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おばあちゃん、梅を漬ける

 まだ陽は高く、木々の間の新緑を鮮やかに照らしていた。

 村の北にせせらぐ川の向こう岸の森をずっと横目に歩いてきたが、立ち入る許可があるのは村唯一の橋を渡ったここからだけらしい。

「向こうの切り株、見える?」

 アイネの指先を辿って森の奥を見据えるが、目を凝らしても森の鬱蒼さしか見えない。

「あそこから向こうは領主様の許しがないから」

 言われて見ると背の高い木々に差し込まれる陽光が、一旦解れている帯域を見つける。

 もし越えてしまったら、と心を読まれたのか、アイネの口角が上がる。

「これか、これか、これだね」

 海鳥が飛び立つ様な形で口元が動く。

 手先は首元、腹、腿、を横に断つ動きをしていた。


 切り株、とヨヒシコは忘れない様に口に唱えた。




「これは梅かねえ」

 おばあちゃんは、実を摘まんで拾い上げる。

 足元を短く覆った草の上には、鶯色の実が散点していた。

 うめ、とアイネは首を傾げ、睫毛を鳴らす。

「名前は、特にないなあ」

 三人が見上げると、梅の木、に違いないと思うが、たっぷりの枝が広がる。

「それは食べないよ、おばあちゃん」

「梅干しができるねえ」

 村の人は誰も見向きもしないと言うその実を、おばあちゃんは拾い集めだした。


 アイネは頭巾から出る前髪を人差し指で弄ると、おばあちゃんが言うならそうなんだろうと、ヨヒシコに細長い籠を渡した。

「蜜柑。蜜柑は食べるでしょ?」

 喋りながら慣れた足取りで緑の天井を進む。木々に多少の違いはあってもヨヒシコには見分けられない。言われた通りに籠を腰で結ぶと、目当ての木に立ち止まった。

 よっ、と声を出しエプロンがふわりと舞う。枝葉が跳ねて揺れ、手にある果実は指に挟める程の小さな蜜柑、に似ていた。そう呼ぶのだから蜜柑なのだろう。

「まだ青い実は夏まで残すから」

 ヨヒシコの腰に手を回し、ぶら下げた細長い籠に果実を放る。転がった果実が籠の底に着いて跳ねると甘酸っぱい香りがした。


「登って、満遍なく採るのよ」

 どっしりとした幹に手を当てる。そう高くはないが、背丈程で分かれてから分岐を繰り返す枝葉は頂上を隠していた。日差しと同じ色、生い茂る緑を抜けてひっそりと零れる様に小粒の蜜柑の生りを捉える。

 果樹も栽培しているのか、と聞くと呆れ顔で返された。

「森の恵みは、人間には育てられない」

 アイネは薄く笑って、私は香草を集めるから、と籠を担いだ。


 理屈は解せないが、剪定くらいはした方が良いのではないかと思いながら樹木に力を込める。

 それとも知らないのか。なら教えるべきだろうか。

 分かれた幹を抱き、芋虫の様に進む。太い枝を選び手を伸ばす。枝が頬にぶつかり葉が腕を覆う。細い枝先の生りの中で黄金色を掴み取ると、腰の籠に入れる。果実と果実がぶつかって重みを感じる。もう一つ上の実りも採れそうだ。上下に撓らせてみて強そうな枝に足を掛ける。

 丈夫そうな大枝の股に腰を落ち着かせると、新緑と爽やかな柑橘の香りに包まれた。

 木の葉が擦れ合い、清涼な風が額の汗を撫でに来る。

 下を覗くと、おばあちゃんが中腰で青梅を拾っている。その向こうでもアイネが中腰で草を選び毟っている。恰好からすると良く似ていた。


 村の方へ視界を移すと、白い壁の学塾が目立ち、藁葺き屋根の並びが見える。今の時期は畑仕事は少ないと聞いていただけあって、藁の編み物や小さい菜園での作業姿があり、村を囲む農場が水平線に広がる。何も植えていない畑では、豚や鶏が土を掘っている。採り残した馬鈴薯でも見つけているんだろうか、と想像した。


 きっとそれぞれの役割がある。

 自分の、ここでの役割は何だろうか。

 大賢者として学問を教える事か。

 こうやって木に登って果物を集める事だろうか。


 どれも大して出来ない自分に、居場所があるのだろうか。


 おばあちゃんはこの生活に順応できる気がする。現代より物もない時代に生まれ、貧しい生活で育ち、家庭を築いてきた。

 その間におばあちゃんの田舎も変わっていき、都市を真似た建物が広がっていく。

 それでも都会の方が病院も近く買い物も便利なので、ヨヒシコは自分の家におばあちゃんを住まわせたらと考えていた時期もあった。しかし住み慣れた田舎から離れる心境を思慮して踏み出せなかった。


