシャンブルーがミリアの姉のアイボリーが好んでいた色だったと思い出した。
ミリアと外見がよく似た、水色の瞳にプラチナブロンドの絶世の美女は、オーシャンブルーが自分を一番美しく見せる色だと思い込んでいるのか、持ち物も服もその色ばかりなのである。
あまつさえ、妻のいないミリアの兄の妻代わりに家政を担っているので、ウィステリアのマナーハウスの内装は深い海の様そうである。
「でも、お金はトマスが全部持ち逃げしてしまったから、何かを売って少しでもお金を作れなければ、私達は立ち往生で死んでしまいます。」
「お父様の助けが来るから大丈夫。」
「誰が助けを呼ぶと!」
「トマス。」
「まさか!」
「だって金庫の中には蛇をいれておいたもの。大丈夫。解毒剤が無ければ三日の命だと知れば、絶対にトマスはお父様に泣きつくわ。」
「はは。確実な安全のために信用できないトマスを選んだのですね。馬鹿正直なハリーだったら弱いくせに逃げないし、絶対に金庫を開けないもの。さすがです。」
私なんて、必要なかったじゃないのと、自分よりも頭も性質も上等すぎる女主人に感嘆したのか脱力したのか、私の膝は力を失ってそのまま地面に崩れ落ちていた。
「ちょっと!エン!」
湿った土が冷たくて気持ちがいいと思った一瞬、ぷつんと糸が切れたかのように意識が消えていた。




