5章12話『リスタート』
「どうですか?矢野さん…………」
「少しずつ回復はしてるけど、まだ動けるほどではないねぇ…………」
救護室の白いベッドに横たわるシュルバは死んだように眠っていた。横にあるモニターの緑色の線こそ波を打って彼女の正常を物語っていたが、彼女はそれでも動かなかった。
「あそこで…………殺せてれば…………!」
アルトは手を強く握った。
「過去のことを悔いても仕方ないよ。ここは私に任せて、アンタはみんなのとこに行きな」
矢野はアルトにそう言った。
アルトはどこかやるせない表情だったが、椅子から立ち上がり、矢野にお辞儀をして救護室から出た。
カランコロン。
カフェスペースの鈴がなった。中にいた者たちは一斉に扉の方をチラリと見る。
「アルト。シュルバっちの様子は?」
「まだ、時間がかかるらしい」
「そっ…………か」
テーブル席に座るアリスはカフェオレを一口飲んだ。彼女の表情は暗く、不安やら絶望やらに呑み込まれているようだった。
いや、彼女だけではない。カフェスペースにいた全員、改めて"絶望"と言う言葉を叩きつけられた表情をしていた。
仕方ないことなのかも知れない。今まで不敗のアルタイルが完敗と呼べる負け方をしたのだから。
アルトはレイナの隣に座り、問いかけた。
「なぁ…………レイナ」
「どうしたの……?」
「俺達、あいつに勝てると思うか?」
「……………………」
レイナは黙り込んだ。
「だよな…………」
アルトはふうっとため息をついた。
「初めてだよ。あんな風にズタボロに負けたの。まるで勝てる気がしねぇ。ヒロキの魔人化もダメ、4人が束になってかかってもダメ、しまいにゃシュルバが暴走してもダメ。そんな敵、どうすればいいんだよ……………………」
アルトは頭を抱えた。
「それだけじゃない……………………私達は彼に、一撃たりとも与えられなかった…………まるで未来が見えてるみたいに、全ての攻撃を避けられてしまった…………」
レイナも視線を落とした。
「未来が見える…………か」
話を聞いていたヒロキがその言葉に反応した。
「この状況、あいつなら何ていうのかな」
「そうだね…………きっと『逆に面白い』とか『最高に絶望的じゃないか!』とか言うんじゃないかな……?」
「きっとというか、絶対言うだろうな…………あいつなら…………」
タクト、なら――――――。
「でも、あいつはもう死んだ。この状況は、俺達が変えるしかない…………」
「わかってる…………わかってるけど…………」
出来ない。
その勇気が出ない。
いつまでも負けたままじゃいられない。勝ってやり返してその気分を味わってみたい。心の底からそう思っている。
なのに、それを拒んでしまう。どうしても絶望の先の希望に手を伸ばせない。
理由は簡単、怖いからだ。
そんな単純な理由にも関わらず、何故か底なし沼に嵌まったように体が動かない。痺れてるわけでも、呪われてるわけでも、はたまた縛られてるわけでもない。
怖い。
今まで感じてこなかった本当の恐怖が、アルタイル達を襲った。
そこに一筋の風が吹いた。
「見損なったよ………………」
勢いよく開いた扉と共に飛んできたその台詞の主に、誰もが目を奪われた。
「お、お前…………」
アルトの視線の先にあったのは真っ青な顔で息を切らせながら矢野に支えられてやっと立っている――――――――、
シュルバだった。
「目が覚めたのか…………?もう」
「うん。私の目は覚めたよ。私の目は、ね」
シュルバはよろつきながら1歩ずつ進む。
「目が覚めてないのは、みんなの方だよ」
「俺らが……?」
「えぇ」
不思議そうに自分を指差すヒロキを睨むシュルバ。
「ねぇ……私達の目標は何?」
「今のところはタクトの復活……だけど、最終目標は自分達の理想を叶えるための、世界の再構築だな」
