雪の中の二人②
ルーカスは自分が叫んだ言葉通りに、頭を庇うようにして体を丸めた。
ハンニバルは鞍から人が消えると、解放の喜びに走り出すのである。
そしてここには馬鹿馬一号がいる。
ハンニバルが脱兎のごとく逃げ出すと、ルーカスの予想通りに、走り競争と思い違いしたブケパロスまでもハンニバルを追いかけて暴走してしまったのだ。
「あぁ、糞。あいつら、見つけたら丸焼きにしてやる。畜生!二度と黒馬なんか買わない。次は葦毛か鹿毛にする。絶対に、ぜったいに、ぜったいに、二度と黒馬は買わない!」
ぷ、くすくすと軽やかな笑い声が起こり、ルーカスはゆっくりと体を起こした。
馬二頭分離れた先には、身を丸めただけのミリアが腹を抱えて笑っている。
亡くなった人間がいる現場において不謹慎極まりないが、彼女の笑い声にルーカスは気が落ち着けられ、そして、一息付けたような心持なのである。
彼は子供のようなミリアといることで、失った子供時代をやり直しているような、傷ついた子供時代の自分を慰めているような、そんな気持ちにもなるのである。
「ミリア、大丈夫か、怪我は無いか?」
彼はミリアの元に歩き、そこにしゃがみ込むと、ミリアはゆっくりと彼に顔を向けた。
ミリアの顔は、先ほどまで泣いていたためにところどころが赤く、お世辞にも美しい顔では無かったが、だからこそルーカスには大事なものの様に思え、ミリアの頬をそっとつついた。
驚愕に丸々と開けた瞳は、晴れた空と同じ水色で、今はもう悲しみの影も見えない。
「おじさんを驚かすのは止めてくれ。俺は君よりも繊細なんだよ。」
「知っている。エンバーンがあなたが繊細で優しい人だって、いつも言っている。」
「あら、頑張って男らしくしているのに、君達にはバレていた?」
彼女は再びダンゴ虫のように丸まったが、小刻みに震えているのは彼女が笑っているからで、彼は彼女の怪我一つなかった無事に胸を撫でおろした。
そして、彼は丸まったそのままの彼女を強く抱きしめていた。
「君も偶には普通の女の子の振りをしてくれ。でないと君を愛してしまう。」
彼の腕の中でくすくすと笑っていた少女はピタリと笑いを止めただけでなく体を強張らせ、自分の失敗を悟ったルーカスは腕を解いて彼女から離れた。
それから彼は立ち上がったのだが、彼のミリアは丸まったまま動く気配も無い。
「どうしたの?こんな所で襲わないから安心していいよ。」
「――だって、驚いて、嬉しかったから、まだ、このままでいたい。」
「ミリア。」
「だって、私は普通の女の子になれなくて欲しがられないだろうから、だから、持参金が必要だって。父さんがアイボリーを呼び出したのは、アイボリーなら持参金が無くても大丈夫だろうって、謝りたかったって。」
「俺もその話を聞いてがっかりした。そんなに金に困っていたら俺に泣きついて欲しかったとね。相談してもらっていたら、俺が借金を肩代わりして、可愛いミリアをカタに貰えたというのにね。」
ミリアはゆっくりと顔を上げて自分を見下ろすルーカスを見上げたが、首の骨が折れたかと思う程の見上げ方と真ん丸になった目をしたミリアの表情に、ルーカスは彼女がまるで水に落ちたばかりの猫のようだと、可愛らしいと純粋に感じた。
彼は再び腰を下ろして、彼女を腕に抱きしめた。
彼女は嫌がるどころか彼のなすがままに身を預けているだけでなく、水色の瞳はじっとルーカスを見つめ、彼の口づけを望むように柔らかそうな唇はそっと開いているのだ。
彼は彼女の唇に口元を寄せたが、膝に感じる振動が馬の蹄によるものだと気が付くと、注意深く体を動かさないまま周囲だけを伺った。
「畜生。」
「ミリア。今から俺の望む普通の女でいてくれないか?痛くなくても痛いと大泣きする女のふりだ。俺達は包囲されている。」




