5章11話『狂い抗い』
強く降り注ぐ雨の中、彼女はどこも見つめていなかった。真っ直ぐ向けられたその瞳に光はなく、全てが虚空へ飲み込まれている。
ハァハァと息を切らせながらもナイフだけは強く握っている。今にも倒れそうになりながらも脳は殺戮を求めている。
いや、求めているのではない。義務付けられた殺戮を遂行しようとしている、ただそれだけだ。
彼女は足を後ろに下げた。
「殺さないと…………」
怯え、震え、恐れ慄いたその表情は絶望と呼ぶに相応しかった。
「殺さないと…………殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと!」
シュルバは目を疑うような速さでゴーストに接近した。冷静を保っていたゴーストもさすがに焦りを隠せない。剣を、体を覆うように構えたゴーストは1歩後ろへ後退し、彼女の襲来に備えた。
「ああぁあぁああぁあああああ!!!!」
ナイフと剣が衝突する金属音がシュルバの力を物語っていた。一撃でお互いが後ろに飛ばされそうになるほどの攻撃が連続で絶え間なく飛んでくる。
「………………………」
凄いのは、その攻撃を疲れ1つ見せず当たり前のように弾き続けるゴーストだ。
飛び散る鉄粉をもろともせず、耳障りな音を気にもせず、まるで未来が見えているかのように完璧なタイミングでナイフを防ぐ。
しかしシュルバも負けてはいない。彼女は今、ゴーストを殺すことしか目にない。
殺さなければ殺される。
死を超越したアルタイルが死を恐れた結果、絶対に壊れない処刑器具が完成した。
アイアンメイデンよりも処刑者の体を傷つけ、ギロチンよりも残虐に殺す。
『シュルバ』という名の死刑執行だ。
しかし、相手は亡霊。一度死を経験している者。故に自分の命の行方を知っていて、その対策を網羅している者。
この比喩が正しいかは分からないが、少なくとも現段階で最強の処刑器具の攻撃が一撃たりとも亡霊に傷をつけていないのは事実だ。
だからこそ、処刑器具は血を求める。
「やめて…………!やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!」
一心不乱にナイフを振り回すシュルバ。
「騒がしい…………少しは黙ったらどうだ」
そして仮面の向こうで呆れ顔を浮かべながらいとも簡単にそのナイフを防ぐゴースト。
状況は、最悪と言っていいだろう。
シュルバの勝機は一切ない。それが断言出来るほどに。
「シュルバ…………」
近くのビルでその様子を眺めていたレイナ。彼女も何かシュルバの力になりたいと思いつつも、その一歩を踏み出せなかった。
シュルバに殺される。
その言葉のインパクトは凄まじかった。
共に戦ってきた仲間が、自分を信じると言ってくれた友が、血眼になった目を見開いて殺しにくるのだから。
「気になるか?シュルバの事」
壁に沿って座るアルトにふと話しかけられたレイナは、その首を縦に動かした。
「まぁそうだよな。実際、俺もさっきからあいつのことが気になって仕方ねぇ。またこないだみたいにぶっ倒れんじゃねぇかってな」
アルトは立ち上がり、窓の外を見た。
表では、だんだんと動きが鈍ってきたシュルバにゴーストが剣を振り下ろし、それをシュルバが義手で受け止め、またシュルバがナイフを振る。このルーチンが完成していた。
アルトはそれをじっと見つめ、言った。
「あっちも疲れてきた頃だろうな。レイナ、そろそろ行くぞ」
「行くって…………どこに?」
「あいつを殺しに行くに決まってんだろ」
「あの男を殺す…………私達に出来るとは思えないんだが…………」
「違ぇよ」
アルトはまたもや衝撃的な一言を放った。
「殺すのはゴーストじゃねぇ。シュルバだ」
「えっ…………!」
空いた口が塞がらなかった。
「なんで……シュルバを…………?」
「前にあいつがあの状態になった時、あいつは船に戻った後もなかなか目を覚まさなかった。あいつはその時の暴走で自分の体力を完全に使い切ったんだろうな。だからこそ、だ」
アルトは胸の前で拳を握った。
「あいつが力尽きる前に、俺達であいつを殺す」
「それが私達が出来る、シュルバへの最大の支援…………」
レイナは納得できなかった。
「わかった…………やれることはやる…………」
しかし納得するしかなかった。どんなに理不尽な事でも、目の前で繰り広げられる最高な理不尽よりマシだ。最高な理不尽を、自分達の理不尽で止める。今彼女達にできる事は、それだけだった。
「特に作戦は立てない。自分が一番慣れている方法を使え」
レイナが頷いたのを確認して、アルトは窓から飛び出した。
そしてワイヤーを駆使して地上まで降り、そのままハンドガンを取り出した。
3回の破裂音が響いても、シュルバは立ったままだ。しかしこれは、決してアルトの銃が下手な訳ではない。
「クソッ……………………」
彼が銃を持つ手は震えていた。
仲間を殺す恐怖と、自分が死ぬかもしれないという恐怖が、彼の手を揺らした。
「直接やるしかねぇか」
アルトはナイフを取り出した。
「おい、聞こえてんだろレイナ」
アルトは虚空に向かって話しかけた。
「狙うのはシュルバだけだ。一気に蹴りをつけるぞ」
アルトはナイフを持ったまま、雨で濡れた重い服で走り出した。幸い、シュルバはゴーストの方に夢中でアルトには気づいていなかった。
「悪く思うなよ、シュルバ」
アルトはシュルバの首目掛けてナイフを振り下ろした。
生前、最後に見たのは血しぶきの中から現れたシュルバだった。
「かはっ…………」
アルトは真っ黒い血を吐き、死んだ。
「あと少しで…………殺されてた…………」
シュルバはナイフについた、血と雨が混ざった液体を指で触った。途端に背筋にゾワッと嫌な感覚が流れる。
「どこ…………」
シュルバは付近を見渡した。
彼女が求める者の姿は無く、雨が騒々しく降り注いでいただけだった。
「いない…………なんで…………」
シュルバはそれを探すのに必死だった。それ故に、本来の敵の存在を忘れてしまっていた。
「油断大敵。私に背を向けた時点で、貴様の負けは確定したのだ」
ゴーストは剣をシュルバに振り下ろした。
「いた………………………………」
亡霊の黒い剣を身を挺して受け止めていたのは、シュルバが探していたレイナだった。
「私を殺そうとしていたんじゃないの…………?」
シュルバは、アルトが自分に襲い掛かってきた時から2人の目的が自分の殺害だと言うことに気づいていた。
レイナの能力は質量を持たない透明化。どこに潜んでいてもおかしくなかった。だからシュルバは用心深く辺りを探していたと言う訳だ。
意外にもすぐ近くにいたレイナは、剣に体を切り裂かれながら言った。
「殺す予定だった……………………でも!」
剣はレイナの頭蓋骨まで達していた。
「あの時…………あなたは私を信じると言ってくれた…………私の味方だと言ってくれた……!自分を信じてくれた仲間を…………自分を受け止めてくれた仲間を殺すなんて…………私には……できない…………!」
彼女は、まだ何か言いたそうだった。
しかしそれを言い始める前に、彼女はシュルバの目の前で真っ二つになった。
「手間取らせやがって…………」
ゴーストは剣を持ち直す。
「殺す…………」
シュルバはナイフを強く握りしめた。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!!!!!!!!!」
スパッ。
そんな擬音がちょうど良いくらいに、彼女は腹から斬られた。
「やっとか…………ここまで本当に、長かったな…………」
豪雨の中、ビルのど真ん中でシュルバは見るに耐えない骸となった。
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