真っ当な男
イーオインとルーカスはいつも一緒と約束した覚えはないが、彼等はイングスフェール王立国に渡ってから殆どいつも一緒だ。
それは彼等が親友だからと言うハートフルなものからではなく、単なる実務上の必要性からでしかない。
つい先日まで名前だけ男爵だったイーオインには信頼できる私兵など存在せず、イーオインがルーカスと傭兵派遣の契約を結んでいるだけの話であるのだ。
ルーカスは連れてきた部下がイングスフェールに長期に渡って留め置かれることに反発するかと心配もしていたが、根を張って守れるものが出来たと喜ぶ者の方が多い事から、適当に纏め上げたらイーオインの私兵として引き渡そうと考えている。
勿論その場合には相応の金額をイーオインからせしめるつもりであり、実際、イングスフェールの部隊滞在費はイーオインのルーカスへの借金として計上されているのだ。
「それにしても、何なの、この領地。真っ当な住民名簿が作れないんだけど。」
ルーカスは部下が領地を巡って調べた上げた報告書を、ミカ男爵の書斎机に放り投げた。
書斎と言っても子供部屋かと思う程の小さい部屋であり、ほとんど空の部屋だが、残っている私物らしきものからイーオインの親友で前領主のシュエット男爵の書斎であったと見当をつけている。
「エドワード君も、君と同じように繊細で粘着質だったのかな。」
書類を読むイーオインは、目線だけぎろりと親友に返して来た。
「君はね、ここの領主様、いや、君がこれから頑張って子作りした作品がシュエット男爵様になるのだろうけどね、アダムが我が物としていた先々代の書斎を使うべきだと思うよ。」
「それは出来ない。」
「どうして。」
「俺は夫じゃないから。」
「そうだね。まだ白い結婚だものね。」
「何を言っているの。ガルディスがカドラヘレ大聖堂の司教を通して法王に俺達の結婚を白紙にさせただろう。俺達の結婚は白紙だ。エンバーンが嫌だと言ったら婚約は解消だ。それなのに、エンバーンとミリアまでこの領地に連れてくるなんて。」
「ここはエンバーンの領地でしょう。何の問題があるの。」
イーオインは、ばん、と両手を机に打ち付けて立ち上がった。
「問題だらけの領地だって、報告書を投げたばかりの男が何を言う!そんな無法地帯の、それまた男所帯のマナーハウスに若い女性だけで滞在だなんて、彼女達の評判は地に落ちてしまったも同然じゃないか。」
「お目付け役の修道女達がわらわらいるから大丈夫。怖い姐さんが監督しているから、俺の部隊は隅々まで軍規が行き届いている。大将の俺が逃げ出したくなるほどにね。」
イーオインは荒々しく椅子に座り直すと、吐き捨てる様に罵った。
「よく考えたら、俺達の結婚を白紙にしてアダムをカドラヘレに向かわせるよりも、街道挟んだ領地の俺に手紙か何かで知らせてくれれば終わった話じゃないか。六年前の俺は使い物にならなくとも、三か月前の俺は少しは使える男だったはずだろう。」
ルーカスは自分の親友がどうして絶対に汚れないのだろうと、少々胸の中で小首を傾げてしまう程なのである。
こんな真っ当なだけの男が、化かし合いの、卑怯な手を使っても生き延びる汚い戦場で、よくも今まで生き残って来られたのだろうかと。
「あぁ、お前が生き残れたのは、この俺がいるからか。」
思わず呟いたルーカスの言葉に、イーオインは椅子から飛び立つように立ち上がった。
「悪かったよ!無能で!はい、そうでした。ガルディス様がこんな無能に相談なんかする訳は無いはずでした。明日から看板を首から下げておくよ。俺にはルーカス様が付いていますから、相談もご心配なくってね。」
ルーカスは腹の底から笑い声をあげると、腰ひもに括りつけていた小さな革の水筒をイーオインに投げつけた。
イーオインはそれを顔にぶつかる前に受け取り、了解も取らずにそれを口をつけてごくりと呑み込んだ。
中身は当たり前だが度数の高い酒であり、イーオインは二度三度咽た咳をした後に水筒をルーカスに投げ返し、そして、酒で落ち着いたのか再び椅子に腰かけ直した。
「済まない。俺はこの領地が嫌いなんだ。エドワードと、シュエット家の皆と家族のように過ごした日々が良かったからこそ、この変わりようがね。」
「それはわかるよ。思い出が汚されるのは嫌なものだ。俺が呆れているのはお前のその小ささでは無くてね、物事を信じやすい真っ当さに、だよ。」
「どういう意味だ。」
「詐欺はね、それらしい場所でこそ大きなことが出来るんだよ。何の為にアダムとエンバーンを秘密裡にカドラヘレに向かわせたと思っているんだ。」
「え?」
「だからさ、ガルディスはアダムを鴨にしたんだよ。お前との結婚を白紙にできる証明書、エンバーンとの結婚証明書、それからそうそう、哀れな元アダムの女房のエレノア。彼女との離婚証明書。教会に繋ぎを取りますには大層お金がかかりますってね。全てが詐欺で、ガルディスはアダムからかなりの金をせびり取っていたはずだ。アダムが溜め込んだシュエットの金蔵が空になるほどにね。おめでとう。お前はまだ妻帯者だよ。」
「シュエットに金が無いのはそれが理由か。」
イーオインが今度は穴に嵌って動けない狸のような顔をルーカスに向けたので、ルーカスはイーオインを笑い飛ばしてやった。
「安心しろ。俺の妹分に困った事があればガルディスに相談しろと言ってある。エンバーンはガルディスの薫陶を受けただけあって勘が良いね。さっそくガルディスに纏わりついている。小作人の家々がボロボロなの、どうしてあげたらいいの?もうすぐ真冬なのに食糧庫が空みたいなの、どうしたらいいの?ババ様は歯ぎしりしながら財布から金を出しているよ。」
イーオインは左手で口元を押さえたまま、まだ信じられないという顔でルーカスをまじまじと見つめるだけで、ルーカスはその姿に再び大きな笑い声をあげた。
「俺は本当にまぬけ野郎だ。君に全部任せたほうがいいのならば、頼んでいいか?俺はこのうんざりする領地でやらなければならない事が出来てね。」
「俺の部下の報告書がそんなに響いたか?」
「いや、個人的に考えていた事があってね、それを探っているが本格的に潜りたい。」
「言ってみろ。」
「言えない。すまない。ただね、もしもの時はエンバーンを頼んでいいか。」
ルーカスは親友を睨むように見つめ、親友はルーカスに大昔に見せた視線を返すだけである。
六年前、まともに戦えそうにない背が高いだけの青年が、彼の馬、スフェールの鞍に手を置いたまま、ルーカスに懇願した時の眼だ。
「お願いします。あなたの隊に入れてください。そして、給料がこの馬の分になった時には、俺にこの馬を返してください。」
ルーカスはその時のようにイーオインに返すしかなかった。
「いいよ。」




