虜囚
何十回目の鼻をすする音に、ル―カスはウンザリどころか烈火のごとく胸の内に怒りを燃やしていた。
ミリアは美しい金髪を丸坊主に刈られ、ルーカスは気に入っていたチュニックも外套も、ブーツさえも奪われて、肌着にズボンという情けない姿なのである。
「ミリア。あとで俺も丸坊主になるから、一先ず普通の女みたいに泣くのをやめてくれないか。な、お揃いの坊主になるって約束するからさ。」
彼女は大泣きをする一歩前のような三歳児のように顔を歪め、だが、声をあげて泣く代わりにル―カスを泣かせた。
「あだしのせいで、あなたがこんな目に遭って、ごべんなさい。」
「ちょっと待て。その、俺が不甲斐ない事は知っていました的な物言いは何だよ。ここはお前が俺を責めるところでしょうよ。このアホンダラは守れないどころか私をこんな目に遭わせたって。そこで俺が守れなくてごめんな、だろう。やり直し。」
「でも、わだじが病気持ちだって叫んだルーのお陰であだじは乱暴されながった。普通の女の子の意味もわがった。痛ぐなぐでも痛い振りって。叩かれてすぐに泣いて痛いと騒ぐと、そごで終わるってわかった。ルーは凄いのに、ばかなわだじのせいで。」
「わかってくれたのはわかったから、その間抜けなルーは止めて。君は今すぐ泣き止んで、鼻をかんで、それで、ルーカス、と、ちゃんと発音をしよう。ルーとしか呼んでもらえないとしたらって、未来の君の夫が心を痛めているからね。」
彼女はひぐっと大きく何かを飲み込むと、まじまじとルーカスを見返してきた。
生きていたエメリアに叩かれて左ほおを赤くはらし、尚且つ哀れな坊主頭にされたミリアであるが、真ん丸な空色の目でルーカスを見つめるミリアは、ルーカスの大好きな猫にしか見えなかった。
坊主頭も可愛いと思わせる程に。
彼は頬が緩んだが、すぐさま彼の笑顔は部下が脅える程だと思い出し、これ以上ミリアを脅えさせてはいけないと彼はぐっと奥歯を噛みしめた。
「領地も無いどころか故郷も何もない。元は奴隷で今はただの傭兵でしかない男で悪いけどね、俺が全部責任を取るから、お前はもう心配するな。それなりの暮らしは約束する。」
猫は喜ぶか怒って虎になるどちらかだろうとルーカスは期待したのだが、ミリアは魂が抜けたようになると、ぱたりと横に転がった。
さらに横になったミリアから、しくしくと、本格的な女性らしい泣き声が聞こえてきたことで、ル―カスは自分が失敗したのだとがっかりと落ち込んだ。
死体が積み重なる狭い小屋に、後ろ手で縛られて閉じ込められている状況など、何度も経験してきた彼には大したことではない。
そんな男が小娘一人笑わせられないとは、と。
「じゃあミリア、こうしよう。泣き止んでくれたら結婚を取りやめる。」
後ろ手に縛られて横になっているミリアはピタリと泣き止み、ル―カスはそのことに実はかなり傷付いてはいた。
だが、外見も怖い、未来も無い、おまけに情けない声を出しながら敵に十数発殴られていた間抜けと結婚したがる女はいないと、ルーカスは自分で認めるしかない。
そうして傷ついたらしい自分の情けなさを、彼は心のうちにそっと隠したのである。
「お前がそんなに俺と結婚したくないと知って、がっかりだよ。」
どうやらル―カスの心の中は隠し物で一杯だったようで、隠せずに彼の口から溢れてしまった言葉に彼自身驚くしかなかった。
ところが、その言葉によって横になっていたミリアがゆっくりと頭だけ動かして彼を見返し、そのまま居心地が悪くなるぐらいに彼をまじまじと見つめているのだ。
「あなたが私と結婚したくないのではなくて?」
「どうしてそう思うの?俺はお前が好きだよ。」
ミリアはぼっと火が燃えた音が聞こえたぐらいに真っ赤に染まり、うわあああと叫びながらゴロゴロと転がりだした。
「わかったよ。そんなに嫌なんだな。もうわかったよ。あぁ、畜生。今すぐ俺を開放してくれた奴と俺は結婚する。どんな奴だって、傷ついている俺はきっと愛してしまうね。」
「わかった!」
妙に子供みたいな大声をミリアが出したと思ったら、彼女はぴょんと飛び上がるように立ち上がると、後ろ手に縛られた両腕を前方に持ってこようと奮闘し始めた。
足を腕に通そうと体を丸めたりと奮闘する姿は、足を持ち上げた時にチュニックも下のシュミーズも捲れてすんなりとした美しい足が腿まで見えたりと、ルーカスにとっては眼福と言う光景でしかない。
ルーカスはミリアを静止するべきという事を積極的に忘れた。
何よりも自分と結婚するために自分を助け出そうと奮闘するミリアの行動が嬉しく、ミリアによく似た小さな子供に纏わりつかれる未来まで夢想している有様なのだ。
真ん丸な目をした赤ん坊達が自分に抱っこをせがむのだ。
「あぁ、パパは腕が二本しかない。」
しかし彼は数秒足らずで正気に戻らねばならなかった。
なんと、縛られた腕を完全に前に持ってこれたミリアが、縄を食いちぎろうと縄に齧りついたのである。
「だめ!それ以上は止めて!君の可愛い歯が欠けてしまう!」
ルーカスはミリアに抱きついてしまっていた。
「ルーカス。どうして両手が自由なの!縛られていたのにどうしたの?」
彼はそっと右手を持ち上げた。
手には親指サイズの刃だけのナイフを親指で支える様にして持っており、驚いた表情のミリアに彼はにやりと笑った。
「傭兵たるもの、どんな場合も考えて、武器もそれなりに色々と隠しておくものなんだよ。」
ところがミリアはルーカスに賞賛の眼差しを寄こすどころか、処刑される直前の囚人のように頭を垂れてしまったのである。
「結局、あなたは私と結婚したくないのよね。」
「ばか。結婚したいからさ、助けてよ。ズボンに通している紐に隠していたからね、俺はズボンが落ちてしまうの。君の縄を切ったら君のチュニックを俺にくれないかな。」
彼女はようやくルーカスが望んだ微笑みを彼に返し、彼は彼女を戒めから解いてあげた。
そして彼女が彼の為にチュニックを脱いだのだが、チュニックを脱いで現れた彼女の下着姿に、ルーカスは彼女にチュニックを返して彼女を傷つけるか、チュニックを着て誰にも見せたくない素晴らしいミリアの肢体を衆目にさらすか、悩む羽目に陥ったのである。
「畜生。これが結婚への試練というものか。」