 今、二人でこの世界で過ごしている事、これからも生活していく事は、ずっと願っていた一つの形ではないだろうか。

 ここにおばあちゃんと暮らして過ごせるのなら、僥倖というものではないか。


 その為にも、自分に出来る事をやらなければ。

 ここが何の世界でどの村で、自分達が何者の扱いを受けても、おばあちゃんと一緒に居れる生活を選ぼう。この村に住むからには農業も覚えないといけない。何か知恵を使って出来ることもある筈だ。

 もいだ果実の隙間から光が差し込む。ヨヒシコは蜜柑を腰の籠に転がした。

 転がった小粒の蜜柑は、地面に着いた。

 いつの間にか、籠に溢れる程に採れていた。




「大収穫だね」

 腰に手を当て満面の笑みの下には、はみ出さんばかりの香草の束と籠いっぱいの金色の蜜柑、そしておばあちゃんの集めた青梅が平籠に山盛りに採れている。

「良かったねえ、良かったねえ」

 おばあちゃんも嬉しそうに頬が照る。アイネのハイタッチに応える姿は無邪気そのものだった。


「梅酢を作ってねえ」

「うんうん」

 おばあちゃんとアイネは、腰を曲げゆっくりと帰途に着いた。

 後ろ姿はもうどちらがどちらだか分からないくらい馴染んでいた。



 

 窓からの夕陽が、鶯色の珠を照らす。水に晒していた梅を上げると宝石の様に品良く輝き、おばあちゃんが壺の中に並べる。塩を塗し更に積み重ねていく様子をアイネは不思議そうに見ていた。

「その実を食べるなんて、まだ信じられない」

「食べるのは暫く後になるけど、体に良いんだよ」


 炉に灯りの木がくべられる夕刻になっていた。白くぼんやりと居間から広がる灯りが厨房に僅かに届く。

 ヨヒシコは竈に立っていた。

 自分も何か作業がないかと、おばあちゃんに教えて貰った燻製料理を作っている。

 銅鍋の底に茶葉を敷き、網を段にし塩漬け肉を乗せる。蓋をして火にかけると隙間から煙が濛々と上がり、肉が燻されていく。

 採取から帰りアイネが淹れてくれた香辛料の入ったお茶の香りが立ち込める。

 煮炊き出来る竈は一つなので、頃合を計って銅鍋を煉瓦から下ろし代わりに大きい土鍋を抱える。中身は仕上がっており、豆と馬鈴薯とキャベツをレードルでかき回しながら煮込むと、お茶と同じ香りがこんもりと溢れてくる。


「やや、大賢者様に竈番などをさせるとは」

 香りに誘われた村長が、壁に手を付き部屋から出て来る。

 ふらつきながら歩く姿にアイネが食卓の椅子を引く。

「お父さんは座ってて」

 おばあちゃんのリウマチを治そうと高位の魔術を使った村長は、萎々と大机に突っ伏した。 

「申し訳ございません、醜態をお見せして」


 痩せた頬が更に窶れて、おばあちゃんも心配そうだ。

「あんたは疲れてるねえ」

「ええ、やはり私如きの魔力では、あれしきが限度でして」

「蜜柑酢を漬けたから、後で飲みなさい」

「おお、有り難きお言葉」

 みかんず、蜜柑の酢漬けだろうか、何であれ大賢者様からの賜り物ならば間違いはない、と大きい筈の目を虚ろに独り言を呟く。ヨヒシコは、魔物の種類にゾンビも居るのかと訊こうとしたが、土鍋が煮えたので配膳の準備に取り掛かった。

 

「手際が良いよね」

「ヨヒシコは昔から感心だもんねえ」

 最後の塩を塗し終え木蓋を落とすと、ヨヒシコは持ち帰っていた河原の石を乗せた。にやけ顔を隠す様に壺を抱えて他の香辛料入れの横に並べる。

 竈に戻り、銅鍋の蓋を開けた。残った煙の中から飴色に燻された塩漬け肉が姿を見せる。

 薄く切り分け、土鍋で湯掻いていた山菜を取り出し一緒に盛り付ける。


 蓋を開けた煙の様だと思った。

 おばあちゃんはいつもヨヒシコを褒めてくれる。

 いつしかヨヒシコも、おばあちゃんが喜ぶことを基準に物事を考えていた。

 おばあちゃん離れできないな、と自分に可笑しくなった。


「さっきからにやけてさ」

 アイネは悪戯っぽく言いながら席に着いた。

「そんなに美味しく出来たの?」

「おお、良い香りが致しますぞ」

 村長が目を覚まし体を持ち上げる。 

「美味しそうねえ」

 おばあちゃんの細めた目が食卓を照らす。


 ヨヒシコは椅子に座ると、ここに居場所を感じた。

 最初の星に、いただきます、と響く声が届いた。

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