おばあちゃん、日向ぼっこをする
「貴方達だと思っていたのよ」
夕餉を終え、ヨヒシコは白紙を前に考えに耽っていた。
アイネが返事を待っている様なので、何が、と尋ねる。
「行商さん。村の皆も思ってたんじゃないかな」
おばあちゃんは座ったまま転寝、かと思いきや時々お茶を啜っている。
「そろそろ月末だから村に来る頃なんだけど」
そろそろおばあちゃんをベッドに連れて行こうと思いながら、何が、と返してしまった。興味がない風になったと焦って、何を売りに来るのかと繕った。
「まずはパンね。村じゃ粉挽きも出来ないから」
それで麦粥、と言うとアイネも苦笑いで応えた。
「あとは布や毛皮、常備薬に保存薬に」
裸足の脚を揺らしているのか椅子が調子良く音を立てる。ヨヒシコは話の半分を聞きながら、相槌を返した。
「筆記具もね。あと他の村で採れた食べ物も楽しみ」
少し意外で、何でも売りに来るんだね、と驚くと、大所帯の荷馬車で来るからお祭り騒ぎよ、と机に肘を乗せる。
「考えてみたら、手ぶらで来る筈ないものね」
アイネは目を細めて身を乗り出し、大きい瞳でヨヒシコを覗く。
「何を書くの?」
何を書こうか、と鸚鵡返しをした。
硬い筒状の茎を削ったペンと、虫こぶのインクとを交互に眺めながら悩んでいた。
元の世界での暮らしを書いたら村の皆が面白がるだろうか。御伽噺の様に。
それとも、この世界の生活に革新的な天啓とやらを考えてみようか。
いや、冷静に考えれば、元の社会が前提になる知識しか持っていない。
言葉であれ、科学であれ、政治、経済、この世界の人々が今以上に何を必要にしているのかが、まず分からない。
学問の根本から広めた福沢諭吉先生がどれだけ偉大か身が縮まる。
逆に、この世界での記録はどうだろう。
何となく、日記でも書こうかと思いついたものの書き出しに困る。一体誰に向けて書くのか。この紙だって世界の何とか、思いを写すとか何とかだと言う貴重な物なのに。
「暫く村に居るんでしょ、その間に考えたら?」
アイネは椅子を引き、体を伸ばす。
「明日にはおばあちゃんの蜜柑酢ができるね」
楽しみ、と部屋に戻る。お父さんに飲ませて実験、と言いながらヨヒシコに手を振った。
言われた通りに広場はお祭り騒ぎだった。
打ち込まれた丸太に天幕が張られ、商人達が勢いよく幌を捲る。荷馬車からは次々と商品が移されていき、早くも手に取って見定める客も居る。
「早いのね、行商さん」
「昨日の夕刻に到着する路程だったんだがね」
途中で桶を担いだヘルハウンドの群れが歩いて来たので遣り過ごしていたという。
「不思議なことに襲っては来なかったんだ」
幸運だったよ、と手際よく働く手が止まる。
「あれは、焚火の跡かい。こんな季節に」
まあいいや、と品を並べる。
「さあ、何でも揃ってるよ!」
朝露を弾く熱気に、村は賑わった。
四台の荷馬車に興味津々な子供らが走り回り、愛らしくもビーズの飾りを手に取る少女、壺の底まで見遣る妻に革紐の長さを確かめる夫、毛糸の出来に値切ったり布地を身体に当てたりと忙しく銅貨や銀貨が行き交う。
おばあちゃんは広場を見渡せるベンチに座って日向ぼっこをしていた。
「人が多いねえ、お祭りだねえ」
「おばあちゃん、欲しい物ある?」
「あたしは、特にないねえ」
おばあちゃんは、お金を持っていたらお小遣いをあげるのにねえ、と残念そうにする。
「ヨヒシコも遊んでおいで」
一緒に座って居ようとしたが、呼ばれている声に気付きおばあちゃんを少し待たせることにした。
「あんたら何で、そんなにズボンをあげてるんだい」
商人の声が掻き消され、振舞われるワインに合唱まで始まる。気を大きくした村人が伝説の壺とやらを買ったりして喝采が上がっていた。
アイネも細長いパンを大量に買うと、次に香辛料を物色する。
硬いパンを挿せるだけ挿した大きな籠を背負うヨヒシコは、今度は両手に香辛料の袋を抱える。その上に更に袋が乗せられる。色々な匂いが混ざって鼻が突かれた。
「お肉に摺り込むの。日持ちが良くなるのよ」
あのワインにも入ってる、と指差す。
「便利よね」
次に行こうと腕を引かれると、見慣れた姿が視界に入る。
「やや、蜜柑酢が、効いてきた様ですぞ」
寝起きにも手を借りていた村長はおばあちゃんの蜜柑酢で活力を取り戻し、今は強運の薬なる物を買わされていた。
「この石を少し削って水に溶かして飲むんだ」
「少し塩っぽいですね」
「塩湖で採れたんだ。緊張を解す薬さ」
「やや、学塾での発表に丁度良いですな」
村長は満足そうに白い石を革袋に入れた。
アイネは無言で革袋を奪い取ると、頬を膨らませてヨヒシコに渡した。
「無駄使いしない!」
気を落とした村長だが、帳簿を持った村の何人かに声を掛けられると行商の代表らしき人物と何やら話す。目で追っていくと、袋を積んだ荷車を前に遣り取りをしている。
「ここで収穫した麦よ」
物珍しく見ているヨヒシコをいじらしく感じたのかアイネが教える。
「税と備蓄とを差し引いた分を売るの。行商さんは次の村でそれを売る」
ここへは町から来てるから町で仕入れた物が来てるでしょう、と肩を竦める。村人は買うだけじゃなく売りもする。売り上げは各戸で分けるらしい。
「まあ例年通りね」
もう一度肩を竦めると、持ちつ持たれつ、と薄く笑った。
「あとは、石鹸と磨き粉と」
本当に、買い出しなんだなと思った。
おばあちゃんの田舎でもたまに移動販売の業者が来る。当然、荷馬車じゃなくでトラックやバンだが。
小さい集落だと生活品一つに困ることもある。自力で街まで行けなければ人に頼むか向こうから来るのを待つしかない。無くなれば窮する依存とも言える。慈善とか奉仕とかいう気持ちの良い言葉もあるが、一方的な仕組みだと時に受ける側の重荷にもなるのだ。
持ちつ持たれつ。
少しばかりでも、この村で自分の知識が持て囃されるかもと思っていた事を恥ずかしく感じた。
困ってもいない人を助けようとする滑稽さを情けなく感じた。
おばあちゃんはベンチに座ったまま、ヨヒシコ達が見えるとにっこり笑った。




