取り返せないのであるならば
怒りでいきり立っているイーオインがほとんど崖のような丘を登りきると、そこには五人もの男達が彼の出現に立ち向かうどころか慌てふためく姿であった。
「自分は安全地帯で優雅に観戦か。なにがシュエットの誇りだ!汚い臆病者の小悪党でしかないよ、お前らは!お前らが誇りを語るな!」
彼は馬から飛び降りると剣も抜かずに手前の二人の剣をかわしたそのまま、シュエット達の頭目となっている男へと一直線に躍り出た。
すると、目指したその男を庇おうと二人のマントの男達が前に出て彼に剣を向けて飛び掛かってきた。
が、先ほどかわした男達がすぐ後ろに迫った瞬間に、彼は脇へと飛び出したのである。
がつん。
四人の男達は味方同士でぶつかり合った。
イーオインは止まらない。
今や彼の目の前には、ジョンに捨てられたと嘆くシュミットを焚きつけてジョンを殺し、今もなおシュエット達を率いて罪もない人々を私欲のためにだけ殺し続けることを止めないだろう、血に飢えただけの男がいるのだ。
「お前には領主の剣は下さない!」
ガツ。
イーオインは渾身の力を込めて、薄汚い黒幕を殴り飛ばした。
ルーカスが語っていた通りに小柄だった男は簡単に吹っ飛んで地面に横たわり、イーオインは横になって伸びている男の頭巾を剥ぎ取った。
「頭目はどうした!こいつは盗賊の頭じゃないか!」
仲間同士で折り重なっていた一人が悲痛の叫び声をあげた。
「とっくの昔に火あぶりの刑だろう。いつから頭巾を被るようになったんだ?」
「あぁ!」
頭目を庇っていた男はその場でしゃがみ込み、後の三名も言葉もなく顔を両手で覆っている。
シュエットの取り纏め人らしき者達の慟哭は本物で、だからこそ怒りを抑えられないイーオインは大きく息を吸うと、腹からの声を大きく出して世界に轟かせていた。
「わかっただろう!お前らには正義など何もないと!こいつは大陸側の間者で、イングスフェールを取り込もうとお前らを騙していただけなんだ!お前らはこいつの言うがままに、イングスフェールの貴族を誘拐しては殺して燃やしていたんだろう?彼等が王に真っ当な事を忠告できる、真っ当な、イングスフェールの事だけを考えている人間だとは考えもしなかったか?お前達はシュエットだろう。フクロウは賢い鳥だったはずだろう!」
イーオインへの殺気で溢れていたムーアは、シュエット達の寒々とした絶望に包まれた。
イーオインはスフェールに跨ると、大事な妻が一人で自分自身を守っているだろう場所へと馬を走らせた。
しかし、妻がいた場所には妻の姿がとうに消えており、彼は熊穴に彼女を迎えに行ったあの日の事を思い出すしかなかった。
彼は先に逃げろと言っていた癖に、彼女が自分を待っていると確信していたのである。
彼は生き残れた事を神に感謝しながら走り、走るうちに、未来というものさえ望めるような心持に数年ぶりになっていたのだ。
そんな彼がエンバーンの元に辿り着いた時、彼女が待っているはずの穴には、彼女を入れた時には無かった無数の溝が彼に絶望をも刻み込んだのである。
固い土に刻まれた溝は、無理矢理に引き出され、必死に掴めるものを掴もうとした少女の痕跡だ。
彼はあの日を思い出し、ゆっくりと膝をつき、そして地面にはあの日とは違う痕跡が残されていたと気が付いた。
普通以上に大きな馬に彼女が飛び乗ったかのような足跡。
「あなたは、向かうべきところに行きなさい。私には私を守る剣がある。」
「はい、奥様。やるべきことは最後までやりますよ。」
彼は立ち上がりながら、自分があの日に彼女の手を離してしまったがために、再び彼女が彼を求めてくれることも、あの日の眼差しで再び見つめ返してくれることも、二度と無いだろうとぼんやりと考えた。
あの日に死んだのは二人の未来だったかもしれないと。