「そうよね。そしてその理想は、自分が何度死んでても、世界を根本から作り直してでも叶えたいほど強い願い…………」
シュルバは強く言った。
「その理想は、この程度の絶望で打ち消されるの?」
シュルバは机を強く叩いた。
「見損なったよッ!!!」
耳にキーンと響く彼女の声は、未だかつて誰も聞いたことのない声だった。
「何の為に戦ってきたの!?何の為に殺してきたの!?このくらいの絶望如きで今まで殺してきた命は全部無駄になるの!?そんなの、おかしいよ!!」
「でも…………お前も見ただろ!?あの男の強さを!俺が魔人化しても、お前が暴走しても勝てなかったんだろ!?じゃあどうしろっつうんだよ言ってみろよ!」
「そうやって自分の弱さを盾にして目の前の絶望から逃げてても、状況は何も変わらないでしょ!」
「じゃあどうすればいいんだよ!どうするのが正解なんだよ!どうすることも出来ないのに行動を起こせるわけ無いだろ!」
先ほどとは打って変わって、シュルバは黙り込んでヒロキを睨む。
もちろん、ヒロキもシュルバの意見を呑めないわけではない。しかし、彼に纏わり付く絶望はその程度で解決できるものではなかった。
自分が信じてきた自分の力、刀の力、血の力…………。
そして、姉の力。
その全てを一気に崩されたヒロキはヒロキらしい考えを持てなかった。
「なぁ…………言ってみろよ……………………」
ヒロキの声が少し高くなった。
「どうしろって言うんだよ…………」
その場にしゃがみ込んで泣くヒロキを目の前に、シュルバは、いや、アルタイル達は言葉を失った。
アルタイル達が眼前の絶望に迷い込んだ今、その道に光を灯す者は彼女らしかいない。
「どうすればいいか?簡単だよ、殺せばいいだけさ」
「矢野…………さん」
シュルバは振り返って、矢野の姿を確認した。
「殺すことができたら……苦労してませんよ…………」
アルトは机に突っ伏して、篭った声で言った。
「あぁ、確かに殺せない。今のままならねぇ」
矢野は小さな箱の中から細長い煙草を1本取り出し、指を指すようにそれをアルタイル達に向けた。
「アンタ達はまだ自分の力の全てに気づいていない。まだ凶器を1つしか持っていないんだ。そしてあいつは…………ゴーストとか言う男は、たった1つの凶器で殺せるほど生易しい相手じゃない」
矢野は火をつけないまま煙草を口に咥えた。
「じゃあ凶器を手に入れればいいんだよ。自分たちのまだ知らない、自分たちの凶器を。このままうじうじしてても仕方ない、行動を起こさない限りは何も起きない。殺そうともせず立ち止まってたら、殺されるのは自分たちだ」
矢野の言葉は強かった。
強く、たくましく、そして…………。
優しかった。
「殺されるのは……アリス達か…………」
アリスは椅子から立ち上がり、2人の前に立った。
「せっかく皆で頑張ってきたんだもん、こんなとこで殺されてちゃイリスに怒られちゃうよね」
「アリス…………お前は、あんなにボロボロに負けて悔しくないのか?」
「そりゃもちろん悔しいよ。でも、このまま悔しがってて何もできないままなんてやだし、ヒロキの悲しそうな顔を見るのも嫌。だから、アリスはヒロキに笑ってもらいたい。だから一緒に頑張るの。そうでしょ?」
アリスはニコッと笑った。
「ははっ…………なんか俺の姉ちゃんみたいだな、アリス」
ヒロキはゆっくりと立ち上がった。
「考えてみれば…………矢野さんの言うとおりだ。このまま何もしないのはつまんねぇ。こんだけ俺らを絶望させたんだ、俺らもアイツを同じくらい絶望させてやんねぇと。だろ?レイナ」
アルトの問いかけに、レイナもこくんと頷いた。
「良かった…………いつものみんなに戻ったね」
ほっと一息つき笑顔を見せるシュルバ。そこには正真正銘、仲間への愛情や信頼がこもっていた。
矢野はそれを見て、ふふっと小さく笑い、
「ここからがスタートだ。さぁ、絶望を始めようか」
そう、呟いた。




