「中、見ないでよ」 -第2回ー(全7回)
全員分のノートを坂本先生の机に置いて職員室を出た。
放課後のグラウンドではサッカー部と陸部のランニングが始まっていて、昇降口は帰宅のピークを迎えている。
僕は鞄を掛け直し、所属している漫画研究部の部室へ向かった。
活動日は週に一回、木曜日。
部室は専用のものではなく、ただの空き教室で、所属部員は29名らしいが、きちんと毎回顔を出すのは10人もいない。
定期的に発行する部誌に原稿を提出していれば、部室に来なくても部員扱い。
むしろ、木曜日以外も毎日部室に来ているのに原稿を描かない先輩もいるくらいだから、文化系の部活の中でも、最も緩いのが漫画研究部だろう。
今日も、6人しか部室に居ない。僕以外は全員2年生で、3年生は1人も居ない。
引退や受験対策というわけではなく、元々3年生が少なく、ほとんど2年生のいくつかのグループで持っている部活だ。
上下関係らしいものもほとんど無く、普段の部室はとても和やかだ。
基本的には、漫画やアニメの話をするために集まるオタクサークルであるが、気の合う友達と誰かの家や何処かの店でなく、放課後の教室というコストパフォーマンスの良い溜まり場でゲームや宿題などをする緩い部活だ。
定期的行われる部会にすら顧問の先生は来ないので、この空き教室の鍵の管理だけをきちんとしておけば、何をしても良い時間と場所。
2年生の人たちは、オタクといえばオタクの集まりだが、大人しい部類の人たちは少なく、
4月の部活動紹介でも、漫画に全く関係の無い、和太鼓のパフォーマンスを行い、拍手を貰っていたが、シュールに振り過ぎたパフォーマンスは笑いも起きず、そのせいなのかどうかは分からないが、入部希望の一年生は僕含めて2人しかいなかった。
入部して少し経った後、なぜ和太鼓のパフォーマンスをしたのかと聞いたところ、「思いついちゃったから」とのこと。
それだけの理由で春休みを和太鼓の練習につぎ込んだらしい。全く意味が分からない。
面白いかどうかは置いて、その行動力は本当に凄い。
言い出したのは、部長ではなく四葉先輩だという。
四葉先輩はバレー部と漫研を兼部していて、週に1,2度しか部室に顔を出さないが、キャラが濃く面白い人だ。
漫研やバレー部以外にも友人が多く、何処でも上手くやっていけそうな明るさと常識を兼ね備え、加えてちょっと面白い発想も出来る。所謂、オタクという型にはまらない。
ただ、漫画が好きな良い先輩というだけなら、僕がそこまで興味を持たない。
僕が四葉先輩に惹かれたのは、夏休みに発行した部誌の彼の漫画だ。
四葉先輩はプロと比べられるほどの画力では無いものの、部内ではずば抜けた絵の上手さで、犬と人間が殺し合うだけの、何のオチも無い漫画を描いていた。
綺麗に製本されたページからも伝わる四葉先輩の荒々しいタッチは、ストーリーを必要としないほど魅力的だった。
大体の人はイラストでお茶を濁すか、やる気の無い4コマ漫画を連ねるのが定石だ。
もちろん、僕もその後者である。
四葉先輩が兼部しているバレー部は、部員が少なく、どちらかというと体力づくりが目的の本格的ではない運動部とはいえ、週に5日はそちらに時間を取られているはずだ。
その上、学業もこなしつつ、16ページの原稿を仕上げる要領の良さ。
物語の主役とは、こういう個性的な人が相応しい。
うちの学校の生徒は勉強にも行事にも全力で取り組む人が多く、部活動もそこそこ盛んで、課題提出が多い。
四葉先輩は、どうやって時間をやりくりしているのか本当に謎だ。
僕は、入学して早々に禁止されているはずのアルバイトを始めてしまったので、部活は、いつでも辞められるユルイものを選ぼうと、この漫研に入部した。
思いの外、居心地が良かったので、原稿の提出はだけは欠かさないようにして、部室に通い続けている。
ひとつ困ったことは、学祭で発行する部誌の締め切りが2週間後に迫っているが、僕は1ページも手をつけていない。
自宅で作業をしようと思っても、課題だったり、予習が必要な教科が翌日だったり、結局、遊んでしまうかで、中々進まない。
原稿に向き合い、何度も手を動かしたことはあるが、描きたいものが全く思いつかず、何度も挫折した。
真面目に悩むほどではないが、ことあるごとに頭の中にこびりついた締め切りを思い出してしまうのは、気分が良くない。
「面白いことが思いつかなくても、今、考えたことを描けばいいんじゃない?米澤くん、漫画、上手いんだから」
四葉先輩に原稿の相談をしたら、そういう答えが返ってきた。
本音かどうかはさておき、サラリと嫌味なく僕を褒める四葉先輩。
「いや、上手くないっすよ。絵とか全然上手くならないし」
「絵はさ、練習すれば良いけど、漫画の中身はどうやって良くしていけば分からないし。
俺は、米澤くんみたいに面白いの描けないから」
「面白かったんですか?」
「いやいや、面白いよ。もっと描いた方が良いよ」
「…面白くはないっすよ」
お茶を濁す形で提出した前回の部誌を思い出して一瞬、ヒヤッとした。
四葉先輩は僕の漫画を読んだのか。読んで尚、そういう感想を持ったのか。
お世辞だとは思うが、それでも褒めてくれたことは嬉しい。
やはり、漫画でもドラマでも主役キャラの発言は嫌味が無い様に聞こえるのか望ましい。
先輩たちの雑談に耳を傾けつつ、滅多に使わない家庭科のノートの裏表紙をめくり、落書きに耽る。
漫画なんて、流行りのものを友達から借りて読むくらいで、なぜ自分で漫画を描こうと漫研に入部したのか分からない。
漫画を描く動機は締め切りだけで、描きたいものなんて無い。
でも、僕が魅力的だと思う人が、僕の漫画を読んでくれた。
今は、それを動機にして原稿を描くしかないが、それだけで動機としては十分だろう。